16 ミラクルランドの奇跡は、まるで夢のよう!
リンちゃんは言いました。
「もう足はほぼ使えないんだって」
リンちゃんは言いました。
「リハビリすれば、もしかしたら少しだけ歩けようになるかもしれないんだって。……もしかしたら、だけどね」
……リンちゃんは言いました。
「……だからね。……もう、走れないの」
涙で目を真っ赤にさせたリンちゃんママが入ってきました。劉生君たちを見て、リンちゃんを見て、何を語ったのか悟ったのでしょう。まずは二人を外の待合室まで案内して、リンちゃんママはリンちゃんとお話をしました。
数分たつと、リンちゃんママは劉生君たちを連れて、それぞれの家に送ってくれました。
劉生君を家に送るとき、リンちゃんママはぽつりと呟きます。
「……うちの子、あなたたちや私には強がってるけど、きっと本当は苦しんでいると思うの。だから、見守ってくれたら嬉しいわ」
「……うん」
劉生君は家に帰ります。まだお母さんはいませんでした。二階にあがり、自分の部屋に入ります。
お母さんに「身だしなみを整えるために」と半ば強引に置いてある姿見に、洋服がたんまりと入った箪笥、箪笥と姿見の辺りには『勇気ヒーロー ドラゴンジャー』のグッズが散らばってます。
いつもは部屋に戻ると、お気に入りのグッズを箪笥の上に並べて、うっとりと見とれます。けれど、そんな元気もありません。
バッグを机の横において、劉生君はベッドに寝ころびます。天井を見てはいますが、頭の中はリンちゃんのことで頭がいっぱいです。
リンちゃんは走るのが好きな子です。
大大大好きな子です。
学校の運動クラブでも走っていますし、休日だって家事を全て終わった後に自主練をしていました。
時には、走るのが大変だ面倒だと口にするときもありました。けれども、毎日のように走っていました。
昔、劉生君はめんどくさがるリンちゃんに聞いたことがあります。「どうして走るのか、家でアニメみてた方が楽しいよ」、と。
すると、リンちゃんは少し照れたように、首の横のあたりをかきます。
「そりゃそうかもしれないけど、走るのも楽しいし。それに、あたしが頑張って日本一の選手になって、お金をがっぽがっぽ貰ったら、お母さんも無理して働かなくてすむし、下のガキんちょどもも大学に行けるじゃない?」
それがあたしの夢だと、リンちゃんは誇らしげに言っていました。
……けれど。
……もう、リンちゃんは走れません。
「……」
ミラクルランドでは、強い思いさえあれば、どんな願いでも叶えてくれます。
劉生君はぎゅっと目を閉じ、リンちゃんの足が治ってほしいと、奇跡が起こってほしいと願いました。
しかし。
その願いは、果たされませんでした。
一か月後にリンちゃんは学校に来れるようになりました。
……車いすに乗って。
〇〇〇
劉生君の学校は改装されたばかりで、既にバリアフリー化していましたので、車いすのリンちゃんも問題なく学校に通うことができました。
先生やクラスメイトたちも、リンちゃんを配慮して机や椅子の位置を工夫して置いてくれます。
劉生君や吉人君は、それ以上にリンちゃんに気を配ります。移動授業のときは代わりに教科書を持っていきますし、給食のお盆も持ってあげます。
今だって、劉生君が昼休み後の教科書をせっせと用意していました。
「はい、リンちゃん!」
「……ありがとう。……なんか、ごめんね」
リンちゃんは顔をしかめます。その複雑な心境を読み取ることもなく、劉生君は元気よく「そんなことないよ!」と否定します。
「僕はリンちゃんの大親友だもん! なんでもするよ!!」
「……ありがとう……」
リンちゃんは唇を噛み締めます。
何か悟ったのでしょうか、吉人君はリンちゃんの表情を伺いました。けれど、リンちゃんはすぐに表情を明るくします。
「そうだ、ミラクルランドにはいつ行く? 今日にでも行けるわよ!」
「きょ、今日ですか? しかし、道ノ崎さんは……」
吉人君は驚いて、思わずリンちゃんの足を見ます。
「あー、そりゃあたしは車いすだけど、何とかなるんじゃない? だって、ミラクルランドは願いが叶う場所なんだからさ。なんとかなるわよ! ……こっちの世界じゃないんだし、ね」
リンちゃんは寂しそうに呟きます。これには、吉人君も言葉が詰まってしまいました。かろうじて口に出せたのも、「道ノ崎さんがよろしいのなら」の一言でした。
「あたしはいいわよ。むしろ、どうなるか気になるからね。もし動けなそうだったら、応援だけにしておくわ」
「……」
吉人君は黙って頷くと、みつる君と咲音ちゃんに聞いてくると言って、去っていきました。
〇〇〇
みつる君、咲音ちゃんも、今日は予定を入れていなかったようです。リンちゃんと色々話をしたいと思って、予定を空けてくれていたのです。
それでも、まさかミラクルランドに行くとは思ってもみなかったようです。ミラクルランドに行くなら、武器になる大切なものを用意しなくてはと、放課後になると急いで家に戻りました。
劉生君も家に戻って『ドラゴンソード』をベルトに差し込み、すぐにリンちゃんの家にお邪魔しました。
「どうもー。リンちゃん、手伝うこと何かあ…。り、リンちゃん!?」
リビングの真ん中に、ティッシュの箱が散乱しています。その真ん中で、リンちゃんは車いすと一緒にひっくり返っていました。
血の気が一気に引きます。最悪の状況が頭をよぎり、慌ててリンちゃんに駈け寄って抱えます。
