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終わりに

あの研修から三ヶ月が経った。


黒沼毒尾の研修は何とか同期一丸となって打ち負かすことが出来た。このことを姉に報告しようかと思ったが、姉にとって、黒沼という詰まらない人間のことなど、どうでもいいだろうと思って、結局何も言わないでおいた。


研修が無事に終わり、自分を含めた同期達の各配属も決まって、全国に散り散りになる仲間達と顔を合わせるのも最後の週の金曜日、本社にて社長や役員を含めた懇親会が盛大に行われた。

正直に言って、年上の、それも役職のついた人間達と飲む酒ほど不味いものはないと思っていた。だって、気を使うではないか。酒の味などしないのである。

だが、会社の社長や役員達は意外とフランクな人達で、酒の味が薄まったのは間違いがないが、ハイボールを飲んでいるのかサワーを飲んでいるのか、全く判別がつかなくなる程気を揉むことはなかった。


飲み会の終盤、こっそりと飲みの輪から抜け出して、会場の片隅で私は梅サワーを飲んでいた。私は梅サワーが大好きなのだ。


やっと酒を全身で感じられるとホッとしたのも束の間、取締役営業部の下呂峰部長が私の横にやって来た。せっかく落ち着けると思ったのに、また気を使わないといけない。

大好きな梅サワーを握り締めながら、心の中で大きなため息をついた。


「鈴木麻子さんだったかな。随分気を使わせてしまっているようだね。申し訳ない。一人の時間を邪魔するつもりはないんだ。少しだけ時間を借りていいかな?」


私のフルネームを知っているのが分かって、素直に驚いた。こんなこわっぱ社員の名前など、覚えていてくれたのか。


「回りくどいことは嫌いなんだ。単刀直入に聞く。君は、黒沼毒尾について何を知ってたんだい?」


思わぬ単語の登場に、頭の中が一瞬空っぽになった。


「知っていたのだろう?黒沼がどういう人間なのかどうか?」


私は、下呂峰部長の目を見た。


少年のような目をしていると思った。薄茶色の瞳は、この世界の暗い部分を一切受け入れないような、純粋無垢な色合いをまとっている。

見た目は五十代後半ぐらいだろうか。そのような人間には、随分不釣り合いな瞳をしているなと、まだまだ人生経験の少ない若造ながらも、そのように感じてしまった。


「姉がいるんです。あの男のせいで、苦しんでいた姉が」


それから私は全てを下呂峰部長に話してしまった。


思っている以上にお酒を飲んでしまっていたからなのか。不思議と、口が動いて言葉が漏れていた。自制が効かなかったのだ。

全てを話し終わるまで、下呂峰部長は黙って話しを聞いてくれていた。


全てを話し終わって、下呂峰部長は初めてビールを飲んだ。


「そうか。もし、必要ならば、君のお姉さんのために面接を用意しよう」


下呂峰部長の言っている言葉の意図が分からなかった。


「何故です?姉のために、そこまでしてもらう理由はありません」


部長の口角が上がった。


「私は、君を評価している。同期を一つに繋ぎ、黒沼に負けなかった。新しい時代のリーダーは、恐怖で支配するようなステレオタイプな人間ではなく、仲間と助け合いながら前に進み続ける人間だと、そう私は考えている。君たちのような若い世代が、あの男の理不尽な行いで苦しんではならない。ただ、そう思ったから、提案しただけさ。君のお姉さんなら優秀な人材かもしれないと、そう思ったのもあるがね。優秀な人材はいくらでも必要なんだ」


どうやら下呂峰部長は黒沼について否定的らしい。今回の研修が黒沼になったのには、色々と大人の事情があるのだろうか。


下呂峰部長の表情は穏やかだが、随分アルコールが回っているのかもしれない。たとえそうだとしても、人から高く評価していると言われたのが素直に嬉しかった。


「姉のために有難いご提案を頂き、本当にありがとうございます。ですが、姉は九月から、新しい職場で働くことになりました。小さな会社ですが、姉がなんとか内定をもぎ取った会社です。私は、姉の意思を尊重したいし、応援したいと思っています」


部長は優しく笑った。


「素晴らしい。おめでとう。やはり、優秀なお姉さんのようだ」

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