敗北の中の希望
失ったものは、簡単には癒えない。
忘れようとしても、後悔は心に残り続ける。
それでも――
向き合わなければ、前には進めない。
これは、過去と向き合い、
そして“誰かのために動く”と決めた瞬間の物語。
ルビーさんが真琴さんの後ろから決然とした足取りでやってきた。顔には明らかに不満が浮かんでいる。
「真琴、あたしのスキルはサポート用だって分かってるでしょ。自分を守るのがやっとなんだよ。あんたや同じクラスの人に言われるのは我慢できるけど、あいつみたいな奴にバカにされるのは許せないんだよ!絶対に許さないんだから!」
真琴さんは頭を掻きながら溜息をついた。
「まったく面倒だな、ルビー。まあいいっす。準備しろよ……」
「オッケー!」
ルビーさんは力強く返事をすると、デジタルフィールド全体に響き渡る鮮やかなメロディーを歌い始めた。その歌声は真琴さんの中に圧倒的な力を呼び覚ますようだった。真琴さんはすぐに筋肉が張り詰めるのを感じたようだ。
その瞬間を逃さず、真琴さんは両手でアボットさんの盾を掴んだ。彼女の前に立ちはだかっていたアボットさんを、驚くべき動きで宙に持ち上げ、バトルの外へと投げ飛ばした。その衝撃に、僕は思わず息を呑んだ。
時間を無駄にせず、真琴さんは巨大なハンマーを拾い上げ、武蔵さんに向かって突進した。武蔵さんは動じる様子もなく、そのまま立っていた。ハンマーが直撃したが――驚いたことに、それは武蔵さんの幻影だった。偽物の姿が空中に消えていく。
背後から悪意に満ちた笑い声が響いた。
「やるじゃないか……俺のコピーを一体倒したな」
武蔵さんの声が、もっと後方から聞こえてくる。嘲笑が込められている。もう一つのコピー。
「だが、まだまだたくさん残っているぞ。君たちには俺の本体がどこにいるか分かるまい。いくらコピーを倒しても無駄だ……君も、君も……」
武蔵さんは指を差しながら、まるで全員に敗北を宣告するかのように言った。
邪悪な笑みを浮かべていた武蔵さんだったが、矢が肩に命中し、爆発したのだ。また一体のコピーが倒れた。
「何だと……?」
武蔵さんは攻撃の方向を見上げた。そこには霧崎さんが高い位置から弓を構えていた。
「――真琴さん!」
霧崎さんの声が響く。
「今、地震を起こして!」
真琴さんは振り返り、Fクラスの霧崎さんから命令を受けることに驚いたようだったが、すぐに戦略を理解した。一時的な同盟を受け入れ、頷いた。
「まさか……Aクラスを倒すためにFクラスと手を組むことになるとはな」
真琴さんがハンマーを地面に叩きつけると、エリア全体を揺るがす地震が発生した。いくつもの石造りの構造物が崩れ、隠れていた三体の武蔵さんのコピーが姿を現した。
霧崎さんは時間を無駄にせず、矢を放ち始めた。正確に一体の頭部を、もう一体の胸部を射抜き、最後の一体には巨大な岩を落とした。
彼らの前に残っていた武蔵さんは、コピーが次々と倒されていくのを見て、怒りに満ちた表情になった。暗い表情で、怒りに満ちた言葉を吐き出す。
「よくも俺のコピーを破壊してくれたな、Fクラス!」
即座に霧崎さんに視線を固定し、素早く動き出した。彼女がいる岩壁を登り始める。素早く正確な動きで頂上に到達すると、強い蹴りを放ち、霧崎さんを後方に投げ飛ばした。
霧崎さんは岩に衝突し、怪我を負って動けなくなった。武蔵さんがゆっくりと近づいてくる。まるでその瞬間を楽しんでいるかのように。
動けない霧崎さんは、恐怖の表情で彼を見つめていた。武蔵さんは彼女を排除しようと近づいていく。
しかし、その前に真琴さんが武蔵さんの背後に現れ、再びハンマーで攻撃した。
その瞬間、ルビーさんの歌声が再び聞こえた。今度は霧崎さんが温かい光に包まれ始めた。ルビーさんの『補助』スキルのおかげで、傷が急速に癒えていく。ルビーさんは別の高い位置に移動していたようだ。
霧崎さんは何が起きているのかを理解し、ルビーさんを見て感謝の言葉を呟いた。
武蔵さんは真琴さんと霧崎さんの連携攻撃を避けようとしながら、苛立ちが崩れていくようだった。
