30:一枚上手だった。
傍から見ると、既に詰んでいる私とヴィクトル。そして甘ったるい会話をイネスとアランが繰り広げているように見えるだろうが……。
水面下では、お互いに腹の探り合いだ。
いつどのタイミングでどう動くか。
まさに一発触発の状況。
「でもさすがにここ数年。この森で気配を感じちゃったから。気になって、気になって。でもね、アランとの最後の戦いもあるから、それが終わったら~と思っていたら、遅くなっちゃった! でもいいタイミングだったみたい。お姉さまとの最後の戦いも終わったみたいだし!」
そこでイネスは「キャハッ!」とはしゃいだと思ったが。
「えっ」
突然、お腹の辺りに熱を感じ、数秒の後に激痛を感じ、声も出せずに仰向けで倒れた。
その状態で目だけ動かし、自分のお腹にヴィクトルの剣が刺さっていると理解する。
「アンジェリック様」とヴィクトルが叫び、アランが「あー、勝手に動くから、切れただろう!」と抑揚のない声で告げる。「もー、アラン、傷をつけないでと言ってるでしょう」とイネスが怒り、呪文を詠唱する。
ドサッと音がしたのは、ヴィクトルが地面に倒れ込んだからだ。体の動きを拘束する魔法をかけられたのだろう。そのヴィクトルの首に、イネスがポーションをかけていた。首についた傷を、治療している。
「自分はいいから、アンジェリック様の怪我を」
「いやよ。なんで刺したばっかりなのに、治癒しなきゃならないの。私が」
ヴィクトルとイネスの会話から理解する。
ヴィクトルの剣を抜き、私に刺したのはイネスだ。
完全に直前の会話で油断させ、かつ魔法を使うと思わせ、物理攻撃を加えるなんて。
悔しいが、イネスの方が一枚上手だった。
でもどうして私を刺す必要があったの……?
「ヴィクトル、怪我はもう大丈夫よ。浅い傷だったから、すぐに治るわ。今、包帯も巻くから」
イネスは天使のような声で、ヴィクトルに声をかけている。
傷は浅いのね。
良かった。
それならヴィクトルは助かるだろう。
私はどうだろう……。
とにかく熱い。
剣が刺さっている場所が熱かった。
痛覚は麻痺しているのか、よく分からない。
というか血の気が引くというか、自分の体の感覚がなくなってきているというか……。
「やめろ。触れるな。離せ」
「もう、ヴィクトルったら? そういうところは従順じゃないのよね。猫みたい! 私は可愛く従ってくれる方が好きよ」
そこで「チュッ」という音がして、私は目を閉じる。
「やめろ!」
「イネス、俺以外の男にキスをするな!」
「もう、アランったら。額へのキスよ。それぐらいいいでしょう。でもそうやって嫉妬した顔が、とても素敵よ、アラン」
イネスは……男好きなのね。
アランを手なずけ、次はヴィクトルを手に入れたいと。
「さあ、ヴィクトル。このままだとアンジェリックお姉さまは、死んじゃうと思うの。魔女だけど、体は人間と変わらないから。勿論、ポーションがあれば別よ。あとは……そう、神聖力! 神聖力で回復できれば、ね」
「なあ、イネス、もう帰ろうぜ。とっととソイツの姿を変えよう」
「もう、アランったら、せっかちね。あ、剣を抜いて。あの剣はヴィクトルのものなんだから」
そこでヴィクトルが叫んだ。
「やめろ、抜くな! 治療できる状態じゃないのに、今抜いたら、出血死する可能性だってある!」
「!」
「あ、悪いな、兄貴! もう抜いちまった」
激痛と血が失われる感覚に、意識が飛びそうだった。
そこでハッキリと“死”を自覚した。
前世では気づいたら命を失い、この世界に転生していたのだ。
死の痛みを自覚していない。
でも今はものすごく痛くて、体から力が抜け、何も考えられなくなってきていた。
「この悪魔め!」
ヴィクトルの悲痛な声が響き、次の瞬間。
「 ル」
一瞬、お腹の痛みが引いた気がした。
流れ出る血が止まったように思えたが――。
「クゥン」
この声は……。
もう瞼が閉じそうだった。
頬にざらざらした気配を感じる……。
瞼が落ちる寸前に、空にノワールの姿が見えた気がした。
◇
全身をミストに包まれるような感覚で目が覚めた。
霧雨が降っている……?
薄暗く、昼間のような、夕方のような……。
「ゴ主人様ー、目覚メタ! 急イデ、早ク、呪文ヲ唱エテ!」
ノワールの声に「えっ……」と掠れた声を出したが、周囲に感じる不穏な気配に、瞬時に覚醒が進む。囲まれている、魔物に!
パタパタと飛ぶノワールは、魔除けの炎が燃えるランタンを持っているが、それだけではどうにもならないぐらい、周囲に多数の魔物がいる。
「stalactite」
掠れた声で叫ぶと、周囲に先端が鋭利になった、氷柱の雨が降り注ぐ。
魔物の体に氷柱がズブリ、グサリと刺さる音と、断末魔が響く。
同時に。
意識を失った。