第7章
チャイナドレス姿の白鷺さんが、目の前の椅子に優雅に座っている。
その深いスリットから覗く、滑らかな太もも。
形の良い胸のライン。夕日を浴びて輝く、銀色の髪。
俺は、もはや彼女の顔を直視できない。
実験と称したコスプレ披露会で、俺の精神は、すでに雑巾のように絞り尽くされていた。
もう、勘弁してほしい。
「ふぅ……」
白鷺さんは、満足げなため息をつくと、クリップボードに挟んだノートに最後の記録を書き込んだ。
「今日の物理的刺激に対するデータ収集は、これくらいにしておこう。期待以上の、素晴らしいサンプルが取れた」
その言葉に、俺は心底ホッとする。
助かった。ようやく、この地獄から解放される。
そう思った俺が、あまりにも愚かだった。
「物理的な刺激に対する反応は、おおよそデータが取れた。だが、これだけでは不十分だ」
白鷺さんは、ペンを置くと、組んだ脚をゆっくりと組み替えた。
その艶めかしい動きに、俺の心臓が、またドクンと嫌な音を立てる。
「君の能力は、単なる性的興奮だけでなく、君の記憶、原体験、そして無意識下のコンプレックスと、より深く結びついている可能性がある。表面的な反応だけをなぞっても、本質にはたどり着けない」
彼女のアイスブルーの瞳が、俺の心を射抜くように、じっと見つめてくる。
「君の精神構造そのものに、メスを入れる必要がある」
ひっ、と喉が鳴った。
メスを入れる? 精神に? それは、一体、どういう……。
「まずは、簡単な質問からだ。ウォーミングアップだな」
彼女は、聖母のように優しく微笑む。
だが、その瞳の奥は、全く笑っていない。
「君の、好みの女性のタイプは? 容姿、性格、具体的に教えてもらおうか」
「は……はぁ!?」
あまりに唐突な質問に、俺は素っ頓狂な声を上げる。
好きなタイプ? なんだそれ。合コンの自己紹介か?
「い、いや、そんなの、別に……優しくて、笑顔が可愛い子、とか……」
俺が、テンプレ通りの当たり障りのない回答を口にすると、白鷺さんは、ふぅ、とわざとらしくため息をついた。
「抽象的すぎる。データにならないな。そんな答えでは、君の煩悩の根源を探ることはできない。もっと具体的に。例えば、髪はロングか、ショートか。胸は、大きい方がいいのか、それとも、小さい方が好みか。さあ、答えろ」
「そ、そんなの、どっちもそれぞれ良さがあるっていうか……!」
「どちらか、一方を選べ。君の性的嗜好の、最も大きなベクトルが知りたい」
逃げ場はない。
彼女の瞳は、真実を吐くまで離さないと、雄弁に語っていた。
「……ろ、ロングで……。胸は、その、控えめよりは、大きい方が……好き、です」
俺は、顔から火が出るのを自覚しながら、蚊の鳴くような声で答える。
それを聞いた白鷺さんは、「ふむ。なるほどな」と、満足そうに頷き、ノートに何かを書き込んだ。
俺の性的嗜好が、彼女の変態的なコレクションの一つに加わった瞬間だった。
「では、次の質問だ」
彼女は、少し身を乗り出す。
チャイナドレスの胸元が、たわわに揺れる。
俺は慌てて視線を逸らすが、彼女はそんなのお構いなしだ。
「君が、女性のどんな仕草に最も興奮を覚えるのか。トップ3を、挙げてもらおうか」
「トップ3!?」
無茶苦茶だ! なんだその質問は!
まるで、俺の性癖を、衆人環視の下で発表させるような、公開処刑じゃないか!
「さあ、早く。時間は有限だぞ」
「い、いや、そんなの、急に言われても……」
「例えば、髪をかき上げる仕草か? それとも、少し潤んだ上目遣いか? あるいは、不意に太ももに触れられることか? それとも、食事中に、唇についたソースを、舌でぺろりと舐めとる仕草か?」
なぜだ。なぜ、彼女は、そんなにスラスラと、具体的な例が出てくるんだ。
まるで、男の性癖を、すべて網羅したデータベースでも持っているかのようだ。
俺が、言葉に詰まっていると、白鷺さんは、くすり、と笑った。
「ふふ、答えられないか。まあ、いいだろう。君の反応を見るに、図星、といったところかな。その全てを、君の嗜好として記録しておく」
「勝手に記録するな!」
俺のツッコミも虚しく、彼女はサラサラとペンを走らせる。
「では、質問を変えよう。君の、原体験についてだ。初恋はいつだ? その相手は、どんな子だった?」
初恋。その言葉に、俺の脳裏に、小学校の頃の、甘酸っぱい記憶が蘇る。
隣の家に住んでいた、年上のお姉さん。
いつも優しくて、ドッジボールで俺が泣いていると、頭を撫でてくれた……。
「……小学校の時。隣の家の、年上のお姉さんで……」
俺が、少し照れながら答えると、白鷺さんは、顎に手を当てて、真剣な表情で分析を始めた。
「ふむ、年上の幼馴染……。それは、母親の代理としての投影だな。いわゆる、エディプス・コンプレックスの一種と見ていいだろう。君の精神構造の根底には、母性への渇望と、年上女性への倒錯した性的興味が、渦巻いている可能性がある」
「違うわ! 俺の純粋な思い出を、変態的に分析するな!」
「事実を述べたまでだ。さあ、いよいよ最後の質問だ」
白鷺さんの瞳が、すぅ、と細められる。
その瞳は、もはや獲物を前にした、蛇のようだった。
「これで、君の精神構造の、核心に迫れるはずだ」
ゴクリ、と喉が鳴る。
一体、どんな質問が飛んでくるんだ。
「単刀直入に聞く。君が、今までで一番、『エッチだ』と感じたシチュエーションはなんだ?」
「……は?」
「だから、君の人生の中で、最も性的興奮を覚えた体験を、具体的に述べろ、と言っている。その時の、具体的な状況、相手の服装、君が抱いた感情、その全てを、詳細に報告しろ」
俺は、完全に、フリーズした。
なんだ、この質問は。なんだ、この悪魔は。
そんなこと、言えるわけがない。
俺の、脳内に秘められた、数々の武勇伝(妄想)や、黒歴史(現実)を、この、白鷺白鷺さんに、赤裸々に語れというのか。
「どうした? 答えられないのか?」
「……答えられるわけ、ないだろ……」
俺は、絞り出すように、そう言った。
もう、無理だ。これ以上、俺の尊厳を、彼女の前に差し出すことはできない。
俺が、完全に黙り込むと、白鷺さんは、しばらく俺の顔をじっと見つめていた。
そして、やがて、ふふ、と、楽しそうに、本当に楽しそうに、笑った。
その笑顔は、夕日を浴びて、神々しいほどに美しいのに、俺には、何よりも恐ろしく見えた。
「……そうか。口で言えないのなら、仕方ないな」
彼女は、ゆっくりと立ち上がり、俺の目の前に、しゃがみ込む。
俺の視線と、彼女の視線が、同じ高さで交差する。
甘い石鹸の香りが、俺の理性を、麻痺させていく。
「君の深層心理に、直接、アクセスするしかないようだ」
その言葉が、何を意味するのか。
俺には、分からない。
分からないが、とんでもなく、恐ろしいことが、これから始まろうとしていることだけは、確かだった。
俺は、ただ、彼女の妖しい微笑みから、目を逸らすことすら、できずにいた。