8 ミラクルランドの後遺症
橙花ちゃんはみおちゃんの頭を優しく撫でて、顔を伏せています。
「……私のことは、いいよ。私は私の意志でミラクルランドに残っていたから」
橙花ちゃんは、本気でそう思っています。
誰よりも他者のために生きたいと願う彼女は、元の世界に戻っても、自分のことよりも、みおちゃんは他の子の苦しみを嘆いていたのです。
咲音ちゃんは、ふと思いました。もしかして、橙花ちゃんのお兄ちゃんがここまで付いてきたのは、眠り病の後遺症が出てしまうのではないかと心配してのことかもしれない、と。
咲音ちゃんは、病気の動物たちの面倒をよくみていましたし、何匹もお見送りしました。ですので、今朝元気だった子が、夕方亡くなるパターンをいやになるほど経験しています。
橙花ちゃんのお兄ちゃんも、彼女が急に容体が悪化しないかと不安になって、ストーカーまがいの行動をしたのかもしれません。
場にしんみりとした、どんよりとした暗い空気が漂う中、幸路君がぽろっと質問します。
「しかし、あれだよな。みおは薬飲んでなかったのか? 俺も多少は後遺症あるけど、薬飲んだら大丈夫だけど」
すると、みおちゃんはすっと視線をそらしました。
「……うーん、えっと、その……」
「……まさか、飲み忘れたのか?」
こくり、とみおちゃんは頷きました。
「こら、みお。薬はちゃんと飲まないと駄目だろ」
「だって、朝は飲んだもん。お昼は忘れちゃったけど、お昼しか忘れていないもん!」
「昼忘れてんじゃねえか!」
幸路君が思わず怒鳴ると、みおちゃんは頬をふくらませて逆切れします。
「お昼は外食だったんだもん。だからお薬を持ってこようと思ったのに、忘れちゃっただけだもん!」
「だけだもん、じゃないぞ!」
ついつい語気が荒くなっていきます。このままでは喧嘩になりそうです。さすがにリンちゃんや橙花ちゃんが止めようとしますが、その前に、聖菜ちゃんがこてん、と首を傾げて尋ねました。
「……みおちゃん、今、お薬もってないの?」
みおちゃんは言葉を詰まらせます。
「うっ、そう、だけど……」
「……そしたら、危ない、かも。いつ発作が出るか、分からないから。私たちも薬持ってるから、一緒にいるときは渡せるけど、一人の時に発作が出たら、危ないから」
「……うん……」
みおちゃんはしゅんとしてしまいました。同じ事を幸路君に言われたら、思わず反発していたかもしれません。
ですが、聖菜ちゃんのゆったりとした口調で言われると、みおちゃんも反省するしかありません。
しょんぼりするみおちゃんをチラチラ気にしながら、友之助君は橙花ちゃんに尋ねます。
「俺は眠り病の後遺症にかかってないから分からないが、その薬っていうのは普通に売っているのか? これくらい大きいデパートなら、ドラックストアの一つや二つあるだろ」
出来るなら買ってあげたいと思っていた友之助君でしたが、橙花ちゃんは首を横に振りました。
「強めの鎮静剤だから、ドラックストアでは取り扱ってないんだ」
「なら、病院によってみるか?」
「眠り病専門の病院ならともかく、そうじゃない病院にいっても、お医者さんを困らせるだけだよ」
と、ここでリンちゃんが「はいはい!」と元気よく手をあげます。
「電車でちょっと行ったところに、眠り病の病院があるわよ! あたしたちが入院していた病院! そこなら、薬をもらえるんじゃない?」
ついでにいうと、リンちゃんが足に怪我をしてしまったときに入院していた病院でもあります。
さらにさらについでいうと、みつる君のお店の階上に、その病院のお医者さんが住んでいます。
「あそこなら、優しいお医者さんや看護師がいるから、薬ももらえるわよ!」
リンちゃんは元気よく教えてくれますが、ここで吉人君は疑念を抱きます。
「ですが、初めての病院に子供だけで入れますかね? 街で見かける小さなクリニックですら、親が一緒でないと難しそうですよ。ましてや、あんな大きい病院ですと、紹介状でもなければ病院にすら入れませんよ」
「そうなの? はあ、あたし、今まで病院なんて行ったことないし、妹や弟たちも元気が取り柄だったから知らなかったわ。意外と面倒なのね」
残念そうにリンちゃんはため息をつきます。
もう、みおちゃんは誰かついてもらって、帰ってもらうしかないかもしれません。どうしようか、とみんなは顔を見合わせていると、みおちゃんは何かを思い出したかのようにポンっと手を叩きました。
「ねえねえ、リンお姉ちゃんが入院していた病院って、屋上のお花が綺麗なとこ?」
「屋上? どうだったっけ……?」
リンちゃんの代わりに、劉生君が答えました。
「うん! オレンジ色のお花があるんだよ! みおちゃんも見たことあるの?」
「えへへ、だって、みお、その病院でおねんねしてたんだもん」
「ええ!? うそ!」
「本当だよ!」
みおちゃんは自信満々に言います。嘘をついているようではありません。ですが、劉生君は足しげく病院に通っていましたし、リンちゃんたちにいたっては、病院で何日も生活していました。
ですが、みおちゃんの姿は一度も見たことがありません。リンちゃんたちにも聞いてみましたが、誰も見たことがないと言っています。
橙花ちゃんもその一人です。
「みおちゃんもいたんだ! 私も会わなかったな」
「蒼おねえちゃん、いたんだ! 遊びに行きたかったな」
みおちゃんは残念そうに唇を尖らせます。
「みお、ずっと寝てたの。あまり遊んでいると、苦しくなっちゃうから、お部屋を出ちゃダメだったから」
「……そっか……」
橙花ちゃんは呟くと、俯きます。表情は暗く、唇をかみしめます。
彼女の様子に、ちょうど横にいた友之助君はすぐに気が付きました。けれど、彼が声をかける前に、幸路君は安堵したような声色で話し始めました。
「だったら、医者もみおのこと覚えているだろ! さっそく行くぞ! こっちか!」
見当違いの方向へと走りだしました。
「あ、ちょっと、そっちじゃない、誰か止めて!」
リンちゃんが叫び、意外と足が速い聖菜ちゃんが後を追いかけ、と、バタバタしていたせいで、橙花ちゃんの様子を伺うこともできませんでした。