縛られた勝利者
静かにしていたはずの日常が、音を立てて崩れ始めていた。
正しい選択とは何なのか。
見て見ぬふりをすることは、本当に「安全」なのか。
このアカデミーでは、力を持つ者が正義を語り、
沈黙する者が生き延びる。
それでも――
誰かが踏みにじられている現実を前にして、
僕はもう、目を逸らすことができなかった。
これは、ただのバトルじゃない。
これは、僕自身が「何者になるのか」を問われる物語だ。
午後の最後の授業が終わると、すぐに演劇部へ向かう必要があった。ハサウェイさんが去り際にくれた最後の視線には、確かな信頼が込められていた。怖がっているのは変わらないが、今日は「呼ばれなかった」をされなかったらしい。それなら安心できるはずなのだが……何か調べておく必要があるな。
アイアンハートさんがすぐに気づいたが、これについては秘密にしておかなければならない。何も知られてはいけない。
夜は寮への帰路を注意深く観察した。怪しい奴がいれば、後をつけるつもりだった。ハサウェイさんが言及した先輩たちの描写が頭から離れない。背の高い奴で、常に自尊心に満ちた視線をしている。そして、少し髪を刈り込んである――その説明を聞いた時、誰かを思い出しかけたが、確信が持てなかった。結局、帰路で怪しい動きは見当たらず、週末に調査するしかなさそうだ。
* * *
目覚まし時計の音が響く。すぐに止めた。窓から差し込む光は、新しい一日の訪れを告げていた。外の空気は清々しく、心を落ち着かせてくれる。寮の外に出ると、すでにハサウェイさんが待っていた。
「おはようございます、アレンさん」
彼女は丁寧に挨拶した。
「おはよう、ハサウェイさん。今日のプラン通りでいこう」
彼女をどこに連れていくか、慎重に考えて道を選んだ。同時に、彼女の後ろから距離を置いて観察する。もし、あの先輩たちが彼女が一人だと知れば、必ず出てくるはず。
しかし、アカデミーのあちこちを歩き回っても、何も起きなかった。
昼前になると、彼女が疲れ切った顔で立ち止まった。
「大丈夫か?」
彼女は少し躊躇ってから、小さな声で答えた。
「……すみません。実は最近、あまり食事がとれていなくて。ポイントがないので……」
その言葉の意味は、すぐに理解できた。ポイントがないということは、誰も彼女とバトルをしようとしていない。つまり、ポイントを獲得できていないということだ。
決意した。自分のポイントを使ってでも、彼女を助けるべきだ。ルールに違反しているわけではない。
寮のカフェテリアに向かい、食事を用意させた。結局、30ポイント使って、向こう数日間の食事を確保した。
「待ってください!アレンさん……こんなに使ってくださるなんて……」
「構わない。心配するな」
彼女の声には、戸惑いと感謝が混在していた。彼女の目は潤んでいた。
「これが済めば、一つの問題は解決する」
「わたしが……お返しします……」
彼女は申し訳なさそうに呟いたが、正直に「気にするな」と返したくても、女性相手という恐怖が僕を支配していた。返す言葉が見つからない。
「明日は、できるだけお部屋にいてください。安全のために」
彼女は頷いた。そう言って、週末は終わった。
* * *
月曜日は目立たないよう、静かに過ごした。アイアンハートさんは相変わらずハサウェイさんの事を心配しているようだが、彼女が何も言うわけがない。
最後の授業が終わると、ハサウェイさんが微かに視線で合図をくれた。彼女があの先輩たちに会いに行くという事だ。
彼女は頭を下げたまま教室を出ていった。
アイアンハートさんが彼女の腕を掴もうとしたが、ハサウェイさんはそれを優雅に避けて、廊下に消えた。
僕も急いで後を追った。距離を保ちながら。
裏庭に着くと、四人の生徒が見えた。三人の男子と一人の女子だ。ベンチに座っていて、その笑い声は軽蔑に満ちていた。
ハサウェイさんが彼らの前に立っていた。動かず、黙ったまま。
中央の奴が明らかにリーダーだった。傲慢な笑みを浮かべながら話していた。
その時、ハッとした。こいつ……見たことがある。
あの朝、アイアンハートさんに絡んできた奴だ。遅刻してきた時の。その奴の友人が『アルム』と呼んでいた。
距離を詰めるため、茂みに身を隠しながら近づいた。スマホを取り出し、カメラを構えた。
その時だった。
アルムが腕を上げ、ハサウェイさんの頬に平手打ちを食らわせた。
僕の手は震えた。怒り。純粋な怒りが体を満たした。
「ありがとうを言えよ。上級生が面倒を見てやってるんだぜ」
アルムの声が聞こえた。面倒?こんなものが?
