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歪んだ従順

恐怖は、声を上げない。

ただ、日常の隙間に溶け込み、静かに人を縛っていく。


これは、見過ごされてきた弱さと、

それでも「立ち向かう」と決めた選択の記録だ。

アイアンハートさんの言うことを受け入れることができなかった。勇気を振り絞って、思っていることを伝えなければ。


「……アイアンハートさん……すみません、でもそれはできません……演劇部でさえ、やっと……名前を呼べるくらいで……」


アイアンハートさんは首を傾げて考え込んでいたが、すぐにいつもの笑顔に戻って言った。


「じゃあ別にいいわよ。どうせあんたの女性への恐怖のせいでしょ」


は!?


「どうして君がそれを……?」


アイアンハートさんは明らかに動揺していた。すごく緊張している様子だ。


「あ!あのね、えっと、その……そう!見てればわかるわよ、そういう恐怖症があるって」


驚いた。アイアンハートさんは見た目以上に観察力があるらしい。ただ観察するだけで恐怖症を見抜くなんて。霧崎さんでさえ気づくのに時間がかかったのに。どうやってその結論に至ったのか理解できないが……もしかして、アイアンハートさんの本当の性格について、完全に間違った印象を持っていたのかもしれない。


「ゆっくりでいいわ。あんたが私の名前を呼んでくれるの、待ってるから。だって、思ってたより面白そうな人だもん」


彼女は歩き始めた。ただ見つめることしかできなかった。遠ざかっていく背中を見ながら、一つの結論に辿り着く。彼女は本気で……友達になろうとしているのかもしれない。


どう考えればいいのかわからない。霧崎さんだけじゃなく、今度はアイアンハートさんまで。これは現実なのか?本当に僕のような人間が、女性の友達を持つことが許されるのだろうか?答えが見つからないまま、考え込みながら教室へ向かった。


チャイムが鳴った。今日最初の授業が古橋先生の到着と共に始まろうとしていたが――何かが違う。そう、今日はハサウェイさんが来ていない。Fクラスで一番責任感の強い彼女らしくない。すぐにアイアンハートさんが手を挙げて先生に報告した。


「先生、エリザがまだ来てないんです」


古橋先生はハサウェイさんの空いている席を見て、不思議そうな顔をした。


「あれ、おかしいわね……誰からも欠席の連絡もらってないんだけど。何かあったのかしら?」


教室は静まり返った。皆が同じ心配を共有している。先生はその雰囲気に気づいて言った。


「わかったわ。職員室に行って学園長に連絡してみるわね」


まさに出ようとしたその時、教室のドアが勢いよく開いた。そこにはハサウェイさんがいた。


でも、何かがおかしい。


いつもの制服ではなく、体育着を着ている。顔には恥ずかしさと緊張が混ざった表情を浮かべながら言った。


「遅れてすみません、先生。ちょっとした問題がありまして。制服を洗濯できなくて、この格好で来ていいのか迷ってしまって……アハハ」


その緊張した笑いは誰も納得させなかった。古橋先生は真剣な顔で彼女を見てから答えた。


「予備の制服が必要なら、一緒に来て。用意してあげるわ」


「お手数をおかけします、古橋先生」


頭を下げて答えた。二人は教室を出て行き、不思議な空気だけが残った。


アイアンハートさんは我慢できない様子で席を立ち、霧崎さんのところへ歩いて行った。


「エリザのこと、変だと思わない?」


霧崎さんは考え込みながら答えた。


「どうかな……制服を洗濯できなかっただけって言ってたし。体育着で来るのが恥ずかしくて遅れたのかもしれないよ?」


アイアンハートさんは黙り込んだが、表情は納得していない様子だった。


「何があったのか聞いてみるわ」


最後にそう言って、腕を組んだ。


ただ観察しながら、パズルのピースを繋げようとしていた。でも何も嵌まらない。ハサウェイさんはいつも時間に正確で几帳面だ。何かが合わない。


昼休みになって、食堂へ向かった。いつもと違うものを試してみようと思った。ポイントが増えたから、いつもの一ポイントの食事から三ポイントのものに変更した。


いつも通り、できるだけ人から離れた場所に座って、ハサウェイさんに起きたことを考え始めた。本当に手がかりも何もない。もっと論理的な結論を出すには情報が足りない。この状況はとても奇妙で、考えずにはいられなかった……。


