6 この世界の秘密
橙花ちゃんはゆっくりと倒れます。杖はコロコロと転がっていきます。
杖を取りに行くことは、橙花ちゃんにはできません。
なぜなら、劉生君の攻撃によって、橙花ちゃんは肩から溢れんばかりに血を流してしまい、膝をついているからです。
チリチリと服や髪が燃え、橙花ちゃんは苦しげに血を吐きます。
「まさか、たった一発で、ここまで食らうとは思わなかったよ……」
青い角も、どことなく光が弱くなっています。
ですが、それは劉生君もです。
「か、勝った……」
力なく呟くと、劉生君はがくりと崩れ落ちます。
「リューリュー!」
素早くリンちゃんが駆け寄って、劉生君を抱き締めます。
みつる君、咲音ちゃんたちもあとに続きます。吉人君が素早く劉生君に回復術を施してから、橙花ちゃんを睨みます。
「さすがのあなたも、負けを認めざるを得ませんね。観念して、みんなをミラクルランドから解放してください」
「……」
橙花ちゃんは黙ったままです。いつまでも黙っているので、業を煮やして、リンちゃんが噛みつきました。
「ほら、答えなさいよ。シカトしてんじゃないわよ!」
すると、橙花ちゃんは肩を揺らしました。まさか泣いているのかとぎょっとしたリンちゃんでしたが、その逆でした。
「ふ、ふふ……」
橙花ちゃんは、笑い始めたのです。
「あはは、あはははははっ!」
狂ったように、橙花ちゃんは笑い出したのです。
「ど、どうなさったのですか……」
咲音ちゃんが思わず尋ねると、橙花ちゃんは高笑いをやめました。
口元は揺るんでいますが、人を殺すような視線を劉生君たちに向けます。
「できない。できないよ。ボクは、みんなを強制的にミラクルランドから追い出すことはできない」
くすりと、橙花ちゃんは笑います。
「君たちは、やっぱりどこか抜けているね。子供達はボクが強引にここに留めているわけではない。だから、ボクの意思でみんなを帰すことはできないんだ」
「嘘おっしゃい!」
「嘘じゃないよ、リンちゃん」
橙花ちゃんの体は血で赤く染まり、ボロボロだというのに、彼女は平静を保ち、優しい口調でなだめます。
「ミラクルランドは、願いが叶う世界。だから、子供達が帰りたいと願えば、いつでも現実世界に帰れるんだ。つまり、みんなが帰りたくないと願う限り、現実世界に帰ることはできないんだ」
みつる君は橙花ちゃんの勢いに押されつつ、戸惑いぎみに問います。
「で、でも、蒼っちは嫌がる友之助君たちを無理矢理連れてきたんだよね? だったら、できるんじゃないのかな。こう、他の子供達の思い以上の願いを込める、とかすれば……」
「うん。みつる君の言うとおりだね」
だけど、といって、彼女は微笑みます。
「嫌がる子供を無理矢理もとの世界に戻しても、またミラクルランドに帰ってきてしまうかもしれない。ボクならそうする。そしたら、本末転倒だよね?」
「……確かに、そうかもしれない、けど……」
咲音ちゃんが代わりに異を唱えます。
「ですけどですけど! それなら一人一人とお話すればいいですよ!」
咲音ちゃんの純粋な意見を、橙花ちゃんは容赦なくバッサリと切り捨てます。
「残念だけど、それは厳しいね。時間さえかければ、できるかもしれない。けど、悠長に構えていては、タイムリミットが来てしまう。……それにね、」
橙花ちゃんは無理矢理立ち上がります。動いたせいでしょう、傷口から血が滝のように溢れます。
ふらりと、橙花ちゃんの体が揺らぎました。劉生君が慌てて支えようとしますが、それを目で制します。
「時間がたてば、この傷も癒える。そしたら、ボクはまた戦うよ? 何度でも、何度だって、ボクは君たちの前に立ちふさがる」
彼女は本気です。頭の片角こそ弱い光ですが、彼女の目は強く強く、ほの暗い闇を抱きながら爛々と輝いています。
