30 忘れないように、大切に!
魔王トトリの消滅を察したのでしょうか、トリドリツリーには魔物はおらず、記憶を取り戻して困惑する子供たちしかいませんでした。
橙花ちゃんたちは手分けして子供たちを宥め、励まして、喜びあいながら、ムラへと帰りました。
ムラでの大歓迎にほっこりとして、気を落ち着かせてから、さて魔王トトリがどうやって倒したのか聞こうとリンちゃんたちは張り切りましたが、
「……そのー。話したくない訳じゃないんだけどね。そろそろ君たちの時間がまずいかもしれない」
橙花ちゃんの言葉に、門限キツキツ系男子の劉生君は顔を青ざめてしまいます。
「早く帰らないと! 話は後でいいかな!?」
吉人君は残念そうにしていましたが、頷きます。
「そうですね。僕も早く帰って、宿題を終わらせないといけませんからね」
「あたしも、チビたちのご飯の準備しないと」
「俺も、手伝いしないといけないなあ」
「わたくしも一度帰りたいです! ……ピーちゃんとゆっくりお話したいですからね」
みんなも納得してくれたことですし、そのまま元の世界へ帰ることにしました。エレベーターに乗って、劉生君たちの世界に戻ると、夕焼けが広がっていました。
けれど、空気がよくないせいでしょうか。ミラクルランドで見た夕日よりは、見劣りしてしまっています。
咲音ちゃんは残念そうに空を見上げます。
「もう少しあの時の夕日を見ていたかったんですけどね」
「ほんとね」
リンちゃんがうんうんと頷きます。
「あたし、風景見るの好きじゃないけど、あの夕日は綺麗だったわねえ。こっちの夕日もまあ、悪くはないけど」
劉生君は新聞紙の剣、もとい『ドラゴンソード』をベルトにさして、そわそわとします。
「ねえねえ、早く帰ろうよ。うさぎおいしが流れちゃうよ」
ちらちらとこうえんの時計を見ます。時計の針が一、ニ個進んでしまえば、もう五時になってしまいます。
あまりの焦りっぷりに、リンちゃんは笑ってしまいます。
「リューリューのお母さんは門限厳しいもんねえ。それじゃあみんな、あたしたち、先に帰ってるね!」
二人はみんなに別れを告げて、帰路に就きます。
「なんか、今日はあんま冒険したって感じしないわね。記憶も飛び飛びだし」
「そういえば僕もそうだなあ。いまいち覚えてない。変な真っ黒な場所にいたのは覚えてるんだけど」
「なにそれ?」
「うーん。分からないなあ。黒くて赤い怖い影の人がお片付け手伝ってくれたのは覚えてるんだけど」
「さらにわけわからなくなったわね」
リンちゃんは眉間にしわをよせます。
「まず、黒くて赤い怖い影の人って誰よ」
「あのね、エレベーターで会った……あ、あれ?」
劉生君は目をぱちくりさせます。
「い、言えるようになってる!」
今までは、エレベーターで出会った影について話そうとすると、言葉を発する気すらなくなっていました。しかし、今ではすらすらと口に出せそうです。
それなら、今この瞬間に全てを打ち明けてしまおうと、劉生君はリンちゃんに何もかも話しました。
「というわけでね! 魔王と橙花ちゃんは仲良しでね! 鏡の中の人は怖いの!」
隠し事を打ち明けたはいいですが、魔王の話と影の話を同時に伝えてしまったせいで、リンちゃんは混乱してしまいました。
「えっと……? 魔王の昔の記憶を見せられてて、……それが鏡の中の人と関係あるの?」
「ないよ!」
「ないのね……」
結局、リンちゃんと劉生君の家につくまでに、劉生君の隠し事の全貌を理解することはできませんでした。
「……よし! 明日に持ち越しましょ! ヨッシーとミッツンがいるときに、もう一度話してもらってもいい?」
「うん! いいよ!」
「そもそも、よくあたしにそんな難しい話しようとしたわね」
リンちゃんは頭をかかえます。
「そういうのはヨッシーの役目でしょ? あたしはこういうのはどうも苦手だし」
「けどねけどね!」
劉生君は、にこりと笑います。
「リンちゃんは僕の親友さんだから、一番に教えるんだって思ってたの! ……あ、橙花ちゃんにはもう話してたんだった。でも、鏡の人のことはリンちゃんが初めてなんだ! 実はね、」
話そうにも話せない感じだったんだーと言おうとしましたが、そんなとき、劉生君のお母さんが顔を出しました。
「あら、劉生。それにリンちゃんまで。いいところに来てくれたわね。シチュー煮込みすぎたのよ。弟ちゃんと妹ちゃんも連れてきて、一緒に食べない?」
「わーい! リンちゃんとご飯!」
劉生君は素直に喜びます。一方のリンちゃんは申し訳なさそうに体を縮めます。
「いやいやそんな。この前もカレーを御馳走になったんですし」
「遠慮しなくていいわよ。食べてもらわないと余っちゃってしょうがないし。ボランティアだと思って食べにいらっしゃい」
「……いつもすみません……」
「いいのよいいのよ。荷物置いてから、こっちにいらっしゃい!」
劉生君お母さんはお家の中に引っ込みます。
「やった! リンちゃんとご飯食べられる! やったねリンちゃん!」
「ほんと、リューリューのお母さんっていい人よね……。荷物置いてきて、妹たち連れてくるわ」
「うん!」
「それと……。リューリュー」
「うん?」
