39 魔王リオンの記憶 食べ物の国、マーマル王国の成り立ち!
「ん……」
劉生君はパチリと目を開けます。
「ありゃ? ここ、どこ?」
確か、自分は橙花ちゃんを助けるためにふわふわなマシュマロから飛び降りたはずです。それなのに、体に痛みの一つもありません。
そもそも、周りには瓦礫の一つもありませんし、外ですらありません。
ここは城の中のようです。どことなく魔王と最後に対峙した城の頂上の風景と似ていますが、壁も窓も床も天井もすべて普通っぽいです。アイスでも飴でもありません。ゲームやアニメでよく見るごくごく普通の謁見室です。
「あれ? ここってマーマル城じゃないの?」
それとも、
「……また過去の世界?」
どうやら、そっちが正解のようです。のしのしとこちらに歩いてきたのは、傷一つもない魔王リオンです。妙に不機嫌そうですが、劉生君のせいではありません。それもそうです。この世界は過去の世界です。本来いるはずのない劉生君は認知されることなどありえないのですから。
それならどこかにまた橙花ちゃんがいるはずです。
「どこにいるかなあ」
探しに行こうといましたが、その前に魔王リオンの怒鳴り声が聞こえました。
『納得できん!』
「うひゃっ!」
突然の大声に劉生君はびっくりします。急にどうしてそう怒り始めたのでしょうか。もしかして、相手は橙花ちゃんなのかもしれません。
ドキドキしながら魔王がいる方を見ます。しかし、魔王が切れている相手は橙花ちゃんではありませんでした。
どうやら大きな鳥のようです。鳥そのものは非常に地味な見た目でしたが、クジャクの羽モチーフのマントを羽織っています。
見た目からして普通の鳥ではないようですし、魔王への態度からみても、大物なのは間違いないのでしょう。魔王に睨まれているのに、その鳥はなんとだるそうに大あくびをしているのです。
『ふわあ、うるさいなあ。どうでもいいじゃん、そんなこと』
『いや!! どうでもよくなんかない! お前の国の方が、オレサマの国よりも人気が高いだなんて、納得できるわけがない! これは陰謀だ! そうに違いない!』
『ほんと、どうでもいい。あんたがうるさいから、子供もウチん国に逃げてきたんじゃないの?』
『……この小娘が……!』
『オジサンの嫉妬は醜いし、しょうもないよ?』
パチパチと火花が飛び散ります。いつ魔王が切れだすかと、劉生君が固唾をのんで見守っていると、バタバタと慌てた様子でネズミの魔物がやってきました。
『陛下陛下! 蒼を連れてきたでやんす!』
『蒼を?』
魔王は眉を顰めます。
『そんな命令していないぞ。まさか貴様、こいつの指示を聞いたのではなかろうな?』
『ひ、ひい! 決して、決してそのようなことはっ』
「まあまあ、リオンさん」
ライオンとネズミに割って入ったのは、まだ鹿の角が生えていない橙花ちゃんです。
彼女を見て、鳥は嬉しそうに目を細めます。
『ん、蒼か。ちょうどよかった。この前話していた術のことだか、ようやく形になれそうなんだ。このおっさんに絡まれたせいで少し遅れてしまうがな』
『誰がおっさんだ』
魔王はグルルと呻ります。またもや緊迫した空気が流れますが、橙花ちゃんが二人を宥めます。
「リオンさんもトトリちゃんも、落ち着いて落ち着いて」
『……ふん』『……』
ひとまず言い争いは止めましたが、それでも険悪な空気は変わりません。ついにはトトリと呼ばれた鳥が羽を震わせて、大きく伸びをします。
『なんか、これ以上ここにいても時間の無駄だから帰るわ。じゃあね、蒼。そこのおじさんは心を鎮める術を頑張って考えてればいいんじゃないの?』
『貴様……! 言わせておけば!』
「どーどー」
鳥は振り返ることなく、窓からさっさと飛んでいってしまいました。優雅に飛んでいくトトリを睨み、魔王は悪態をつきます。
『見てろよ、あの鳥っ! 次来た時は窓から帰れないように城の周辺にめちゃくちゃな風を吹かしてやる!』
「……ちなみに、今日はどういう喧嘩だったんですか?」
『オレサマの国にいた子供が、向こうの国に移ったんだ。普通に考えて、オレサマの国の方が断然居心地がいいというのに! あんなやつの国に移ったんだ! 絶対に裏であの娘が動いてるに違いない!』
