囁かれる共感
アカデミーでは、強さだけが人を評価する基準じゃない。
そう分かっているはずなのに、クラスという「枠」は、知らないうちに人の心を縛っていく。
彼女が抱えてきた過去。
誰にも見せず、誰にも頼れず、それでも前に進もうとしてきた理由。
これまで語られなかった想いと傷が、少しずつ言葉になっていく。
信頼とは何か。
隣に立つということの意味が、静かに試される。
(アレン)
ゆっくりと目を開けた。体が重い……まるで何時間も巨大な重りを背負っていたかのようだ。意識が戻るにつれて、Aクラスとのバトルの記憶が次々と蘇ってきて、頭の中を侵食していく。
武蔵さん。あの圧倒的な姿、あの圧倒的な力……思い出すだけで胸が恐怖で締め付けられる。一体、どうすれば……悔しさと絶望が混ざり合った感情が込み上げてくる。どれだけ努力しても、あの人には絶対に届かない……そんな考えが、内側から僕を支配し始めていた。
周りを見渡すと、保健室にいた。誰もいない。この場所の静けさは、心地よくもあり、同時に重苦しくもあった。そうか……僕はいつも一人だったな、ため息をつきながら、思考の中に沈んでいく。
でも、その孤独の瞬間は長く続かなかった。保健室のドアが開く音がした。
頭を向けると、彼女が入ってくるのが見えた――霧崎さん。彼女の顔には心配と決意が混ざっていて、夕暮れの柔らかい光に照らされていた。
心臓が跳ねた。
「霧崎さん……」
かろうじて声が出た。
彼女はゆっくりと近づいてきて、穏やかな表情を浮かべていた。
「先生が言ってたわ。休息が必要なだけだって。すぐに良くなるわよ」
温かくも、しっかりとした声だった。
黙って彼女を見つめた。何を言えばいいのか分からない。罪悪感が胸に塊を作っていく。
「ごめん、霧崎さん……」
視線を落として、彼女を見ることができなくなった。あんなことが起きた後、彼女と一緒にいる資格なんてないと感じていた。
「Aクラスの人たちと戦えなかった。あの人たちは別次元だ。頑張ってみたけど、僕たちよりずっと強くて……」
霧崎さんは答える前に少し間を置いた。
「謝る必要なんてないわよ、アレンくん!あなたは何も悪いことしてないもん。あたしたち、みんなチームだったんだから」
彼女の言葉は優しかったけど、僕が感じている重さを消すことはできなかった。頭の中では、自分が失敗したという思いが繰り返されていた。仲間として……友達として……?
沈黙に気づいた霧崎さんは、少し身を乗り出して、僕の目を探そうとした。
「それにね、前にも言ったでしょ?あたしたち、まだ一年生なんだから。まだまだ成長できるわよ!」
声は力強かったけど、その瞳には何か別のものがあった。何なのか、僕には分からなかった。
「あ、そうだ!学園長が決勝戦の後に面白いこと発表したのよ。アレンくん、ここにいたから聞いてなかったわよね。FクラスとBクラスに30ポイントが付与されるって!」
すぐにスマホを手に取った。確かに、ポイントがそこにあった。合計120ポイント。皮肉な笑みが顔に浮かんだ。
「へえ……すごいな」短く笑った。
でも、霧崎さんを見ると、彼女は僕の感情を共有していなかった。表情が真剣になっていて、どこか不確かな一点を見つめていた。
「何かあった、霧崎さん?」
自分でも気づかないうちに、ほとんどカジュアルな話し方になっていた。
彼女は答える前に一瞬ためらった。
「アレンくん、言わなきゃいけないことがあるの」
穏やかで、ほとんど厳粛な口調だった。
「今日から陸上部の部活動を始めるわ。だから、もうそんなに頻繁には会えなくなっちゃう。結構忙しくなるから」
一瞬、黙ってしまった。このニュースは、そこまで影響を与えるべきじゃなかったのに、実際には影響を受けた。クラブがアカデミーの生活の重要な部分だって分かってる……それでも、彼女とあまり会えなくなるという考えは、奇妙な空虚感を残した。
「そっか……残念だけど、頑張ってね」笑顔を作ろうとした。
霧崎さんは数秒間、僕を見つめていた。何か付け加えたいかのようだったけど、最終的にはただ頷いた。
「さ、アレンくん。授業はもう終わったし、教室に荷物取りに戻りましょ」
以前より軽い口調だったけど、その瞳には僕が解読できない輝きがあった。
一緒に教室まで歩いた。道中、彼女が違っていることに気づいた……気が散っているような、何かあるいは誰かを探しているような。聞きたかったけど、適切な言葉が見つからなかった。
最終的に、霧崎さんは軽い笑顔で別れを告げて、陸上部へ向かった。
