3 観覧車に乗ろう! 「橙花」っていい名前だね!
五時間後。
サンゴで出来たパラソルの下で、四人は椅子に座ってアイスクリームを食べていました。一人を除いて充実感に満ち溢れています。
リンちゃんは足をバタバタさせます。
「たくさん乗ったわねえ! あたしはジェットコースターが一番楽しかったかな! ゆっくりのぼってからの、急降下! しびれるわ! 最後の最後で水の中に突っ込んだのはびっくりしたけど、あれはあれで気持ちよかったわ」
劉生君はにっこりします。
「ゴーカートがなかったのは残念だったけど、金魚たちのパレードが好きだったな。ヒレがひらひらしている子は綺麗だったし、ビー玉みたいに丸い子は可愛かった! また見たいなあ」
吉人君ものんびりと答えます。
「僕はお化け屋敷ですかね。深海魚がたくさん出てきて中々興味深かったです」
「ああ、リューリューが深海魚にびびってたやつね」と、リンちゃんがくすりと笑います。劉生君もお化け屋敷を思い出してぶるりと震えます。
「暗いところから急に出てくるから、凄く怖かったよ。乗り物に乗っていたから、逃げられないし……」
「そういえばここの遊園地は体験型アトラクションがありませんでしたね。お化け屋敷も連れていかれるタイプでしたし」と、吉人君が言いました。
「それもあったらいいねえ。そしたらお化け屋敷でリューリューをもっと脅かせるのに」
リンちゃんがにやりと笑うと、劉生君はおびえてしまいます。
「冗談よ冗談。本気にしないの」
楽しげな雰囲気につつまれるパラソルの下で、ただ一人、頭をかかえている女の子がいました。
橙花ちゃんです。
「……何も、起こらなかった……」
橙花ちゃんが警戒していたにもかかわらず、魔物が襲撃してくることはありませんでした。
ただただ、遊んでいただけでした。
「……どうして。こんな絶好なチャンスを逃すなんてありえない……」
もし橙花ちゃんが魔王だったら絶対にこの機を逃しません。ですので、魔王の真意がわからず混乱し、苦悩の表情を浮かべます。
ちなみに他の三人はそこまで気にしていないようです。これからの予定について話し合っています。
リンちゃんはトビビに尋ねます。
「あと回ってないアトラクションってなにかしら?」
『観覧車だけですよ!』
「へえ、それじゃあ最後の締めに観覧車でも行こうか。案内してくれる?」
『もちのろんですっ!』
アイスクリームを食べ終わると、子供たちは観覧車に向かいます。
道中、劉生君の視界にある子供たちが移りました。彼らは魚や他の子どもたちを眺めながら、退屈そうにぼうっとしています。
実は、劉生君がああいう子たちを見るのは、これが初めてではありません。他のアトラクションに向かうときだって、無気力な子たちをちらほら見かけました。
どうしたんだろうと疑問に思った劉生君でしたが、トビビが得意げに話し始めたのでそっちに意識を向けます。
『フィッシュアイランドの観覧車はですね、ゴンドラがお魚の形をしているんですよ! 金魚のゴンドラだってありますよ』
「へえ、そうなんだ。ねえねえ、みんなで金魚のゴンドラ乗ろうよ!」
「そうねえ。別にいいわよ」と、リンちゃんが言います。
吉人君も特段反対する気もありませんので頷きます。
「橙花ちゃんもいいよね?」「……ボクは構わないよ」
橙花ちゃんは投げやりに答えます。ともかくみんなに了承が得られて、劉生君はニコニコしました。
ですが、トビビは申し訳なさそうにヒレを閉じてしまいます。
『そのー、盛り上がっているところ申し訳ないんですが、実は一つのゴンドラに二人までしか乗れないんですよ』
「え! そうなの!」
『はい。一つ一つのゴンドラが小さくて、四人も入れないんです……』
「ああ、そうなんだ」
それはちょっと残念です。
「それなら、どうわかれようか。グーとパーでわかれ」
「いや、ここは赤野君と道ノ崎さんペアと、僕と蒼さんペアにわかれましょう」
食い気味に提案したのは、吉人君でした。
