第六話 獣王配下
「わたくしは……ただの〝はれんち〟な姫よ」
冷や汗が止まらない。いやこれは脂汗なのか? いずれにせよ、直立しているのが苦しいほどの圧迫感だ。
もしも『神』なんてものがこの世にいるとしたら、このような威圧感を内包した神秘的な存在なのだろうか、とルードはぼんやりと思考する。
「はれんち……なるほど。そういうことですか」
今の言葉で納得した様子のドルリーは、片膝を突いて頭を垂れる。それはまるで主君に拝跪する家臣のようだった。
「改めまして、僕は獣王十臣が一人――〈影〉のドルリーです。三十年前より王国に潜入しておりました。僕の首がご所望でしたら、喜んで差し上げます」
「ドっ、ドルリーさん……! 首って……それに潜入なんて……ッ」
ドルリーの言葉が真実であれば、ルードが生まれる前から王国に潜伏していた諜報員ということ。言うなればそれは、三十年ずっと他者をだまし続けていたのだ。
ルードは酷い喪失感を覚えたが、それ以上に驚いたのがドルリーの態度だ。その命をシャルに差し出すというもの。まったくもって理解が追い付かない。
破廉恥な姫であれば犬の獣人は忠誠を誓うのだろうか。発情期? などなど疑問の渦に飲まれていく。
狼狽えるルードの視界では、ゆったりと立ち上がり優雅にドルリーに近づくシャルの姿。手にこそ剣などは持っていないが、即座に首を刎ねることができる距離と雰囲気だ。
ルードは動けない。
重苦しい空気の中、シャルは右掌を上に向けてドルリーに差し出す。
「――お手」
それをちらりと見たドルリーは、ふっ、と軽く口角を挙げて応じる。
「わんっ」
ドルリーの左手の肉球が、ぽふっとシャルの手にのせられる。
「いいわ。これで黙って王国に潜伏していた咎は許してあげる」
「ご厚意、感謝いたします」
恩人が飼い犬のような扱いを受けていることに忸怩たる思いはあるが、口を挟む余地がルードにはなかった。ここではただの傍観者になり果てている。
互いに手を放し、三度ベッドに腰かけるシャル。
青く美しい後ろ髪をかき上げながら本題に入る。
「これでやぁっと本題に入れるわねー」
と僅かに顎を上げながらシャルが続ける。
「ドルリー、あなたにはね、獣王への言伝を頼みたいのと経路を教えて欲しいのよ」
片膝をついたまま顔を擡げるドルリー。
「獣王様への伝言ですか。それは承知いたしましたが、経路とは?」
「あなた、北から木材を運んでいたでしょう。帝国に接収されてからも木材を仕入れられていたようね。では一体どうやって? 帝国の目が光るこの王国で、どうやって北と交流を保ち続けていたのか。獣人しか分からないような経路をお持ちではない?」
「…………」
「どうやらそうみたいね。セラ姉」
とシャルが椅子に座っていたセラに指示を出す。
すると豊満な懐から書状を取り出し、ドルリーに手渡す。
「これを……?」
「ええ。それを必ず獣王に渡して欲しいの――あなたの命に代えてもね」
命……!?
その言葉でルードは奮い立つ。
「おいシャル! ドルリーさんを助けてくれるっていったじゃねぇか! なのに命に代えてもって話が違うぞ!」
猛るルードの台詞をさらりと受け流しながら、シャルはルードに告げる。
「助けたじゃない。今、まさにこの場所で。普通なら王国に潜伏していただけで命を刈り取ってもよかった。それを見逃したじゃない。文字通り助けたのよ」
「なんだよそれッ。じゃあドルリーさんの店が潰れるのは変えられねぇのかよ!」
「ええ。帝国に支配されている状況では、変えられぬ事実よ」
「んだよ! 俺に嘘ついたのかよ……!」
唾を飛ばしながらシャルを糾弾していると、明確な〝殺気〟と呼べるような刺す空気がルードを襲う。
「…………ッ」
「ルード様。お気持ちは分かりますが、客人の前でお嬢様をなじるのはお控えください」
殺気の発生源はアンだった。
喉を詰まらせる。これ以上口を開けば殺されるような気がした。
一体シャルやアンたちは何者なのだろうか。ルードは訳が分からなくなっていた。
「まあ落ち着きなさいなルード。言ったでしょ――帝国に支配されている状況では、と。なら、帝国の支配から脱却すればドルリーもあなたも店を続けることができるわ」
「帝国をぶっ潰すのか……?」
そんなことができるのか、と思いながら問う。
「いやねぇ。そんな大それたことできるわけないじゃない。ただ王位を、然るべきものに渡すだけよ」
「王位? 然るべきもの?」
というルードの呟きは無視された。
「でねドルリー。あなたはどうやって北から木材を仕入れていたのかしら?」
「海です」
「船……は無理よね? 荒いし見つかってしまう」
顎に手を当てながらシャルが自問する。
「はい。それが盲点なのですよ。僕たちの協力者には魚人がいましてね、彼らに運んでもらうのです――海中を通じて」
