5 リンちゃんの思い、リンちゃんの過去!
川のすぐそばで、一人涙を流す、小さな女の子。その子が、小学校に入る前のリンちゃんだと、劉生君はすぐに気づきました。
彼女のもとに、男の子――小さな頃の劉生君がやってきました。
小さな劉生君は、不思議そうに首を傾げます。「どうしたの?」と尋ねました。少女は足をさすり、首を横に何度も何度も振ります。
彼女は、か細い声でこう言いました。「あたしは、速く走れない。長く走れるのに、速く走れないの」、と。
彼女はうつむくばかり。何も答えてくれません。
このときの劉生君は、リンちゃんのことをよく知りませんでした。
おぼろ気ながら、最近隣に自分と同い年の子が引っ越してきたこと、それが今目の前で泣いている女の子だったと思い出しましたが、彼女の名前までは覚えていませんでした。
それでも、『勇気ヒーロードラゴンファイブ』好きとして、目の前で泣いている女の子を見捨てるわけにはいきません。
黙るリンちゃんに、劉生君はいい意味で辛抱強く、悪い意味でしつこく話しかけます。
「僕の名前は赤野劉生って言うんだ!よろしくね!」
「……」
「君の名前は、なんだっけな。鈴みたいな名前だったよね?うーん、思いだせないな」
「……」
「とにかく、一緒に遊ぼう!ヒーローごっこしよ!」
「……るさい」
「え?なんだって?」
幼い頃のリンちゃんは、充血して真っ赤になった目で劉生君を睨み、怒鳴り付けました。
「うるさいっ!あっちいって!あたしは一人になりたいの!」
あまりにも頭に来たのでしょう。リンちゃんは足元に生えていた雑草を投げてきました。
パラパラと、劉生君に細い草が当たります。
明らかな拒否ですが、劉生君はキョトンと目を真ん丸にするばかりです。
「もしかして、具合でも悪いの?僕、お薬持ってるよ!はいこれ!一粒どうぞ!」
差し出されたのはラムネです。
当時の劉生君はラムネ=薬だと思っていたのです。差し出されたラムネを、リンちゃんは見もせす、首を横に振ります。
「いらない。……具合悪い訳じゃないもん」
「それじゃあ、なんで?」
「……真っ暗なの」
「真っ暗……?」
「何をすれば良いのか、分からないの。やってみても、うまくいかないの」
短距離の選手として、走っていた父親。リンちゃんは父親のようになりたい、ならねばならないと思い込み、やみくもに走りまくりました。
それでも、タイムは全く縮みません。
しかも、無理な走り込みのせいで足が痛み、練習さえもままなりません。
リンちゃんは、暗い暗い、絶望の闇でさ迷っていました。
もちろんながら、劉生君は目の前の少女がそれほどまでに苦しんでいるとは知りませんでした。
劉生君の認識は、「お昼なのにどうして暗いんだろうなあ」です。
リンちゃんが感じる痛みの、ほんの一部さえも経験したことのない劉生君には、分かり得ない感覚です。
それでも、目の前の女の子をどうにかして慰めてあげたいと願っていました。
彼なりに悩んで(といっても時間にして数秒でしたが)、劉生君は名案を思いついたと言わんばかりに目を輝かせます。
「そうだ!リンちゃんが真っ暗で困っているなら、僕がピカピカ明るくしてあげる!」
「……何言っているの、あなた」
呆れるリンちゃんに、劉生君は胸を張ってこう言いました。
「つまり、僕はリンちゃんのヒーローになるってこと! 」
「……何いってるの?」
「ヒーローはしょんぼり顔の人をニコニコにする仕事なんだって。お父さんが言ってたんだ。だから、僕、ヒーローになろうって思ってたんだ。けど、何のヒーローになるか決めてなかったから、リンちゃんのヒーローになる!」
「……あんた、変なことばっかり言うわね」
「ふっふーん。変じゃないもん。赤野劉生だもん!」
劉生君はかっこいいポーズを取ります。とはいえ、「彼なりの」かっこいいポーズでしたので、リンちゃんから見ると滑稽な姿でした。
リンちゃんは、思わず吹き出します。
「あんた、本当に変ね。あたしと同い年とは思えない」
「えへへ、そう?」
「誉めてないわよ」
リンちゃんは笑顔を浮かべました。
父親が亡くなってから見せることがなかった、柔らかな笑みでした。