教室に一人で残って、ゆっくりと荷物をまとめながら、窓から夕暮れの光が差し込んでいた。
寮に戻った。部屋に着くと、多くのことを考えずにはいられなかった。バトルのことから、アカデミーのルールで何かしらの部活動に所属しなければならないという義務まで。
色々なことが頭を巡る中、疲れで目が閉じ始めた。でも、その瞬間、気づいた。
保健室で霧崎さんと一緒にいたとき、恐怖を感じずに彼女と話していたことを……
どうして彼女に恐れずに話せたのか理解できないまま、物事をよく考えることもできず、眠りに落ちた――
アラームの音で目が覚めた。このアカデミーに来てから、こんなによく眠れたのは久しぶりだった。
いつも通りに準備を済ませて、アカデミーへ向かった。登校の道中、霧崎さんと会うことはなかった。正直、少しがっかりした。彼女が隣を歩いている姿を見られないのは、なんだか物足りない気がする。
でも、教室のドアを開けた瞬間——彼女はそこにいた。
どうやら溜まっていた課題をやっているようだった。僕の姿を見ると、彼女はいつもの笑顔とエネルギーで挨拶してくれた。
その一瞬だけで、心臓が跳ねた。
あの輝くような、眩しい笑顔。彼女がみんなに向ける、あの笑顔。
彼女の期待を裏切りたくない。そう思った瞬間、まるで衝動に突き動かされるように、言葉が口から出ていた。
「おはよう、霧崎さん」
ただのシンプルな挨拶。朝の「おはよう」なんて、みんなにとっては当たり前のことだ。でも僕にとっては——初めて、自分から彼女に「おはよう」と言えた瞬間だった。
その後は黙って座って、授業が始まるのを待った。
視界の端で、霧崎さんが集中して課題をやっているのが見えた。昨日は時間がなかったのかもしれない。もう少し彼女の横顔を見ていると、彼女は本当に綺麗だと思った。ノートに文字を書く姿は責任感がある人に見えるし、眼鏡をかけている彼女は更に魅力的に見える。
そして——ふと気になったのは、彼女の座り方だった。
普通の座り方じゃない気がする。背筋を伸ばすのではなく、体が少し後ろに傾いているような感じで、腰が反っているように見えた。スカートはゆったりしていて太ももにフィットせず、腰の周りに布が集まっていて、脚の下の部分が直接椅子に触れていた。
眉をひそめた。他の女性でこんな座り方をしている人を見たことがない——まあ、知っている女性も少ないから比較できないけど。彼女の癖なのか、それとも無意識のジェスチャーなのか。別に変な意味で見ているわけじゃない。ただ、いつもと違うパターンに気づいただけだ。
しばらくして、他のみんなも来て、チャイムが鳴った。授業開始の合図だ。
古橋先生が入ってきて、すぐにアイアンハートさんと——僕を探しているような視線を送ってきた。その視線を感じた瞬間、ドキッとしたけど、考える暇もなかった。
先生は手を叩いて言った。
「ねえみんな、プレッシャーかけたくないんだけど、このアカデミーにはルールがあるからね」
先生はポケットから二つのパンフレットを取り出して続けた。
「アヤさん、アレンくん、あなたたち二人、まだどの部活動にも入ってないわよね?」
問題が一気に戻ってきた気がした。まるでボクサーがK.O.負けするみたいに。
最初に反論したのはアイアンハートさんだった。
「先生、余計なお世話よ。自分で決めるわ」
先生は何も言わず、彼女の反抗的な態度に反応しなかった——けど、すぐに今まで見たこともないような不気味な表情になった。
「アヤさん〜、その態度はやめなさいって言ってるのよ〜。私はあなたの担任で〜。言うこと聞かないと、どうなるか分かってるわよね〜?」
表情だけじゃなく、声も違った。優しい言葉で脅しているような声だった。
思わず唾を飲み込んだ。もし先生が僕に何か言ってきたら、今日中にクラブを探すって言おう。そうだ、ただそれだけだ。全部「はい」と答えればいい。
アイアンハートさんも緊張しているようで、先生を直視できていなかった。
先生は普通の声と落ち着いた表情に戻って言った。
「私はあなたたちの担任だから、部活動に入ってるかどうか分かるのよ。で、あなたたち二人だけがまだなの。だからこのパンフレットを渡すわ。今日中に二人でアカデミーの部活動を見て回って、どこかに入ってほしいの」
アイアンハートさんはすぐに動揺して言った。
「待って!先生、なんでわたしがこいつと一緒に行かなきゃいけないのよ?」
「なんでそんなに動揺してるの、アヤさん?」
「部活なんて探したくないし、ましてやこんな奴と一緒なんて絶対嫌よ」
