9 第三の選択? 橙花ちゃんの決心!
トビビに案内された部屋は、修学旅行で泊るような畳八畳のお部屋でした。
異世界で、しかも遊園地の敷地内に畳の部屋がある理由はよく分かりませんでしたが、ともかく布団を敷いてリンちゃんと吉人君を寝かせます。
トビビは並々に注いだコップを渡してくれました。
『はいこちら、お薬です』
飛びながら運んだせいでしょう。畳が濡れてしまいました。
突っ込む空気でもなかったので、橙花ちゃんは淡々とコップを受け取り、リンちゃんと吉人君に飲ませます。
鼻をつまんで口にぐいっと入れると、二人とも苦そうな表情を浮かべて、パッと目を開きました。
リンちゃんはごほごほとせき込みます。
「う……っ、苦っ……」
「……青汁を五倍に濃くしたような味……」
「よかった! 二人とも、身体は痛くない?」
劉生君が心配して尋ねます。
「体? いたくないわよ? っていうか、ここどこっ!? 畳!? 異世界で畳!?」
「おかしいですね。記憶が正しければ、遊園地で魔王と戦っていたはずでは……? もしかしてそれは勘違いで、旅館で魔王と戦っていたんですっけ……?」
混乱している二人に劉生君がたどたどしく説明をします。
自分を含め三人とも魔王に負けてしまったこと。
このままでは遊園地に閉じ込められてしまうので、とっさに賭けを持ち掛けたこと。
一旦は命拾いはしたけど、橙花ちゃんに呪いがかけられ、遊園地から出られなくなったこと。
遊園地内に畳がある理由は全く分からないが、休憩用で使ってくれといわれてこの部屋に案内してもらったことを伝えました。
畳の謎は残りますが、ともかく全てを話し終えると、リンちゃんは満面の笑みで劉生君の肩を叩きます。
「よくやったじゃない! さすがあたしの幼馴染なだけあるわね」
「それにしてもアトラクションですか。どうしましょう」
アトラクションを考える三人でしたが、橙花ちゃんが割って入ります。
「ちょっと待って。もし魔王が納得するアトラクションを思いついて再戦できたとしても、魔王には勝てないよ」
「……ま、まあ、そうだけど」「……強かったですからね」「……」
否定はできませんでした。それほどまでに、彼らは無惨に蒔けてしまったからです。
沈む彼らに、橙花ちゃんはこう言います。
「だからね、みんなにちょっと相談したいんだ」
橙花ちゃんはトビビを冷たい眼差しで睨みます。
「できれば、君には退席してもらいたいんだけど」
『ワタシは魔王様にあなた方の案内を任されていますので、秘密は守りますよ!』
張り切って答えますが、橙花ちゃんは容赦なく切り捨てます。
「君の言うことを信じるとでも?」
『うっ……』
トビビは黙ってしまいます。結局、とぼとぼと退室していきました。
「……本当に出て行っちゃった」
「見張り役とは思えない行動ですね……」
もしかしたらトビビは秘密を守るタイプだったかもしれません。
劉生君たちはそう思いました。
橙花ちゃんは邪魔者は消えたと安堵して、話を続けました。
「このままでは、君たち三人もフィッシュアイランドにとらわれてしまう。だから、違う選択肢を作ってあげようと思うんだ」
彼女は襖の側に立ちます。中にはもう二つ分の布団が入っているはずです。
その襖を橙花ちゃんは軽く杖で叩くと、襖が自動で開きました。
中は押入れではありません。薄汚れた灰色の空間でした。埃とカビが入り混じった匂いがしていて、正面には大きな姿鏡がはりついてあります。
三人はすぐに気が付きました。これは、現世に帰るエレベーターです。
劉生君が驚いた声を上げます。
「どうしてここにエレベーターが?!」
「ミラクルランドはどこからでも君たちの世界に繋がるんだ」
彼女はちらりと廊下に繋がる扉を伺います。気配がないことを確認すると、橙花ちゃんは劉生君たちの背中を強めに押して、エレベーターの中に押し込めました。
「え? な、なに? どうしたの?」
劉生君は戸惑っていると、橙花ちゃんはにっこりと笑います。
「これが違う選択肢ってこと。君たちはあっちの世界に帰るんだ」
