37:もうっ、どーしてくれるんですかー!?
ほぼ暗闇という中で、空気は生臭い。そしてぬるま湯に太ももまでつかり、ぐらぐら揺れている。この状況は「最悪」以外の何物でもない。
咄嗟に抱きしめたことで、ノワールもポーションも籠に入ったまま、奇跡的に無事だった。リュカもこの生臭いぬるま湯に、一度全身浸かることになったが、ちゃんと生きている。それに咄嗟に剣を鞘に収めたことで、聖剣は彼の腰に収まっていた。
火傷を負ったアランと魔法を詠唱できないイネスもまた、もれなくそこにいる。
ここはケートス(海獣)の腹の中だ。
「イネス、あなたさっき、海の生物を私への攻撃で使ったでしょう。それで怒らせたのよ、海の精霊を。おかげでケートスが遣わされてしまった。ケートスは聖獣に分類されるから、むやみやたらに手に掛けるわけにはいかない。どうしてくれるのよ、この状況を!」
イネスは今、話せる状態ではない。
私の魔法でイネスの口の中には、呪文書がセットされている。口の中に入った瞬間に、呪文書自体は実体を失っていた。だが口腔内に呪文として漂っているのだ。ゆえに声を出すことはできない。よってこれは、完全に私の愚痴だ。
「貴様、イネスを侮辱するな!」
アランは、声を出せるが、手足はロープで結わかれている。つまり攻撃はできない。だから今は負け犬の遠吠えという状況だ。
「アンジェリック様、これからどうしますか?」
リュカがアランの頭をはたいて黙らせ、私に声をかけた。
「とりあえずアランの火傷をポーションで治すわ。そして空になったこのガラス瓶に、ウミホタルを入れ、魔法で増幅させ、明かりを得る」
ケートスの腹の中には、海水がある。太ももまで浸かっている生温かい水、それすなわち、海水だった。そしてその海水に、ウミホタルがいたのだ。
「アランは、アンジェリック様の体から剣を抜いたのですよね? 大量出血すると分かっていながら。そんなことをしたアランの火傷を癒すのですか?」
リュカの指摘は尤もだ。放置しても、アラン本人以外、文句は言えない。だがポーションがあるのだ。それに私の良心が怪我人を放置させることを許さなかった。さらにアランは、ヒロインの攻略対象。その身に何かあれば、このゲームの世界に何か影響が出そうだった。
「あの時、剣を抜くように指示したのはイネスだから……。ともかく火傷は治すわ。……アラン、その美しい顔と体に火傷の痕を残したくないなら、おとなしくてなさいよ。体当たりなんかしたら、絶対にポーションを使わないから」
「アンジェリック様、大丈夫です。僕がアランの体を掴みます」
「リュカ、アランよりイネスを拘束して。呪文書は、私が魔法を解除するか、イネスの顎を外さないと取り出せない。でも手足の自由は効くから。アランに近寄った時に、何をされるか分からないわ」
私が完全にイネスを警戒していることに、リュカは少し笑い「確かにその通りですね。油断を見せたら、何をされるか分かりません」と答え、イネスを拘束してくれる。一方の私は、火傷の痕を残したくないと思い、おとなしくしているアランにポーションを使った。その後は予定通り、空の瓶にウミホタルを入れ、魔法でその光を増幅させる。
ケートスの巨大な胃袋の中が、青白い光で照らされた。
「これは……まるで巨大な洞窟のようです。そして……いろいろな物がありますね。ああ、あれはさっきまでいた神殿の大理石の柱、かな? ケートスは何でも丸飲みが基本ですね」
リュカが言う通りで、そこかしこに大理石の柱や階段が、オブジェのように転がっている。それ以外に船のマストや帆、樽、オール、ヤシの実、ワインの瓶などもぷかぷか浮いていたり、沈んでいたりする。
「ここには四人とノワールしかいません。転移魔法で神殿に戻ることは、できるのではないですか?」
リュカが言うと、火傷が治り、元気になったアランが口を挟む。
「転移魔法は、移動先の座標と距離を指定するんだよ。でもケートスは泳いでいる。しかもこの巨体だ。ちょっと動いただけで、キロ単位で移動している。距離の指定が難しい」
「アランの言う通りなんです。距離を正しく指定するには、一度、ケートスに止まってもらう必要があるのですが……。命令したところで、止まるわけはないですからね。それと私は既に今日の分の移動距離を使い終えています。明日にならないと、どの道、転移魔法は使えません」
この発言を聞いたアランが、文句を言い始める。
「イネスは今日、まだ転移魔法は使っていない。イネスの口に何をしたんだ。魔法を解除しろ。俺達は転移魔法で神殿へ帰る!」