4 やるせない思いと、不気味な影?
目的のエレベーターはすぐに見つかりました。あまり使われている様子はなく、ぼろくて古くさそうです。
あまりに古びていましたので、劉生君は乗りたくないな、と思ってしまいました。だからといって階段を上るのも一苦労です。怖い気持ちをぐっと抑え、エレベーターに乗りました。
エレベーターの中は予想通り古臭い作りでした。カビっぽい匂いと古くなった油の匂いがプンプンしています。エレベーターの中は狭いので、匂いがこもってしまって仕方ありません。
リンちゃんは鼻をつまんで文句を言います。
「嫌な臭いね。耐えきれないわ。それに狭いっ!」
さすがに吉人君も肩をすくねて頷きます。
「確かに狭いですね。これだと、双子ちゃん用のベビーカーも入れません。これぞ、不完全なバリアフリーでしょうか」
「さっさと上に行きましょう」
リンちゃんは矢印ボタンを押して、閉じるマークがついたボタンを連打します。「そんなことしても閉まるスピードは変わりませんよ」と吉人君は笑います。
劉生君もつられて笑っていると、
ガタガタガタッ!
「ひ、ひいっ!」
突然の爆音に、劉生君はひっくり返ってしまいます。
ですけど特に変なことは起きていません。ただただ、騒がしい音を立ててエレベーターの扉が閉まっただけです。
「もうっ! リューリュー! 驚かさないでよ!」
「ご、ごめん、リンちゃん。びっくりしちゃって……わわわっ!?」
ガガガガガッ!
またもや鳴り響く爆音と、宙に浮かぶ感覚に劉生君は悲鳴を上げてしまいます。
「こ、今度は何!?」
「驚きすぎですよ。エレベーターが動いただけです」
「あっ、そっか……」
これには劉生君も顔が真っ赤になってしまいました。
吉人君とリンちゃんはコロコロと笑います。
「リューリューったら。怖がりさんなんだから」
「エレベーターより赤野君の声に驚きましたよ」
「うう、ごめん」
ちなみにリンちゃんも吉人君も、劉生君をからかっているつもりはありません。いつものことだと笑っているだけです。
ですけど劉生君は恥ずかしくて恥ずかしくて、二人の笑っている顔が見たくなかったので、横を向きました。
これは失敗でした。劉生君が目を向けた先にあったのは大きな鏡だったからです。二人の顔がばっちり映っていますし、何なら自分のみじめな顔も映っています。
彼は自分のみっともない顔をみて落ち込んでしまいます。しまいには涙が出そうになりました。
そんなとき、エレベーターの中の光が一瞬暗くなりました。
「わあっ!」
劉生君は叫ぶと、リンちゃんは呆れたように言いました。
「だから、驚きすぎだって。電球が切れかかっているだけよ」
「ち、ち、ち、違うんだよ。そうじゃなくて」
劉生君は尻餅をついて、ぷるぷる震えながら鏡を指さします。
「か、か、か、鏡の中に、誰か知らない人がっ!」
「知らない人? 気のせいじゃないの?」
「常識的に考えて、目の錯覚か光の屈折ですね」
そう言いながら二人は鏡を見ようとしました。
ですけど、できませんでした。
鏡を見るよりも、もっと大変なことがエレベーターの中で起こったのです。
「わあっ!」
「な、な、な!?」
「わああああ!!?? ゆ、ゆ、揺れてる!??」
エレベーターがぐらんぐらんと上下左右に揺れ始めました。巨人がエレベーターを持って振り回しているようなひどい揺れです。
電球は点滅を繰り返し、階数ボタンにいたってはまばゆい光を放っています。
絶叫と悲鳴が反響する中、劉生君は恐怖のあまり目をぎゅっと閉じていました。
助けてお母さん。助けて、お父さん……!