「リンちゃん!? どうしたの!? きゅ、救急車!! 救急車呼ぶ!?」
パニックになる劉生君とは打って変わって、当の本人リンちゃんは少し痛そうに足をさすっているものの、平気そうに苦笑しています。
「大丈夫よ。ティッシュがなくなったから補充しようとしたら、車いすから落ちちゃっただけ。やっぱ慣れないとうまくいかないわねえ。あいたた……」
棚に手をつかんで起き上がろうとしますが、傷ついた足ではうまく立てません。
「待って、リンちゃん! 僕の肩をつかって!」
すぐにしゃがみこみ、肩をぽんぽんと叩きます。
劉生君は純粋に親切心でやっていますが、リンちゃんの表情が曇ります。
「……」
「……? リンちゃん、どうかしたの?」
「……なんでもないわ」
リンちゃんはゆるく首を振ります。
「………肩、借りるね」
「うん! いいよ!」
リンちゃんをしっかりと支えて車いすに乗せ、ティッシュを上に戻している間も、リンちゃんは肩を落として、口をつぐんでいました。
〇〇〇
私たちが何気なく歩く道は、意外にも平坦ではなく、凸凹としています。妙な段差もありますし、車いすでは通れないほど細い歩道もあります。
劉生君が走り回り、時には手助けをして、時には別の道を案内していると、公園に行くまで思ったよりも時間がかかってしまいました。
エレベーターの前には、既にみんなが待っています。
リンちゃんは身体を縮めて、申し訳なさそうに謝罪をします。もちろん、みんな気にもとめていません。
咲音ちゃんはふわふわと笑みをみせます。
「心配しないでください! わたくしたち、ちょうど対戦相手のデータをみていたところなんです!」
「そうそう」
みつる君は橙花ちゃんからもらった対戦相手のデータを眺めます。
「赤野っちと道ノ崎っちの相手は強くなさそうだけど、鐘沢っちの相手は大変かもしれないね。なんだって、俺たちを倒したあの子、高橋幸路君が相手だからね」
「……えー、あの人?」
なんと、誰に対しても無邪気に仲良くなろうとする劉生君が、嫌そうにしています。リンちゃんが物珍しそうに劉生君を見上げます。
「リューリューがそこまで言うなんて、珍しいわねえ」
「だって、『勇気ヒーロー ドラゴンファイブ』をあそこまで馬鹿にされたんだもん。ふーんだ」
劉生君はプンプン怒って、そっぽを剥きます。吉人君はくすりと笑います。
「僕がきっちり倒しますから、安心してください」
「むう……」
劉生君は不服そうに、けれど渋々頷きました。
一方、リンちゃんはそわそわとエレベーターに視線を送ります。
「ねえ、もう行こうよ。ほら、ヨッシーには時間もないんだし」
それもそうかと、みんなは同意してエレベーターに乗ります。矢印ボタンを押すと、いつもの通り、ガタガタと揺れ始めました。
「おっとっと」
リンちゃんはエレベーターの壁に手を当てました。
「リンちゃん、大丈夫?」
足元がふらつく中、劉生君は心配そうにリンちゃんの側にいきます。
「僕、支えるよ」
「あー。……いいわよ。だってそろそろミラクルランドに着くし」
ちょうどいいタイミングで、エレベーターが止まり、ドアが開きました。
相変わらずドアの先は真っ白です。最初にあの白い世界に足を踏み入れるときには、ひどく緊張したものです。
今では、校門を通るくらいの気軽さで潜り抜けていきます。
けれど、あんなにノリノリだったリンちゃんは、車いすを前に動かしません。思いつめるように、必死に願いをこめるように、真っ白な空間を見つめています。
「……リンちゃん……?」
「……なんでもないよ。いこっか」
劉生君の手助けも断り、リンちゃんは真っ白な空間に飛び込みました。劉生君もそのあとに続きます。
橙花ちゃんがアンプヒビアンズに繋げているおかげで、エレベーターから出ると競技場入口の入る手前に出ました。
吉人君たちは入口の前で待っていました。リンちゃんを心配してくれていたのです。
劉生君も不安そうに視線を下の方に、――車いすに乗ったリンちゃんを見ようとしました。
しかし、リンちゃんは車いすに座っていません。
「……あっ」
前と同じように、二本の足で立っていました。
リンちゃんはおそるおそる一歩歩きます。
痛みは走りません。
今度は軽く走ってみました。
今まで通り、走れています。
「……」
リンちゃんは、ほうっと息を吐きます。
「よかった。あたしの願いが叶ったんだ。よかった、よかった……」
足を撫でて、リンちゃんははちきれるような笑みを浮かべます。劉生君も嬉しくなって、リンちゃんに抱き着きます。
「やったねリンちゃん!」
咲音ちゃんもほのぼのと微笑みます。
「よかったですね、リンさん! 試合にも問題なく出れますね!」
「うん! 張り切っちゃうわよ!」
素直に喜ぶ三人とは違って、吉人君とみつる君は気まずそうと目線を合わせます。
二人は分かっていたのです。
この世界は、ミラクルランド。願いが叶う、夢のような場所。
……けれど、
彼らの世界には、『奇跡』を持っていけないことを。
リンちゃんも頭のいい、賢い子です。それくらい痛いほど分かっていることでしょう。それでもリンちゃんは喜び、走り回っています。
そんな彼女に水を差すことはできません。
橙花ちゃんが来るまで、リンちゃんは走り続けました。
「今なら、どんな大会でも優勝できる気がするわ」
彼女は笑います。
無邪気に、笑いました。