第二話 はれんち
「んだと、ゴラァ! もういっぺん言ってみろッ!」
「ああ! 何度でも言ってやるよ! 宿屋の娘さんはお前に辟易してるんだよッ。彼女に惚れられたァ? 馬鹿言っちゃいけねェ。いっつも嫌な視線を向けられるって愚痴言ってんだよ!」
「なわけねェ! 俺と目が合うといつも笑顔で会釈してくれるんだッ。俺に惚れてんだッ!」
アンの言葉を遮ったのは、酔っ払い二人による女性を取り巻く口喧嘩だった。
机の上には空のジョッキが数十個。料理はあまり食べた形跡がない。空きっ腹にあれだけの酒を流し込めば自制心という箍は外れるだろう。
案の定、二人の口論は掴み合いの喧嘩に発展していく。
「俺がッ……あの子を幸せにするんだ……!」
一方が相手の顔を殴る。
「だから彼女がッ……嫌がってるって言ってんだろうが……ッ」
他方が相手の腹部を殴る。
周りで食事をしていた客は、速やかに机と椅子を持って距離を取る。喧嘩をしている二人を中心にちょっとした円形リングが形成されている。
それを見ながら酒を煽る者たち。
どちらが勝つか賭けに興じる者たち。
飛び交う唾と歓声。店はたちどころに武闘のアリーナに早変わりした。
はあ、と嘆息するアン。
「お店の備品は壊さないでくださいね……」
と形だけの注意をする。
一方、アンの傍に居たシャルは、
「やれやれー! 女を取り合う男の戦い! ダサいけど盛り上がるわねー! あっ、ビールなかったんだった」
――ちゃっかりと野次馬と化していた。
「おおう、今の一発は痛そうだ……。しかし宿屋の娘は恋人がいたんじゃなかったっけ? まあいいや! いけいけッ! そこだ、アッパー!」
ルードもまた、一観客として参加していた。
――喧嘩は伯仲している。
このままいけば双方が倒れようかという時、宿屋の娘に惚れられたと自称する男が、近くに倒れていた椅子を持ち挙げ相手に投げた。
酔っていて力が入らないのだろう。椅子はゆったり放物線を描いて相手に飛んでいく。
それを見ながらシャルが口を開く。
「あー、椅子壊したらセラ姉に給金減らされちゃうって……。この辺で手打ちかな――アン」
「承知いたしました」
とアンが一言応じる。
シャルの傍に佇んでいた彼女は姿を消し、次の瞬間には喧嘩をしている二人の間に立ち、投げられた椅子を片手で掴んでいた。
「――お二方。女性を取り合って喧嘩をなされるのは大変羨ましいと存じますが、店の備品が壊されるのは承服いたしかねます」
そっと椅子を床に置き、声を尖らせるアン。
「これ以上続けられるのならば、不肖、私がお相手仕ります」
「なんだぁ、この姉ちゃん……?」
一方は、突然眼前に現れたアンに当惑している。
「店員風情がッ! 邪魔すんじゃねェ……!」
他方は、無謀にもアンの胸ぐらを掴みかかろうとした。
その姿を見ていたルードが目元に手をやる。
「うわー、あいつらアンさんのこと知らねえのかよ……。ご愁傷様だな」
ルードの憐みの声など当然聴こえていない男は、アンに掴みかかろうと左腕を伸ばす。それを躱してすれ違いざまに右手で掴んだアンは、そのまま相手をもう一人の男に向けて投げ飛ばす。
もちろん間には椅子があったため、当たらないように男の脚を払って前方回転させながらである。
椅子を飛び越えるようにして投げ飛ばされた男は、もう一方の男の肩に踵落としをするような形でぶつかってしまう。
悶絶する男と、仰向けに倒れる男。
投げ飛ばされて仰向けになっている男の胸部を脚で踏みつけるアン。
「ぐえ……ッ!?」
「酒を飲むのは結構。喧嘩するのも結構。多少のセクハラも許容いたしましょう。しかしこの店から生きて帰りたいのであれば、二つのルールは護っていただきます」
「ぐ……ぐるじぃ……じ、死ぬ……!」
メキメキと音がするほど力を込めていくアン。まだ骨は折れてはいないがそれも時間の問題だろう。男がアンの踝の辺りを持ってどけようとするがビクともしない。
「一つ――店の備品は絶対に壊さない」
「わがッ……わがっ、だ……」
男の顔がうっ血してくる。
「一つ――お会計は必ずその日の内に」
もはや声を出すこともできないのだろう。コクコクと緩やかに首を縦に振るのみ。その姿を見届けたアンは満面の笑みを浮かべる。
「ご理解いただけたようでなによりです。ご利用ありがとうございました」
脚を男の胸から離すアン。息も絶え絶えの男が嗚咽を漏らす。
そうして男は財布から金を放り投げ、悶絶している男を背負って死に体で店を後にした。
店内には暫しの沈黙が訪れる。口火を切ったのはアンだ。
「おや。楽しい時間を妨げてしまいましたね。どうですか? お詫びに私のお尻でも叩きませんか? 今なら百万でおーけーです」
「そりゃ高すぎるぜっ、アンちゃん」
「そうだそうだ! そんな大金があったら国に帰ってるよ!」
「今ならって言った? じゃあいつもはいくらなんだよっ」
アンの戯言に対し、ノリ良く返す常連客たち。
そうして張り詰めた空気は弛緩し日常に回帰していく。
「さすがはわたくしの従者」
シャルはどこからか持ってきたジョッキを煽っている。
それを横目にルードが言葉を発する。
「まだその設定続いてんのかよ……。でもたしかにお貴族様といわれれば、納得できるようなできないような」
ぷはー、一気に飲み干したシャルは二の句を継ぐ。
「わたくし、貴族じゃなくってよ」
「じゃあなんだよ。商人のご令嬢だったのか? 店がつぶれて止む無くっていう」
「いいえ、わたくしはね――」
ジョッキを置いて優雅に脚を組むシャル。服装はつぎはぎだらけのエプロン。髪をポニーテールにしてあるので、色気よりも活発さが先行しているように感じ取れるルード。
顎を少し上げ、その美麗な顔には微笑が浮かんでいる。
シャルは椅子に座っており、ルードは立っている。
となれば必然的にシャルは上目遣いになる。にも拘わらず、絶対的な王者の貫禄を醸し出すシャル。見下ろしているのに逆に見下ろされているかの如く錯覚してしまう。
口が渇くのを自覚するルード。
たっぷり時間をかけ溜を作ったシャルは、その蠱惑的な唇を開く。
「――いずれ女王になる〝はれんち〟なお姫様よ」
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