29:水面下の攻防
イネスが、シャムシェールが持つアランの手に、自身の指を滑らせる。
その動きは何と表現すればいいのだろう?
官能的?
二人の男女の関係を匂わせる触れ方だった。
イネスはアランに触れた指を、自身の唇に押し当て、ニヤリと笑う。
「アランったら、毎日のように私のところへきているうちに、ゾッコンになってしまったの。私にね」
これには衝撃を受ける。
ヒロインの攻略対象であるアランを、イネスが既に攻略している!?
アランはヒロイン一筋のはずだった。だが任務の一環で、自身の体を武器にすることもある。つまりアランは自分の色気と艶やかさを武器に、標的となる女性に近づくこともあった。
でもアランの標的に魔女がいたなんて、前世のゲームのプレイ記憶にはない。それに今、アランのブラックオニキスのような瞳は、ウットリした状態でイネスに向けられている。
つまり。
アランはイネスに本気だった。
え、これはどういうこと!?
でもアランがイネスに真剣であるならば、ヴィクトルに刃を向ける必要はないはずだ。ライバルではないのだから。そう思ったが……。
「ねえ、イネス。君はこの坊ちゃんが可愛いというけど、俺だって十分可愛いだろう? こんな奴、わざわざ連れ帰る必要があるのか?」
アランがイネスに負けないような、濃厚な甘え声で囁く。
坊ちゃん……これはヴィクトルのことよね?
王立騎士団の団長を務めるヴィクトルのことを、坊ちゃんと呼ぶなんて……。
しかも、わざわざ連れ帰る?
「アラン、あなたの嫉妬は可愛いわ。でもね、私はこの彼のことが気に入っているの。東の魔法使いのリシャールが治める『銀の山』で、修練を積む彼を見た時。つまりはまだ幼い少年のヴィクトルを見た時、絶対に手に入れたいと思っちゃったの。その出会いは残念だけどアラン、あなたより先なの。あなたはヴィクトルの後輩。だから先輩には優しく、親切にね。絶対に傷をつけちゃダメよ」
イネスの言葉にいろいろ理解する。
なるほど。そうなのね、と。
確かにヴィクトルは、神聖力を手に入れているから「銀の山」で修練を積んでいる。そして「銀の山」は、イネスがいる「青の海」からも近かった。まだ年齢一桁のヴィクトルは、イネス好みの美少年だったのだろう。
でもどうして、“今”なのだろう?
六年間。
ヴィクトルはこんなにも長い間、私のいるこの森へ通っていた。よりにもよってなぜ今日、現れたの……?
「お姉さま、なんだか不思議そうな顔をしていますよね? 急に現れたと思っています? そーんなこと、ないんですけどね」
なんだかイネスのこの話し方に、イライラする。
まさに前世の後輩女子を思い出す話し方だった。
何よりも、とっと用件を口にしない周りくどさが、後輩女子にそっくりだ。
「一度、六年前に検知したんですよぉ。ヴィクトルの神聖力。でも居場所がバレるとすぐ分かったみたいで。その後しばらくは使わないようにしているから、なかなか見つけられなくて。それにアランと知り合ってからは……。もう連日、アランがすごいから。ヴィクトルどころではなくなっちゃた」
アランはウィンクし、イネスは投げキスをしている。
この二人のイチャイチャぶりを、ヴィクトルはシャムシェールを喉に突き付けられたまま、聞かされていた。だがヴィクトルの表情を見れば分かる。ヴィクトルは諦めていない。一瞬でもアランが隙を見せれば、反撃するつもりだ。
そのアランは、甘ったるい会話をイネスとしているが、腕の力を緩めないし、ヴィクトルが動くタイミングを与えない。
私はというと。魔法を使うタイミングを見計らっているが、イネスはこう見えて隙が無い。私の魔法の発動と同時に。イネスも魔法を使うに違いなかった。
表面的には緩く見えるだろうが、水面下では緊張状態が続いていた。