ハサウェイさんは何も答えず、ただじっと立っていた。だからアルムは彼女に近づき、力ずくで彼女を地面に倒した。
「言えよ、感謝しろ」
地面に倒れたハサウェイさんが、震える声で呟いた。
「……あ、ありが……」
それ以上、彼女が続けることはなかった。アルムが怒りに満ちた顔になったから。彼の手が――何かをしようとしていた。
もう耐えられなかった。震える手を握りしめながら、茂みから飛び出した。
「――おい!」
叫びながら彼らに近づいた。
アルムが視線を上げた。その目には、明らかに軽蔑が映っていた。
「お前……誰だ?」
だが、その顔が一瞬にして凍りついた。
「待てよ。お前……あの時のやつじゃないか。赤毛のちびと一緒にいた……」
「僕はこの子のクラスメイトです。君たち、何をしてるんですか?」
ハサウェイさんの目が大きく見開かれた。怖れと、何か別の感情が混在していた。
「ガタガタ言うな、消えろ!」
アルムが腕を組んだ。そして、ハサウェイさんに向き直った。
「な?オレたちが話してるだけだぜ」
ハサウェイさんは答えない。その不安定な姿勢が、すべてを物語っていた。
一歩、また一歩と前に進んだ。心臓が暴れるように鼓動している。
「分かってます。何をしてるかも。证拠もあります。もし何もしたくなければ、僕とバトルしてください」
アルムが笑った。自分の仲間たちも続いた。
「バトル?アハハハ!この坊主、何言ってるんだ。お前、本気か?」
だが、アルムの表情が変わった。何か思い出したようだ。
「待てよ。お前とはバトルしたことがあるんだ。この前、赤毛の奴と一緒に」
「ええ。その時、君たちはポイント全部を賭けると言いましたが、本当には賭けてなかった。勝った後も、特に気にした様子がなかったから」
笑いが止まった時、アルムが言った。
「おまけに、このクソ女がなあ、大事なもん壊しやがったんだ。だからツケを払ってもらってるってわけよ」
「だから何だ。言い訳になんねえ」
「……ったく、めんどくせえ野郎だな」
アルムはますます怒気を滾らせていた。その友人たちが彼の背後に並んだ。
僕はエリザの横に立ち、彼女を自分の後ろに移動させた。
「ルールはオレたちが決める」
アルムは薄気味悪い笑みを浮かべた。
「いい度胸だな、ボケさん。本気か?」
「本気です」
「よし、いいだろう。戦ってやる。だがな、今度はお前の相手をするのはオレひとりじゃない。こいつらもだ」
アルムが仲間たちを指した。三対一。
通常なら、狂気の沙汰だ。だが――
「その代わり、ハサウェイさんのポイントも全部を返してもらいます。彼女もバトルに参加する必要があります」
アルムと彼の仲間たちが目を合わせた。その後、盛大に笑い始めた。
「聞きました?一年生のくせに何言ってるんだ。バカじゃねえか!」
「何が笑えるんだ。笑うな」
「ジャジャジャ、これだ。一年生だからな。知らないんだ」
爆笑が止んだ後、アルムが言った。
「聞けよ、ボケさん。教師どもは全部のルールは教えねえんだ。生徒が自分で見つけるのを期待してるんだ」
「どういう意味ですか?」
「言ってんだろ。その道具。ス……スマホとか、なんでもいいが……ポイント転送機能がついてるんだよ」
そのことに、気づいていなかった。転送機能?ポイントをそのまま渡せるということか?
