第6章
土曜日の昼下がり。
俺は、人生で最も場違いな場所に立っていた。
目の前にあるのは、新築のデザイナーズマンション。
ガラス張りのエントランスは、まるでホテルのロビーのようだ。
オートロックのインターホンで『1203』と押す指が、わずかに震える。
『はい』
スピーカーから聞こえてきたのは、白鷺さんの、体温を感じさせないクリアな声。
「か、影山です」
『……時間通りだな。感心感心。開ける』
ブザー音と共に、重厚なガラスのドアが滑るように開いた。
◇
白鷺さんの部屋は、彼女の城であり、そして俺にとっては、地獄の実験室だった。
通されたリビングは、モデルルームのように生活感がなく、壁一面が、法律や医学の専門書で埋め尽くされている。
彼女の自室も同様で、甘い雰囲気のインテリアなど皆無。
あるのは、巨大な本棚と、シンプルなベッド、そして、実験器具でも並んでいそうな、ガラスのローテーブルだけだ。
部屋には、彼女自身のものだろうか、清潔で、どこか甘い石鹸のような香りが満ちている。
「さあ、そこに座ってくれたまえ」
白鷺さんは、部屋の中央に置かれた一脚の椅子を指さす。
まるで、これから尋問でも始まるかのようだ。
俺が恐る恐る腰を下ろすと、彼女は白衣(なぜ持っている)を羽織り、クリップボードとペンを手にした。
その姿は、マッドサイエンティストそのものだ。
「では、これより被験体・影山透の能力特性に関する深化実験を開始する」
彼女は、氷のような瞳で、俺を値踏みするように見つめる。
「今日のテーマは、『被験者の性的嗜好の傾向と、可視化部位の特定』だ。君の煩悩のトリガーを探り、どの妄想が、体のどの部分の実体化に繋がるのかを、徹底的にデータ化する」
「いや、あの、白鷺さん……」
「質問は許可していない。君は黙って、私の刺激に、素直に反応してくれればいい」
有無を言わさぬ口調。
逆らうことなど、できそうにない。
俺は、まな板の上の鯉、いや、変態の前の童貞だ。
「では、最初の刺激を与える。透明化して待っていろ」
そう言うと、白鷺さんはすっと立ち上がり、クローゼットの中へと消えていった。
俺は言われたとおり透明化の能力を発動する。
数秒の静寂。やがて、衣擦れの音が聞こえ、そして、彼女が再び姿をあらわした。
俺は、息を呑んだ。
そこに立っていたのは、紺色の、体にぴったりとフィットしたスクール水着姿の白鷺さんだった。
「刺激その1。男子高校生にとって、最も馴染み深いであろう、スクール水着だ」
彼女は、何の羞恥も見せず、淡々と解説する。
だが、俺の目には、そんな解説など入ってこない。
普段は制服に隠されている、彼女の完璧なボディラインが、惜しげもなく晒されている。
引き締まったウエスト、しなやかな脚、そして、控えめながらも確かな存在感を主張する、胸の膨らみ。
生地が肌に張り付き、体の輪郭を、生々しく浮かび上がらせている。
特に、濡れてもいないのに、妙な光沢を放っているのが、やけに扇情的だ。
(やばい、やばい、やばい……!)
脳内で警報が鳴り響く。
視線を逸らそうとするが、金縛りにあったように動かせない。
俺の目は、完全に彼女の体に釘付けになっていた。
心臓が、ドラムソロみたいに激しく脈打つ。血が沸騰し、全身が熱くなる。
俺は恐る恐る、自分の手を見る。
両手の指先が、チカチカと、まるでホタルの光のように、点滅を始めていた。
「ふむ」
白鷺さんは、俺の指先を一瞥し、冷静にノートに書き込む。
「スクール水着着用時、被験者の視線は胸、およびお尻に集中。可視化部位は、両手の指先。なるほど、これは対象への『接触欲求』の現れと見て、間違いなさそうだな」
的確すぎる分析に、俺は羞恥で死にそうになる。
「では、次だ」
彼女は再びクローゼットへ。
そして、次に現れた姿は――。
「刺激その2。古典的だが、根強い人気を誇る、メイド服だ」
黒いワンピースに、白いフリルのエプロン。
カチューシャで留められた銀髪が、清楚な雰囲気を醸し出している。
だが、そのスカートは、悪意を感じるほどに短い。
白いニーハイソックスに包まれた、完璧なラインを描く太ももが、大胆に覗いていた。
(メイド……だと……!?)
俺の脳内に、新たな扉が開く音がした。
ご主人様、とお呼びしたい。
あの太ももに、ひざまずきたい。そして、罵られたい。
新たな性癖が、こんにちは、と顔を出す。
ドクンッ!
今度は、足元に感覚が集中する。
見ると、俺の両足が実体化していた。
「今度は、脚部への視線が格段に強いな。可視化部位は、両足。これは……『服従願望』の表れか? サンプルとして、非常に興味深い精神構造だ」
白鷺さんは、楽しそうに、本当に楽しそうに、分析結果をノートに書き込んでいく。
その横顔は、もはや獲物を前にした肉食獣だ。
「まだまだ行くぞ、影山君。君の煩悩の底を、私に見せてみろ」
次に出てきたのは、体にぴったりとフィットした、深紅のチャイナドレスだった。
サイドに入った深いスリットが、歩くたびに、滑らかな太ももを惜しげもなく晒す。
そのエレガントさと、圧倒的なエロスの暴力に、俺の思考は完全にショートした。
頭が、熱い。
視界が、ぐにゃりと歪む。
もはや、体のどの部分がどうなっているのかも、分からない。
「これは……反応が全身に拡散しているな。体温の急上昇を伴う精神的興奮。可視化部位が、顔面にまで及んでいる。理性のタガが、外れかけている証拠か」
彼女の声が、どこか遠くに聞こえる。
俺は、椅子に座ったまま、ぐったりと項垂れた。
もう、ダメだ。これ以上の刺激を受けたら、俺の精神は、本当に崩壊してしまいそうだった。