28 楽しい記憶も、つらい記憶も、大事な記憶!
真っ暗な空間に、化け物と二人っきりの劉生君は、チョークを投げ捨てようとしていました。
これで、劉生君は恥ずかしい思い出を捨てることができます。うっかり思い出して嫌な気分になったり、枕に顔をうずめて足をバタバタさせずにすむのです。
そうだ、と劉生君は思いたちます。どうせなら、ずっと遠くに投げてしまおう。劉生君は一歩足を踏み出し、態勢を整えて投げようとしました。
しかし、クジャクの羽に足をとられ、
「わあ!」
すっ転んでしまいました。記憶の山におしりをしたたかに打ち、劉生君は身もだえます。
「いたい! いたい! クリーンヒット!!」
「……情けないな、お前は」
「だって! 痛いもん!」
自分がいかに痛かったのかと声高々に主張しようと口を開きます。ですがそれよりも、劉生君はあるものに目を奪われます。
「なんだろう、これ。……花?」
ピンク、イエロー、オレンジのお花です。ガラスで出来ているようで、キラキラ輝いています。まるで何かに誘われるかのように、劉生君はピンクの花に触れました。
瞬きをすると、劉生君の目の前に一人の女の子が現れました。ふわふわの髪の毛に、ぱっちりとした目の可愛い女の子です。
劉生君は、彼女が鳥谷咲音ちゃんだと思い出しました。
彼女は目をつぶり、歌を歌っています。
声には、たくさんの思いにあふれていました。
楽しいこと。
嬉しいこと。
苦しいこと。
つらいこと。
「忘れてしまいたい」
そう彼女が願っていた歌は、あまりに美しく、あまりに可憐で、心に響くものでした。
「……」
目を開くと、真っ黒な空間に戻っていました。右手にはチョークを握りしめたままです。
「どうした、劉生」
化け物は真っ赤な二つの目で、劉生君をのぞき込みます。
「さっさと捨ててしまえ。忘れたいのだろ?」
劉生君は手の中のチョークをじっと見つめます。それからおもむろに立ち上がると、引き出しまで歩き、中にしまいました。
「なっ! お前、何を……!」
「僕だって忘れたいなあって思ってるけど、それでも、そんな思いも僕は大切にしたいの」
歌を歌う咲音ちゃんの姿は、とても、とてもかっこよかったのです。
自分もそうありたいのです。
「だからね、捨てるのやめにしたの!」
元気よく劉生君が答えます。すると、真っ黒な空間に散らばっていた記憶たちがふわりと浮かび上がると、次々と引き出しの中に入っていったのです。
「おお! すごい! なんか勝手に片付いてくれる! 魔法みたい! もしかして、君の魔法のおかげ?」
尊敬のまなざしで化け物を見つめます。しかし、化け物は苦々しく舌打ちをします。
「違う。お前の思いのせいだ。お前が嫌な記憶も受け入れると選んだせいで、記憶が自動で修復されてるんだ」
「うーん? よく分からないけど、これで片付けしなくてすんだ! よかったよかった」
劉生君は安堵のため息をつきます。
「ありがとうね、化け物さん! ……そういえば僕、君の名前聞いてなかったな。何て名前なの?」
化け物は、真っ赤な目を細めます。
「その答えも、お前が旅を続けていれば、おのずと分かる」
「……え? 今教えてよ」
「今は教えない。ミラクルランドの王を滅ぼしてからだ。そうすればお前は俺のことを真に理解する。その時がお前と、青ノ君の最期だ」
「青ノ君……?」
青ノ君って、誰の事だろ?
劉生君が首を傾げていると、近くでオレンジ色の花が光りました。花を手にとると、ふっと、記憶がよみがえってきました。
「……そうだ!」
青ノ君。それは橙花ちゃんのことです。側にいるとあったかくて、ポカポカな気持ちにしてくれる女の子です。
そしてこのお花は、橙花ちゃんへのプレゼントでした。
「忘れないうちにあげないと!」
劉生君の思いに答えてくれたのでしょうか。いつの間にか目の前に橙花ちゃんがいました。怪我だらけでボロボロになってしゃがみ込んでいましたが、劉生君は何ら違和感を覚えず、懐からオレンジ色の花を出しました。
「橙花ちゃん! これ、プレゼント!! ……ってあれ!? 壊れてる!? って、全身が痛いんだけど!? どうして!」
「……」
橙花ちゃんはぽかんと口を開けます。
ここでようやく、劉生君は橙花ちゃんの尋常ならざる傷に気づきました。
「橙花ちゃん!? どうしたの!? 誰にやられたの? はっ! まさか魔王!? 魔王のせい!?」
「……もしかして、……劉生君?」
「へ? まあ、劉生だけど……。どうかしたの?」
戸惑っていた劉生君に、なんと、橙花ちゃんは抱きついてきたのです。
「……劉生君、劉生君、劉生君っ!」
「わっ! 急にどうしたの?」
「よかった、よかった! 戻ってきてくれたんだね!」
「僕はどこにも行ってないよ。……って、わわ!」
橙花ちゃんには踏ん張る力もなく、劉生君に全体重をかけてしまいました。魔神に乗っ取られていたこともありまして、劉生君自身も力が全く入りません。
そういうわけで、劉生君と橙花ちゃんはその場で倒れてしまいました。
「あうっ!」
またもや、おしりをぶつけてしまいます。
「いたっ! またおしりがっ!」
なんだか最近、お尻をぶつけまくってる気がします。このままではおしりがパンパンに腫れて膨れあがってしまいます。
劉生君が涙目で身もだえます。
「ごめん、橙花ちゃん。ちょっと横に避けて……」
「……」
「橙花ちゃん……?」
橙花ちゃんは気絶していました。
「……な、なんだって! ちょ、橙花ちゃん! 目さまして!」
「……」
「起きない……! 起きてくれない……!」
じたばたもがいていると、遠くの方でリンちゃんたちが目を覚ましました。
「うーん。あれ? ここどこ? って、リューリューと蒼ちゃん!? 何してるの!?」
みつる君は戸惑ってオロオロします。
「まさかこれは、昼ドラ的展開……!」
咲音ちゃんは口を手で覆います。
「あら……! これが恋のアバンチュール!!」
吉人君はニヤニヤと意地の悪い笑みを漏らします。
「全く、赤野君ったら、隅におけませんねえ」
みんながやいのやいのと思い思いのことを言います。そんなことよりも橙花ちゃんを持ち上げてほしいと、劉生君は切に願い、叫びました。