第三話 ちょっとお話した
それから数刻ほど後。ダンジョンを奥へ奥へと進んだあたしたちは、充分な広さの空洞に行き当たった。
二人で話し合い、今夜はここで野営することに決める。もういい時間だ。外では空に星が出ているだろう。
館から持ってきたリンゴの皮を剥き、湯を沸かして携帯用の器具で紅茶を淹れ、乾燥肉と野菜とルウでホワイトシチューを作る。さっきの種やら絞殺茸から採取した可食部やらもあるが、それに手をつけなければならないほど切羽詰まってはいない。
「便利な世の中になりましたよねー。冒険者の食事事情、改善されまくり。はい、どうぞ、レオ様」
「あ、ありがとうございます」
頭を下げてレオ少年が食器を受け取る。主従なのでわざわざ礼など要らないのだが、体に染みついた躾というやつだろう。
少年が両手を合わせてから食べ始めたのを見て、あたしもいただく。
頭上に配置した魔術の光の球体が、空洞をゆらゆらと照らす。こういう場所で食事をするのは久しぶりだ。なんだか冒険者をやってた頃が懐かしくなる。
割と適当に作ったのだが、味は上々。レオ少年もお気に召したらしく、顔を輝かせた。
「美味しい! とっても美味しいですよ、フィアさん!」
「それはよかった。たくさん食べてくださいね。おかわりもありますよ」
少年ははにかみ顔で頷いた。お腹が空いていたのだろう。見てるこちらが嬉しくなるような勢いで食事を続ける。
あたしを守ろうと気を張りつめていたからだろうが、先ほどまではだいぶ疲れた顔をしていた。
無理もない。どんなに強かろうと、まだ子供だ。
「リラックスして大丈夫ですよ。空洞の出入り口に鳴子つけたんで、モンスターが来たら分かります」
「何から何まですみません、フィアさん。……父上には『手伝いは要らない』なんて大見え切ったのに、フィアさんにお世話になりっぱなしですね。情けないです」
「これくらいはいいんじゃないです? 普段の女中の仕事の範疇みたいなもんですし。それにあたしが黙ってれば、エドワード様にはバレませんよ」
少年は釈然としない顔であったが、反論はしなかった。ただ黙って食事を続ける。
先に食べ終えたあたしは壁に背を預け、地面に足を投げだして、くつろいだ。
天井を見上げる。魔術の明かりが届かない、暗闇の方を。紫煙がゆっくりそちらに立ち昇り、拡散し、消えていく。
少年がこちらを向いたのが視界の端に見えた。
「あの……」
「ん?」
「煙草……」
「え? あ! すいません! 完全に無意識だった……」
慌てて、火のついた巻き煙草を消そうとする。
少年はスプーンを手にしたまま、首を振った。
「いえ、吸うのはいいんです。……フィアさんって吸うんですね。意外だなぁって思って」
「や、うん、まぁたまに」
嘘である。おおむね一日十本は吸う。
少年は眉を顰める。
「吸うのはもちろん自由なんですけど……体に悪いんじゃないですか、そういうのって」
「あー、これはそんなに害があるやつじゃないんですよ。無害ってわけじゃないですけど。いずれにせよ子供の前で吸うもんじゃないですよね。消します消します」
最後に一口しっかり吸ってから、まだまだ長い巻き煙草を地面に押し付けて消す。
少年は頬を膨らませていた。子供扱いしたからだろうか。その仕草がまさに子供っぽいのだが。
「どうして吸うようになったんです?」
「地元じゃみんな吸ってたから、気がついた頃にはって感じで」
「たしか大陸でしたよね、地元って」
「そ。大陸西岸にある混沌都市ってとこ。知ってますよね? 治安最悪、法らしい法もない、道端にはいつも新鮮な死体が転がってる。いやー、クソみたいなとこでした」
あ、クソって言っちゃった。貴族の子弟に聞かせていいワードじゃないな。
まぁ少年が気にしてないからいいか。