「何度も言っただろう!俺を倒そうとしても、必ず別のコピーが待っているんだぞ」
霧崎さんは怯むどころか、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「ごめんなさい、でも……もし本当に負けないって確信してるなら、どうしてそんなに必死にあたしたちの攻撃を避けてるの?」
武蔵さんは眉をひそめ、怒りで顔が真っ赤になった。
「生意気だな、Fクラス!」
霧崎さんは挑発的な笑みを保ったまま続けた。
「あなたの『本体』こそが弱点……そして今、それが丸見えになってるわよ」
武蔵さんは目を見開いて叫んだ。
「そんなはずはない!どうして俺の本体の場所が分かるんだ!?」
霧崎さんは余裕を持って答えた。
「あたしは、あなたの本体がどこにあるか知ってるなんて言ってないわ……少なくとも、あたしは知らない」
武蔵さんの表情が一変した。自信が揺らぎ、慌てて遠くの一点を心配そうに振り返った。
そこには――洞窟の上の岩陰から現れた僕が、すべてを見下ろしていた。しばらく様子をうかがったあと、ゆっくりと岩を降り、洞窟の中へと足を踏み入れた。
洞窟の奥には、本物の武蔵さんがいることを知っていた。
岩の中、洞窟のような場所に入ると、そこに本物の武蔵さんがいた。怒りで顔を歪ませながら叫んだ。
「ああ……君のことを忘れていたとは。信じられん……Fクラス、ウェバーアレン……」
武蔵さんの視線は憎しみに満ちていたが、僕は冷静に向き合った。今こそ、自分ができることを証明する時だと分かっていた。
彼の前で立ち止まり、これから起こることに備えた。
武蔵さんは恐ろしい速度で走ってきたが、僕は既に準備ができていた。手を正確に動かし、糸を伸ばして彼を捕らえ、動きを制限した。
「武蔵さん、これで終わりです。FクラスはBクラスの助けを借りて、Aクラスを倒します」
自信を持って言葉を発したが、武蔵さんの顔に浮かんだ邪悪な笑みが不安を呼び起こした。
「FクラスがAクラスを倒す?ハッ!」
そう呟くと、笑い始めた。
「ハハハ……なんと滑稽な!まだこのバトルの仕組みが分かっていないのか?」
嘲笑の表情で僕を見つめる。まるで僕が知らない何かを知っているかのように。
「何を言ってるんですか?君が本物です。どれだけコピーを作っても、本物を倒せば全部消えるはずです」
武蔵さんは冷静に頷いた。
「君の論理は正しいぞ、Fクラス。だが、君が忘れているようなことがある……俺たち一年生は、一つのスキルに制限されていない。最大四つまで持てるんだ……忘れたのか?」
その言葉に凍りついた。彼の言葉の最後に、低く威嚇的な笑い声が響き、徐々に激しくなっていく。
僕の自信が揺らぎ、やっとのことで言葉を絞り出した。
「そんな……まさか君が……こんな短期間で……」
「――その通りだ。俺が使っていたスキルは一つ目じゃない。二つ目のスキルだ。俺の本当の一つ目のスキルは、まったく別のものだぞ」
サディスティックな笑みを浮かべながら、武蔵さんは腕を動かした。糸が切れた――どうやって切ったのか見えなかった。
本能的に後退し、注意深く彼を観察した。そして彼の手に握られているものが見えた。銀色の輝きを放つ中型の剣。エネルギーで振動しているようだった。
「これが……これが俺の真のスキルだ。覚悟しろ、Fクラス」
武蔵さんの声が響いた瞬間、反応する間もなく、彼は圧倒的な速さと獰猛さで僕に向かって飛び込んできた。剣の一閃一閃が、まるで止められない奔流のようだった。何とか避けようとするが、一つ一つの動きが体力も精神力も削っていく。
そのまま戦いは続き、気づけば洞窟の内部から外へと追い出されていた。今度は外での戦いだ。
少しずつ、武蔵さんに押されていく。剣の刃が何度も肌を切り裂く感覚――痛みは耐え難いものだったが、それよりも、完全に無力だという現実の方がもっと辛かった。
一瞬、意識が逸れる。霧崎さんとBクラスは、コピーとの戦いでどうなっているんだろう……?