だが、もう一つの疑問が生まれた。先生たちがわざと全てを言わないのか?なぜ?このアカデミー……一体何なんだ?
「もう気を失ったのか?」
アルムの声が鋭くなった。
「オレが欲しいのはお前とのバトルだけだ」
「わかった。バトルを受ける」
唾を飲み込んだ。恐怖と決意が混在している。スマホを起動する。バトルモードに移行する。ポイントの設定画面が現れた。
淡々と言った。
「全賭けだ」
アルムの眉が下がった。
「全賭け?お前、狂ってんのか?全ポイント賭けるわけねえだろ」
「この間も、君はそう言わなかったか?」
「あ?」
「『全ポイント賭ける』って。あの時、僕たちはそうしたけど、君は違った。負けた後、何ともなさそうにしてたからな。ポイントを失った者の気分じゃなかった。だからわかったんだ。あの時、君は全部を賭けてなかった。ポイント転送機能を使えば、口約束と実際の数字は別になる。相手はこっちがいくら持ってるかなんて知らないんだ。だから嘘をつけるんだろ」
僕は決然と言った。
「だから今度は、全部賭けろよ。君も本気ならな」
アルムが舌打ちした。
「ちっ……わかったよ。全部だ。だが、覚悟しておけ。この時は……報復される側はお前だぜ。負けたら、お前の方がオレたちの奴隷になるんだ。卒業まで、お前もそのクソ女も休みなしだ」
デジタルフィールドが上空に展開した。ハサウェイさんは中から除外される。
アルムは389ポイント。僕は198ポイント。合計587ポイント。
「後悔するな」
マシンの音声が響いた。
「バトルスタート」
三人が一斉に向かってきた。スピードは速い。
僕は即座に反応し、糸を使ってピラーの間を移動した。石造りのピラーだ。直接対峙するのは避けるべき状況。相手たちの能力を把握する必要があった。
圧倒的に不利。その事実は、動く一つ一つで体に刻まれていた。
空中を移動している最中、突然、頭上から何かが落ちてきた。
爆発音が鳴り響いた。バランスを失いかけたが、ピラーの頂上に着地できた。
「爆弾か……」
下を見ると、片方の奴が手に球体を持っていた。正確な照準。どうしてこの位置がわかるんだ?
もう二人はどこだ。視線を走らせた。見えない。
また爆発。もっと遠い場所だ。逃げるように動く。少しの安定を手に入れたと思った時……。
赤い炎がピラーの前に現れた。景気良く。熱気が頬を舐める。二番目の奴だ。
その奴は狂気じみた笑顔で、金属の筒を握っていた。炎を吐き出している。
「フレームスロワーか……」
全力で走った。炎が背後を焦がす。
すると、道の先に誰かが立っていた。
アルムだ。
動かずに待っていた。まるで、僕がそこに来ると知っていたかのように。
距離を詰めると、立ち止まった。
「待ってたぜ、ボケさん」
ポケットから手を出す。二刀の短剣がきらめく。
反応する間もなく、突進してきた。速い。正確。一切の隙がない。
武蔵さんを思い出させるような動き。脊髄に冷感が走った。あの武蔵さんの才能。
だが、時間が経つにつれ、パターンが見えてき始めた。武蔵さんのような無秩序さはない。むしろ、動きは規則正しい。
ならば……。
その時だった。背後に二人の影が。爆弾の奴とフレームスロワーの奴。
逃げるしかない。糸をピラーに引っかけて、空へ飛んだ。
高い位置なら、安全かもしれない。
だが、アルムがどれかの奴に言った。
「カズキ!やってみろ」
ああいう名前か。その奴が球体を次々と投げた。一つ、二つ、三つ。
最初は単なる攻撃だと思った。違った。
爆発が、支えているピラーを破壊していた。
