8 形勢逆転からの形勢逆転からの形勢逆転! 裏の裏の裏は表!!
橙花ちゃんは魔王にナイフを突き出しました。魔王は慌てて尾で受け止めます。
『時計塔ノ君……!? どうして、金魚鉢はっ』
「あの程度の檻でボクを捕らえられたと思ったら大間違い、だっ!」
鹿の角が青く発光すると、彼女の力が異常なまでに跳ね上がりました。
『くっ、』
そのまま力ずくで魔王を上空に突き飛ばします。橙花ちゃんは吹っ飛ぶ魔王を一瞥し、すぐに劉生君のところに駆け寄ります。
「大丈夫かい、劉生君!」
「僕は平気。橙花ちゃんはっ」
「ボクのことは心配しなくていい。怖い思いをさせてしまったね」
ナイフを杖に換え、魔王に向けます。
魔王はちらりと劉生君を見ます。劉生君の瞳は、黒に戻っていました。
「よそ見をしている場合?」
橙花ちゃんは地面の石を蹴り上げて、杖を振ります。
「時よ、<ススメ>!」
石がすさまじいスピードで魔王に飛んでいきました。
『<離岸流>!』
魔王は術で石をはじき返そうとしますが、橙花ちゃんは次なる魔法を繰り出します。
「<トマレ>!」
<離岸流>による流れがぴたりと止まりました。橙花ちゃんが放った石は止まることなく、魔王に向かって飛んでいきます。
魔王はなんとか避けようとしますが、一つの石が体に直撃してしまいます。魔王はうめき声を上げます。
『……っ、本当に、困った子だね、君は。そんなに暴れられると手加減できないじゃないか。ボクは君を傷つけたくないんだ。もう諦めて自分から捕まってくれないかな?』
「黙れ魔王っ!」
橙花ちゃんは声を荒げます。
「例え四肢を切断されとしても、ボクには屈しないっ!」
『他の魔王ならともかく、そんな物騒なことはしないよ。だから、違う方法をとることにする』
魔王はひょいっと尾をうごかします。
警戒して杖を構える橙花ちゃん、ですが魔王の狙いは橙花ちゃんではありませんでした。
「きゃあ!」「くっ……!」
橙花ちゃんがハッとして振り返ると、リンちゃんと吉人君が海藻に絡まって宙に浮いていました。劉生君は必死に剣をふるいます。
「リンちゃん! 吉人君! このっ!」
しかし、彼の手も海藻に掴まれて手首をねじられました。
「があっ!」
『ドラゴンソード』を手放してしまいました。
「劉生君! みんな!」
橙花ちゃんが助けに行こうとしますが、魔王は彼女の行く手を塞ぎます。
『君は動いちゃ駄目だよ。呪文も使ってはいけない。彼らの命が惜しくないならね』
「……彼らを人質にするつもりかっ!」
吼える橙花ちゃんに、魔王は悲しそうに頷きます。
『彼らには申し訳ないけどね。君と戦わずに済むためには、こうしないといけないんだ。さあ、時計塔ノ君。杖を捨てて』
「……」
橙花ちゃんは苦難の表情を浮かべて固まってしまいました。
劉生君たちを見捨てることはできません。
ですが、杖を手放すことは敗北を意味します。そうなると、劉生君たちも、他のみんなも助けられません。
あまりに苦しそうにしていたからでしょう。劉生君は思わず叫びます。
「橙花ちゃん! 僕らのことはいいから、橙花ちゃんだけでも逃げてっ」
「……劉生君……。でも、」
『<フットエントラップメント>』
尋常ではない痛みが襲い掛かりました。
「があっ」
「劉生君!」
肺が潰れて、悲鳴さえも出ません。
体がバラバラになって、潰されてしまうようです。
「あっ……うっ……」
橙花ちゃんのために必死に耐えていましたが、もう限界のようです。
あまりの痛みに気が遠くなりかけたその時、橙花ちゃんが絶叫します。
「もういい! 分かった! 分かったから止めて!!」