吉人君がキョトンとします。
「僕らの世界に、ですか? しかし、遊園地からは出られないはずでは?」
「さすがの魔王も別の世界へ干渉はできないから、追ってはこれないよ。そこはボクが保証する」
リンちゃんがポンと手を叩きます。
「それなら、蒼ちゃんも一緒にエレベータに乗れば逃げられるんじゃないの! ほら、早く行こう!」
橙花ちゃんの手を引こうとしますが、彼女は笑って手を引っ込めます。
「いや、ボクはそっちの世界にはいかないって決めているんだ。だから、ボクのことは気にしないで」
「気にしないでって、それじゃあ蒼ちゃんがやられちゃうわよ!」
「元々ボクが始めた戦いなんだ。ボクが決着をつける。だから、帰りなさい。向こうの世界に」
優しい口調で言うと、彼女は杖を振りました。
すると、自動でエレベーターの扉が閉まってしまいます。
「わっ! ちょ、どういうつもりよ!」
リンちゃんが橙花ちゃんに向かって叫びます。吉人君が急いで開けるボタンを押しますが、エレベーターは言うことを聞いてくれません。
「こ、このっ!」
劉生君はこじ開けようと扉に飛びつきますが、何をやってもうんともすんとも言いません。ジタバタと暴れる劉生君に、橙花ちゃんは諭すように言いました。
「次にエレベーターに乗ってしまったら、間違いなくここに戻ってきてしまう。だから、もうミラクルランドには来てはいけないよ。……ボクの戦いに巻き込んでしまって、ごめんね」
寂しそうな声を最後に、彼女の声は聞こえなくなってしまいました。
エレベーターはぐんぐん上っていき、扉の窓は真っ暗になってしまいます。
リンちゃんが怒鳴り声を上げます。
「あっっの馬鹿!! なんでこんなことするのよ! あたしたちで頑張って子供たちを救うんだって、約束してたのに!!」
劉生君も静かに手を震わせます。
「絶対、あんなの駄目だよ」
短い時間しか会っていないとはいえ、橙花ちゃんはみんなの友達です。彼女を見捨てるなんてこと、出来るわけがないのです。
「助けにいかないと。橙花ちゃんを守って、かっこいいアトラクションを作って、魔王を倒してみせるんだ!」
「そうよそうよ! ガツンっと倒してしまいましょ!」
燃え上がる劉生君とリンちゃんでしたが、吉人君がぽつりとつぶやきます。
「……ですけど、僕らに倒せるんですかね」
「……そ、それは……」「……う、うーん……」
三人は思わず黙ってしまいました。
もちろん、吉人君も本心では彼女を助けたいと思っています。
ですが、何も考えないで行ってしまったら、きっと同じことの繰り返しです。
橙花ちゃんが魔王に倒されてしまうどころか、劉生君たちまでも囚われてしまうかもしれません。
そうなったら、自分たちを逃がそうとしていた彼女の努力を無駄にしてしまいます。
……けれど、どうやってあの強大な魔王を倒すのか、彼らには分かりませんでした。
エレベーターは無常にも彼らの世界に戻りました。
上を見上げると正真正銘、本物の空が広がっています。息を吸っても吐いても泡は出てきません。魚もうようよ泳いではおらず、おそろしい魔王の攻撃に怯える必要もありません。
平穏で、のどかな日常です。
『ドラゴンソード』も、ミラクルランドでは白地に龍が描かれた美しい剣でしたが、今はただの新聞紙の剣に戻っています。
リンちゃんの手袋も元のぬいぐるみリュックに戻っていますし、吉人君の杖も棒付きキャンディーに戻っていました。
三人が黙り込む中、チャイムが鳴り始めました。
うさぎおひし、です。いつの間にか、こんな時間になっていたようです。
吉人君が口を開きます。
「ともかく今日は帰りましょう。明日に作戦会議を開きましょう」
「……そうね」
「……うん」
いつもだったら「今日のご飯はなんだろうか」とわくわくするのですが、このときの彼らはどんよりと気が重くなっていました。
帰る道すがらも、彼らは無言のまま。
最後の最後に、「また明日ね」と声をかけあっただけで、彼らの会話は終わってしまいました。