トビビは首を傾げ、疑問を口にします。
『あらら? ワタシの思い違いでなかったら、今までもずっとその組み合わせではありませんでした?』
ジェットコースターに乗るときも、劉生君とリンちゃんが隣同士になるように座っていました。お化け屋敷に入るときもこの二人でしたし、他のペアで乗るようなアトラクションも全て劉生君・リンちゃんペアと吉人君・橙花ちゃんペアでした。
どうしてかと尋ねるトビビに対し、吉人君は妙に慌ててしまいます。
「た、たまたまですよ。たまたま」
『それにしては不自然な気がしますが』
「気のせいですです、気のせいです」
実際は気のせいではありません。劉生君とリンちゃんをくっつけたいがために、色々と配慮しているのです。なんともまあ、紳士的な男性ですね。
ですが、魚にはそんな遠慮精神がないのでしょうか、それとも彼女の性格のせいでしょうか、トビビはそういう気の使い方をしませんでした。
観覧車はそんなに混んでいないようで、すんなり順番が回ってきました。ゴンドラに乗る順番になると、いきなりトビビが余計な一言を言いました。
『ずっと同じペアでいるのも変わりばえしませんから、ここで席替えをしましょうよ! ではではっ、お二人お先にどうぞ!』
背中をぐいぐいと押されたのは、吉人君とリンちゃんでした。
「え? 何するんですか」「ちょ、ちょっと!」
戸惑いながら前に出されてしまいます。戻ろうとしましたが、観覧車のスタッフが笑顔で扉を開いて、『どうぞこちらです!』と言われてしまいました。ゴンドラが動き続けている手前、急かされている気分になった二人は、慌てて乗り込んでしまいました。
ハリセンボンのゴンドラはゆったりとしたスピードで上がっていきました。残された劉生君と橙花ちゃんは顔を見合わせます。
何か言葉を交わす前に、彼らが乗るゴンドラがやってきました。金魚のゴンドラですが、喜ぶ暇もなくスタッフに促され、慌てて乗り込みました。
ゴンドラの中はひんやりと冷たい空気で包まれていました。それで焦った気持ちも落ち着くことが出来ました。
劉生君はソファに座って一息ついてから、向かいに座った橙花ちゃんに話しかけます。
「なんか、バタバタしちゃったね」
「……これこそ、敵の罠かもしれない」
「へ? 罠?」
ふざけている様子もなく、橙花ちゃんは真剣なまなざしで、リンちゃんたちのゴンドラを見つめます。
「魔法を使いこなせるボクと、未知数な魔力を持つ劉生君を隔離している間に、リンちゃんたちを襲う手はずなのかもしれない。……警戒しておかないと」
「うーん、そうなのかな? そんな怖いこと考えて居なさそうだけど」
襲えるタイミングなら他にもいっぱいありました。それなのに、わざわざこんなところで倒しにくる気がしないのです。
そう伝えてみましたが、橙花ちゃんはきっぱりと答えます。
「確かにそうだけど、敵地の中だからね。疑っておいて損はないからね」
とても冷静な発言です。そういうところがかっこいいなあ、と思うところですし、ついつい頼りたくなるところです。
しかし、せっかく楽しい遊園地なのに橙花ちゃんはずっと怖い顔をしていました。ジェットコースターでも、ゴーカートでも、パレードでもです。怖い魔王の住処ですから仕方ないのかもしれませんが、それでも、なんだか頑張りすぎている気がしてしまうのです。
ですので、劉生君は少しだけ悩むと、自分のほっぺを掴んで横に伸ばしました。
「うにゅーっ!」
「……どうしたの?」
「橙花ちゃんに笑ってほしいなって思って。うにゅー!」
今度はほっぺを潰してハニワみたいな顔をすると、橙花ちゃんは肩をすくめてしまいます。
「そんな無理しなくてもいいって」
「いやいや、それは僕の言葉だって! 橙花ちゃんもそんなに無理しなくてもいいんだからね。僕のお母さんもよく言っているよ。人間笑顔が一番! って。橙花ちゃんも笑顔笑顔っ! うにゅー!」