最後の一撃で、ピラーが倒れた。
落下。地面が近づく。衝撃。
視界が暗くなった。
重さが体を圧迫する。動く。立ち上がろうとする。
その時、三人が円を作ってこちらを囲んだ。
アルムの笑い声が響いた。
「どうだ?ここは全部、オレたちのもんだ。逃げ場なんてねえぜ」
短剣がこちらを指す。
「ボケさん」
その瞬間、脳裏に浮かんだのはハサウェイさんの事だ。
彼女は今、どうしているのか。外で見ているのか。心配しているのか。
ここまで来た理由。全ての事が蘇った。
ハサウェイさんが耐えたもの。あの恐怖。あの痛み。
彼女の希望。今、ここにある。
三人が徐々に近づいてきた。
アルムが二刀の短剣を上げた。
体が震えた。
だが、それは恐怖ではなかった。
純粋な決意。
「終わっちゃいない」
奥歯を噛みしめた。準備はできている。
追い詰められていた。逃げ場もなく、奴らはそれを知っている。
デジタルフィールドの中、立ち尽くす僕を前に、アルムが緊迫した沈黙を破った。くわえた笑みは嘲弄に満ちている。
「――なあ、ボケさん。これでおしめぇか?」
その一言と共に、三人が僕に向かって歩み寄ってくる。警告なんて、そんなものはない。
一人、また一人と、容赦ない一撃が襲いかかる。
仮想空間とはいえ、ダメージは蓄積していく。痛みは明らかだ。だが、奴らは遊んでいるんだ。一撃一撃を楽しむように、まるで見世物を愛でるような態度で。
「――ハハハ!楽しいぜ、こいつ!」
アルムが額の汗を手の甲で拭きながら嗤う。
「本当にオレたちに勝てると思ってたのか?ハハハハ!」
その笑い声が耳に響き渡る。重くのしかかるような音。
反応する間もなく、二刀の短剣が閃いた。
素早く、容赦なく。一本、二本、三本――
腕を走る切り傷。デジタルのはずなのに、これほどまでに確かな痛み。息が詰まる。
全てが失われるかと思えた。
だが、これは既に計算済みのことだった。
戦闘の初期段階で、矢継ぎ早に回避していた時。気づかれないよう、僕は細い糸を地面に散らしていたんだ。戦場全体に、戦略的に配置された極細の糸。誰もが気づかないような、そんな糸を。
奴らなら、気づかない。そのタイプの連中だ。
歯を食いしばり、絶望の悲鳴を上げる。
最後の一撃が振り下ろされる寸前――
糸を引く。
見えないネットが地面から立ち上がり、奴らの脚を絡めとる。三人の脚を一度に。
「――なんだこれ?」
アルムが叫ぶ。抵抗しようとするが、もう遅い。
糸は蛇のように奴らの四肢に巻きついていく。やがて、三人は宙に浮く。
「貴様!」
アルムが怒りに満ちた声を上げる。もがき、あがく。だが、網は解けない。
その隙を僕は逃した。
近くの石の柱の後ろに身を隠す。距離を置いて、奴らの動きを観察する。
やがて、奴らは脱出に成功する。激しい抵抗の末に。
だが、その時だ。何かが変わった。
三人の一人、カズキが新たなスキルを発動させた。
『特殊』系のスキル。ホログラム型のレーダーが展開される。淡く光る円が、ゆっくりと回転する。僕の位置さえも、石柱を貫いて捉えている。
「――ここだ!」
カズキが指差す。
「爆発系と、レーダー機能か」
心の中で分析する。このバトルに勝つためには、奴らの選択肢を減らさなければならない。その中で最も危険なのは、間違いなくカズキだ。
三人がこちらの陣地に向かってくる。
炎の男子が身構える。どこに隠れようとも、彼の炎は僕を焼き尽くすだろう。
だが、僕はもう次の一手を決めている。
柱の後ろから飛び出す。
糸を使い、身体を高速で移動させる。