「まだ問題が分からないわね」
「先生!」
突然、先生はアイアンハートさんに厳しい視線を向けた。それだけで彼女は言葉を失った。たった一つの視線でここまで動揺させるなんて——でも、その視線だけじゃ足りなかったのか、先生は続けた。
「アヤさん、これ以上文句は許さないわ。分かった?今日、授業が終わったらアレンくんと一緒に部活動を見て回るの。分かった?返事は?」
「……」
「返事は?」
「……はい、先生」
アイアンハートさんは視線を大きく下げた。先生が背を向けた瞬間、彼女は僕の方を振り向いて、怒りの視線を向けながら舌を出して——まるでからかうように。
なんで彼女がこんなに僕を嫌っているのか分からない。ただ、彼女と彼女のCクラスの友達をバトルで倒したからだけじゃないと思う。何か別の理由があるはずだ。でも今は、それを聞く可能性も、推測する余裕もない。
とりあえず、部活巡りは授業が終わってからだから、まだ少し時間がある――
そう思っていたのに、その瞬間はあっという間に来てしまった。最後の授業のチャイムが鳴った。
霧崎さんは陸上部の練習に行くために、僕に別れを告げた。黒神さんも帰って、ハサウェイさんはアイアンハートさんと話していた。
僕は自分の机で固まっていた。リュックに視線を固定したまま。アイアンハートさんと一緒に歩かなきゃいけないって考えるだけで、もう内心すごくストレスを感じている。
そこで、ある考えが浮かんだ。
今、彼女から逃げれば、彼女の隣を歩く義務から解放されるかもしれない。それに、彼女は僕を嫌っているんだから、僕がいなくなっても気にしないはずだ。そうだろ?
震える足で立ち上がった。気づかれずに逃げる準備は万端だ——でも、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「おい、あんた!準備できてんの?」
恐る恐る振り向いた。信じたくなかった。
そこにいたのは、まさに悪夢そのもの——無関心な表情をしたアイアンハートさんだった。
なんで彼女が直接僕のところに来たのか理解できなかった。僕のことを嫌っているんじゃないのか?でも、よく見ると、彼女は少し違って見えた。
彼女の表情に、いつもの態度と合わないものがあった。アイアンハートさんは一瞬、視線を逸らした——今まで一度もしなかったことだ。
「何ぼーっとしてんのよ?行くわよ。先生が言ってた部活を見に行かなきゃいけないんだから」
そう言って、彼女は歩き始めた。
一体何が起こってるんだ?
目の前にいる女子が、知っている乱暴者のアイアンハートさんだとは信じられなかった。少し——協力的?いや、彼女の今の態度を表す言葉すら分からない。
アイアンハートさんが先に教室を出て、少し遅れて後を追った。廊下を歩きながら、信じられない気持ちでいっぱいだった。彼女と一緒に歩くなんて……奇妙すぎる。今までずっと威圧してきた彼女が、まさか一緒に来いなんて言うとは。
突然、アイアンハートさんが階段を降りる手前で立ち止まり、怒った様子でこちらを振り返った。
「ねえあんた!何で20歩も離れて歩いてるのよ!?」
焦って周りを見回す。何か言い訳になりそうなものはないか――けれど、何もない。使える言い訳なんて、どこにもなかった。
「あーあ、めんどくさい!それに部活とかも……まあいいわ。まずは陸上部に行くわよ。りんがいるし、どう?」
黙って頷き、彼女の後を追った。
練習場に着くと、霧崎さんが部員たちと一緒に走っているのが見えた。遠くからでも、彼女の献身的な努力が伝わってくる。動き方、放たれるエネルギー……何だか、心を動かされた。
でも、その静けさは長く続かなかった。
「――ねえ、何でりんをそんなスケベな目で見てるわけ?」
アイアンハートさんが芝居がかった仕草で、視界を手で遮る。
頭が真っ白になって、それから顔に熱が上ってくるのを感じた。
「な、な、何を言って……!?」
アイアンハートさんは腕を組み、片眉を上げてこちらを見つめている。何とか誤解を解こうと必死になる。
「霧崎さんをそんな風に見てません……」
「そう言ってるけど、絶対に見てたでしょ……何かを」
彼女の大げさな非難口調に、怒るべきか笑うべきか分からなくなった。
「何も見てません!」
強く言おうとしたけれど、アイアンハートさんは納得していない様子だった。これ以上馬鹿げた議論を続けるのは避けた方がいいと判断し、その場を離れることにした。
「どこ行くのよ!? 冗談だから、そんなに怒んなって!」