「なるほど魚人かー。噂には聞いていたけれど、まさか北に棲息していたなんてね。じゃあもし王国から逃亡するなら海から?」
「はい。これ以上弾圧がきつくなるようでしたら、海から帰還しようと考えていました」
帰還。
ドルリーは確かにそう口にした。そうなった時にはおそらく自分には知らせないのだろうな、と寂寥感を抱きながら傾聴するルード。
「分かったわ。ならあなたは獣王への伝言をお願い。その際に、海を使うことも付け加えておいてね」
で、とシャルが視線をルードに向ける。その青い瞳に吸い込まれそうになる。
「ルードはね、今すぐに店を畳んで行商をしてほしいのよ――王国全土で」
「………………………………は???」
「んもうっ。そんなにもわたくしが魅力的だからって話くらいちゃんと聞いていなさいよ。いいこと? あなたはね、王国を練り歩いて行商するの。その際に、お祭りがあることを吹聴してほしいのよ。もちろんそれにかかる費用はこっちが持つわ。あなたは仕事ができて、危険な王都から離れられる。わたくしは情報を伝えることができる。ウィンウィンね」
脚を組み替える仕草は確かに魅力的だ。健康的な尻から伸びる脚がすらりとしていて蹴られたいし、踏まれたいとも思う。
しかし王都を離れるというのは納得がいかない。行商というのも理不尽だ。
「俺に……そんな雑事をさせるのかよ。生きるために……」
商売を生業にする者にとって行商は下に見られる商いだ。数多の物品を取りそろえた商社を頂点に、小売りや仲買、卸と続き、露天商に並ぶのが行商だ。いや、店舗を持たない分露天商よりも劣るかもしれない。
なんとか一人で仲買としてやってきたんだ。安いとはいえプライドもある。そんな俺に行商なんて、と憤慨するルード。
「いいこと? この世にね、〝雑事〟なんてものはないの。無駄なものはあるかもしれないけれど、無意味なものなんて存在しない。あなたがそうやって蔑む雑事をする人がいなくなれば、必ず困る人が生まれ、そのしわ寄せは他に回る。今一度、商いについて初心に戻りなさいな」
子供を諭すように噛んで含めるような物言いに、どこか膝を打ってしまうルード。有無をいわせないシャルの空気もあるのだろう。不承不承、ルードは飲むことにする。
死にたくもないし、実家やドルリーに迷惑を掛けたくもないからだ。
「ちっ、わぁったよ。王国を回ってなにをすればいいんだ? お祭りって?」
「三か月後、先代女王ヴィルヘルミナの命日に天覧武闘会が執り行われるの。そこに〝はれんち〟好きは集合するように宣伝して回って欲しいのよ」
「んだよ、破廉恥好きって……。ままま、まさかッ! 衆人環視の中で男女がくんずほぐれつ、あんなコトやこんなコトを? そんなコトまで……!?」
と一人盛り上がるルード。
「若いねえ、ルード君は」
「やはりむっつりですね、ルード様は」
「若いのはいいことじゃないかっ」
「……む。ひょっとしてみんなが見ている前でばばーん! と登場したらいいのでは? でも下着姿は恥ずかしいわね……」
緊張の糸が弛緩したのがルードも分かった。だからこそ疑問が生まれシャルに問う。
「にしてもよ、どうしてそんなことをシャルがお願いするんだ? 帝国の奴らが布告とかするんじゃねぇのか?」
ルードの問いに、ああ、とシャル。
「これは帝国の思惑とは異なるのよ。あくまでも有志の集いみたいなもの。だからあなたも喧伝して回るのも注意なさいね。帝国にバレたら殺されちゃうわよ?」
「ころッ……!?」
「あなたが触れて回るのは噂よ、噂。だからもし問い詰められても、噂を聞いただけと言って逃げ切りなさい」
「お、おう……」
「さ、出発は明日の夜よ。それまでにドルリーもルードも支度を終えておいて頂戴。ドルリーの見送りにはわたくしが、ルードの見送りにはアンが行くわ」
俺の見送りには来てくれないのか、と若干意気消沈しながらもしっかりツッコむルード。
「というか、明日って早いな!」
「兵は拙速を尊ぶものよ。何事も迅速が大事。あっ、でも早漏はダメよ! ちゃんと女性を満足させてからイキなさいな――素人童貞君」
「……ッ!? うっせ、この淫乱ビッチが……!」
売り言葉に買い言葉。
ルードが言い返し、アンがおほんと咳ばらいをする。
終わった……。
アンに殺されると思って瞳を閉じる。するとアンの口から爆弾発言が飛び出る。
「ルード様。お嬢様は確かにスケベで頭の中は淫乱パラダイスですが、ビッチではありません。正真正銘の――処女でございます。訂正の程お願いいたします」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……ッッッッ!!??」
ルード、大絶叫。
その日のことはそれしか頭に残らなかったルードだった。
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