「あたしが孤児だって話は昼にしましたよね。物心ついた時にあたしがいたのは、混沌都市のある魔術師の館だったんですよ。そこで魔術を学びながら育ったんですけど、そこには同じような境遇の子が大勢いてですね……」
「孤児院ってことですか?」
「それがそんな善意のあるところではなくてですねー」
それからあたしはざっくりと半生を話した。
育てられた魔術師の館が実は、子供に魔術を覚えさせて内蔵魔力を増大させ、それから邪神への生け贄にするヤバい場所だったこと。
だから魔術の教え方も、座学完全無視の適当なものだったこと。
十何歳かになった頃、里子に出したという理由でちょくちょく仲間が消えたので、不審に思って調べた結果、そこがどういう場所か知り、脱走したこと。
どうにかこうにか船に乗り、この島に来て冒険者を数年やって、女中になったこと。
我ながらなかなか波乱万丈の人生である。
こんなことをこの島で人に話したのは初めてだった。
レオ少年は呆気にとられたような顔で聞いてたが、話が終わると心底気の毒そうに表情を曇らせた。
「ご苦労なさったんですね」
「そうですねぇ。でもこの島に来てから、この島もこの島で大変だなって思いました。魔物がやたら多いし、強いし。それにコーンウォール家のお子さんたちはあたしよりよっぽど苦労してるなって思いましたよ。大変でしょう、修行」
レオ少年は苦笑いを浮かべて、こくんと頷く。
「あまりにつらくて一度家出しました。すぐに追手に捕まって連れ戻されましたけど。……でも、今はこれも勇者の使命だと思って、頑張ってます」
「使命かー。いや、ホント偉いと思いますよ。コーンウォール家の皆さんは」
魔物がやたら多くて強いこの島で人々が普通に暮らせているのは、円卓の騎士や諸侯騎士団、各地を治めるお貴族様などが定期的に討伐しているからだ。
この辺一帯を受け持っているのはコーンウォール家の人間であり、隠居状態のはずのあのエドワード老も、いまだに若いのを引き連れて狩りに出かけている。
大陸によくいる、ふんぞりかえって税金を取るだけの貴族とは違う、真の統治者だと思う。この少年も近い将来、その務めを立派に果たすようになるだろう。
「レオ様には自覚が足りないってエドワード様は言ってましたけど、そんなことないとあたしは思うんですよね。遊びたい盛りだろうに、文句も言わずに修業してるし、こんな面倒な試練にも挑んでるわけですし。初等学校の友達なんかは、こんなことやってないでしょう」
「あはは、そうですね。みんな、遊んでばかりです。もちろん、お見合いなんて誰もしてません」
そう、そこだ。
父親を尊敬し、普段は何も文句を言わないこの子が、どうして今回に限ってあんなに嫌がったのか。
「十歳でお見合いって大変だなぁとは思いますけど、そんなに嫌なものですか? エドワード様には言わなかったけど、本当は誰か好きな子がいるとか?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「じゃあ、相手が嫌とか?」
少年は首を横に振り、懐から一枚の擬似投影紙を取り出して渡してきた。
見ると、十代半ばの少女が両手を揃えて椅子に行儀よく座ってるのが映っていた。これが件の見合いの相手か。
どこかのお貴族様なのだろう。胸元が大きく空いたドレスを着て、優しそうに微笑んでいる。白さが眩しい豊満なお胸をしていらっしゃるが、大きさだけならあたしの勝ちだ。年齢的にこれから抜かれるかもだが。
「アーツェン家の四女さんだそうです。ボクより五つ年上だとか」
「可愛い子じゃないですか」
「そうですね、外見は、ええ、不満はないですけど」
「年上は好みじゃないとか?」
「いえ、そういうことじゃないんです。ボクはまだ女性を好きになった経験がないんで、好みとかよく分からないんですけど……とにかく、その、擬似投影紙を見て、キラキラを感じなかったんです」
