38:『ノー』の選択肢を与えるつもりはない
アランが、文句を言い始める。
「イネスは今日、まだ転移魔法は使っていない。イネスの口に何をしたんだ。魔法を解除しろ。俺達は転移魔法で神殿へ帰る!」
「アラン、君はレディへの口の正しい利き方もできないのか? 失礼だし、自分達だけ助かろうとするのは卑劣だ。君はアンジェリック様に、火傷を治療してもらったことを、忘れたのか? それにケートスが移動しているから、転移魔法を使えないと言ったのは、君ではなかったのか?」
今日のリュカは、まるでジャックのようだ。畳みかけられたアランは「うっ」と言って黙り込む。
リュカの王道王子様の指摘に、私は同意しながらも、少し後ろめたい。
というのも、ケートスの動きを止める方法を、私は分かっていた。
だがこれを実行し、イネスが魔法を使えるようになれば……。間違いない。イネスとアランは、自分達だけ転移魔法で、いち早くここから逃げ出すだろう。さらに私達が戻るのに備え、逃亡するか、罠を張ると思った。
ということで私が転移魔法を使えるようになる明日まで、このケートスの胃袋で、一晩明かすつもりでいた。本当はこんな場所で、一晩を明かすなんて嫌だった。でも転移魔法は使えない。よってリュカは、どうしたってここにいるしかない。
それでいてイネスは、アランの言う通り、転移魔法を使える。よって二人がここで一晩明かすのは、完全に私に巻きこまれた形だ。だがしかし。イネスは私を剣で刺し殺そうとしたのだ。ケートスの胃袋で一晩明かすぐらい、許容してもらわないと。それにそもそもイネスが海の精霊を怒らせたから、こうやってケートスに飲み込まれてしまったのだ。原因はイネスにある。
まあ、私がそんな言い訳を連ねるまでもなく、リュカがアランを言い負かしてくれたので、ここでの一泊は決定だ。そうなると……眠れる状態にしないといけない。
その後は、胃袋の中にあるいろいろな物と魔法を使い、なんとか寝床は完成した。
ここには魔法使いがもう一人いるのだから、手分けしたいところ。しかしイネスは信頼できない。よって私が魔法を使いまくるのは、仕方ないことだった。
でも、なかなかいい線いっていると思うのだけど……。
「アンジェリック様、これはハンモックですよね。船ではお馴染みと聞いたことがあります」
「漁業用の網を、ケートスはきっと、魚ごと呑み込んだのだと思います。丁度四つありましたから。クッションと毛布もあるので、これを敷けば、寝ることはできると思います」
「缶詰やワインが入った木箱が見つかったのも、ラッキーですよね」
リュカの言う通り。このケートスは、とにかく丸呑みが基本のようだ。消化もされず、一緒に飲み込んだ海水に、ぷかぷかといろいろと浮いているのだから。
こうして食事をして、後は休むことになる。
まずはアランがすぐに寝息を立て始めた。
さすが暗殺者。
住処をもたず、標的の屋敷を渡り歩いているから、どんな環境でもすぐに適応できる。とれる時に睡眠を素早くとる術も、心得ているようだ。
次にすやすやと眠りについたのは、リュカだ。
基本的に守られている王子様ではあるが、純粋。私のことを信頼しているし、劣悪な環境ではあるが、一応食事をして、寝る場所を提供された。文句も言わず、休んでくれている。
ヒロインはこんなリュカに、次第に心惹かれるのだろう。
さて。
この状況で寝付けないのは、イネスと私だろう。
「イネス。明日になれば、転移魔法を使うため、あなたが声を出せるようにするわ。でもそうなった瞬間、あなたは私を害するような魔法を使う可能性があるわよね?」
イネスが私を睨む。
その目を見ただけで、確信できた。
やはり。
そのつもりだったのね、と。
「それは困るから、これを飲んでもらうわ」
森を拠り所とする北の魔女である私、アンジェリックが作り出した魔法の種。体内で負の感情を感知すると、育つようになっている。負の感情が強ければ強いほど、成長は進む。誰かを手に掛けようとでもした瞬間。成木になる可能性もある。そうなったらイネスは……。その木の栄養分になるしかない。
「絶対に飲まない――そういう顔をしているけど『ノー』の選択肢を与えるつもりはないわ。……アランもリュカも、ぐっすり寝ているでしょう。さらに魔法を使っているから、何をしても起きないわよ」
そこでノワールの名を呼ぶ。
パタパタと飛ぶノワールの足には、干し肉がある。その香りとノワールの動きに惹かれ、ケートスの胃袋の中を泳ぐなにものかが、移動していた。生温かい海水に、その背びれが見え隠れしている。
「ケートスは何でも丸呑みするから。恐ろしいわね。あんなものまで飲み込んでいる。イネスの手足が、朝になってなくなっていても、それはきっとあれのせいだと思うわ」
ニッコリ笑い、ワインの入ったグラスと魔法の種を差し出す。
「飲むわよね? 手足はないと困るでしょう?」
イネスが恨みを込めた目で見るが、撤回するつもりはない。
私はイネスにより、死ぬところだった。
二度とイネスが誰かを傷つけないようにするには、こうするしかない。
声を出せるなら「殺してやる、お前なんて!」と言いそうな顔のイネスが、グラスと魔法の種を、手に取った。