65:心拍数急上昇案件その二
驚くほどの勢いで、顔から首まで赤くしたヴィクトルが、そのまま完全に起き上がったと思ったら!
今度は土下座する勢いで、頭を下げた。
「も、申し訳ない、アンジェリック様! 自分はなんてことを……」
「い、いえ。寝惚けていたようでしたから、無意識の行動でしょう。責めるつもりはありません」
するとヴィクトルは顔をあげ、切なそうな瞳をこちらへ向ける。
これは心拍数急上昇案件その二だ!
「……自分は……夢の中で先程のアランと戦闘状態でした。そして……アランを倒し、アンジェリック様を……」
「グ、グランデェ卿、それは多分、勝利を喜ぶハグです。それで抱きついて、勢い余って倒れただけです」
「それだけでしたか……」
ヴィクトルが探るように私を見る。
なんだか泣きそうだが、期待も籠ったその熱い眼差しに、今度は私が顔を赤くしてしまう。
それだけでしたか、と、ヴィクトルは問うた。
答えは、それだけ……ではない!
抱きついて、キスもして、ドキッとする言葉も言っていた。
それを伝えていいのかしら……?
「チューモシテイタヨー。ゴ主人様ニ! アト『アランには渡さない』ッテ、言ッテイタヨー!」
「ノ、ノワール!」
私はノワールに、これ以上何も言わないでと思いながら、アイコンタクトを送る。だが伝わっていない! 一方のヴィクトルは、自身の手で胸を押さえ、しばらく絶句した後。
突然、立ち上がった。
何をするのかとその動きを目で追うと、まるで忠誠を誓う主の前にいるように、片膝を床につき、跪いた。その動きの優雅さ、ハラリと揺れたアイスシルバーの髪とマントに、心臓がドキッとする。
「アンジェリック様。これで三度目です。お判りでしょうか? 自分は銀狼から人間の姿に戻った時。全裸であなたと二人、ベッドで目覚めることになりました。そして先ほど。私が家の周囲の魔法を解除したために、あなたはアランに家へ侵入されることになりました」
そこでヴィクトルは歯軋りをして、悔しそうに言葉を絞り出す。
「その際、額にキスまでされていたのです。無論、額へのキスは、祝福を与える時に行われることもあります。ですがアランは、祝福を込めてしたキスではないと思うのです。そして……」
大きくヴィクトルは息を吐く。
「自分は……アランより外道なことをしました。まさかアンジェリック様の唇を奪うなんて……。しかもあなたを惑わすような言葉まで言い、抱きつき、押し倒したのです。責任を取らせてください」
「え、えーと、グランデェ卿。責任をとるって、まさか私と」
「アンジェリック様、自分と結婚してください」
これには驚き、でもちゃんと体が反応して、ソファから立ち上がっていた。
ヒロインの攻略対象であるヴィクトルと結婚!?
それは周回用デイリークエストに登場する中ボス(魔女)には、絶対に許されないことだ。
アランが現れるのでは!?と汗が噴き出たが、家の周囲には魔法を展開している。だからそれは大丈夫だろう。それよりも……!
「グランデェ卿、あなたは王立聖騎士団の団長の一人なのですよ。それに貴族です。結婚相手は、ご自身の身分に釣り合う方となさらないと! 全裸の件は事故です。あれは不可避事案ですよね? そもそも銀狼の姿の時に、服なんて着ていないのですから」
「ですが……」というヴィクトルを制する。まだ話は終っていない。
「アランが侵入した件。驚きましたが、殺されたわけでもなく、私はちゃんと生きています。額へのキスなんて、おっしゃる通り、祝福を与える時にもするようなものですから、無問題です!」
力強く言うと、ヴィクトルは息を呑んで、その氷河なような瞳で私をじっと見る。
「寝惚けてとられた行動の件。これも事故ですよね? 寝ている=無意識だと思います。その状態でご自分の行動をコントロールするのは、無理なこと。キスは確かに驚きました。だからと言って、意識のないグランデェ卿の行動に対し、責任をとれなんて言うつもりはありません」
ヴィクトルが苦悩の表情になっている。彼の誠実さが伝わって来た。
「……グランデェ卿は真面目で、ご自身にも厳しい方です。だからと言って、責任をとるために、ご自身の身分に釣り合わない、ましてや愛していない女性と無理に結婚する必要はありません!」