アイアンハートさんが叫びながら追いかけてくる。
返事をせず歩き続けると、アイアンハートさんが前に回り込んで道を塞いだ。立ち止まって、視線を逸らす。
「あんたがわたしのこと嫌いなのは分かってるけど、もうちょっと仲良くしようと思わない?」
その言葉を聞いて、衝撃を受けた。アイアンハートさんは……自分が彼女を嫌っていると思っているのか。今まで起きたことから、そう思い込んでいるんだ。それが心に何かを引き起こした。彼女にそんな風に思われたくない。嫌いなんて思っていない。ただ……怖いだけで。
だから、衝動的に口が動いていた。
「……嫌いじゃ、ない」
ほとんど彼女の方を見られなかったけれど、アイアンハートさんも衝撃を受けている様子が分かった。嫌われていると思い込んでいた彼女が、予想外の言葉に驚いているのが伝わってきた。
彼女は視線を逸らし、まだ驚いた様子のまま完全に背を向けた。
「そ、そう……じゃあ続きましょ。他にも見る部活があるし……」
しばらく沈黙したまま歩いていると、アイアンハートさんが告げた。
「次は新聞部よ!」
小さなドアの前に到着した。さっきまであんなに自信満々だったアイアンハートさんが、今はノックをためらっている。
「やっぱりやめとこ。この部活、興味ないわ。あんたにも向いてないでしょ」
でも、離れようとする前に、ドアが勢いよく開いて、甲高い声が止めた。
「待ってください!せめて見学だけでも!」
現れたのは、優しそうな外見の女子だった。眼鏡をかけて、二つのツインテールが若々しい印象を与えている。アイアンハートさんが小さく飛び上がって驚き、呼吸を整えるのがやっとだった。
「どうぞ、どうぞ!」
断る間もなく、彼女に押されて中に入れられてしまった。
中に入ると、彼女は水を差し出してくれた。他に何もなくてごめんなさい、と謝りながら。
「自己紹介しますね。私は朱里かれん、新聞部の部長で、二年生のBクラスです!」
彼女の熱意は……感染力があって、少し圧倒的だった。
「あなたたちは……?」
アイアンハートさんが落ち着いた様子で答えた。
「わたしはアヤ・アイアンハート。一年生のFクラスよ」
今度は自分の番だ。でも、言葉が出ない。二人の……怖い存在を前にして。一人は威圧的な視線を持ち、もう一人は外向的すぎる。ただ言葉が出てこなかった。
二人に見つめられ、何も答えられないでいると、アイアンハートさんが代わりに紹介してくれた。
「こいつはアレン・ウェバー。わたしと同じクラスよ、残念ながらね……」
朱里さんが嬉しそうに拍手した。
「――完璧です!入部しませんか?新入部員が最低二人必要なんです。三年生は忙しくなって部活を離れちゃうけど、私はまだ時間を割けます。絶対楽しいですよ、約束します!」
彼女の熱意はあまりにも強くて、こちらに近づいてきて、じっと見つめてきた。自然と怖くなって、視線を逸らす。
「あら、お友達はとっても恥ずかしがり屋さんなんですね」
アイアンハートさんが怒って反論した。
「はあ!?こいつは友達じゃないわよ!」
でも朱里さんはアイアンハートさんの言葉を気にせず言った。
「まあいいじゃないですか、どうですか?入部しませんか?」
今度は朱里さんがアイアンハートさんに近づいた。顔が近すぎて、鼻と鼻がほとんど触れそうなくらいだった。不快なのは自分だけじゃない、アイアンハートさんもそうだと感じた。だから、二人のために何かしなければという衝動に駆られて、アイアンハートさんの手を掴み、素早く立ち上がって彼女を引っ張った。
「――部活を見せていただき、ありがとうございました!でも、僕たちには合わないと思います!失礼します!」
震える声だったけれど、大きな声で言って、素早くドアを閉めると走り出した。その場から離れることしか考えられなかった。でも、まだアイアンハートさんの手を握っていることに気づいて、慌てて手を離し、叫んでしまった。
「あっ!」
怖くなった。彼女が怒って、罵倒して、もしかしたら殴ってくるかもしれない……でも。
彼女は笑い始めた。
「あははは!」
それは嘲笑じゃなかった。僕を馬鹿にしているわけじゃない……むしろ、状況そのものを面白がっているような笑いだった。
まだ笑顔のままだった。初めてかもしれない、彼女と何かを共有することが、絶え間ない喧嘩のように感じなかったのは。もしかしたら……本当にもしかしたらだけど、そこまで悪い相手じゃないのかもしれない。
そう思った瞬間、アイアンハートさんの視線が僕に突き刺さった。
え……?