でも、何かできるかもしれない……そう思ったが、なぜこんなことに関わろうとしているのか自分でもわからない。なぜこんなことを?……考えてみれば、遠くから助けることが、女性への恐怖を克服する助けにもなるかもしれない……そう思うと、ハサウェイさんを助けたいという気持ちが確かになった。


ちょうどその時、誰か――いや、二人が向かいに座った。


霧崎さんとアイアンハートさんだ。


アイアンハートさんは時間を無駄にせず、すぐに本題に入った。


「アレン、エリザに何があったと思う?」


霧崎さんはアイアンハートさんを見て、少し困った様子だった。


「アヤさん、そんなに大げさにしなくても。何も起きてないかもしれないし」


「――もちろん何かあったのよ!」


アイアンハートさんは叫んで、腕を組んでまた話し始めた。


「エリザがいつあんな不注意になった?まるで……」


声を落として、前に身を乗り出した。


「まるで何かを隠してるみたい」


霧崎さんはため息をついて食事に戻ったが、アイアンハートさんのコメントを無視することはできなかった。今朝のハサウェイさんの行動が、ずっと頭の中で響いている。本当は何が起きているんだろう?


アイアンハートさんはハサウェイさんと話したことを話し始めた。だからこそ心配していると。


「さっきエリザと話したんだけど、何でもないって言うのよ……でも本当に何かあったと思うの……」


彼女はハサウェイさんのことだけを考えて迷っている。食事にも手をつけていない。本当にハサウェイさんの様子がそんなに気になるのか?


「ねえ……わたし、毎朝エリザと一緒に歩いてたの。どんな子か知ってるし、話もするわ……でもここ数日は朝一緒に歩いてないから、何があったのかわからないの……心配なのよ」


アイアンハートさんは多くのことを認めた。一つ一つ分析する。


まず、ハサウェイさんとアイアンハートさんは見た目以上に親しい。だからアイアンハートさんがこんなに心配している。二人はいつも朝一緒に歩いていた。寮から一緒に歩いて話しながら、お互いをもっと知るようになったと考えるのが自然だ。正反対に見える二人の奇妙な友情。


もう一つの詳細は、アイアンハートさんがしばらく前からハサウェイさんに同行するのをやめたということ。それを起点として考えると、誰も知らないその期間に何かが起きたはずだ。放課後か部活動の時間かもしれない。でもアイアンハートさんは、そのことが朝に起きたと確信しているようだ。少なくとも、そんな印象を受ける。


食堂は生徒たちの囁きや笑い声で満ちていた。昼休みを楽しんでいる。霧崎さんは気楽に食事をしていたが、アイアンハートさんは落ち着かない様子だった。すぐに食事を終えて、テーブルから立ち上がった。