でも、考える時間なんてない。武蔵さんは違う。知っている一年生のどの生徒よりも、遥かに上のレベルだ。
こんなこと……起こるはずがない……。
力が抜けていくのを感じた。脚が震え、本能が囁く。もう抵抗しても無駄だと。ただ止めたかった。これを終わらせたかった。
でも、その時――
「諦めないでアレンくん!」
聞き覚えのある声が背後から響いた。霧崎さんだ。その明瞭で力強い声が、少しだけ希望を取り戻させてくれた。
振り返ると、真琴さんが高所から落下し、武蔵さんの近くに着地した。その衝撃で武蔵さんは後退を余儀なくされる。
「助けが必要そうだな、アレン」
真琴さんが、全てを物語るような自信に満ちた笑みを浮かべて言った。
真琴さんを見て、それから霧崎さんを見る。どうやら二人は残っていた武蔵さんのコピーを全て倒したようだ。
二人の姿を見て、さっきまで失っていた決意の火花が心の中で再び灯った。
「霧崎さん、真琴さん。一緒に攻撃しましょう!」
武蔵さんがまた嘲笑を漏らす。
「はは……感動的だな。今や君たちは切っても切れない仲間というわけか。だが言っておこう……これはもう終わりだ」
指を鳴らすと、彼の背後にアボットさんが現れた。彼女はゆっくりと近づき、盾を地面に置くと、一言も発さずに離れていく。
真琴さんは彼女を見て歯を食いしばった。
「くそっ!完全に忘れてたっす!任せてくれ!」
真琴さんは巨大なハンマーを構えて盾に向かって突進したが、ハンマーが盾に触れる前に、盾が青い閃光を放った。突然、雷が真琴さんに直撃し、彼を後方へ吹き飛ばす。
真琴さんは地面に倒れ、動かなくなった。武蔵さんはその隙を逃さず、剣で彼を攻撃し、重傷を負わせた。
遠くから、ルビーさんが恐怖に顔を歪めながら見ていた。真琴さんの状態に心配そうな表情を浮かべると、危険も顧みず彼に向かって走り出す。
「真琴、返事しなさいよ!」
と必死に叫ぶ。
「失格になる前に治療するんだから!」
しかし、詠唱を始める前に、彼女の背後に影が現れた。武蔵さんだ。ほとんど見えない速度で動き、攻撃の準備を整えている。剣が危険な光を放ちながらルビーさんに向かって振り下ろされる。
全てが一瞬で起こった。
警告する時間もなかった。武蔵さんの剣がルビーさんを打ち、その衝撃で彼女は前方へ吹き飛ばされる。金属音がフィールド全体に響き渡り、同時に彼の剣が真琴さんを倒した。
機械的な声がその場全体に響く。
「Bクラス、失格」
僕は動けなくなった。武蔵さんが視線を上げ、勝利の笑みを浮かべながら僕を見る。
「一つ減ったな……次は誰〜だ?」
彼の笑い声が頭の中で響き渡る。状況の現実が胸に突き刺さる。
負けている。でも、まだ諦めるわけにはいかない。
武蔵さんは化け物だと証明してみせたが、こんな終わり方は許せない。
心臓が激しく鳴り響く中、全ての糸を武蔵さんに向けて放った。戦略も、使い方も考えなかった。ただ必死に放っただけだ。
次々と、糸が彼の銀色の剣に一瞬で切り裂かれていく。
信じられなかった。何をしても無駄だ。まるで突破不可能な壁に立ち向かっているようだった。
「アレンくん、落ち着いて!」
背後から霧崎さんが心配そうな声で叫ぶ。
でも、聞こえなかった。聞きたくなかった。ただ武蔵さんだけが見えた。あの嘲笑する笑顔と、それが運んでくる屈辱だけが。
攻撃を続けた。他の全てを忘れて。