「うーん。トトリちゃんはそこまでするやる気はなさそうだけど……」
『そこでだ、蒼! お前に協力してもらいたい』
「協力、ですか?」
『ああ! 要は、あの鳥にそそのかされても動じないように、低能な子供たちに愛国心を植えこめばよいのだろう? 何かいい案はあるか?』
「……まずはですね、子供たちに対してヒドイ言い方するのは良くないと思いますよ」
『? ヒドイ? 何がだ?』
「下に見るような言い方です」
『ふっ、何を言っている。オレサマは世界の頂点に君臨する男だぞ? オレサマ以外の生物は全員オレサマより下だ』
「……じゃあ、私も?」
『当然だ』
「……そこまですがすがしいと、何も言えなくなるよ」
橙花ちゃんは肩をすくめます。
『それで? どういう案がいい?』
「……うーん。どうだろう。お菓子でもたくさん置いてあったら、みんなも喜ぶかな。甘いものはみんな好きだから」
『菓子か。なるほど分かった。その線でいこう』
「えっ、もう決めちゃうんですか!?」
目をぱちくりさせる橙花ちゃんに、魔王は平然と頷きます。
『当然だ。他に案はないからな』
「……答えておいてなんですが、私に聞くよりも、国にいる子供たちに聞いた方がいいと思います。そうすれば国にいる子も満足できるでしょうし」
『ああ、この前話していた民主主義ってやつか。別にそうしてもいいが、まあ、しなくてもいいだろう』
「そ、そうですか。……私、責任重大ですね」
『心配するな。失敗したとしてもお前を責めたりはしない。下のものの責任をとるのが、上に立つものの責務だからな』
嘘を言っている風ではありません。堂々と、さも当然というように魔王は言い切ります。橙花ちゃんはくすりと笑います。
「そうですか。なら、よかったです」
『ああ。その通り! そうだ、成功した暁には何か褒美をやろう。欲しいものはなんだ。言ってみろ』
「欲しいものかあ。欲しいものはないけど、ちょっとしたお願いならありますよ」
『ほう? 願いか!』魔王は嬉しそうにしっぽをぶんぶ振ります。『いいだろう。なんでも叶えてやる。オレサマはこの国の、いや、この世界の王なのだからな! それで? 願いの内容はなんだ』
「できればだけど、トトリちゃんと仲良くしてほしいんです」
『……』
左右に振っていた尻尾が、ぴたりと止まります。
『……いや、あのだな、蒼。それは少々……』
断る気満々の魔王リオンでしたが、橙花ちゃんはいたずらっぽい表情を浮かべました。
「リオンさんはこの世界の王様だから、なんでも願いを叶えてくれるんですよね?」
『……ええいっ! 男に二言はない! 分かった! あいつと仲良くしてやる!』
「ほんと!」
橙花ちゃんは花が咲くように微笑みます。
「それじゃあ、私、もっと協力しますよ! 子供たちが喜ぶ国を一緒に作りましょ!」
『……ああ、そうだな』
魔王は嬉しいんやら、悔しいんやら、複雑そうに顔をしかめました。
二人のやり取りはほのぼのとしていて、平和的でした。
橙花ちゃんもリオンに対して優しいですし、リオンだって橙花ちゃんを見つめる目は柔らかいものでした。
けれど、今は違います。
「……どうして、喧嘩しちゃったのかな」
劉生君がポロリとこぼすと、すぐ後ろから返事が返ってきました。
『結局、あいつとオレサマたちは住む世界が違ったんだ』
「わあ!? ま、魔王リオン!?」
『御名答』魔王リオンは不愉快そうに耳を横にします。『実体ではないがな』
魔王の体は赤い光で出来ていました。目の位置や口の位置さえもおぼろげで、振れただけで消えてしまいそうです。
それでも怖いものは怖いので、劉生君はびくびくしながら魔王に問いかけます。
「ど、どういうことなの」
『……さあな。オレサマにも分からない』
魔王は過去の自分と、過去の橙花ちゃんを一瞥します。
『……あいつの苦しみを、ひとかけらさえ知ることはできなかったんだ』
その瞳はひどく悲しそうで、辛そうでした。
「……ねえ、魔王さん」
魔王さんって、橙花ちゃんのこと好きなの?
そう訊ねようとした劉生君ですが、問いかけることはできませんでした。
『ここまでだな』
魔王の言葉と共に、世界が白く包まれていきました。