カニュレ
カニュレ
時というものは階段のようなものであって下に下る度、上は見えなくなる。
「お腹空いたでしょ」
「今、ちょっと待ってー」
ごうは足の親指の爪の間に超小型のタイムマシンを付けている途中だった。
「うまくつかないな」ごうが目を上げた時、いつも見ている壁に点線が表れていた。
「何だこれ」
ごうは指でなぞってみた。
それは、牛乳パックにあるような、キリトリ線だった。
「何だこれ」
ごうは試しに端から引っ張ってみた。はがせるようだ。
キリトリ線をはがした跡は違う景色が見える。
「これは、一種の、タイム・・」ごうは裏側に回った。「マシン」
「これは、いわば、秘密の・・」また裏側に回った。「通路」
階下では何か茹でている音がする。
ごうは一歩、キリトリ線の向こうに足を踏み出した。
そこはどこかの家の中だった。
夕日が窓から床に落ちている。
誰もいないようだったからごうは一歩、外に出た。と、背後でその家が崩れ落ちた。
道を歩いている人は振り返り、何が起きたのか一斉に電話を耳に当てた。ごうは走り去った。
ここは過去のようだ。だって道に鳥居のマークがしてあって立ち小便禁止になっている。
「すいません、ここはどこでしょう?」
道を聞いた人は怪訝そうな顔をしていた。
「自転車に乗ってたら迷ってしまって」
その人はここは夕日村だと言った。どこから来た、道を教えてあげようか、と言われてもごうは答えられなかった。
所々に電車が走るこの村は昔、金の採掘で栄えたようだった。駅のインフォメーションに書いてあった。
杏色の車に派手な横の傷ができていた。自転車でひきずったようだ。
「ひどいことする人がいるもんだな、あっ」
傷の所に紙が貼ってある。電話番号とごうの文字。「返済が迫ってますよ」ごうには思い当たる節がなかった。
その紙を剥がすと、「時間銀行 フジョー・ロー」と書いてあった。
ごうはさっきの家に戻った。人が集まってもう片付けが始まっていた。
「あの、ここにいた人たちはどうなったんでしょう」
聞いた人は首を振った。
「一人がまだ・・。今は二次被害を取り除くために、救助作業はそれからだね」
「僕は野次馬じゃないんです」
時間銀行。フジョーは椅子に座って買ってきたばかりのドーナツを袋から出した。駅前で買ってきた。
「ドーナツに穴が開いてるのはなぜか」同僚にクイズを出した。
「指を通すためだ」フジョーは穴に指を入れて串刺しのようにしてドーナツをかじった。最後に指に付いた砂糖を舐めた。
ごうは一つ見覚えのある物を発見していた。乳首がずれてる犬だ。この犬はいつも一人でヨボヨボ歩いていた。ここでもそうだ。
キリトリ線でついて来たんだろうか。ごうはその犬について行くことにした。
犬はしばしば振り返り、道を探しているようだった。
牛乳ごうがまた出て来たら帰れるかも知れない。もうお腹も空いてきた。ごうはあのキリトリ線に牛乳ごうと名前を付けていた。
犬がさっきの鳥居の脇道に入っていった。ごうも角を曲がるとその犬はもういなかった。
ごうはその道を歩いていった。
「あった」もう半分はがれている。ごうは周りをキョロキョロしてそのキリトリ線に身を潜らせた。
カニュレは宇宙船の中で制御システムのビッグバスターと話していた。
「どこへでも行けるの?」カニュレは脚をずらせた。
「例えば、恐竜の赤子が・・」ビッグバスターが言い終わらない内に後ろで音がした。カニュレは立ち上がり、換気室に入った。
そこには男が一人いた。
「あなた誰」
「ここはどこ、今はいつ」
この人もタイムマシンで来たのだろうか。それにしても人のタイムマシンの中に入ってくるなんて無礼だ。
カニュレはごうをビッグバスターの前に座らせた。
「随分、昔のタイムマシンだね」ごうは宇宙を覗いて言った。
「ようこそ、ごう。カニュレ、この人はあなたの祖先」
カニュレはごうの肩に手を置いてビッグバスターを覗き込んだ。
「私の祖先にごうなんて人いないはずよ」
「ごうはココに生まれ変わる、ココはあなたに生まれ変わる」
「輪廻の祖先のことを言ってるんだ。君はキリトリ線を見たことある?」
「じゃあ、あなたは過去からここまで来たの?」
「いや、それがそうでもないんだ。過去に生まれ変わるってのもない話じゃないだろ?」
「もう一ついい、ビッグバスター? ココって人は?」
「僕も会ったことないよ。もしかしたら夕日村にいたのかも」と言って、ごうはハッとした。あの家に潰されたんじゃないか。
「転送します」
「ちょっと待って、ビッグバスター」
「例えば、恐竜の赤子が・・」
着いたのはどこかの駅の中だった。
「ここはいつのどこかしら」
「夕日村だよ。どこかの駅だろ」
カニュレはインフォメーションを見ていた。
プラスチックでできた駅は人がいない。上を見上げても空も見えない。地階なのかな。
「星空を買おうとしてたろ。そんなのは意味ない。未来には全く何の価値もないからやめときな」
「そうなの?」
この駅は単線のようだ。線路が一本しかない。
カニュレが何かを見て笑っていた。それはあの乳首がずれてた犬だった。こちらに腹を向け寝ている。乳首がずれてるから間違いない。
「あそこに誰か待ってる」
痩せた女がおとなしく座って、下の線路を見つめていた。
「失礼だけど、ココさん?」
ココは肯いた。三人は同じ椅子に並んで座った。
「ここはスーパーステーション」
「聞いたこともないな」
「強奪した時間で何をするつもりだったの」ココがごうに言った。
「私が生きる時間がなくなっちゃった」ココは髪をかき上げた。
「あのキリトリ線が開いたことで家が崩れたの?」
「時間が崩落したんだと思う」
「君は時間銀行って知ってる? 君のとこでこれ・・」ごうは二人に紙を見せた。
二人とも首をひねった。
「電車が来たわ」
「どこに?」カニュレが首を伸ばした。
ココが下の線路を指差した。点線が表れている。
「僕はこれに乗ってきたんだ」
ごうがまずそれをはがして、元の家の景色が映っている、飛び乗った。次にココが一度はがれたキリトリ線を閉めて、カニュレに手を振って、飛び乗った。カニュレも同じように一度閉じてそこに飛び乗った。
茹でていたのは、それはポテトだった。ごうは食べ終わると、紙に書かれた電話番号にかけてみた。
「あなたがやったのはタイムスナッチなんですよ。時間の強奪。他人のね。それを返済しないと。時間の問題ってのは色々あって・・」
「ああ、忙しい忙しい」それからごうは時間の返済に追われた。ココに時間を返さなければならない。時間銀行で使った時間を元のように戻すために一年は一か月になった。
フジョーは返済を終えたごうのためにココを訪れた。
「家も元通りだ」フジョーはココの部屋の壁を撫でた。
「ああ、これは消しておかないと」フジョーはキリトリ線を閉じた。
「あなた、少しごうさんに似てますよ。気を付けないとね、時間の無駄遣いに」
「肝に銘じておきます」ココは笑った。
ウッドデッキが一面に張られているショッピングパークに来ていた。買い物を終えて一休みしていると、自販機の下で犬が寝ている。その腹にはドーナツのようにずれた乳首が並んでいた。
「何、ジュース買いたいの?」
「ワンちゃん、ワンちゃん」
小さい子供が引きずられるように歩いていく。