9 一羽目の三羽烏、あらわる!
「……えっ?」
すそを引いていたのは、きれいな金髪の女の子でした。お団子頭の髪型で、目の色は明るい茶色です。肌は陶器のように白く、まるでお人形さんのようでした。
「どうかしたの?」
劉生君の問いには答えず、ぐいぐいとすそを引いています。
「……こっち。隠れて」
劉生君だけではなく、みつる君と咲音ちゃんの服もぐいぐい引っ張ります。
戸惑う三人でしたが、あまりに真剣な彼女に流されて、近くの枝葉のかげにしゃがみこみます。
「……えっと、」
ひとまず会話をしようと、みつる君は口を開きました。
「君の名前を聞いてもい」「……しぃ」
女の子はみつる君の唇にゆびをあてます。目を白黒させるみつる君に、女の子はささやきかけます。
「……もうすぐ来る、から」
誰が来るか、それはすぐに分かりました。
バサバサと羽ばたく音が四方から聞こえたかと思うと、劉生君たちがさきほど立ち話していたところで鳥たちが集まってきました。
五・六羽の鳥の集団です。どの鳥も強そうですが、その中でもひときわ目が引くのは、黄色いくちばしと足が特徴的な、大きな鳥です。
その鳥は、ぎろりと他の魔物たちを睨みます。
『おい、青ノ君一行はまだ見つからないのか』
劉生君は息を飲みました。
『大変申し訳ございません。まだ影も形もなく……』
『早く見つけ出せ。いいな』
どうやら橙花ちゃんたちはまだ見つかっていないようです。その事実にほっとしたおかげでしょうか、それとも緊張しすぎてしまったからでしょうか。思わず体が動いてしまい、木に実っていたタンバリンに肩が触れてしまいました。
しゃりん、と音がなります。
『……誰だ』
劉生君は悲鳴をあげそうになり、口を慌てておさえます。
声は出ていなかったはずですが、聞こえているような気がしてなりません。心臓がバクバクとなり、汗がたらりと流れます。
足音が近づいてきます。
見つかってしまうか、もうこっちから戦った方がいいのか。劉生君が震える手で『ドラゴンソード』をつかみました。
「……っ」
女の子が持っていたペンを転がします。ペンは枝の上をころがっていき、近くにいた鳥にぶつかりました。鳥は驚いて飛び、そばの鈴に当たります。
鈴はちりんちりん、と清らかな音色を奏でます。
『……ふん。紛らわしい』
足音が遠ざかっていきます。
『別のところを探すぞ』
黄色くちばしの一言で、鳥たちは去っていきました。ほっと安心して、劉生君は大きくため息をつきます。
「よかった。ありがとうね、君」
女の子はかすかに口元を緩めます。
「……どういたしまして」
みつる君はまだ緊張を残して、小さな声で聞きます。
「さっきの鳥はなに? すごく強そうだったけど」
「……うん。強い鳥。この層を守ってる。三羽烏の一羽」
女の子は劉生君たちに、各フロアには三羽烏という強い鳥が治めていること、ドレミ層の鳥は三羽烏の中でも武闘派と名高い鳥さんだと教えてくれました。
「……よく分からないけど、三羽烏、今はピリピリしてる。だから、すごく危ない。……特に、君たちみたいな新入りさんは、とても危ない。気を付けて」
咲音ちゃんはこそりと教えてくれます。
「あの鳥さんは、オオワシです。日本で一番大きなワシさんです」
「ワシ……。ワシ……。カラスとワシって、どっちが強いの?」
「状況にもよりますが、一対一ですとワシさんですね」
「そうなの!?」
あの恐ろしいカラスよりも強いなんて!!