カズキの爆発が、炎の男子の炎が、僕の周囲で炸裂する。躱す。躱す。ミリ単位で躱し続ける。
アルムが二刀の短剣を翻す。その刃がかすめる――
紙一重で回避する。
目標は一つ。カズキのレーダーだ。
瞬く間に距離を詰める。糸を放ち、レーダー装置に巻きつける。
力を込めて引く。
「――っ!」
装置が悲鳴を上げ、ホログラムが消える。
カズキが動揺する。その隙間に、僕は圧倒的な速度で接近した。
糸を放ち、その右腕を固定する。爆発を投げるための、あの腕を。
素早い動きで、カズキの身体を翻す。
地に叩きつけ、複数の糸で身体全体を拘束する。網の目のように。
「カズキ!」アルムが叫ぶ。
炎の男子が突進してくる。
だが、僕は既に次の行動に移っている。糸を石の柱に絡ませ、岩塊を落とす。
通路を塞ぎ、数秒の余裕を作る。
カズキを見つめる。もがいている。無駄だ。
「――一人か」呟く。
だが、アルムと炎の男子は容易ではない。
奴らの視線は今、激怒に満ちている。もう遊びではなくなったのだ。
動きが洗練される。連携が深まる。
だが――
ここが分岐点だ。
僕には奴らにない何かがある。
フィールドの支配権。
糸でカズキを宙に浮かせる。
奴らが、その光景に動きを止める。
カズキが蜘蛛の巣に引っかかった虫のように、宙でのたうち回っている。
決めるなら、今だ。
糸を引き上げ、一気に解放する。
カズキの身体は空へ舞い上がる。
そして落下する。
地面に到達する寸前。その身体は光の粒子に分解された。
アルムが歯を食いしばる。怒りが頂点に達している。
「てめえ!」
炎の男子を見やり、アルムが言い放つ。
「サンゴウ。こいつに思い知らせてやれ、オレたちの前ではこのボケさんが何者かってな」
「あいよ!アルム。このバカ野郎、仕留めてやるぜ」
サンゴウが前に出る。手に持った炎放射器から、猛烈な炎が解き放たれる。
その熱さと勢いは、逃げ場なく襲いかかる。
身を翻す。糸を引き、高い位置へ移動する。
空中から、奴の炎の射程を観察する。
危険だが、パターンは見える。予測可能だ。
「もし君の武器を取られたら、どうする?」
心の中で確認しながら、素早く動く。
糸を正確に放ち、その炎放射器の銃身に巻きつける。
「ぐっ――」
サンゴウが抵抗する。力ずくで武器を手放さないようにする。
だが、僕は高い位置にいる。重力が僕の味方だ。
さらに力を込めて引く。
サンゴウが宙へ浮く。武器も一緒に。
「ちょ、ちょっと待てよ!何してんだ!」
「――君が本当に落ちたいなら、その武器を手放すんだな」
静かに、だが確実に言う。
その時、サンゴウは気づく。
自分がどの程度の高さにいるのか。
落ちれば、デジタルフィールドとはいえ、確実に消滅する。
絶望が顔に浮かぶ。怒りから、恐怖へ。
「これでいい。アルムに伝えろ。次は奴の番だ」
その一言と同時に、糸を手放す。
「あああああ!」
悲鳴が響く。
地面に到達する直前。光の粒子が散る。
二つ目。フィールドに残るは、二人。アルム。そして、僕。
地面に着地した時。アルムはすでに静かに待機していた。その瞳がこっちを追い続けて、表情には憎悪と抑制された怒りが混ざっていた。
「へぇ……おもしれぇな。お前、名前教えろ」
短い傲慢な微笑みで応じた。
「アレン……」
「へぇ、アレンか。覚えておくぜ。でもな、これで終わりだと思うんじゃねぇ。オレはアルムだ!これからが本気だぜ!」
急に、手に握った二刀の短剣が消えた。赤紫色のオーラが腕全体を包む。その輝きが消えた時には、腕は完全に石に変わっていた。重厚で危険な石の腕だ。