ふっと、水圧が消えてなくなります。息もできるようになりました。ですが呼吸をするたび全身が燃えるような痛さを感じてうめき声を上げます。
白くかすれつつある意識を必死につなぎ止め、劉生君は橙花ちゃんの姿を探します。
彼女は、杖を投げ捨てていました。泣きそうな顔で魔王を見上げています。
「……私はどうなっても構わない。だからお願い。あの子たちだけでも解放してあげて」
いつもは低い声色で冷静な橙花ちゃんでしたが、この時の橙花ちゃんは、年相応の女の子のようでした。
『……ごめんね、蒼。それはできない』
魔王が彼女の名を呼びます。
その言葉からは、あふれんばかりの親しみと、どうしようもいえない苦しさが入り混じっていました。
海藻で橙花ちゃんの体を拘束し、魔王は劉生君たちに近づきます。
劉生君と目が合うと、魔王は驚きます。
『まだ意識があるんだ。二人の子は気絶しちゃったのに』
「……」
劉生君がなおも睨んでいると、魔王は苦笑しました。
『そんなに嫌なのかい? なんだかショックだなあ。……まあ、そうはいっても、記憶を全て封じれば君も楽しめるさ』
魔王はにっこりと笑います。
『なんだって、ここはフィッシュアイランド。永遠に楽しんでいられる遊園地! だから君も、ここにずっといられて幸せになれるはずさ』
狂気じみた魔王の言葉に、劉生君は、震える声で、こう返しました。
「それは、違う」
『……え?』
「違う、違うん、だ」
魔王の表情が一変します。
『何が違うって? まさか、君は記憶を失っても、この遊園地で楽しく遊べないと?』
「……っ、……」
言葉を発しようとしますが、さきほどのダメージのせいで声が全く出ません。劉生君はこくこくと頷きます。
魔王はじっと劉生君を見つめると、部下に何かを指示しました。部下は即座にどこかへ泳いでいくと、すぐに戻ってきます。
『さあ、赤野劉生君。これを飲んで』
「貴様、劉生君に何をっ!」
『そんなに怒らないで。彼を癒すだけだから』
青汁のような苦い液体を流し込まれます。あまりにも苦いのでじたばたしてしまいますが、海藻に絡みつかれて逃げられず、呑み込んでしまいました。
「ううっ、ごほっごほっ、にっが……」
『よかった。話せるようになったね。それで? 何が違うって?』
魔王は妙に食いついてきています。劉生君は正直に答えました。
「……記憶がなくなったとしても、ここの遊園地でずっと遊びたくない」
『それはまたどうしてだい? 遊園地は楽しかったと言っていたじゃないか。その言葉は嘘だったのかい?』
「嘘じゃない。楽しかったよ。でも、ずっとは嫌なんだ。絶対に飽きちゃって、楽しくなくなるもん。こう思っているのは僕だけじゃない。リンちゃんも、ずっとここにいたら疲れちゃうって言ってたし、それに、」
劉生君は、ある子どもたちを思い出します。
「他の子も、そう思っているに違いないよ。僕、見たんだ。遊園地でつまらなそうにしている子たちを。僕らもあの子たちみたいに楽しく遊べないよ。リンちゃんも、吉人君も、橙花ちゃんだって楽しく遊べない。絶対、ぜーったい!」
『……』
魔王は黙り込みます。どうやら劉生君の言葉の何かが響いたようで、ショックを受けているようです。
魔王は傷ついているようですが、劉生君はともかく勢いで言葉を投げつけます。
「きっと、子ども目線のアトラクションがないから飽きちゃうんだ。僕らが作った方が、みんなが楽しめる遊園地になるに違いないよ! 今のままだと、全然ダメなんだから!」
『……なるほど、子ども目線、か……』
魔王は顔を上げ、真っ赤な目で劉生君を睨みました。怯える劉生君に何も配慮せず、魔王は言います。
