35:地の利が相手にあっても。負けるつもりはない。
「これが『青の海』なのですね。ブルボン国は巨大な湖はありますが、海には接していません。初めて海を見ました」
転移魔法の魔法陣は、私とリュカの転移が終わると、サラサラの白い砂浜に吸い込まれるように、その姿を消していく。消えゆく魔法陣から出たリュカは、吹く潮風に、ブロンドの髪を揺らす。碧眼の瞳には、彼のその目より、さらに鮮やかな海が映りこんでいる。
目の前に広がる「青の海」は、浅瀬は限りなく透明で、少し離れると眩しいほどのネオンブルー。さらに陸地から離れると、深みを増したコバルトブルーの海が広がっていた。
ロイヤルブルーの軍服を着て、白のマントをはためかせるリュカは、この「青の海」の背景がよく合うと思う。
バカンスで訪れたのなら。
のんびりこの海を眺めることもできるのだが、今は違う。
「殿下、黄金で出来た薔薇は、ちゃんとお持ちですね?」
「勿論。この上衣の内ポケットにしっかりしまってあります。鎖をつけ、懐中時計のように服に留めているから、落ちて転がることもありません」
「それならば安心です」
パタパタと私達のそばを飛ぶノワールは、ポーションを入れた籠を持っている。
海が領域だから、森の領域である私としては、魔法が使いにくいと言えば、使いにくい。ここにツタもなければカラタチもない。ゼロから生成して行使するには魔法を使い過ぎるし、時間がかかる。
地の利はイネスにあるのだろうけど、負けるつもりはない。
「では殿下。最後の転移を行います。イネスが暮らす神殿はあれですから」
イネスは女神でもないのに、神殿を建てていた。しかも砂浜から離れた海の上に建て、そこで暮らしている。ここからも見えているその神殿は、白亜の大理石で作られていた。その姿はまるで、前世のパルテノン神殿のようだ。それが海に浮かぶように、存在している。
その神殿へ、転移魔法で転移した瞬間。
私の魔法は即感知されたようだ。
お出迎えされた。
「驚いたわ、お姉さま。てっきり死んだのかと思ったのに~! ヴィクトルはほんのわずかな時間だったのに、神聖力を発現させ、回復を完璧に使ったのね! さすが私のヴィクトル。優秀だわ~」
建物はパルテノン神殿なのに、イネスはルビー色のドレス姿だ。かくいう私もラベンダー色のドレスと、いつもの装い。北の魔女と南の魔女。その役割と共に与えられた装備は、外させないということだ。
「なんだよ。せっかくいいところだったのに、邪魔をしやがって」
イネスの後ろをついてくるのは、アランだ。上半身裸で、黒いスリムでピタッとしたズボンしかはいていない。足も裸足だ。
改めて思う。よく日焼けした張りのある肌、しなやかで筋肉質な体躯、髪の黒さ、ブラックオニキスのような瞳と、本当に黒ヒョウみたいだ。その上で、そこはかとなく漂う色気。
チラリと見ると、イネスの首や胸元にはいくつものキスマーク。
視線をアランに戻すと、その唇を意味深に自身の指で触れている。
まさか日中から二人で……。
いや、今、それは関係ない。
「イネス、あなた自分が何をやっているか分かっているの? 姉である私を剣で刺し、ブルボン国の王立騎士団の団長をさらったのよ。許されることではないわ。今すぐ、ヴィクトルを返し」「嫌よ」
即答したイネスは、ツインテールの髪を肩からはらい、既にその視線は私にはない。
「なんて素敵な碧い瞳なの~。ヴィクトルのあの氷河のような透明感のある瞳もたまらないけど、あなたの目はこの海のように美しいわ! しかもどう考えても高貴な身分よね。しかもブロンド。アイスシルバーの髪のヴィクトルの対になるわね」
「イネス! なんだよ。さっきは俺のこの黒髪と、この漆黒の瞳がいいと言っていたくせに」
アランが荒々しくイネスの腰を抱き寄せる。
その上でアランは、鋭い視線をリュカに向けた。
「勿論、アランのその髪と瞳も大好きよ。だけどあの彼の金髪碧眼も素敵。それぞれ個性があって素晴らしいということ。でも嫉妬するアランは、可愛くて大好きよ」
アランの首に腕を絡ませたイネスは、ぐいっと彼の顔を自分の顔の方へと引き寄せる。
一気に二人の距離は縮まり、互いの唇が重なりそうになった。