8 劉生君の決意
「……はあ。お前は馬鹿だ。大馬鹿だ。蒼がお前を拒絶していることくらい、理解しているだろうに」
「僕のことが嫌いでも、僕は好きだもん。だからいいのっ!」
「蒼はお前の友達だけでない、子供たちを殺したんだぞっ! 俺は忘れない、絶対に忘れない。あいつのおかした罪を。お前にも見せたはずだ。蒼を許すのかっ!」
「許すとか、許すとかじゃないもんっ!!」
劉生君はギロリと睨み、怒ったように吠えます。
「やっぱり、お前は未来の僕じゃないよ!」
「何っ!?」
「だって、本当に未来の僕なら、橙花ちゃんのこと蒼だなんて呼ばないもん!」
正直言って、これは苦し紛れでしょう。魔神が未来の劉生君であることは、明白な事実ですから。
しかし、劉生君の叫びを聞いた魔神は、かちりと固まり、こう言いました。
「とうか……? 誰だ、それは」
「ええーっ! 忘れているの!? 橙花ちゃんのことは忘れないって偉そうなことを言っていたくせに!? 橙花ちゃんは、蒼ちゃんのことだよ!」
「……」
魔神は目を何度も瞬いて、思い出そうとしましたが、彼女のことを考えるたびに、憎しみの泥に取りつかれてしまうのです。
劉生君はさらに追撃をします。
「さっきから名前出てないから、もしかしてって思ったけど、友之助君やみおちゃん、聖菜ちゃんに李火君、それから幸路君のことも忘れているでしょ」
「……」
「あっ! 黙った! やっぱ図星だ図星だ!」
「うるさい、黙れ」
ひとまず黙りましたが、劉生君はぷくりと頬を膨らまして、不機嫌そうに魔神を睨みます。どうだ、僕の言った通りだろうとでも言うかのように。
小生意気な子供だと、魔神は内心舌打ちを打ちます。出来れば堂々と文句を言いたいところでしたが、自身の記憶を振り返るので精一杯でした。
劉生君の言う通り、いや、それ以上に、自分の記憶が抜け落ちていたのです。
橙花ちゃんのこと。
友之助君たちのこと。
きれいさっぱり、忘れてしまっています。
それだけではありません。リンちゃんや吉人君、みつる君や咲音ちゃんと、何をして遊んだのか、どうやって仲良くなったのか、みんなの楽しい思い出すら失っているのです。
橙花ちゃんとの楽しい思い出も、わずかながらあったはずですが、欠片も思い出せません。
今、魔神の胸にあるのは、みんなを助けたい思いと、橙花ちゃんへの怒りだけです。
魔神は、ぞっとしました。
彼は、いまや魔神、破壊神と称されています。
そこに何も感じていませんでしたが、これでは橙花ちゃんの破壊のみに囚われる破壊神、歪な魔物の神と言われても、おかしくはありません。
「……」
魔神は顔をあげて、劉生君を見ます。
目の前の彼は、確かに小さく、自分勝手な男の子です。
けれど、今の自分よりも、自分らしいと、……そう思えて仕方ないのです。
「……はあ……」
魔神は深々とため息をつきました。
「どのみち、俺は上には行けない。だから仕方ない。お前に力をやる」
「いらないって。僕は絶対に」
「分かってる。蒼は助けてもいい。そのかわり、絶対に助けろ。でないと、今度こそ俺が蒼を殺す」
「ええ……。そんなこといって、騙し打ちするんでしょ。そういうことしそう。魔神だし」
疑いの視線に、魔神はもう何もかも面倒になったのか、がしゃがしゃと頭をかきまわした。
「あー、分かった分かった! 俺は蒼を殺せない。天に誓ってもいい。だから、蒼を助けられるか否かは、お前次第だ! これでいいかっ!」
まだ信じられなさそうにジロジロと見つめていましたが、嘘をついている感じではありません。早く答えろと目で促し、イライラと足踏みをしていて、なんだか普通の人間みたいです。
劉生君は思わず笑います。
「うん。分かった。信じてあげる。……けど、どうして魔神は上に行けないの?」
「……俺は、本来はミラクルランドにいることができない人間だからだ」
「へ? けどここもミラクルランドじゃ……」
「正確に言うと、ここはミラクルランドではない。ミラクルランドと現実世界のはざまにある世界だ。ここから無闇に出ようとすると、俺は自我を失い、力がある程度尽きるまで暴れることしかできない」
ここまでいって、魔神は思い出したかのように首を横に振ります。
「……違ったな。もうここからは出れない。お前らに負けてから、ここから出る力さえもなくなったからな」
「すごく強いから、ミラクルランドに行けないってこと?」
「そうじゃない。俺は年を取りすぎた。ミラクルランドは子供しか入れない。その理を無理やり捻じ曲げて、どうにかここまでは来たが、これ以上はいけなかったんだ」
「けど、魔神さんも大人じゃない気がするよ?」
体育の先生はとても若く、去年までは大学にいた人らしいですが、魔神はそれよりも若く見えます。
劉生君の指摘に、魔神は目を細めます。怒っているのではありません。懐かしがっているようです。
「俺も成人はしていないから、ミラクルランドに行けると思っていた。だが、今わかった」
魔神は劉生君を、いえ、劉生君の持つ新聞紙の剣を見ます。
「お前は、その新聞紙の剣がどう見えている?」
「新聞紙の剣? 『ドラゴンソード』のこと? そりゃあ、もう最強の剣だよ! たくさんの魔物をばっさばっさと倒してきたんだよ!」
「……そうか」
魔神は、さみしそうにつぶやきます。
「ただの新聞紙が最強の剣だと思い込めるほど、俺は子供ではなくなってしまった。……だから、俺はミラクルランドには行けない」
「……??」
確かに、これはどこにでもある普通の新聞紙から作り上げた剣です。ミラクルランドに来るとかっこよく変形していましたが、今はどういうわけか変わってくれず、普通の新聞紙の剣です。
それでも、火は出ますし、とんでもない力を出してくれます。
そう伝えても、魔神はこう言うのです。「俺には、新聞紙が着火したようにしかみえないんだ」、と。
なおも質問しようとする劉生君を制止し、彼は劉生君の額に人差し指を当てます。すると、劉生君の身体が、ほんわりと暖かくなってきました。
破壊神と、魔神と称されていたとは思えない、温かな力です。
「さあ、いけ、赤野劉生。みんなを、助けにいけ。お前は、ここに縛られるような子供ではない。羽ばたけ。飛んでいけ。ドラゴンの様に。リュウのように」
魔神の思い描く姿が、劉生君の頭になだれこみます。いや、劉生君の思い描いた姿が、魔神の言葉に映し出されたのかもしれません。
劉生君の背中には、翼が生えました。
身体もだんだんと大きくなります。
真っ赤なウロコに、鋭い爪、頭には、赤く輝く、二本の牛の角が生えています。
劉生君は、飛びました。
魔物を倒すため。
みんなを助けるため。
……橙花ちゃんを、助けるために。
一人取り残された魔神は、息を吐きます。身体中に刻まれた傷口からは、いつもと変わらず、とめどなく血があふれだし、全身を赤黒く彩っていました。
頭がぼうっとしています。
いつもなら、全身の痛みが襲い掛かっていますが、劉生君に力を与えたせいか、意識が遠のいていきます。
「……お願いね、過去の僕」
魔神は、……劉生君は、優しく微笑み、瞳を閉じました。