霧崎さんは、僕が止まらないと気づくと、攻撃に加わった。彼女の矢が正確に飛んでいくが、どれも武蔵さんに届かない。彼の剣とアボットさんの盾が完璧なバリアを作り出している。
二人で――無敵だ。
考えられなかった。分析もできなかった。絶望が僕を飲み込み、判断力を奪っていく。意味もなく、計画もなく、結果も出ないまま攻撃を続ける。
武蔵さんは退屈そうに冷たい笑いを漏らした。
「もう哀れだな。君の嘆きは俺を退屈させている。君は強くない、ウェバーアレン。自分すら守れないのに、どうやって他人を守るつもりだ?」
彼の言葉はプライドに直接突き刺さるナイフのようだった。
しかし、返答する前に、彼の姿が目の前から消えた。
霧崎さんの背後に再び現れた瞬間、心臓が一瞬止まった。
「――ダメだ!」
武蔵さんは滑らかで正確な動きで剣を振るった。霧崎さんは反応しようとしたが、彼の攻撃は速すぎた。青い光がフィールドを貫き、霧崎さんが地面に倒れる。
霧崎さんが倒れるのを見た瞬間、言葉にできない力で魂を打ちのめされた。彼女の応援の言葉がまだ頭の中で響いているのに、今は地面に倒れて動かない。
その瞬間、痛みと罪悪感が僕を支配した。
思い出した……ひめかのことを。
過去に守れなかったあの人を。今でも追いかけてくる重荷を。まるで呪われているかのように。
「もしかして……僕は不幸な人間になる運命なのかもしれない」
気づかないうちに言葉が口から漏れていた。脚が震え、頭が霧に包まれ、一瞬諦めようと思った。
でも、内側で何かが目覚めた。何か暗く、深いものが。
怒りじゃない。絶望でもない。
何も気にならないほど純粋な決意だった。
武蔵さんに向かって、自分でも認識できないほどの獰猛さで走り出した。糸を彼の剣に向けて放ち、力強く絡みつかせる。武蔵さんは解放しようとしたが、反応する前に、糸をジップラインのように使ってアボットさんの盾に向かって体を引き寄せた。
「どんな代償を払っても構わない!」
揺るぎない決意に満ちた声で叫んだ。
「手が砕けても、あの盾を破壊してやる!」
全身全霊で、右手から糸を放ち、全力で盾に叩きつけた。指が燃えるように感じる。一つ一つの動きが苦痛だったが、止まらなかった。糸が最大限の力で振動し、そして――起こった。
盾が耳をつんざくような爆発と共に破裂した。青いエネルギーの破片が空中に飛び散り、フィールド全体を照らす。
「――何……?まさか……盾が破壊された!」
武蔵さんが驚いて後退しながら叫んだ。
見えた。初めて、彼の顔から自信が崩れ落ちるのが。
でも、何か勝利を感じる前に、脚が勝手に動き始めた。もう考えていなかった。ただ行動するだけだった。
彼に向かって真っ直ぐ走り、再び糸を放つ。
糸の一本が彼の頬をかすめ、細い切り傷を残した。
武蔵さんは止まり、信じられないという表情で頬に触れる。そして、視線を上げ、怒りに満ちた顔で睨んできた。
「よくも俺に触れたな!?」
彼の表情が完全に変わった。怒りに満ちた表情へと。
ほとんど見えないほど速い動きで、彼が目の前に現れた。剣が輝き、僕たちの間の空気を切り裂く鋭い一閃を感じた。
剣の斬撃は見えなかったが、感じた。鋭い痛みが体を走り抜け、脚が崩れる。
機械的な声が最後に響いた。
「Fクラス、失格。ウィナー:Aクラス」
武蔵さんが上から僕を見下ろす。その目には勝利と侮蔑が混ざっていた。
周囲の全てが消え始める。最後に見えたのはぼやけた空で、最後に聞こえたのは自分の重く途切れ途切れの呼吸だった。