「……キラキラ?」
「そう、生涯を捧げるに足る、キラキラを」
急に何言い出すんだ、この子は。
そう思いはしたが、少年がやけに真剣な顔をしてたのでツッコめなかった。
少年は冒険用鞄を探り、古びた手帳のようなものを取り出して見せてきた。
「ボクたち、コーンウォール家の開祖である双剣士ロイスの日記です。館の蔵の奥でボクが見つけました」
「へぇ、高値で売れそう」
「いや、売る気はないんですけど……。これの記述によるとですね。ロイスは二百年前の統一戦争を戦い抜いた後、生まれ故郷であるコーンウォールに帰還し、焼け野原と化したその街で、生涯を捧げるに足るキラキラを見つけたそうなんです」
「……キラキラ?」
さっきとまったく同じ感想が出る。意味が分からない。
少年もそういうリアクションで当然だと思っているのか、苦笑いを浮かべた。手帳をパラパラ見てから鞄にしまう。
「それが何なのかは具体的には分かりません。ただロイスがその後の人生をコーンウォールの街の復興に捧げ、そこで伴侶を得て、子を為し、生涯を終えたのは確かです」
「うーん、よくわかんないですけど、そのキラキラってのは個人個人が持つ生きがいみたいなもんですかね」
「だと思います。『このために自分は生まれてきたんだ』って確信できるものが、きっと人間一人一人にあると思うんです。それは、どこかで出会った誰かだったり、趣味だったり、事業だったり、土地や街だったり、人それぞれだと思います。いつ、どこで見つかるかも、きっと人それぞれで――」
少年は、夢見るような瞳で中空を見つめる。
これは、この少年がまだ短い人生の中で構築した哲学のようなものなのだろう。なるほどと思うと同時に、ちょっといじわるを言ってみたくもなる。
「『どこかで出会った誰か』かもしれなくて、『いつ、どこで見つかるかは分からない』のなら、このお見合い相手さんがそのキラキラだっていう可能性もありますよね? 擬似投影紙見てもキラキラを感じなかったっておっしゃいましたけど、実物見たら印象変わるかもですよ」
少年は面食らった様子でしばし押し黙った。
視線を宙に泳がせてから、照れくさそうに口を開く。
「ええ、はい。可能性はあります。でも、それじゃ嫌なんです。朝に父上にも言いましたが、自分の道は自分で見つけたいんです。誰かに用意されたお見合いの席とかじゃあなくて……」
いくらか言い訳めいた少年の言葉。
ははーん。謎はすべて解けた。
エドワード老が言っていたように、この見合い相手の少女は、本当に少年の好みに合致してるのだろう。
合致しているからこそ、少年は見合いがしたくなかった。人が用意した相手に、キラキラを感じてしまったら嫌だからだ。
この少年は自分の祖先である双剣士ロイスを深く尊敬し、英雄視している。誰かと結婚するにしても、ロイスと同じように、波乱万丈の日々を送ってから、自分で見つけた相手としたいのだろう。
「まー、じゃー、ロイス様みたいになるためにも、まずこの冒険を成功させなくちゃですね」
「ですね。父上に、ボクの力を認めていただかなくては」
少年が微笑む。だぶんこの子も、こんな話を誰かにしたのは初めてだったのだろう。どこかすっきりした顔をしていた。
「ご馳走様でした。フィアさん」
「いえいえ、お粗末様です」
レオ少年が食べ終わったので、後片付けをする。それから寝支度を調える。
鳴子があるから、見張りを立てずに寝ても大丈夫だ。どちらにしても、近くで気配がすれば、あたしは起きる。
「おやすみなさい、レオ様」
「はい。おやすみなさい、フィアさん」
挨拶を交わしてから、持参した薄手の毛布を被り、横になる。
奇襲を受けてもいいように、魔術の明かりはそのままだ。
あたしも知らずのうちに疲れていたのか、目を閉じるとすぐに強い睡魔が襲ってきた。