第一話 来訪者……?
「――ドリアーヌ・エスコフィエ。ファウロス殿下のご命令だ。帝国兵とともにこの地区での捜索を手伝え」
王宮の厨房で肉を焼いていたドリアーヌのもとに、ファウロス側近の壮年の男性が紙を片手に命令を下達してくる。
「…………? 急だね……」
横目で紙を一瞥したドリアーヌは、再び手元の肉に集中する。
注文はミディアムのステーキだ。すでにオーブンの優しい火入れは終わっている。今はフライパンで表面をカリカリにする最終調理段階。焼かなければならないが、焼きすぎるとパサついてしまう。繊細な感覚が求められる局面。
手が離せないし、離すつもりもない。
厨房はドリアーヌの領域であり、ドリアーヌこそが王。それが王宮料理長。
いくら皇子の指示と言えども今はダメ、と思いながら肉の焼ける音に全神経を注ぐ。
ドリアーヌは耳が良いのだ。
「すでに王都の捜索は半分を超えた。そろそろ貴様を使ってケリを付けろと殿下は仰せだ」
今日のメインは肉のステーキ、赤ワインソース仕立て。
ファウロスの好みに合わせてミディアムに仕上げ、煮詰めに煮詰めたソースはシルクのような艶を帯びている。付け合わせのサラダも完璧。
血の滴るレアが好みの自分とは分かり合えないなぁ、と頭のどこかで考えながら、皿の縁を丁寧に拭ってウェイトレスに手渡す。
「……できた。ソースはファ――殿下の目の前で掛けて」
一礼するウェイトレスを見送ったドリアーヌは、初めて訪問してきた側近に相対する。
「あたしはなにをしたらいい? 姫様の顔をさがせばいいの?」
「そうだ。聞き込みなどはこちらが行う。ただ貴様は、見知った顔を探すのみでいい。それだけだ」
「……厨房は?」
「帝国から連れてきた副料理長に任せろ。殿下は、もう夜はなにも口に召されないそうだ。まずは今日の午後いっぱいを使って捜索に向かえ。明日以降は、また追って連絡する」
「ん。わかった」
とうとう姫との対面が差し迫っている。そのことを肌感覚で理解しながら、側近が持ってきた資料に目を通す。部隊の規模や隊列などドリアーヌにはよくわからないが、捜索範囲だけは理解できた。
場所は――牙城門付近。
ドリアーヌはなぜか勝手に揺れる尻尾が不思議だった。
酒場、年中酔い。
まだ開店には程遠い時間帯。店主であるセラは食事の仕込みをし、アンはグラスやジョッキ、カトラリーを磨いている。
シャルは床をモップ掛けしていた。椅子を机の上に置いて、水に浸したモップを面倒くさそうに掃いている。
そもそも閉店後に一度掃除をしているのに、どうして開店前に同じことをしなければならないのか。
ぺっちゃん、ぺっちゃん、とモップを床に叩き、到底掃除とはいえない掃除をしているシャル。するとそこに喚呼の声が響く。
「すいませーん。ご注文の品をお届けにあがりましたー!」
「…………っ! はぁい! 今行くわー!」
待ち人来たり、といった感じで店の入り口に飛んでいく。その後、両手いっぱいに荷物を抱えたシャルが戻る。
「お嬢様、それは……?」
「ふっふっふ! 来たるべきに備えた〝秘密兵器〟よっ!」
ほう、とアンが磨いていたグラスを置いて、シャルのもとに近づいてくる。
「戴冠式の際のボンテージ衣装と鞭と予想しました。如何です?」
「いやん。気が早過ぎよアン。でも女が早いのはいいかもね。何度も楽しめるから」
にしし、とにやけるシャル。
「甘いですねお嬢様。世の中には『絶倫』という何度も発射できる男性がおられます。歴史に名を遺す英雄などは総じて、この『絶倫』でしたよ」
アンの言葉に目を見開くシャル。
「うそっ。男の人って一度か二度が限界ではないの? 連射できちゃうの? 機関掃射で打ち抜かれちゃうのっ?」
「一般男性はそうでしょうね。実際にルード様も一晩で二発だったそうですよ。しかし絶倫は異なります。発射後からの次弾装填がスムーズで、装弾数は二ケタ。連射によって銃身が熱くなり暴発することもありますが、基本夜が明けるまで射撃は終わりません。継戦能力が飛び抜けております」
「マジかー……。そんなに弾数が多いのはサルか思春期の童貞だけだと思っていたわ、わたくし」
「全然知識が足りてませんね。ですからむっつりドスケベデカ乳ビッチと揶揄されるのですよ」
「うん……主にアンからだけだけどね――それ」
「おっと、処女が抜けておりましたね。失礼いたしました」
「そこじゃないわよっ。もう!」
ふざけながらもいつもと同じ会話を繰り広げる二人の元へ、仕込みがひと段落したのかセラも会話に入る。
「どこでもないよ、まったく。陽の高い内からエロい会話しちゃって。十代半ばの男の子じゃないんだから」
