3 橙花ちゃんの悩み
咲音ちゃんは大きく息を吸い、吐きます。
「ふう、ここは空気が美味しい気がしますね!」
屋上は、入院患者さんの憩いの場です。丁寧に手入れされたお花がたくさんあり、眺めているだけで気分が落ち着きます。
病院の周りに高い建物がありませんので、空が広くみえます。
あまり風景に興味あるタイプではないリンちゃんも、「いい場所ねえ」と褒めてくれています。
子供たちは思い思い花を眺め、空を見上げ、ベンチに座ります。劉生君もお花を眺め、懐かしいなあ、と感慨に浸っていました。
思えば、こちらの世界ではじめて橙花ちゃんと出会ったのがここでした。
そのときのお話を橙花ちゃんとしたい、と思い、劉生君は橙花ちゃん探します。橙花ちゃんは、東側のベンチに、聖菜ちゃんと二人で座っていました。
なんだか、橙花ちゃんの表情が暗いような気がします。
「……?」
劉生君は気になって、橙花ちゃんに話しかけてみることにしました。
「ねえねえ、橙花ちゃん。どうかしたの?」
「ああ、劉生君」
橙花ちゃんは力なく笑います。
「なんでもないよ。ちょっと疲れちゃっただけ」
すると、聖菜ちゃんが少し顔をこわばらせて、首を横に振ります。
「……蒼ちゃん、嘘、いけない」
角のない橙花ちゃんの頭を、優しく撫でます。
「……悩み事、聞いて。……私、蒼ちゃんの友達、だから」
「……ふふっ、やっぱり、聖菜ちゃんには敵わないね」
橙花ちゃんは聖菜ちゃんと劉生君に笑いかけ、遠くの観覧車を眺めます。橙花ちゃんは、呟くように告白します。
「……私のせいで、みおちゃんたちを眠り病の後遺症で苦しませている。そう思ってたの」
「橙花ちゃんのせいで?」
劉生君はキョトンとします。
「橙花ちゃんのせいじゃないんでしょ? 眠り病のせいでしょ?」
「……」
橙花ちゃんは俯きます。しばらく黙っていましたが、聖菜ちゃんが続きを促して、ようやく重い口を開きます。
「みんながミラクルランドに残っていたのは、私が原因だから。……私がみんなを早く返せていたら、みおちゃんたちが後遺症で苦しむこともなかったのに」
橙花ちゃんは、胸のあたりをぎゅっと手で握ります。罪悪感に胸が締め付けられるような、そんな痛みが押し寄せてきます。
一言補足しておきますが、橙花ちゃんもミラクルランドに長く過ごしていましたので、後遺症を発症しております。
実は、みおちゃんよりも後遺症が重く、いつ発作が出るか分かりません。ですので、常に薬を持ち歩いています。
彼女のお兄さん、蒼井陽さんが橙花ちゃんをストーキングしていたのも、橙花ちゃんの後遺症を心配してのことでした。
自分が一番後遺症に悩まされているというのに、彼女は自分のことなんて興味もありません。ただただひたすらに、みおちゃんたちを気遣い、心配し、懺悔していました。
「……蒼ちゃん」
聖菜ちゃんは、少し怒ったような声色になります。
「……ミラクルランドに残っていたのは、蒼ちゃんのせいじゃない。……みんな、残りたくて残っていた。……蒼ちゃんが、責任を感じる必要は、ない」
ミラクルランドに聖愛ちゃんが残っていたのは、橙花ちゃんと共にいたかったから、そして現実世界から逃げてきた子供たちを守るため、でした。
橙花ちゃんのためを思って残った理由もあるにはありましたが、別に橙花ちゃんはミラクルランドに残れと、聖菜ちゃんを強要したわけではありません。
あくまで、聖菜ちゃん自身の意志でした。
「……私だけじゃない。……みんなも、そう」
聖菜ちゃんはさっと周りを見渡します。ぱちりと、誰かと目が合いました。聖菜ちゃんはにっこりと笑うと、彼の手をひっぱってきました。
「お、おい、聖菜。どうしたんだよ」
友之助君でした。聖菜ちゃんは詳しく説明せず、質問を投げかけます。
「……友之助君。友之助君は、どうしてミラクルランドに残っていたの?」
「へ? なんだよ急に。ミラクルランドに残った理由? そりゃあ、まあ、」
友之助君はちらりと橙花ちゃんをみて、耳を赤くさせます。
