46:ドキッとゾワッの相反する気持ちが湧きあがった。
「魔女が死ねば、呪いも解ける――だろう、北の魔女?」
突然、アランから話しかけられ、体がビクッと震える。
リュカは私に、銀狼姿のヴィクトルを渡し、一歩前に出た。
手は剣の柄に、背に私を庇い、リュカはアランを見る。
驚いたノワールは私達から離れ、天井近くからこちらの様子を伺っていた。
「……アラン、どういうことだ? 君は嘘をつかれたと分かり、南の魔女を手に掛けたのか?」
「殿下、そうではありません。嘘つき女は嫌いですが、それ以前にこの女は、俺の標的だったのです」
これにはリュカと二人で「「えええっ!」」と叫ぶことになる。
「だ、誰が依頼を!?」
「暗殺者が依頼人のことを、打ち明けるとでも?」
思わず尋ねた私に、アランは妖艶に微笑む。
今、目の前で暗殺を遂行したアランに、ドキッとするなんて!
アランはハンカチを、イネスが倒れていたはずの場所に、ポイっと落とす。
既にそこにイネスの姿は、跡形も残っていない。
金色の粒子となり、消えてしまった。
そして今の様子を見るに、イネスへの想いは、もうアランの中で終わったのだと理解できた。
つかつかとこちら歩いてくるアランに、リュカは警戒を解いていない。
私の腕の中で、銀狼姿のヴィクトルも身を固くした。
だが。
一瞬、アランの姿が消えたと思ったその刹那。
私はリュカの背から離れ、アランに腰を抱き寄せられていた。
「アンジェリック様!」
仰天したリュカが私へと手を伸ばそうとするのを、アランが制する。
その手には、既にシャムシールが握られていた。
ヴィクトルは、その可愛らしい幼い銀狼姿のまま「グルルル」と威嚇の鳴き声を上げる。
アランは自身の固有スキル、気配遮断力を使ったのだと思う。やはり暗殺者であるアランにこのスキルは、鬼に金棒だわ。
先程のイネスのように、私の首にシャムシールを向けられ、リュカはフリーズしている。私だって身動きできない。銀狼姿のヴィクトルも、私の身に何かあったら大変と、固まっている。
「北の魔女であるアンジェリック。お前はイネスとは、全く違う。イネスより一歳上と聞いていたから、二十一歳なのだろうが……。もっと上に思える。それにお前の嘘は心地がいい。誰かを貶めるための嘘ではない」
そう言ったアランは、「チュッ」と私の頬にキスをする。
これにはドキッとゾワッの相反する気持ちが湧きあがった。
銀狼姿のヴィクトルが、ぎゅっと私の腕に抱きつく。
ゆっくり私の首からシャムシールを遠ざけ、体を離すと、カツカツと音を響かせ、アランは歩き出す。
「間もなく船が到着する。この神殿には、イネスにさらわれた男どもが百人近くいるから、その船に乗せるといい」
こちらに背を向けたまま、アランがそう言うと、リュカが間髪をいれずに問いかける。
「その船は、こうなると見越して君が手配したのか!?」
「俺というか、俺の依頼人だよ。一切姿を見せず、手紙もよこさず。でも俺にそうしろと指示を出す。不思議な依頼人だ」
ひらひらと手を振り、アランは扉を押す。
「アラン、君もその船に乗らないのか?」
リュカの問いに、アランが笑っていることが、肩の揺れから感じられる。
「俺は暗殺を終えた後、振り返らない主義だ。だが殿下は、北の魔女と同じぐらい、興味深い。底抜けのお人好し。善性が強いんだな」
そこでアランが振り返り、それはもう男女問わずに腰砕けにするような、流し目を送って来た。
「俺は、皆と同じ船には乗らない。依頼人が帰還の手配は、別途してくれているからな」
そこでさらに艶やかに微笑むと、扉を開け、出て行ってしまう。
扉がパタリと閉じてから、リュカと顔を見合わせる。
「魔法で作られたこの神殿も、イネスの死と共に、消えるはずです。もたもたしている暇はありません。アランの言う通り、連れ去れた皆さんを集め、船に乗せましょう」
私の言葉に頷きながら、リュカが尋ねる。
「ええ、そうしましょう。ところで南の魔女のイネスは亡くなりました。術者の死と同時に、呪いも消えますよね? 呪いというのは、すぐに解けないのですか? 動物から人の姿には、すぐには戻らないのですか?」
リュカの疑問は尤もだ。
だが私の腕の中のヴィクトルは、まだ愛らしい銀狼のままだった。
「おそらく、ですが、この神殿を含め、イネスの魔法が満ちています。それはイネスの死と共に薄まりますが、この規模です。すぐには完全に消えないのでしょう。呪いも同じだと思います。船に乗り、しばらくしたら、皆、呪いが解け、元の姿に戻ると思います」