1 アンプヒビアンズにいるのは、彼の幼馴染
リンちゃんは、記憶を探っていました。そもそも、自分はどうして走るのが好きになったのでしょうか。
潜在的に走るのが得意だったこともありますが、おそらく、一番は父の存在のおかげでしょう。
リンちゃんが小さな頃に、病気で亡くなってしまった父。
どれだけ頭をひねらせても、写真の中の父しか思い出せません。母親いわく、父親にかなり懐いており、常日頃付きまとっていたらしいですが、父親に関連する出来事すらほとんど記憶にありませんでした。
けれど、あるワンシーンだけ、彼女が覚えていることがあります。
リンちゃんが生まれ、幼少期を過ごした家の近くには、大きな公園がありました。その公園で、リンちゃんは大人たちにまじって走っていました。
一生懸命、汗を流して走る自分。
頑張っていた理由は、父親に褒めてもらうためでした。
父親は、リンちゃんが早く走ると、リンちゃん以上に喜んでくれました。「偉いな、頑張ったなっ!」と頭を撫でてくれるのです。
それが嬉しくて、嬉しくて、だからリンちゃんは走りはじめたのです。
父親が亡くなってしまった当初は、がむしゃらに、父親がいなくなった寂しさから走っていました。
しばらくたって、リンちゃんは苦しみながら走るのを止めました。
天国に逝ってしまった父親への手向けとして、まだ幼い弟妹や懸命に働く母親のために、走ることにしたのです。
きっかけは分かりません。父親の顔とは違って、本当に忘れたわけではないと思っています。ほんの最近まで覚えていたはずです。なぜか今は記憶が抜け落ちていますが、おそらく時間が解決してくれたのでしょう。
その頃から、リンちゃんにとっての生きがいは、走ることでした。
しかし。
それも、もう、できません。
リンちゃんは右足を撫でました。
現実では存在しない右足を、撫でました。
「……」
リンちゃんは顔を上げます。観客のいないコロシアム会場は、水を打ったように静かで、ほんのわずかな物音さえも聞こえませんでした。
ですが今、静寂を破って、足音が響きました。
彼女はやってきた少年、赤野劉生に向かって、こう言いました。
「……来たんだね。劉生」
彼女らしくない呼び方に、劉生君は戸惑います。それでもすぐに気をとり直し、「現実世界に戻ろう」と、「ミラクルランドにいても、死んじゃうだけだ」と説得しはじめます。
リンちゃんはゆっくりと瞬きをして、人差し指を劉生君に突き出します。
「<リンちゃんの ゴロゴロサンダーボール>」
<リンちゃんの ゴロゴロサンダーボール>。本来は、サッカーボールサイズの電気玉を投げる技です。
しかし、リンちゃんの指からは、まるで鉄砲から放たれた銃弾のように、電気で出来た極小の球が放たれたのです。
「うぎゃあ!」
劉生君は叫びます。
「そんな技だっけ!?」
「違うわよ。蒼ちゃんにパワー強化用ソックスを貰ったの。そのおかげで、こういう技が使えるってことなの」
ちらりとリンちゃんの足を見て、顔をこわばらせて、目を反らします。
「……戦わないと、駄目ってことだよね」
「そういうこと」
「……なら、僕も頑張る。全力を挙げて、リンちゃんを倒すっ!」
新聞紙の剣を構え、劉生君はリンちゃんをギロリと睨みつけました。リンちゃんはどこか大人びたような表情で、――いえ、感情のない表情で、劉生君を見つめます。
「オッケー。もし劉生が勝ったら、あたしは向こうの世界に帰ってあげる」
「ほんと!」
「けど、あたしが勝ったら、劉生もこっちに残って。それでいい?」
「いいよっ! もちろん!」
すぐに答えます。負けた時のリスクは一切考えていません。勝つことしか考えていません。
それはリンちゃんもそうでした。
「それじゃあ、戦おうか。手加減しないからね」
リンちゃんは淡々と魔力を足に込めます。劉生君は目を闘志と、戸惑いを浮かべながら、じっとリンちゃんの右足を見つめました。
劉生君は、吉人君から教えてもらった、ある情報を思い出していました。