「もう一回エリザを探しに行くわ。本当のことを言うまで諦めないから!」


いつも通り行動が荒っぽい。どこに行ったのかわからないが、時間を無駄にしたくないようだった。


霧崎さんはため息をついて、顎に手を当てた。


「心配する気持ちはわかるけど、もし個人的なことを隠してるとしたら?プライバシーに踏み込んじゃってるかもしれないよ、そう思わない、アレンくん?」


霧崎さんの論理は理解できる。でも、アイアンハートさんの疑惑を示す奇妙なパターンがあまりにも強い以上、何もしないわけにはいかない。


「それは理解しています。でも、これは違います……彼女は怖がっているように見えました。気づきませんでしたか、霧崎さん?」


霧崎さんはゆっくりと首を横に振った。目には疑念が映っている。


少し考えた。ドアのところで緊張して震えていたハサウェイさんの姿が、まだ頭に焼き付いている。いつも落ち着いていて自信に満ちている。でも今日は……何かが違う。


「何かあったんです。言いたくなかったんでしょうけど、明らかに動揺していました……」


霧崎さんは非難と期待が混ざった目で見てきた。


「助けに行かないの?」


ためらったが、最終的に立ち上がった。テーブルに残った食事を残して。探しに行くことにした。


なぜこんなことをしているのか自分でもよくわからないが、ハサウェイさんを見たら、パニックや緊張に陥って話すこともできなくなるだろうとわかっている。でもそれを知っていても、探しに行きたかった。


歩きながら周りを見回した。ハサウェイさんは食堂にいない。外に出て広い廊下を見渡し、ゆっくり歩きながら周囲を確認した。アイアンハートさんの姿もない。


部活動の教室の周辺を確認すべきかもしれないと思い、その方向へ向かった。その時、アイアンハートさんと出くわした。彼女もこの辺りを探していたようだ。気づくとすぐに近づいてきた。


「あんたも探しに来たの?」


「……まあ……はい……」


彼女は熱心に笑って言った。


「別れて探しましょ!あんたはこっちで探して。エリザは文芸部だから。わたしは二年生の教室を見てくるわ」


走って行った。


一方で、プレッシャーを感じ始めた。廊下を歩く。文芸部はこの廊下の一番奥を右に曲がったところだ。でもそこに着く前に、新聞部の横を通りかかった。


突然、中から誰かが出てきた。


知っている人で、怖い人だ。


そう……朱里さんだ。


背筋を走る戦慄を感じた。


朱里さんのことを思い出す。あの人は、どう見ても非常に外向的で…その単純な事実だけで、見かけるだけで恐怖心が湧き上がってくる。


「あ!」


突然、大げさな身振りで手が上がった。身体が凍りついた。


朱里さんが好奇心に満ちた目で僕を見つめる。その後、広く微笑んだ。


「あなた!あの時の人だ。やっと入部することにしたの?」


本能的に一歩後ずさった。だが、彼女は遊びのような歩調でゆっくりと近づいてくる。僕の不安を楽しんでいるようだった。


「ねえ、怖がらなくてもいいじゃない。新聞部に入りたいんでしょ?」


心が乱れた。思わず大きな声を出してしまった。


「ち、違います!」


落ち着きを取り戻した朱里さんが、僕をもう一度見つめた。その時、彼女は気づいたのだろう。僕が動揺している理由が、別にあることに。


「ねえ、何か困ってるの?新聞部に入るわけじゃなくて?」


首を横に振りながら、後ずさることしかできなかった。


朱里さんが立ち止まった。彼女の笑顔が少し薄れた。僕をじっと観察している。


「何か探してるの?それとも……誰か?」


急いで説明した。何をしていたのか、何を探しているのか。


ハサウェイさんを探していることを話すと、朱里さんの表情が変わった。


「あなたの委員長……だって?」


腕を組んで、思考に沈んだ。


「……確か見かけた気がするわ」


「どこで?」


朱里さんが体育館の教室の方に指をさした。


「さっきね。何をしてたのかは知らないけど……」


「……本当にハサウェイさんでした?」


「そんなに信用できない?細かい説明で見分けるくらい、私の目は確かよ。絶対に彼女だったわ」


躊躇する理由がなかった。すぐに体育館の教室へ走った。


到着すると、ドアが半開きになっていた。練習場は空っぽだ。だが奥の方に開いたドアが見える。そっと近づいた。


かすかな呟きが聞こえた。


ドアの向こう—ハサウェイさんが床に座っていた。制服を両手に抱えている。泥だらけの制服を……。


「……どうして……?どうしてわたしに……しくしく……」


呟きが細く、声が震えている。


そして……泣いている。


彼女が泣く声を聞いた瞬間、胸が締め付けられた。喉に何かが引っかかったような感覚。何が起きたんだ……?