劉生君がまた変顔をします。あんまりにごり押ししてくるので、ついつい橙花ちゃんも吹き出してしまいました。
「ふふっ、分かった分かった。君って意外と押しが強いよねえ」
久々に橙花ちゃんの笑顔が見れました。
「やっぱり笑ってる方がいいよ。うんうんっ!」
劉生君はにっこりと笑って、こう言いました。
「橙花ちゃんは笑ってる顔が一番かわいいんだからね!」
「……っ」
彼女の頭に、ある人物の姿が浮かびました。
彼は、笑顔でこう言います。
『橙花は笑ってる顔が一番かわいいな』
その手で撫でられると、心も温かくなります。
……そんな、遠い昔の記憶。
楽しかった、ある日の思い出。
「……」
自分の突然の変化に、劉生君はきょとんとしています。いつもならフォローの一つはいれますが、その時の彼女はじっと劉生君を見つめました。まるでそこにいるのが、劉生君本人であることを確認するかのように。
一方の劉生君は戸惑いを隠しきれませんでした。
自分を見つめる橙花ちゃんの眼光があまりに鋭かったからです。どうしたのかと尋ねる前に、彼女が口を開きます。
「そういえばさ、劉生君」
「な、なに?」
「気になってたんだけど、どうしてボクのこと橙花ちゃんって呼ぶの? 最初は蒼ちゃんって呼んでいたのに。できれば戻してくれないかな? ……そう呼ばれるの、好きじゃないんだ」
殺意にも似た思いを込めて、橙花ちゃんは言いました。そうすればもう橙花ちゃんと呼ばれずに済むと思っていたからです。大人しい彼なら、何も言わずに呼び方を戻してくれると考えての言葉でした。
……ですが、橙花ちゃんは劉生君の性格を図り間違えていました。
劉生君は悩むそぶりを見せた後、ぶんぶんと首を横にふりました。
「だけど、僕は『とうか』って名前、大好きだよ。綺麗だし、可愛いし、なんだか大人っぽいし。橙花ちゃんっぽくてさ。『蒼』って名前だと、なんか冷たい感じがするもん。『橙花』の方がいいよ。うんうん。絶対いいよ!」
「……」
劉生君は満面の笑みをしています。嘘偽りのない、穢れのない笑顔です。その笑顔を見ていると、反抗するやる気が段々なくなってきました。
結局、橙花ちゃんは深いため息をつきます。
「……はあ。もう好きに呼んでいいよ」
「やったー! 橙花ちゃん橙花ちゃん、橙花ちゃん!」
劉生君はキャッキャとはしゃぎます。
「……劉生君って案外自分勝手だよねえ」
橙花ちゃんは呟きました。いら立ちをたっぷり込めた呟きでしたが、劉生君には聞こえない小さな声で言いましたので、劉生君は気づくことなく、ハイテンションのままでした。
そんなこんなしているうちに、彼らのゴンドラは一番上に着きました。アナウンスがそれを伝えると、劉生君は目をキラキラさせて外の風景を見つめます。
「あれ? 時計塔が見えるよ! ムラの時計塔かな?」
三時を指し続ける時計が遠くに見えます。橙花ちゃんはちらりと時計塔を見て、疲れ切ったように答えました。
「……ああ。あの時計塔はミラクルランドどこにいてもみえるからね」
「へえーそうなんだね。すごい!」
今度は近くを眺めてみます。今まで乗ってきたアトラクションが一望できます。ほとんどすべてのアトラクションが魚の形をしていますので、まるで水槽の中にいるかのようです。
「わあ、綺麗! ……ねえねえ、橙花ちゃん」
「……なに?」
「魔王を全員倒してさ、みんな自由になったらさ、またここに来ようよ。今度は橙花ちゃんもいっぱいいっぱい遊ぼうね。ああ、でもその前にパーティーの続きがしたいなあ。パーティーの後に遊園地行こうね!」
「……」
橙花ちゃんは外の風景に目をやります。
煌びやか遊園地に大はしゃぎになるような年齢ではありませんが、それでもみんなと一緒なら楽しめるかもしれません。
「……そうだね」
彼女は小さく微笑みました。慈愛に満ちた、優しい笑顔です。
「……」
劉生君は何も言いませんでしたが、その笑顔もすごくきれいだなあと、こっそり心の中で思っていました。