魔王と会うためには、そのオオワシを倒さなければいけませんが、もう今からビビってしまいます。
ひたすら怯える劉生君に、みつる君は「絶対あのワシより、この前劉生君が倒した魔王リオンの方が怖そうなんだし、大丈夫じゃないのかな」と内心思いつつ、突っ込みはせずに女の子とお話しします。
「助けてくれてありがとうね。俺の名前は林みつる。君の名前は何て言うの?」
すると、女の子は悲しそうにうつむくと、小さく首を横に振ります。
「……分からない」
「え?」
「名前、……忘れたから」
「そ、そうなんだ」
彼女も魔王によって記憶を失われているのでしょう。その証拠に、彼女のうなじには黄色の五角形が描かれています。
子供たちの記憶が改竄されてしまうことは、みつる君も咲音ちゃんも知っていました。しかし、こうして改めて現実を見せられると、みつる君も複雑な気持ちを抱いてしまいます。
「そっか。名前も忘れちゃうんだね。……それはつらいね」
痛ましいと言いたげなみつる君に、彼女は微笑んで首を横に振ります。
「ううん。つらくない。……嫌な思い出も、消してくれるから。だから、つらくない」
「……そうなんだ」
口にはしませんでしたが、もしかしたらそれもいいかもしれないと、みつる君は思ってしまいました。
教室にいるだけで肌にまとわりついて離れない孤独感。蔑むような視線。漏れ聞こえる陰口。自分はここにいてもいい存在なのか、そんな自問自答さえも繰り返してしまいます。
家にいても、楽しい料理をしているときも、苦しい記憶が地面に引っ付いたガムのようにへばりつき、振りほどくことはできません。
この記憶が、この思いを消去できれば、きっと料理をしているときも、食器を洗ているときも、家でぼんやりテレビを見ているときも、嫌な思い出に邪魔されることなく全力で楽しめます。
咲音ちゃんも反論しようとして、口をつむんでしまいます。あののほほんとしている劉生君でさえも、彼に似合わず考え込んでしました。
クラスメイトの前で大恥をかいた、今日の朝の記憶がなくせるなら、ベッドの上で枕に顔をうずめて足をバタバタさせることもありません。
記憶をなくすのは、いいことかもしれない。
納得しかけた劉生君の脳裏に、橙花ちゃんの寂しそうな顔色が頭をよぎりました。
橙花ちゃんのことをすべて忘れてしまった友之助君をみて、彼女は寂しそうにしていました。魔王リオンの策略で中途半端に記憶を消されたみおちゃんをみて、彼女は怒りをあらわにしていました。
目の前にいる女の子が誰かは分かりませんが、彼女も橙花ちゃんの友達に違いません。名前さえも忘れてしまった女の子を見て、橙花ちゃんは悲しんでしまうに違いありません。
「……そうだ」
劉生君は、思いつきました。
「橙花ちゃんに聞けば、君の名前がわかるかもしれないよ!」
「……とう、か……?」
「うん! みんなには蒼ちゃんって呼ばれてるね。僕は橙花ちゃんって呼んでるけど」
みつる君は、「そういえば、」といって劉生君にたずねます。
「どうして赤野っちは蒼っちのことを橙花ちゃんって呼ぶの? あまり呼んでほしくなさそうだったのに」
みつる君と咲音ちゃんがはじめてミラクルランドに訪れた際、橙花ちゃんは「蒼とよんでほしい」と強調していました。
そのため、二人とも橙花ちゃんの意志を尊重してそれぞれ「蒼っち」「蒼さん」と呼んでいます。リンちゃんと吉人君だって、そのように呼んでいるはずです。
しかし、劉生君だけは彼女のことを「橙花ちゃん」と呼んでいます。何かのっぴきならない事情があるのでしょうか。そんな予想をするみつる君でしたが、劉生君は目をキラキラさせて、元気よくいいねのポーズをします。
「だって、そっちの方が橙花ちゃんっぽいもん!」
「はあ……」
どうやら、ただの劉生君の趣味のようです。劉生君の気持ちは分からないでもありませんが、だからと言って相手が嫌がる名前を呼ぶのはどうかと思う、みつる君なのでした。
「とにかくっ!」劉生君はぎゅっと女の子の手を握ります。
「橙花ちゃんに会いに行こ! レッツゴー!!」
「ちょ、ちょっと待って赤野っち! 俺たち迷子なの忘れてない!?」
「あっ……」