だが、彼女の泣き声を聞けば聞くほど、僕の中に灰色の決意が燃え上がっていくのを感じた。


もう……耐えられなかった。


ドアを開いた。


ハサウェイさんが飛び上がった。目が合う—赤く、涙で潤んだその瞳が、僕の瞳を映す。


「――ウェバーさん?ここで何を?」


涙を素早く拭きながら、制服を背中に隠そうとしている彼女を見つめた瞬間、状況は一目瞭然だった。ハサウェイさんはまだ本当のことを言いたくないんだろう。だけど、もう見てしまった。もう遅い。僕はこの泥沼に足を突っ込んでしまった。彼女を助けるしかない。


「何を隠してるんだ?」


冷静に聞いたつもりだけど、心臓がうるさく鼓動している。


「――何もありません!」


彼女は勢いよく立ち上がると、出口を塞いでいる僕を脇に押しのけようとした──が、びくともさせなかった。本当に何もないはずがない。


「何もじゃない、本当ですから!」


動かなかった。動く理由がない。彼女は追い詰められた獣のように見えた。力ずくで逃げようとするかもしれないと思ったけど、代わりにため息をついて視線を落とした。


「……もういいです。見られてしまったなら、隠す意味もありませんね」


彼女は制服を見せた。泥にまみれ、汚れにまみれている。


「これ、君のか?」


彼女は黙ってうなずいた。


「何があったんだ?どうしてこんなことに?」


彼女は言葉を探すのに苦労している。声が震えている。


「……お話しします。ですが、どうか誰にも言わないでください。先生にも……」


何も約束できない。状況の重大さによるからだ。返答しなかった。彼女もまた沈黙した。でも数秒の沈黙の後、彼女は話し始めた。


「数日前、Cクラスの二年生のグループと通りがかったとき、彼らの一人にぶつかってしまい……本当に事故だったのですが……彼らにとって大事だったらしい何かを壊してしまったんです」


沈黙。僕は聞いたことを処理しようとしていた。


「……その先輩たちが、とても怒ってしまって、バトルを仕掛けてきたんです。わたしは……負けました」


ぞっとした。怒りがこみ上げてくるのを感じた。いったいどうしてそんなことが起きるんだ?ハサウェイさんは間違いなく謝罪したはずだ。解決策を提示したはずだ。なのに奴らはバトルを仕掛けた?何の目的で?


「なぜバトルを仕掛けてきたんだ?」


「……負ければ...壊したものを補うために、わたし、彼らの新しい『助手』になれと……」


息が止まった。拳が無意識に握りしめられた。何だと?ハサウェイさんに、そんなことを強要するだと?


「それ以来、彼らの雑用ばかりしています。今日は裏庭から何かを持ってくるよう強要されて、汚れてしまいました。着替えたり、制服を洗う時間さえくれなかったんです」


……これって、おかしくないか?詳しく考えてみると...何かが腑に落ちない。


「ハサウェイさん……お前が壊したその『何か』は、何だ?」


「……わかりません。見ようとしたとき、その先輩が早く拾ってしまって……ですが、それが彼らにとって非常に大事なものだと何度も言い張っていました」


整理してみよう。奴らは『何か』を持ってる。それは『非常に大事』らしい。エリザはそれを事故で壊してしまった。『補うため』に、奴らはハサウェイさんにバトルを挑んだ。ハサウェイさんが負けて、『助手』になった。何度考えてみても...何か引っかかる。


「ハサウェイさん……なぜそんなことを受け入れたんだ?」


彼女は拳を握りしめた。体が震えている。


「……だって、先輩ですから……敬うべき存在ですよね?」


「……でもそれ、間違ってるよ、彼らは先輩だからって自分を貶める必要なんて、どこにもないんだ」


「ですが!……先輩は敬わなければならなくて、上の立場の人には従わなければいけません。それが正しいことじゃないですか?」


あ、わかった。ハサウェイさんの世界観は歪んでいる。奴らはそれに気づいて、利用してるんだ。先輩というポジション、上下関係という名目で。


「問題は……それだけじゃないんです」


なんだ?