ついに、闇が僕を包み込んだ。
そして――意識が途切れた。
* * *
(りん)
モニターの音が保健室に響いてる。ランプの柔らかい光が部屋を照らしてて、その中でアレンくんのベッドの横に座ってた。
アレンくんは意識がなくて、静かに呼吸してる。でも、その顔には極限まで追い込まれた疲労が刻まれてた。
目が離せなかった。
全力で戦って、限界まで自分を追い込んで……まるで他に何も大事じゃないみたいに。
その姿が、あたしを苦しめてる。
だって――アレンくんのあの頑張り方が、あの人を思い出させるから。よく知ってる人を。アレンくんの側にいると、懐かしさが込み上げてくるの。でも最近は……罪悪感も感じるようになった。
だって、アレンくんは……その人じゃないのに。
保健室のドアが静かに開いて、アカデミーの医者が入ってきた。穏やかな表情で落ち着いた動きをする女性。アレンくんの状態を確認して、あたしに安心させるような笑顔を向けた。
「心配しなくても大丈夫よ。ただ疲れてるだけ。あのバトルで無理しすぎただけ。でも珍しいことじゃないわ。毎年こういう生徒はいるの。もっと良くなりたい、自分を超えたい、誰かを超えたい……そういう子たちね。彼らの本質なのよ」
何も言えなかった。
黙ったまま、真剣で空っぽな表情でアレンくんを見つめてた。先生の言葉が正しいのは分かってる。でも、心のどこかがその説明を受け入れられない。
なんでこんなこと考えてるんだろう? なんでこんなことしてるんだろう、本当に?
アレンくんに出会ってから初めて……こんな風になった彼を見て、自分の行動に迷いを感じてた。
目を離さないまま、先生がまた話し始めた。
「ただのヴァーチャルバトルよ。実際の身体的なリスクはないの。だからそんなに心配しなくていいのよ」
やっと、口を開いた。声が震えそうになったけど、なんとか落ち着きを保った。
「そうじゃないんです、先生。身体的に怪我してるかどうかが心配なんじゃなくて……アレンくん自身が、彼の心が、彼の気持ちが心配なんです! アレンくんはすごく頑張って……ずっと観察してて、近くで見てて、理解しようとしてきたの。だから分かるんです、これは彼にとってすごく大きな打撃になるって……!」
涙が出そうになりながら、アレンくんを見続けた。自分が感じてること、彼を助けようとした理由を整理し始めたとき、先生が優しく遮った。
「あなた、名前は?」
「霧崎りんです」
「私はマリア。マリア先生って呼んでね」
振り向いた。責任感のある大人って感じで、穏やかな雰囲気。細身で、髪がすごく短い人だった。
「霧崎さん、私に打ち明けていいのよ。生徒を助けるのが私の仕事だから。彼のため、あなたのためにできることがあれば、遠慮なく言ってね」
黙って、迷った。でも最終的に、信頼することにした。多分、胸の内を全部吐き出す必要があったから。
「アレンくんは……違うんです。女性が怖いんです。誰も気づかないし、理解する人も少ないけど。助けようとしてきたけど、彼の世界の表面をちょっと引っ掻いただけ。全部は知らないし、無理に話させることもできない。でもその恐怖が……その恐怖が彼を制限してるし、同時に突き動かしてもいるの。努力してるのを見てきた、自分自身と戦ってるのを。だから、どうしても助けたくなるんです……!」
マリア先生は考え込んだ表情で頷いた。
「ここで働いて何年も経つけど、こんな状況は初めてね。でも……」