リンちゃんは照れくさそうに視線をそらします。
「……話してくれてありがとね」
「何を?」
「ほら、あれよ。魔王だのなんだのっての」
リンちゃんは頭をかきます。
「その……。一番に教えてくれて、嬉しかったわよ。それだけ!」
劉生君の返事も待たずに、リンちゃんは駆けだしていきました。その横顔は、ほんのりと赤く染まっていました。
「……?」
劉生君は首を傾げます。
「……体調でも悪いのかな?」
やっぱり鈍感な、柳瀬君なのでした……。
〇〇〇
ここはミラクルランド、時計塔のふもとのムラ。色とりどりの花が咲く原っぱで、子供たちが再開を喜び合っていました。
二つ結びの女の子も、聖菜ちゃんに飛びついて頬ずりします。
「聖菜おねえちゃーん! わーい! 帰ってきてくれた! えへへ、嬉しい!」
聖菜ちゃんは彼女の頭を撫でます。
「……みおちゃん。みおちゃん。みおちゃん」
「なんで三回もいうのー? 何回言っても、みおはみおだよ」
「……もう忘れないようにするために、三回呼んだの」
「えー、みおのこと忘れてたの?」
みおちゃんはぷくりと頬を膨らませます。
「もう忘れちゃ駄目なんだからね!」
「……うん。忘れない。絶対にね。みおちゃんのことも、蒼ちゃんのことも、」
側でほほえましそうに自分たちを眺める友之助君を見て、目を細めます。
「……友之助君のことも」
「お、おう。……ありがとうな」
友之助君は照れくさそうに頭をかきます。
「まあ、あれだ。聖菜もそこまで気にしなくていいぜ。記憶がなくなったのも、魔王のせいだし。なあ、蒼」
「そうそう」
橙花ちゃんは力強く頷きます。
「聖菜ちゃんは一つも悪くないよ。全部魔王が悪い。もっというと、魔神が悪い」
有無を言わさぬ勢いで答えます。これには聖菜ちゃんだけでなく、友之助君もたじたじです。
「なんつーか、蒼って魔物に対しては妙に当たりが強いよな。気持ちはわかるけどな」
「みおもわかる! 友之助おにいちゃんよりもわかる!」
「はいはい。みおの方が分かる分かる。みおはすごい。かっこいい」
適当にあしらわれ、みおちゃんはむくれます。
「友之助おにいちゃんヒドイ! みおのこと馬鹿にしてる! そんなことしてるから、蒼おねえちゃんと付き合えないんだよ!」
「ちょっと待て! ちょっと待て! 何言ってんだお前!?」
友之助君は慌てて橙花ちゃんに弁解します。
「ま、ま、全く、みおの奴は適当なこと言って困るぜ! なあ蒼!」
「……もしかして、友之助君……」
「は、はい! なんです!?」
「どこか行きたいところでもあるの? 魔王を全員倒してからなら、付き合えるよ」
「……やっぱそう解釈するよな……。蒼だもんな……」
友之助君はしょんぼり落ち込み、原っぱの草をむしります。橙花ちゃんは不思議そうに友之助君を眺め、みおちゃんは「友之助おにいちゃんに一泡吹かせてやった!」と有頂天になっています。
誰も慰めようとしない中、聖菜ちゃんだけは友之助君の肩を優しくポンポンと叩き、慰めてくれました。、
「……元気出して。……友之助君は、優しい子だから」
「……聖菜は相変わらずなんかずれてるよな」
優しいと言われて嬉しいけれど、本当に求めていた言葉ではありませんでした。しかし、聖菜ちゃんはキョトンとしています。
「……? そうなの? ……でも、蒼ちゃんも、友之助君の優しいって知ってるよね」
「うん。もちろんだよ」
橙花ちゃんはニコニコして、素直に答えます。
「友之助君はみんなに優しいし、頼りになるからね」
橙花ちゃんの素直な一言に、友之助君は顔を真っ赤にさせます。
「……いや、その、俺よりも蒼とか聖菜とかの方が優しいし頼りになるし……」
「……ううん」
聖菜ちゃんはにこりと笑います。
「……友之助君、とっても頼りになる。ムラを守ってるの、友之助君だもん」
「そうだよ、友之助君」「そうだよ、友之助おにいちゃん!」
褒めに褒められ、友之助君は湯気でも出そうなくらいに顔が真っ赤になりました。橙花ちゃんに「風邪かい?」と心配され、みおちゃんには「お耳ピンク!」と喜びます。
そして聖奈ちゃんは、
大切な友達のことを、嬉しそうに眺めていました。
〇〇〇
翌日の一時間目、国語の授業で、先生は唐突に告げました。
「それじゃあ、これから抜き打ちの漢字テストをするぞ」
子供たちは「えー」「聞いてないよ!」とブーブー言います。先生は意地悪な笑みを浮かべます。
「ふっふっふ、日々テストだと思って予習復習していればよかったのだよ! それじゃあ、十分で解くんだぞ」
劉生君はドキドキしながらテスト用紙を裏返します。
運がいいことに、劉生君が覚えている漢字ばかりでした。ほっとしながら鉛筆を進めていると、ふと、鉛筆を止めました。
最後の問題は、見覚えがありました。
『呪文をとなえる』。『となえる』の部分に、赤い線が引いてありました。
「……」
みんなから笑われた、恥ずかしい思い出が胸にちくりと刺さります。
それでも、劉生君は記憶を捨てることはしませんでした。迷うこともなく、『唱える』と書きました。
その日の小テストは、成績にほんのちょっぴりしか乗らない、些細なものでした。ですが、劉生君の胸には、確かに自信が芽生えたのでした。