「ポイントを全部、賭けてしまいました。もう何も残ってないんです」


「……!?」


今度は本当に大問題だ。これ以上ないくらいに。胸の中で怒りが炎のように燃え上がった。


「これ以上、放っておくことはできない。古橋先生の所へ来い」


向き直って歩き出す。でも彼女が僕のシャツをつかんだ。


彼女の額が僕の背中に当たった。女性が僕の背中に触れている。その感触で動揺が走った。でも彼女の声を聞いた瞬間、その恐怖なんて吹き飛んでしまった。彼女の痛みの方が、ずっと大きい。


「お願いします……お願いします、誰にも言わないで。何でもします。だから……」


心が揺さぶられた。怒り、フラストレーション、恐怖...そしてハサウェイさんへの深い同情。


少し振り返った。


「誰なんだ?奴らは。その先輩たちは誰だ?」


「……?」


「……一人ずつ、僕が片付けていく」


彼女は目を見張った。涙がまた頬を伝った。彼女は一歩下がった。僕の言葉の確かさに驚いたんだ。その声は震えながら、かすかなささやきになった。


「本当に……わたしを助けてくれるんですか?あなたを信じても大丈夫ですか?」


沈黙。


僕に何ができるか、わからなかった。強くない。経験もない。二年生を相手にするなんて。脅す力さえない。でも恐怖に麻痺することはできない。彼女に必要なものを与える。たぶん、誰もくれなかったもの。


希望。


「はい!」


確実に聞こえるように答えた。


「大丈夫だ。僕に任せろ。奴らを一人残らず倒してやる」


彼女は涙でいっぱいの瞳で僕を見つめた。信じられない、という表情だった。力が抜けて、膝が崩れる。地面に座り込み、泣いた。抑圧されていた感情が全部出てくるように。


僕も彼女のそばにかがんだ。


「ありがとうございます...アレンさん...そう呼んでもいいですか?」


「……はい……」


彼女は膝を抱いて顔を隠した。泣いている。でもゆっくり落ち着いていく。


そして、ふと顔を上げて僕を見た。


「アレンさんは見た目よりもずっと決断力がありますね」


「は?……僕は、そう見えてないつもりなんだけど」


「自己分析が不足しているのではないでしょうか。背が高いし、とても観察力もある。それに……皆のことを気にかけている、そういう印象を受けます」


何と答えていいかわからなかった。他人の視線で見つめられるのは...変な感覚だ。


「ところで、時々見ていて思うんですが……先輩のように見えるんです」


……彼女が僕を先輩だと思うのは、自然なのかもしれない。でも……それを口にしたのは間違いだった。つい、言ってしまったんだ。


「……もしかしたら、僕、そう見えるのは...実は僕、本来は二年生のはずだったからかもな」


沈黙。


彼女は瞬きして、僕を見つめている。処理中だ。それは明らかだった。このアカデミーでも誰も知らないことだ。霧崎さんだって知らない。


彼女はずっと僕を見つめていた。その視線が集中し、深まっていくのを感じた。不安になった。緊張した。


「……何か?」


「申し訳ありません...あなたが言ったことには、理由があるはずです。そのような状況に置かれるまでに」


彼女は正しい。僕は過去のトラウマを経験した。一年を失わせるほどのトラウマを。女性への恐怖。それが僕を縛っている。簡単には話せないけど……ここにいて、二人きりで……もしかしたら、彼女に話すことができるかもしれない。


