研修当日の午前【自己紹介】
「さぁ、それでは講師の先生に登壇してもらいましょう。では黒沼先生、よろしくお願いいたします」
司会の紹介を受け、私はゆっくりとした動作で歩き出す。口角は少し上げ、胸を張り、地面を踏しめるようにして進む。
登壇するまで、新入社員達には一瞥もくれないのが味噌だ。君たちと私は同格ではないのだと、無意識の領域に刷り込ませる。
私こそが上で、君たちは下だ。この構図をしっかりと刷り込む。
登壇し、右から左までゆっくりと新入社員を舐め回すように見る。この瞬間は極めて優しい表情を心がけなければならない。
【敵じゃないよ。楽しい研修をしようね。いい思い出を作ろうね】
そんな表情を顔に貼り付けるのだ。まずは相手の懐に入り込み、次に内側から破壊していくことこそ鉄則。
「皆さん。実に晴れやかな顔をしていますね。精悍な顔立ちの皆さんと、二週間の研修を共に過ごすことが今からとても楽しみです。改めまして、講師を務めさせていただきます黒沼毒男と申します。私の経歴をお伝えすると、東京大学を卒業後にシルバーマンソックスに入社。そこで七年働いた後に独立。株式会社マインドプランニングを創設いたしました。現在は、その会社で代表取締役を務めさせて頂いております」
事前の調査だと、この会社は学歴フィルターがなく、新入社員達の経歴を見る限りでは有名大学の名前もあれば、聞いたこともない大学の名前もあった。様々な大学の名前がそれぞれの経歴書には並んでいた。
新入社員は二百名おり、綺麗に五つの教室に分けられている。初めてこの教室に入った時、この教室は当たりだと思った。何回も研修をしているとすぐに分かるのだ。馬鹿面ばかりで、人を疑うことがなさそうな奴らばかりだ。
きっとこいつらは私が東京大学出身でシルバーマンソックスで働いていたと言うだけで、私がすごい人物だと心の底から思っていることだろう。
学歴や職歴ほど、上下関係を手軽にかつ明確に測る物差しはない。
私は簡単な自己紹介の後、社会人一年目の失敗談や苦労話しなど、笑い話しも織り交ぜて十五分ほど喋った。失敗談を敢えて喋ったのは、ある程度の親しみやすさがないと相手の懐に入り込めないからだ。
みな一応に、私に尊敬の眼差しを向けている。阿呆な子達だ。
実にやりやすい研修だと思ったのだが、たった一人だけ目つきの違う女がいた。
昨夜見た新入社員達の履歴書を思い起こす。あれは確か…鈴木麻子という名前だった。
早稲田大学卒。学生時代はダンスサークルで代表を務めたとか何とか、金太郎飴のような履歴書で笑ってしまったのを思い出す。
そんな奴が全く私に興味がない顔をしている。話は一応聞いているようだが、それも格好だけだろう。何年も講師をしていればそんなのは直ぐに見て分かる。
この前まで学生だっただけの分際で、私の話しに興味を持たないとは…。まぁ、ただの変わり者だろう。時々そういう奴はいる。
だが、そんな風変わりな女も立派な兵隊に仕立て上げなければならない。それが契約なのだ。
一人たりとも逃してはならない。例外なく、全ての新入社員の自尊心をへし折らなければならない。簡単に折れる心ならつまらない。強靭で、中々折れない精神を持っている人間の方が、やりがいがある。
午前中は、教室のメンバーそれぞれの自己紹介に費やした。
実に和気あいあいとした、和やかな時間が流れた。それぞれの新入社員達の自己紹介に私は大きく頷き、時には合いの手を入れる。
これだけ丁寧に対応すれば、いかに私が心優しく、徳の高い優れた人間なのかがよく伝わったことだろう。信頼できる人間だと、そう思っているのが表情から簡単に読み取れる。
順調だ。
最初は詰まらなそうな顔をしていた山本誉も、楽しそうにメンバーと会話をし、私に対しても笑顔を見せるようになった。緊張していたのだろう。
ノープロブレムだ。
この教室は私が完璧に支配していると言っていい。
午後はグループワークだ。このグループワークで全員を叩き潰す。暖かい楽園から、一気に極寒の地獄まで突き落とすのだ。
まさにここから社会の厳しさを体験させてやる。
は〜。早く午後にならないだろうか…。




