6 記憶があやふやな赤野劉生君
雨が、降っていました。
少年は天を仰ぎます。
まるで世界全てが涙を流しているかのようです。
後悔に囚われて、少年はボロボロと涙を流します。
灰色の墓石、黒い空、少年の頬を伝う透明な涙。
無機質な世界で、ただ一つ、少年が持つ花束だけは彩りを添えていました。
花々の美しさなんて、少年の心を癒しはしませんが。
「――っ!」
泣いて、泣いて、泣いて。
苦しんで、叫んで、苦しんで。
目を真っ赤にさせて、泣きわめきます。
彼の慟哭は、雨がやんでも止むことはありませんでした。
○○○
頬に暖かい涙が流れます。
その違和感で、劉生君は目を覚ましました。
「ん……?」
目を擦り、半身起こします。
さっき吉人君と戦った博物館ではありません。劉生君が眠るベッドの周りに、本棚がずらりと並んでいます。
「変な場所……。どこだろう、ここ。吉人君はどこにいっちゃったんだろう」
もしかして、ここがいわゆる天国なのでしょうか。だとしたら、なんとも楽しくない場所です。
「なんだ、こんなところが天国か……」
劉生君は落ち込みました。
『へえ、君の世界の天国って、こんなところだったんだね。なんとも風情のない』
どこから声がしました。キョロキョロと辺りを見渡しても、人影はありません。
「あれ?気のせいかな」
『下だ、下』
ベッドの下から、黄色の蛇が出てきました。
『よっ、赤野劉生。久しぶりだな』
「お、お前は……!」
劉生君は蛇を指差して、叫びます。
「レプチレス社長!」
『いかにも。ワタシは王の一人、レプチレス社長……』
「の、部下!」
レプチレス社長はつるりとベッドから滑り落ちました。
『違う!そっちじゃない!』
「そういえば、口調が違うね。何々ッスー、って言わないの?」
『……本当に覚えてないのか……?』
社長は頭を項垂れます。
『社長の部下といったのは嘘だ。ワタシこそがレプチレス・コーポレーションの社長にして王、レプチレスだ』
「えー!そうだったの!」
『大体、お前がワタシを倒したんだろうが』
「……ああ、そういえばそうだった!!めっちゃ弱かったヘビさん!」
『ふん、ワタシは他の王のように野蛮ではない。頭を使っている。重傷を負ったお前をここまで回復できたのも、ワタシの知力たる所以だ』
レプチレス社長は誇らしげに胸を張ります。
『この部屋は、ワタシの書庫兼寝室だ』
「え!?そうなの?」
確実にサイズが過大です。
どういうことかと劉生君は質問すると、レプチレス社長は『人間は自分と同じサイズのベッドで寝るのか?窮屈な生き物だ』と小馬鹿にされました。
なんだか納得はいきませんが、そんなことより気になることがあります。
「それで、吉人君は?」
『あの子供の話より、なぜここのベッドで寝ると体力魔力その他もろもろが回復するかの疑問を投げるべきだ。本に込めた力を使ってな、』
「そっちより、吉人君だよ!まさか、吉人君に何かしたの」
劉生君はギロリと睨みます。子供らしくもなく殺気立っています。
『分かった分かった』
レプチレス社長はある方向に頭を向けます。
「ありがとう!」
劉生君はすぐに立ち上がり、ダッシュで走っていきました。
『早いな……。そういうところは子供っぽいな』
レプチレス社長は喉の奥で笑いました。
笑われたことに気づくこともなく、耳を貸す気すらなく、劉生君は蛇が差し示した扉を開けます。
扉の先は、社長室でした。
その机のそばで、吉人君が立っていました。吉人君は劉生君をみて、ほっとしたような、申し訳なさそうな、バツが悪そうな、微妙な表情をしていました。
しかし、劉生君は吉人君の繊細で複雑な感情を察することはせず、満面の笑みで吉人君に飛びつきました。
「吉人君ー!怪我はない?あのヘビに悪いことされてない??」
「ちょっ、赤野君、急に抱きつかないでくださいっ!うわっ!」
吉人君は後ろに倒れ、左腕を机に強打してしまいました。
「強いて言うなら、いま怪我しました!痛いです!」
「わわっ!ごめん!」
慌てて体を起こし、吉人君を起き上がらせます。
「ご、ごめんね……?大丈夫……?」
「まあ、赤野君らしいから、問題ないです」
吉人君は苦笑します。どことなく安心したような笑みです。
「だから、僕はあなたを信じると決めたんですけどね」
「……ということは、もとの世界に帰ってくれるってこと!?」
