5 大切な思い出は、ポケットの中に
風景が元に戻りました。
咲音ちゃんは、感情のない目で劉生君を見ています。
「私は、ピーちゃんを忘れたくない。一緒にいたい。ですから、劉生さんと一緒にはいられない。お願いですから、邪魔はしないでくださいっ!」
「っ!」
強い風が吹きました。本物の風ではありません。
劉生君をこの世界から追い出そうとする、強い思いのこもった風です。
耐えよう耐えようと懸命に堪える劉生君でしたが 咲音ちゃんの渾身の力のせいでしょか、それとも咲音ちゃんの思いを知ってしまった劉生君が本気を出せていないのでしょうか、劉生君は吹き飛ばされそうになります。
「うぎゃあ!」
ふわりと劉生君の身体が浮かびました。もうこれまでかと劉生君は固く目を閉じました。
そんなときです。誰かの声が、小鳥の鳴き声が聞こえてきました。
「……え?」
目を開くと、咲音ちゃんと自分の間に小さな鳥が飛んでいました。紛れもない、あの小鳥はピーちゃんです。
「ぴ、ピーちゃん……!」
風が止みました。劉生君は二本の足で着地します。
「おー。いつの間にか人間に戻ってる!」
手をグーパーして、久々の人間の感覚を堪能します。やはり人間の身体の方が好きだなあと思いながら、劉生君は今まで自分の身体であった小鳥、ピーちゃんを見上げます。
ピーちゃんは劉生君のことなど眼中にありません。ただただ、咲音ちゃんをじっと見つめていました。
「ピーちゃん……!」
咲音ちゃんは嬉しそうにピーちゃんに駈け寄ろうとしました。しかし、ピーちゃんは目で制止します。
「ピーちゃん……?」
ピーちゃんは瞳を閉じて、ゆっくり目を開きます。
そして、ピーちゃんは歌を謡いました。
「あ、この歌……」
トリドリツリーで立ちふさがる小さな鳥に、咲音ちゃんが謡ったのが、この歌でした。
ピーちゃんとの、思い出の歌。悲しい記憶も、嬉しい記憶も織り交ぜた、心地よいメロディー。
歌に乗せて、ピーちゃんの思いが、ピーちゃんの願いが、咲音ちゃんと劉生君になだれ込んできます。
身も凍るほどの寒い日のこと。
ピーちゃんは、待っていました。
大好きな女の子の帰りを。
「ただいま!」
あの子の声がしました。この家にはたくさんの動物がおり、みんなあの子が大好きです。だから、あの子が帰ってくるとそれぞれ個性を使って、一生懸命あの子にこっちに来てほしいと呼びかけます。
小鳥も、いつもなら歌を歌って、あの子をお迎えします。
けれど、もう、小鳥にはできません。
歌うことも、声を発する事も、息を吸うことさえもできません。
ですので、心の中で訴えるばかり。
早く来て。お願いだから。
その願いは、かないました。
あの子は駈け寄る動物たちを宥めて、足早にこの部屋に来てくれたのです。
「ピーちゃん!!」
不安そうに、泣きそうな声であの子は飛び込んできてくれました。
小鳥は、嬉しそうに目を細めます。
けれど、たった一つだけ。ピーちゃんは不安でした。
ピーちゃんはあの子の優しい笑顔が大好きで仕方なかったのです。なのに、今の彼女は苦しそうで、悲しそうです。
このまま、ずっと笑顔を失ってしまったら、あの子のためになりません。
だったら、
僕のことを忘れてほしい。
「……ピー、ちゃん……」
咲音ちゃんの一言で、ピーちゃんの歌がやみ、元の咲音ちゃんの部屋に戻りました
可愛らしい桃色の部屋で、咲音ちゃんはボロボロと涙を流します。
「ピーちゃん、ピーちゃん、ピーちゃん……!」
小鳥は咲音ちゃんの肩に乗り、彼女の頬にすり寄って甘噛みをします。
「……ピーちゃん、痛いね。懐かしいな。ピーちゃんは、よく私のほっぺたを噛んでいたよね」
咲音ちゃんは、ピーちゃんを包みこみ、顔に近づけます。
「……」
忘れたくなかった。忘れてはいけない。忘れてしまうと、ピーちゃんが悲しんでしまう。
咲音ちゃんはそう思っていました。
だから、自らの死を覚悟して、ここミラクルランドに残ったのです。
けれど、咲音ちゃんは気づきました。
あの子は、ピーちゃんはそれを願ってはいなかった。全く別のことを願っていたと。
「……ピーちゃん」
咲音ちゃんは、小鳥を手の内から離します。
「私はね、ピーちゃんのことを大好きだって気持ちは忘れたくない。だけど、 ピーちゃんが望むのなら、この世界から飛び立ってみる」
咲音ちゃんは、柔らかく微笑みます。
「だって、私はピーちゃんのことが大好きだもん。ピーちゃんの願いを叶えたいよ」
咲音ちゃんの言葉に、ピーちゃんは嬉しそうにピぃと鳴き、開け放たれた窓に飛んでいきました。
小さな小さな白い鳥の姿が、空の彼方へと消えていき、わずかに枝にしがみついていた葉がゆらりゆらりと地に落ちると、
咲音ちゃんの願いの世界が、終わりました。