じっと見つめられている。何か失敗しただろうか。警戒心が一気に高まる。彼女がこんな風に見つめてくるなんて——
「あんた、思ったより面白いわね」
「……え?」
全く意味が分からなかった。面白い?僕が?何のことを言っているんだ。
視線を横に逸らした時、気づいた。
演劇部だ。
いつの間にか、演劇部の前まで来ていた。このアカデミーにある数多くの部活動の中でも、演劇部なんて……僕には絶対に縁のない場所だ。ドアをじっと見つめてしまう。
「……まさか、入りたいの?」
アイアンハート さんが片眉を上げて聞いてきた。
慌てて首を横に振る。演劇部なんて僕には無理だ。絶対に。
でも……。
そういえば、霧崎さんが演劇部について何か言っていたような。ほんの軽い一言だったけど、今になって思い出した。こんな偶然ってあるだろうか。よりによってこの部活の前で立ち止まるなんて。少しだけ……覗いてみたい気持ちがある。
ドアから視線を外せないでいると、アイアンハート さんが呆れたように言った。
「マジで冗談じゃないの?本気でこの部活に興味あるわけ?」
何と答えればいいのか分からなかった。興味があるわけじゃない。ただ……好奇心、とでも言うべきか。霧崎さんの何気ない一言と、この偶然が重なって生まれた、ただの好奇心だ。
アイアンハート さんは肩をすくめると、何か企んでいるような笑みを浮かべた。そして――
ガラッ。
「ウィッス!演劇部の活動、見学させてもらいに来たわ!」
大きな声でドアを開け放った。
入口から既に特別な雰囲気が漂ってくる。広いスペースに照明が当たったステージ、そして何人もの生徒たちが集まっていた。何かを待っているようだ。
遠くから観察していると、一人の男子がステージに上がった。探偵のような格好をしている。その存在感に圧倒される。リハーサル中なのだろうか。
突然、一人の女子が彼の隣に現れた。二人の間で繰り広げられる場面に、思わず引き込まれていく。
「どうしていつも逃げるの?誰かに本当の君を知られる前に、いつも逃げ出すじゃない」
探偵姿の男子が舞台の上を演劇らしい動きで移動する。その言葉が……妙に心に残る。
「何度自分を罰するつもり?もう過ぎたことなのに。まだ一人でいるべきだと思ってるの?」
くるくると回転し、何度か回った後、両手を腰に当てたポーズで止まる。ゆっくりと腕を上げ、空を指差しながら言う。
「誰かに心を触れられるのが、そんなに怖い?誰も気にしないふりを続ける方がいいの?」
そして——
まるで僕を見ているかのように。
探偵姿の男子の人差し指が、僕を指しているように見えた。少なくとも、そう感じた。
「じゃあ、問題は君が追い越されるのに耐えられないってことか?一度の視線だけで震えるのか?」
彼の演技は情熱に満ちていて、一言一言から目が離せなかった。
でも何より……あの言葉。あの言い方。
まるで僕に向けられているかのようだった。胸に突き刺さる。痛みを伴いながらも、同時に何か……動機のようなものを与えてくれる。
力強く。痛みと共に。でも、前に進むための何かと共に。
次回――
演じるという行為は、ただ誰かを演じることじゃない。
自分の弱さをさらけ出し、他人の視線に立ち向かうことでもある。
新しい場所。
新しい価値観。
そして、“才能”という言葉の裏に隠された本当の意味。
笑顔の裏にある違和感。
Aクラスという肩書きが持つ重み。
ここは本当に「居場所」なのか――
それとも、別の試練の始まりなのか。
次の展開を、どうか見逃さないでほしい。