「み、みんなを守りたかったから、だな。ほら、俺がミラクランドに行ったあたりで、魔王が子供を捕まえはじめただろ? そいつらを、助けたかったから、だな。うん、そうだ」
実際は、自分を顧みずに、子供たちを守る橙花ちゃんを気にしてのことでした。本当のところは言えませんので、あえて曖昧に答えます。
橙花ちゃんは、じっと友之助君を見つめ、俯きます。
「……でも、魔王たちと戦おうって決めたのも、私。みんなを煽ったのも私だよ。だから、やっぱり私のせいだよ」
「……」
友之助君の表情がすっと真面目になりました。
何故、聖菜ちゃんが唐突な質問をしてきたのか、橙花ちゃんがどうして暗い顔をしていたのか、その理由に勘付いたのです。
「……蒼。俺はな、俺がミラクルランドにいたいって思ったから、残っていたんだ。
蒼のことを信じたいって思っていたから、魔王と戦っていたんだ。……ま、結局、劉生の意見に流されて、そっちについたわけだが」
バツが悪そうに頬をかきます。
「……あー、まあ、それは置いておいて。眠り病にかかったのも、後遺症にかかったのも、俺たちが決めたことだ。蒼は悪くねえ」
劉生君も「そうそう!」と頷きます。
「橙花ちゃんは悪くないよ! 全然悪くない! だって、橙花ちゃんは僕たちの友達だもんね!」
どうして友達だったら悪くないのか、いまいちその因果関係はよく分かりませんが、とにもかくにも、劉生君は橙花ちゃんを元気づけます。
「……」
それでも、橙花ちゃんは俯いています。自責の念にかられています。さすがの劉生君も、何か声をかけないと、と意気込み、言葉を選んでいました。
そんなタイミングで、幸路君の声がしました。
「おー、ここにいたか」
振り返ると、幸路君とみおちゃん、先生さんがいました。
「みおちゃん、お疲れ様」
橙花ちゃんは、みおちゃんたちの元へと駆け寄ると、みおちゃんがぱっと笑顔になって、抱き着いてきます。
「蒼おねえちゃん! えへへ、みお、診察終わったよ!」
「うん、頑張ったね」
みおちゃんの頭を優しくなでながら、橙花ちゃんは不安そうに先生さんと幸路君を見上げます。
「それで、みおちゃんの容体はどうでしたか」
何か悪い結果が導き出されてしまったかと、橙花ちゃんは怯えていました。その恐怖を察して、先生さんは柔和な笑みを向けます。
「健康体そのもの、だったよ。みおちゃんは後遺症が重い方だったけど、大分落ち着いてきて、薬を減らして様子をみていたところだったんだ」
「うん! そうなんだ!」
みおちゃんは誇らしげに胸を張ります。
「だからね、みお、薬飲み忘れた訳じゃなかったの! 飲まなくてもよかったんだって! あのとき苦しくなったのは、えっと、例外? なんだって!」
先生さんが補足します。
「君たちを遊べるのが嬉しくて、気持ちが高ぶってしまったから、発作が出てしまったんだろうね。一旦、薬は元の量に戻りますが、発作も軽いものだから、入院の必要はないよ。暫く発作がなかったら、また量を減らしていこっか」
幸路君は乱暴にみおちゃんの頭を撫でます。
「これからは、はしゃぎすぎないように遊べよ!」
「ちょっと、やめてよ。髪がぐちゃぐちゃになっちゃう!」
みおちゃんは膨れ顔ですが、どことなく嬉しそうです。二人の絡みを優しく見守りながら、先生さんは橙花ちゃんの方を見る。
「次の診察結果しだいだけど、そろそろ君の薬も減らしてみようか」
先生さんは目を細めます。
「結局、眠り病の原因も、後遺症の原因も分からないままだけど、後遺症が重かった君も、段々発作が減ってきて、治ってきている。あともう少ししたら、君もみおちゃんも、発作を怖がらずに、生活できるようになるよ」
友之助君がぽんっと橙花ちゃんの肩を叩きます。
「後遺症もいつかなくなることだし、蒼が責任感じることはねえってことだ。分かったら、気軽に薬のんで、気軽に治していけって」
聖菜ちゃんも、満面の笑みで頷きます。
「……悩んでいても、身体に悪い、から」
橙花ちゃんは元気なみおちゃんをみて、友之助君、聖菜ちゃん、それから劉生君をみます。
「……そっか」
橙花ちゃんは、微笑みます。
「うん、わかった」
彼女は、吹っ切れたように、笑いました。