劉生君は足を止めます。
「そうだった。僕ら、迷子だった……。うう、橙花ちゃんたちはどこにいるんだろう……」
ガックシとする劉生君の袖を、女の子がちょいちょいとひきます。
「……迷子……」
「うん、そうなの。僕ら迷子なの……」
「……私、協力する。一緒に探してあげる。……だから、通った場所、教えて」
「ほんと!! ありがとう!!」
彼女はこくりと頷きました。
〇〇〇
タンバリンがひとりでにシャンシャンと踊る葉っぱを横目に進み、歩くたびに軽快な音を鳴らす小太鼓の道を通り抜けた先に、木簡のエリアがありました。
ポコポコと木簡を叩く子供や、木簡の鍵盤を並べる鳥たちを眺めながら、三人は首を傾げます。
「ここ通ったっけ?」「ですっけ?」「そうだっけなあ」
三人は覚えがないようですが、聖奈ちゃんは自信満々で頷きます。
「……三人の子供が通ったって、鳥さんが噂してた。……見た目は一致してる」
「でもそれだけじゃ俺らとは限らな」
「……鳥さんを血眼になって追いかけてた男の子と、彼を追いかける男の子と女の子がいたって噂だったけど、……違うのかな」
「……」
おそらく、劉生君たち三人でしょう。
「り、リンちゃんたちはどこにいるかな!」
「もしかしたら、こちらにいらっしゃるかもしれませんね!」
「だねだね!」
気を取り直して、あたりを見渡します。このあたりは鳥や子供たちがたくさんおり、賑やかな場所でした。しかし、リンちゃんたちの姿はいません。どこにいるかと、木簡のエリアから外れた場所も覗いてみました。
そこに広がる光景に、劉生君は息をのみました。
「わあ、綺麗……」
そこにあったのは、ピアノの階段でした。一つ一つの鍵盤に色がついていて、まるで虹のように天高くのぼっています。
もっとよく見たいと思い近づこうとすると、女の子が慌てた様子で劉生君のもとに来ました。
「……危ない、よ……! あの階段、上の層にいくための階段だから、三羽烏から許可とらないと、たくさんの鳥さんにつつかれる、よ……!」
「う、うん。わかった」
劉生君は木琴のかげに隠れます。
後ろから咲音ちゃんやみつる君も来てくれました。みつる君は感嘆のため息をついていますし、咲音ちゃんは思わず声をあげそうになり、口を押さえるくらい感動しています。
「すごくきれいです! リンさんや吉人さん、蒼さんにも見せてあげたいですね」
「うん、そうだねえ。リンちゃんは絶対に喜ぶよ!」
橙花ちゃんは何度か見たことありそうですし、吉人君は多少びっくりするくらいでそこまで驚きはしないでしょうが、リンちゃんならぴょんぴょん飛んで、目をキラキラさせてくれるでしょう。
リンちゃんが喜んでくれると予想するだけで、劉生君はついつい笑みを浮かべてしまいます。そんな劉生君に、女の子はくすりと笑って金色の髪を揺らします。
「……リンちゃんって子、仲良しなんだね」
「うん! リンちゃんだけじゃないよ。吉人君も橙花ちゃんも友達だし、それに、咲音ちゃんもみつる君も友達だよ」
「ええ! そうです!」
劉生君と咲音ちゃんが元気よく頷き、みつる君も照れたように頬をかいて、控えめに頷きます。
女の子は慈母にみちた目で三人を眺めます。
「私も、大切な友達、たくさんいたのかな? ……あまり覚えてない、から」
そうつぶやく彼女は、寂しそうに見えました。
聖奈ちゃんを元気付けようと、劉生君は声をはりあげます。
「大丈夫! 僕らが君の記憶を取り戻すから! だって、君も僕らの友達なんだもん!」
「……友達……」
女の子は、小さく微笑みます。
「……ありがとう」
「えへへ、どういたしまして!」
彼女と約束をかわしたからでしょう。劉生君は段々と勇気がわいてきました。
「うん! そうだね! リンちゃんと吉人君、みつる君に咲音ちゃん、それに橙花ちゃんがいれば、なんだってできる! 三羽烏のオオワシもらくちんで勝てるに決まってるね!!」
ぷくぷくと元気な気持ちが膨れ上がりました。
『……ほう。ワシをらくちんで倒せるか。やってみるか?』
膨れ上がった元気な気持ちがしゅっとしぼみました。劉生君がその姿を確認する前に、爆風がおそいかかってきました。