クリップボードを取り出して、何か書かれたものを見ながら続けた。
「あなたの話を聞く限り、彼の恐怖はそこまで深くないみたい。自覚してるし、変わろうとしてる。それだけでも十分自己認識が高いわ。ただ、彼の決意だけでは足りないみたいね」
「――でも! あたしがしつこくしたから苦しんでるみたいで……やっとちょっとだけ信頼してもらえるスペースをもらえたくらいなのに……」
「それは違うわ、霧崎さん。彼はまだ、重要じゃない考えに囚われてるの。でもあなた、霧崎さんは、彼のために最善を尽くしてる。それには敬意を表するわ」
その言葉を聞いて、胸が痛んだ。まるでその言葉に値しないみたいに。
「ありがとうございます、マリア先生……でも、そんな言葉をもらう資格ないんです。あたしにも彼を助ける動機があって、それが全然良いものだとは思えなくて……」
「それは関係ないわ。助けようという意図があるなら、動機は結果を変えない。結局、サポートしてるんだから、それが大事なの。それに、見返りを求めてるわけじゃないでしょ?」
その言葉に考えさせられた。黙って先生を見つめて、何て答えていいか分からなかった。
「私からこの状況がどう見えるか言うわね。あなたの話を聞く限り、彼の不安は大幅に軽減されてるみたい」
「それが……どういうことですか?」
「教えて。彼はあなたと話した? 短くても会話を維持した?」
「……はい」
「じゃあ初めて、あなたと流暢に会話してるのね。明確に、自信を持って表現してる。そうでしょ? もう無理やりな単音節の返事じゃないでしょ?」
「……よく分からないです。確かに言葉をくれるようになったけど、まだ控えめで……」
「でも、もう逃げたり固まったりしないでしょ?」
マリア先生の言葉が完全には理解できなかった。だって今のあたしは、自分の行動に罪悪感を感じてるから。
最終的に、マリア先生は立ち上がってドアに向かった。
「彼は時間をあげなさい。すぐ目を覚ますわ。何か必要なことがあれば、遠慮なく言ってね。そして目が覚めたら、彼にも伝えて。助けが必要なら私を探していいって」
ドアのところで立ち止まって、じっとあたしを見つめてきた。その視線が不快だった。まるで分析してるか、何か他に言いたいことがあるみたいで。
「……何かありますか、先生?」
「……いえ、何でもないわ。ただ……私がいない間、彼に変なことしないでね」
「――するわけないでしょ!」
顔が熱くなった。なんで先生は変な結論を出すの!? あたしがそう反応したら、マリア先生は笑って、それ以上何も言わずにドアを閉めて出て行った。
また一人、アレンくんが眠ってる姿を見つめた。
これを見るのは辛かった。だって、またあの彼を思い出すから……そう、あの彼を。あたしの弟を……。
アレンくんはそこに、動かないまま横たわってる。まるで深い夢に囚われてるみたいに。
いろんな感情が心に押し寄せてきた。罪悪感、悲しみ、そして名前をつけられない何か。
自分の理由について考えた。どうやって全てが始まったのか。
アレンくんの側にいると、たくさんの記憶が蘇ってくる。痛い記憶が、少しずつ鮮明になっていく。
心が過去の全ての瞬間を思い出すのに囚われて――。
次回――
癒えていない過去が、静かに姿を現す。
失われた時間と、消えない後悔。
ある決意が下され、Fクラスは動き出す。
そして――
アカデミーの裏側で、不穏な「存在」が姿を見せる。
この先を、見逃さないで。