『退屈している子が存在している事実はボクも把握している。魔物たちから色々と案を出してもらっているけど、いまいち改善が出来ていないのも事実。それで、赤野劉生君。先ほど、君は何と言った?』
「……え? さ、さっき?」
何のことかと必死に頭を抱えていると、魔王は正解をつぶやきます。
『自分たちが作った方が、みんなが楽しめる遊園地になるに違いない。そう言ったよね?』
「……うん」
『それなら、ボクにある提案がある。君たちで、一つアトラクションを作ってくれないか?』
「僕たちで?」
劉生君は目を真ん丸にさせます。冗談かと思いましたが、違うようです。魔王は真剣なまなざしを劉生君に向けます。
『そう。もしそのアトラクションがみんなに好評だったら、君たちに再戦のチャンスをあげる。好評じゃなかった場合、君たちはここの遊園地に一生とどまってもらう。どうだい? 君たちにとっては利でしかないと思うけど』
「……えっと、」
劉生君は困ってしまいます。ただ、その賭けに乗るしか彼らの助かるすべはなさそうです。
ですので、劉生君はこう答えました。
「……分かった。やってみる」
『よし、わかった。トビビ!』
『は、はい!』
岩陰から慌てた様子でトビビが飛び出してきました。
『赤野劉生君たちのために部屋を一つ用意しておいてくれ』
『しょ、承知いたしました!』
去っていくトビビの様子を横目で見つつ、魔王はふわりと浮かび上がり、橙花ちゃんの元に行きます。
『そういうわけだから、もう少し記憶は取らないでおいてあげるよ』
「……一体、何を考えている?」
橙花ちゃんは不審そうに魔王を睨みます。
『罠か何かだと思っているでしょ? そういうのではないよ。ボクもどうやって子供たちを楽しませようか悩んでいたからね、渡りに船ってこと』
にこやかに魔王は言うと、長く伸びる尾をひょいと持ち上げる。
『そうはいっても、君をそのまま解放するわけにはいかないから、ちょっと細工させてもらうよ』
そして、魔王は、
固くとがった尾を橙花ちゃんの右腕に突き刺した。
「っ!」
橙花ちゃんは声にならない悲鳴を上げます。
「と、橙花ちゃん!!」
『そう騒がない騒がない』
魔王は尾を引きました。呑気そうな魔王とは裏腹に、橙花ちゃんは苦痛に顔をゆがめ、肩を抑えてのたうち回っています。
「……っ、……っ!」
「橙花ちゃん! 橙花ちゃん!!」
劉生君は慌てて駆け寄ります。
「ど、どうしようっ。そうだ、僕も癒しの力が使えるかも」
試しに剣を持とうと手を伸ばす劉生君。ですがその前に、橙花ちゃんが劉生君を制止します。
「……だい、じょうぶ。大丈夫。……痛みはもう収まったから」
そうはいっても相当のダメージは受けたようで、呼吸は異常なほどに荒く、額からは滝のように汗が流れ出ていました。
彼女は必死に息を整えながら、抑えていた右肩から手を離しました。
途端、劉生君が悲鳴を上げます。
「橙花ちゃん、肩が!」
そのとき、劉生君は見たのです。刺された右肩に、うっ血したような赤いあざができていることを。
『ああ、心配しなくてもいいよ』
魔王は呑気に言います。
『その痣はボクからの贈り物だよ。これがあれば、君がどこにいるか分かるようになっているんだ。こっそり遊園地から出ようとしてもすぐにボクへ伝わるし、さっきの痛みが君をむしばむことになっているから、大人しく中にいてね。さてっと』
魔王はちらりとどこかを見ます。そちらに目をやると、トビビが控えめに跳ねながらこちらに来ていたところでした。
『ご準備できました。ご案内します』
『それじゃあ、よろしく頼むよ。しっかり、監視をしておくように』
そう言うと、魔王は優雅に宙を舞い、海の外へと泳いでいきます。
劉生君も、橙花ちゃんも、為すすべなくその後姿を見送ることしかできませんでした。