「さあ、どうする?」
みんなは顔を合わせます。
今まで、橙花ちゃんさえ倒せば、すべて解決、ハッピーエンドだと思い込んでいました。
ですが、どうやらそう簡単にはいかないようです。
「……どうするのよ」
リンちゃんは、頭脳派吉人君に問いかけます。が、しかし、吉人君もおろおろと狼狽しています。
「……どうしましょうか」
橙花ちゃんの理路整然とした話に、吉人君でさえも、太刀打ちきできないのです。
彼らにとられる策は、二つだけ。
タイムリミットまで子供達を説得しつつ橙花ちゃんと戦い、制限時間がきてしまったら、他の子を見捨てて現実世界に戻るか。
それとも、今現在「帰りたい」と願う子たちのみをつれて、現実世界に帰るか。
どちらにしても、犠牲がついてきてしまいます。
前者の策をとるなら、多くの子供を連れて帰ることはできますが、また橙花ちゃんと戦わなくてはなりません。
今回はなんとか勝てましたが、次に戦うときに勝てるか否か、微妙なラインです。
それに、どちらの策をとったとしても、橙花ちゃんをもとの世界につれて帰ることができません。
どちらの策をとるのか。
吉人君も、リンちゃんも、みつる君も、咲音ちゃんも、答えられません。
決断は、劉生君に託されました。
劉生君は考え込んでいます。
劉生君はあまり頭のいい方ではありませんが、橙花ちゃんの言葉を受け入れるのなら、橙花ちゃんを含めたみんなを連れて帰ることはできないと察しました。
……しかし。
劉生君は、諦めたくありませんでした。
『みんなで、ミラクルランドから帰る』
その思いを胸に、これまでどれだけ傷ついても、諦めず、立ち上がり、たくさんの苦難を乗り越えてきたのです。
絶対に、諦める気はありません。
劉生君は、悩みました。
悩んで、悩んで、悩んで。
ふと、彼の視界にあるものが映りました。
たくさんの時計が浮かび、漂うなか、ひとつの時計だけはその場にどっしりと構えています。
あの時計は、時計台の時計です。ミラクルランドのどこでも見ることができる、橙花ちゃんの時計です。
時計の針はいつも通り、三時を指し示しています。
「……そうだ!」
場の緊張とは全くそぐわない、明るい口調で声をあげます。
橙花ちゃんを含め、みんなの視線が集中する中、劉生君は純粋無垢な笑みで、こう言いました。
「時計塔の時計ってさ、三時でずっと止まっているでしょ? そりゃあ、時計が三時ならさ、帰りたいとは思わないよね」
劉生君は無邪気にウインクをしました。
「だからさ、時間を動かしちゃおうよ!」
橙花ちゃんは冷たくいい放ちます。
「劉生君は忘れたの? 時間が止まっているのは、みんながもっと遊びたいと願う気持ちに、時計が応じているんだよ。なのに、どうやって時を動かすの?」
もっともな反論ですが、劉生君は揺るぎない笑みをみせます。
「簡単だよ! 五時になる歌を歌えばいいよ!」
「……五時になる歌?」
橙花ちゃんは顔をひそめていますが、他の子はぴんと来ました。
リンちゃんはにやりと笑います。
「確かに、あれなら時間も動くかもしれないわね」
吉人君も、うなずきます。
「歌詞は覚えていますよ。音楽の授業で歌いましたからね」
みつる君はちょっぴり不安そうにします。
「あんまり歌は得意じゃないんだけど、大丈夫かな」
咲音ちゃんは、くすりと笑います。
「なら、わたくしの歌を聞いて、あとに続いてください。音程なら、自信があるんですよ!」
みんなの盛り上がりに、橙花ちゃんは困惑します。
「いったい、みんな何をいって……」
橙花ちゃんの言葉を遮るように、劉生君がぴょんとジャンプをします。
「それじゃあ、いっくよー。せーのっ!」
劉生君の合図とともに、劉生君たちは、大きく息を吸い、
歌を、歌いはじめました。