『……ふっ』
「え!?」
不気味な笑みに驚いて目を開けると、鏡の中に人影が映っていました。影とはいっても、真っ黒な色をしていません。赤と黒の絵具をかき混ぜた色をしています。
影は口のような窪みを緩ませて笑います。ですけど人影の笑い方は楽しくはなさそうで、とても、とっても寂しそうなでした。
奇妙な人影の笑い方にぽかんとしていると、人影は鋭い目つきで劉生君を射抜きました。あまりにも鋭くて、劉生君は固まってしまいます。そんな彼に、人影は手を伸ばします。
「ひいっ!」
赤黒い腕は鏡からするりと出てきたのです。ぬちゃり、ぬちゃりと歪な音をたてて、劉生君の方に伸びてきました。
逃げなくては。
劉生君は必死に後ろに下がろうとしました。ですが、まるで金縛りにでもあったかのように彼の体は動きません。
なんで、どうして。
混乱する彼をあざ笑うかのように影は迫り、そして、
「っ!」
エレベーターの電球がぴかっと光ると、金縛りが解かれました。
「い、いやっ!」
彼は咄嗟に左手で腕をはじき返します。
すると腕が霧のように消え、鏡の奥の人影も瞬きの間に消えてしまいました。
「え?」
あまりの手ごたえのなさに驚く劉生君。呆然と鏡に触れようとした、そのとき。もう一度電球が光りました。今度はさっきよりも断然強い光でした。あまりの強烈な光に視界は白く染まり、悲鳴さえも、音さえものまれていまいました。
何も見えず、何も聞こえない。
そんな時間がどれくらい経ったのでしょうか。十分とも、一時間とも思える時間が過ぎたのち、エレベーターの中にいた少年たちが目を覚ましました。
「……あ、あれ?」
リンちゃんはぽかんと口を開けてしまいます。
「あたし達、生きてる……?」
吉人君も自分の体をみて、ほっと一息つきました。
「よかった、怪我はないみたいです」
劉生君も目を覚ますと、慌てて鏡を見上げました。ですが、鏡に映っているのは劉生君とリンちゃん、吉人君の三人です。あの影はいません。
ぼーっとしていると、リンちゃんが驚いた声を上げました。
「あれ? リューリュー、怪我治っているよ!?」
「え? あ、本当だ」
いつの間にか、膝の擦り傷がきれいさぱりなくなっています。
これには吉人君もびっくり仰天です。
「ど、どうして、そんな、そんなことって。あ、赤野君。何かしたんですか!?」」
「し、してないよ。本当に! 何もしてないのに治ってたんだ」
三人は目を合わせて戸惑いました。そんなとき、チンッと、安っぽい音がなりました。
「「「わああっ!?」」」
なんとエレベーターの扉が開いたのです。
扉の先は公園ではありません、ましてや三人が最初に乗った公園下の道でもありません。そもそも、風景なんてものがありません。何も書いていない紙のように、真っ白な世界が広がっています。
「「「……」」」
三人は再び顔を見合わせました。
しばらくの沈黙の後、リンちゃんがぽつりとつぶやきます。
「……あそこから、出てみる?」
「「えっ!?」」
劉生君と吉人君は顔を真っ青にさせます。
「そ、そ、そそそそれって、大丈夫なの?!」
「そ、そうですよ道ノ崎さん。まずはエレベーターが動くかどうかを確認してからっ!」
吉人君は必死にエレベーターのボタンを押しましたが、反応はありません。非常用ボタンも押してみても、音の一つもなりません。
「……そうだ、携帯! ああ、圏外……」
「やっぱり、ここ出るしかないわよ」
リンちゃんは真っ白な外を見つめます。
「……」
吉人君は苦虫をつぶしたような顔になりました。随分長く考えましたが、諦めたようです。
「……それしかない、ですよね……」
「えっ! ほ、本当に行く!?」
「それしかないわよ。大丈夫、あたしたちもいるから」
不安そうに二人を見る劉生君ですが、残念ながら二人とも覚悟が決まってしまっています。そうなったら、自分も行かざるを得ません。本当は怖いけど、自分ひとりで残る方がずっと怖いのですから。
「わ、わかった……うん……! み、みんなでさ、いっせーのせっで行こうよ」
「そうね。そうしましょう。さすがリューリュー。ナイスアイディア」
リンちゃんを中心にして、片手に劉生君、もう片方で吉人君と手をつなぎます。
「よし、準備はいい?」
「……うん」
「……ええ」
「それじゃあ行くわよ」
ほんの少し緊張しながらも、リンちゃんはぎゅっと手を握ります。
「いっせーの、」
「「せっ!!!」」
三人は、一歩、白の世界に足を踏み入れました。