「ハサウェイさん……少し、僕の話を聞いてもらえるか?」


彼女はうなずき、注意深く耳を傾ける姿勢をとった。


僕は女性への恐怖だけを話した。ひめかのことは言わなかった。どうやってそれが起きたのか、詳しいことは言えなかった。


彼女は聞いていた。もっと知りたいのか、という顔をしていたけど、何も聞いてこなかった。


沈黙だけが僕たちの間にあった。


そして、彼女は言った。


「思うんですが……アレンさんに対する私の印象が、非常に変わってしまいました。正直に言えば、あなたのことを『先輩』と呼ぶべきだと感じています」


動揺して、手を振った。


「やめてくれ。頼む。僕は確かに一学年上だけど、同じクラスにいるんだ。そう呼ばないでくれ」


彼女は笑った。目に見えて落ち着いている。


これで本当の問題に取り組む準備ができた。


計画というほどのもんじゃない。むしろ、必死の一手だ。あの先輩たちを暴露するためには、確たる証拠が必要だった。


だから、ハサウェイさんに頼った。彼女なら知っているだろう。


「ハサウェイさん、あの……彼らはいつもどこに……?」


控えめに言葉を重ねた。決して強要するつもりではない。ただ、必要な情報がほしい。


彼女は緊張した表情で、瞳が揺れている。そんな様子を見ると、胸がきゅっと締め付けられる感覚があった。


「そうですね。たいていアカデミーの裏庭に集まります。人目につかない場所で」


答えはそれだった。人目につきにくい場所。誰も寄り付かない隅っこで、あいつらはいつも集まっている。暗い場所で、誰にも邪魔されずに。


「……彼らの名前は?」


「あの人たちの名前は...申し訳ございませんが、わたしは彼らの名前をしっかり聞いたことがありません。彼ら同士での会話しか聞けていなくて」


そっか。そうなんだ。それでも、構わない。


「分かりました。ハサウェイさん、ひとつ頼みがある」


視線を合わせた。彼女の瞳が不安と期待で揺れているのが見えた。


「わかった。今のところ、君はまだ彼らの手伝いを続けてくれ。ただし、僕は距離を置いて。その間に、奴らのことを記録する。証拠を掴んで……バトルで決着をつける」


言葉に力を込めるつもりだったが、自分の声がどれほど真摯に聞こえているのか、正直なところ自信がなかった。


彼女はゆっくりと首を縦に振った。でも、その表情は……複雑だった。何かが心の中で揺らいでいるような、そんな不安定な光が瞳に映っていた。


思い出したのは、あの場面だ。彼女の泣く姿。その表情が、誰かと重なった。ひめかと。


彼女は数秒沈黙した。その間、彼女の表情は揺らいでいた。内的な葛藤を抱えているのが伝わってくる。


最後に、彼女は小さく頷いた。


「かしこまりました。アレンさん……」


それなら、彼女が失ったポイントも取り戻さないといけないんだな。


正直なところ、僕はどうしてこんなことになってしまったのか、理解できていない。女性への恐怖。それは今でも変わっていない。


だけど……。


今回は違う。


ハサウェイさんの泣き顔を見た時、その悔しさを聞いた時、なぜか心が動いた。


今度は、僕は立ち止まったりしない。動かないなんてことはない。


ハサウェイさんをこの泥沼から引きずり出す。たとえ何が必要になろうとも。


今のところ、これを秘密にしておこう。誰にも知られてはいけない。


この裏庭での秘密計画。この約束。


これで、何かが変わり始めるんだろう。


不安と、決意が、同時に胸を満たしていた。

次回――

勝利は、必ずしも救いを意味しない。

奪い返したものの代償は、思っていたよりも重く――


守ったはずの存在が、再び狙われるとき、

本当の戦いはどこから始まるのか。


次に明かされるのは、

“勝者”であるがゆえに背負わされた現実。


どうか、続きを見届けてください。

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