36:見捨てることはできないっ!
一気にイネスとアランの距離は縮まり、互いの唇が重なりそうになった。
「defense」
「βραστo νερo(ブラスト ネロ)」
防御の魔法陣を私とリュカの前に展開し、イネスが放った水……すごい湯気! 熱湯だったの!? ひとまず防いだ。
「そうやってイチャイチャして私の気を逸らして攻撃するの、バレバレよ、イネス!」
「ふうーん。お姉さまにしては学習したのね。男慣れしていないから、つい気が削がれると思ったのに」
そう言ったイネスはアランと音を立てながらキスを始めた。
これにはさすがのリュカも絶句し、そして声をあげる。
「客人の前でそれは、あまりに非礼であろう! 恥ずかしくないのか!」
「なんだと! 俺とイネスのランデブーを邪魔するな」
アランが動き、リュカとは待ったなしで戦闘がスタートしてしまう。
リュカへと向かうアランは、武器を持っていない。
そう思ったが、腰から何かを取り出した。鎖だ。
アランは体術も得意としている。
大丈夫かとリュカを見るが、聖剣を構え、応戦態勢は整っていた。
「お姉さま、あの可愛いブロンドの子犬、私に頂戴~」
ハッとしてイネスの方を見るが、殺気は後ろから感じる。
慌てて振り返り、目の前に迫る日本刀のような鋭い武器を、ギリギリで避けることになった。同時に全身に海水を勢いよく浴びる。
な、なに……!?
まるでカジキのような魚群が、こちらへと向かって来ている。
「vent du nord(ヴォン・ドゥ・ノォード)」
私の使った魔法で、魚群が吹き飛ばされる。そして飛ばされた先で、ボトボト海水の中へと没していく。
海中にいる生物も、イネスは操ることができるの……!?
「!」
急降下してきた海鳥に激突され、大理石の床に倒れる。
すると一斉に顔と目を狙うように、海鳥が次々と襲い掛かって来た。
羽を広げると1メートル近くある。
それが上空から容赦なく襲い掛かって来ると、もう恐怖しかない!
萎縮しそうになるが、なんとか魔法を詠唱する。
「defense」
防御の魔法陣に、海鳥は次々と激突。私の周囲に首の骨が折れた海鳥の遺体が積みあがっていく。
「イネス、生物を使役した攻撃は止めなさい! なんて残酷なことをするの!? 他の生物の命を軽々しく扱うべきではないわ!」
「うるさいなぁ、少し黙って! βραστo νερo(ブラスト ネロ)」
「リュカ!」
いかにも私を攻撃すると見せかけ、熱湯はリュカに向けて放たれている。
リュカはアランが振り下ろす鎖を避け、素早く聖剣を向かってくる熱湯へと向けた。
さらにその聖剣を、左下から右上に向け、振り上げると……。
聖剣は魔法を跳ね返す。
熱湯が軌道を変え、アランへと向かう。
「うわっ!」
熱湯の直撃を受けたアランが叫び、イネスが「アラン!」と駆け寄ろうとする。
「Enchevetre」
海中に植物がないわけではない。海藻がある。「黒の森」を拠り所とする私は、植物を魔法で使役できた。今、海中から伸びた海藻はイネスの足を絡み取った。
「な、なんなの! このぬめぬめして気持ち悪いものは!」
海藻がイネスの足だけではなくその体や手を拘束する。
火傷を負い、動きが鈍くなったアランに、リュカが迫った。
アランの鎖が、リュカの聖剣により、大理石の床に叩き落とされる。
後退しようとするアランの足を「glacon」と氷結させた。
リュカが聖剣の柄頭で、アランを気絶させる。
リュカは持参していたロープで、アランの手足を素早く結わき、拘束することに成功した。そのロープを解かれないよう、魔法をかける。
「アラン!」
ようやく海藻の拘束から逃れたイネスが魔法を使おうとしたので、「Golemisation」と呪文を唱える。私のドレスのポケットから呪文書が飛び出し、イネスの口の中へと向かう。イネスをゴーレムにすることはできないが、口の中に呪文書がセットされ、声を出すことができなくなる。つまりもう魔法の詠唱はできない。
そう思ったその時。
突然、太陽が陰った。
雲が太陽のそばを通過した……と思ったが、違う。
黒い巨大な影が、大理石の床に広がっている。
さっきも背後に殺気を感じたが、その時の比ではない。
とてつもなく禍々しい気配を感じる。
機械仕掛けの人形のように首を後ろに向け、その姿を目で捉え、叫ぶ。
「リュカ、逃げて!」
そう言いながら、心の中で、「無理だ!」と理解していた。
この神殿の半分が飲み込まれると思った。
転移魔法を今すぐ発動すれば、私は逃げられた。
すぐそばにいるノワールも逃げられるだろう。
だがリュカは逃げられない。
リュカを見捨てることはできなかった。
ならばもう。
もろとも飲み込まれるしかない。
その時、海に浮かぶ神殿の半分が、突如現れた巨大な何物かに完全に飲み込まれた。