「そうなりますね」
「やったー!吉人君、ばんざーい!」
またまた吉人君に飛びつきました。今度は右腕をぶつけました。
「痛い痛い!またですか!」
「あっ!ごめん!」
謝りながらも、劉生君はニコニコ笑顔で嬉しそうです。吉人君も、釣られて微笑みます。
それから、二人はお喋りを始めます。
ミラクルランドのこと、魔神のこと、眠り病のこと、みつる君や咲音ちゃん、それから友之助君たちを説得したこと。
「そんなことがあったんですね……」
吉人君は肩をすくねます。
「さすが赤野君。今回でも思っていましたが、あなたは本当に無理しますね。そういうところは、蒼さんと似ています」
「橙花ちゃんと?えへへ、それほどでもないよ!」
「別に誉めていませんけどねー」
「えっ!?」
吉人君はいたずらっぽくクスクスと笑います。
『お喋りは終わったか?』
にょろにょろとレプチレス社長がやってきました。
「あ、社長!」
劉生君はニコニコします。
「吉人君に何もしなかったんだね!よかった!ありがとう!」
『最初からそういっていた。ワタシのことを信頼しなさすぎではないか?』
それはともかく、と言い、レプチレス社長はりゅうせいくんを見上げます。
『そろそろ次の目的地に向かった方がいい。あまり時間をかけていると、眠り病とやらが進行してしまいかねない』
「えっ、そんなにギリギリなの!?」
劉生君の背筋がヒヤリと冷めます。
怯える劉生君に対し、レプチレス社長はふるふると首を横に振ります。
『いや、ほとんどの子供は、そんなに危なくはない。だが、は正直かなりまずい』
レプチレス社長の表情は真剣そのものでした。驚いて固まる劉生君をちらりとみて、代わりに吉人君が質問をします。
「それは、長くミラクルランドにいるからですか。ですが、それなら高橋李火君の方が長くいらっしゃるはず」
「っ! そうじゃん!」
劉生君は血相を変えて叫びます。
「なら、李火君の方が危ないの!? た、大変だ! 早く李火君をミラクルランドから帰さないと!」
『まあ待て。落ち着け。あの男は大丈夫だ。他の子よりも時間的余裕が少ないとはいえ、蒼ほど危なくはない』
吉人君は「ではどうして?」と尋ねると、社長は嫌な顔一つせず、丁寧に説明をしてくれました。
『蒼はミラクルランドの魔法道具を使って、強くなっていると話しただろ? そのせいで、あの子はミラクルランドとの繋がりが強くなってしまった』
「だから、危ないと……?」
『そういうこと』
満足げにレプチレス社長は頷きます。前に李火君に乗り移っていた時も、懇切丁寧に教えてくれましたし、きっと彼は教えるのが好きなのでしょう。
なんて冷静に分析する吉人君ですが、劉生君はそんな余裕はありません。
「橙花ちゃんを助けるためにも、早く次の場所に行かないと……」
いつもは意気揚々と次の場所へと向かっていた劉生君でしたが、今回ばかりは違います。手をぎゅっと握っています。
「あと残っているのは、蒼さんのところと、……道ノ崎さんのところですか」
「うん。先にリンちゃんのところにいく」
「……そうですか」
吉人君は顔を俯きます。
「……あなたが本気だと理解はしています。けれど、道ノ崎さんも、本気です」
「……うん。分かってる」
車いすに乗る、リンちゃん。
生きているだけでいいわよ、と笑うリンちゃん。
ミラクルランドで、動けるようになった足で、元気よく走り回るリンちゃん。
元の世界に戻って、足が駄目になって、泣き叫ぶリンちゃん。
劉生君が知る、道ノ崎リンは、どんなことがあったって、明るく笑う女の子でした。家族のことを大事に思い、弟や妹たちのために懸命に働く少女でした。
あんなに苦しむ彼女の姿は、今まで一度も見たことがありませんでした。
そんな彼女が、死に至ると分かっていても、ミラクルランドに残ると決めたのです。本気なのでしょう。
「……だけど、僕は戦うよ」
劉生君の瞳は、強い意志が宿っていました。
「だって、リンちゃんと一緒に遊びたいんだもん」
「……そうですか」
吉人君は優しく微笑みます。
「きっと、あなたならできます。お気をつけて」
「うん! レプチレス社長っ! 案内して! リンちゃんがいるところにっ! アンプヒビアンズに!」
そして劉生君は、
リンちゃんとの戦いに、挑むことになったのです。