やれやれ、と頭を振るセラ。
「エ……エロって……! せ、セラの方がはれんちだわ! わたくしは興味津々でスケベなだけよ! そんなエ……なんて言わないで頂戴! 不敬よ不敬よ! バツとして床掃除を命じるわ!」
これ以上なく顔を紅色に染めたシャルが捲し立てる。
「床掃除はシャルちゃんの仕事だよ」
「エロもスケベも一緒でしょうが……小心者のむっつり姫」
ボソッと呟くアン。
「なんか言ったかしら! まな板従者っ!」
「いえ、なにも」
「みゅみゅみゅー……!」
頬を膨らまし恨みがましい視線をアンに投げるがしかし、すまし顔で受け流される。
終わっていない床掃除を一瞥したセラは厨房に向かおうとする。
その時、二度目の喚呼の声が三人の耳朶に飛び込んできた。
「……た……たのもぅ……。だれか……だれかおらぬかぁ……?」
「?? スラムの物乞いかしら?」
「それか弱っている振りをした不審者かもしれませんね。隙を見せたら……という。濡れます」
「いや、声は女のものだったと思うけどねぇ。ちょいとシャルちゃん、相手しな。あたしぁ鍋を見てくるよ」
「ええぇぇ。面倒くさいわねー」
といいながらシャルが入り口をババーンッと派手に開ける。
「酒場『年中酔い』よっ! なにか御用かしらっ?」
「ううぅぅ。お腹が……いや決して減ってはおらぬが……お腹がぁぁ」
そこには、腹を抱えながら地面に横たわる、ぼろ布に身を包んだ黒髪の異邦の女性が餓死しそうになっていた。
「…………」
それを視認したシャルは、開けた時とは反対にそっとドアを閉めた。何も見なかった。見たところ三十路の女性。結婚を約束していた相手に逃げられたのだろう。男は若い女性が好きだとヤギューに訊いたから知っているのだ。
黒い髪は珍しかったけど、ただそれだけ。
あれほどしゃべられるのならば、まだ当分死にはしないだろう。素敵な男性を見つけて欲しいと思いながら店内に戻る。
「どなたでした?」
とアンが様子を訊いてくる。
「婚約者に振られて自暴自棄になっている三十路の女よ。ああはなりたくはないわね」
「なるほど。物乞いではなく、婚約者乞いでしたか。世界は広いですね。様々な方がおられます」
「まったくね。王宮にいては分からなかったことばかりよ。わたくしもあのような三十路にはなりたくはないわね」
「――三十路三十路いうなぁっ! わらわだって! わらわだって素敵な殿方を求めていたらこんな年に……っっ。うううぅぅぅ!!」
バーンッ! と店の入り口を開け放ち、滂沱の如く涙を流す女性。その音にびくっと肩を上下させるシャル。
「ちょちょちょい! なに勝手に入って来てるのよ、あなた!」
「だって三十路三十路って何度も言うから! わらわだって気にしているのじゃ! 少しでも悪いと思うのならば食べ物を献上することを許すぞ! 努めて迅速にっ!」
腰に手を当て、シャルに人差指を向けてくる女性。
ああ、こりゃ結婚できないわ、と思いながらシャルはアンに告げる。
「なんだか面倒くさい人に絡まれてしまったわ。お店から出て行ってもらって」
「……どうやらあの方はお嬢様をご所望の用です。床掃除しないんだからそれぐらいはしてもらいましょうか」
「いやいや! 床掃除に忙しいから! わたくし! ちょっとアン? 置いてかないで! 三十路に襲われちゃうっ!」
と愚図るシャルを置いて、アンは再び備品を磨く作業に戻る。
「むぅぅぅ!」
むくれたシャルは、チラッと不審な来訪者に視線を投げる。
「……わらわは寛容じゃ。なにか飲み物でも許そう」
不審者――妥協してくる。
「……………………」
それをジト目で返す。
「ううぅぅ。ならば塩だけでもよい! もう我慢ならんのじゃ! 香しい匂いに連れられここまで来たのじゃ! せめてこの国が誇る塩だけでもっ。後生じゃぁぁぁ!」
来訪者――ついに土下座する。
「……? あなた……」
その姿に既視感を覚える。
足を畳んで首を垂れる礼――土下座。
これは王国の文化にはないものだ。しかし一年前、王宮から去る時に見た姿ととても近似している。そう、土下座は火の国においては最も格式高い礼式。
つまりはこの異邦者は火の国の者ということ。しかし刀はなく、キモノも着ていない。
シャルは警戒を解くことは無く、されど少しだけ胸襟を開いて口を開く。
「はあ……まったく。そこまで言うのなら覚悟する事ねっ」
「??? む? 覚悟とな?」
小首を傾げる異邦の女性。
「ええ。だってこの店の食事は、世界で二番目に美味しいからっ!」
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