「覚悟しておけ、アレン!オレみたいな奴に立ち向かうってのはこういうことなんだ!」
腕を高く上げて、地面に叩きつけた。その衝撃で周囲の石柱が砕け散る。
やばい。ここはデジタルフィールドだが、僕の糸は高いポイントに繋がることが多かった。足場が失われれば、機動力が激減する……そう感じた時、アルムが突撃してきた。その手前で、奴は空に向かって拳を放つ。石の破片が弾丸のように襲ってくる。何個かは躱したが、いくつかはかすって腕に切り傷をつけた。
容赦がない。
動くたびに僕の後を追ってくる。常に逃げて、常に動いていないと……そう思った瞬間、さらに激しい攻撃が来た。両手で地面を殴った。石の槍が地面から突き出す。足の先で次々と突き上がってくる。
一つが僕の右腕を貫いた。
痛みは激しく、ほぼ動けなくなる。一瞬だけ止まって、右腕を握りしめた。息を整えようとしている。
「ククク……見てみろよ。お前、ダッサいぜ。これが最後だ、アレン」
距離を置いて、アルムは優越の笑みを浮かべている。
膝から崩れ落ちた。胸の奥に重い感覚がある。なんだか……吐き気がする。涙が出そうになった。
だが。
下を見た時、何かが目に入った。地面だ。
思い出した。
糸は空だけじゃない。
最後の力を振り絞って、指を地面に突き刺した。糸を地中に潜らせる。
アルムは自信満々に歩いてくる。今度こそ勝つつもりなんだろう。しかし、手前で奴の脚に、地中から突き出した糸が絡みついた。
「――なっ……!?」
反応する前に、その体を引きずり倒した。地面に背中から落ちるアルム。右腕の痛みなんて無視して、奴に飛び乗った。石の腕に糸を巻き付ける。手に力を込めて、糸を硬化させる。完全に身動きが取れなくなる。
「お前――!」
最後の力を込めて、糸を引っ張った。
アルムは光の爆発に包まれて消えた。
機械音声が響く。
「ウィナー:アレン・ウェバー」
膝をついて倒れ込んだ。疲労が一気に押し寄せる。勝った……勝った、はずだ。しかし体が言うことを聞かない。
デジタルフィールドが消える。現実の感覚に戻った瞬間、肉体の疲弊が全身を襲った。立ち上がろうとしても、体が応じない。
数メートル先では、カズキとサンゴウが……ハサウェイさんを腕で押さえつけていた。まるで、彼ら自身の勝利の戦利品のように。
アルムの敗北で状況は終わっていない。むしろ……始まったばかりなんだと気づいた。
立ち上がりたくても、もう動けない。
本当に……これ以上、何ができるというんだ?
次回――
これまで曖昧だった「暴力の理由」と「支配の構造」が、ついに言葉として明かされました。
それは偶然でも誤解でもなく、明確な“意図”によって作られた歪みです。
アレンは勝利しました。
しかし、それは単純な勝利ではありませんでした。
力で倒した相手の背後にある、もっと大きな闇を知ってしまったからです。
そして、初めて生徒会という“本当の権力”が動き出します。
アカデミーは、個人の戦いだけで完結する場所ではない――
その事実が、物語のスケールを大きく変えていきます。
また、後半ではりんの視点を通して、
「守ること」と「奪われる不安」という、
彼女自身もまだ名前を付けられない感情が描かれました。
絆は確かに繋がった。
けれど、その分だけ、心は揺れ始めています。
この出来事がそれぞれの関係にどんな“ズレ”を生むのか。
そして、アレンが無意識のうちに踏み込んでいく新たな領域が、
静かに、しかし確実に姿を現していきます。




