27 橙花ちゃん激闘中! 一方そのころ、劉生君は……?
かたい床の感触に、劉生君は目を覚まします。
「んー? ここ、どこだろう」
辺りには、雑多に放り出されたよく分からない物ばかり。
それ以外は空も床も真っ黒です。
「変なとこ……」
『人の内部なんて、そんなものだ』
「わあ!?」
誰か知らない人の声が聞こえました。
「だ、誰……?」
『トリドリツリーの王、トトリだ』
「トトリ?」
『覚えてないだろうね。ウチが全て忘れさせたんだから。今の君には、自分の名前さえも覚えてない』
「いやいやそんな。自分の名前を忘れるなんて。……あれ!? ホントだ!? 思い出せない!?』
どうやら劉生君は自分の名前すら忘れてしまったようです。ひょんなことでパニックになる劉生君が、ここでビビりちらすのは当たり前のことでした。
『ここはどこ!? 君は誰? 僕は誰!!??」
ギャーギャー騒ぎながら、くるくると辺りをうろつきます。しばらくは見守っていましたが、ついにはめんどくさそうに翼ではたきます。
『うるさい。黙れ』
「ひい! ごめんなさい!」
魔王トトリはうっとおしげにため息をつきます。
『……はあ。いい? お前の名前は赤野劉生。お前のやることはここに散らばる物を、ひとつ残らず、そこの引き出しにいれるの』
いつの間にか、黒い空間に大きな箪笥が現れました。
「……この中に、全部入れるの?」
『そう』
「……」
どう考えても、一人でしまいきれる量ではありません。
「え? 手伝ってくれるよね?」
劉生君は期待の眼差しを向けますが……。
『いや。手伝わない。ウチはもう行かなくちゃいけない』
足の先から徐々に透明になっていくではありませんか!
「待って!? 行かないで!! これ一人じゃ片付けられないよ!!」
『バイバイ。今度会ったときは、敵同士だから。覚悟してね』
「敵でも味方でもいいから手伝ってよ!? ねえ!!」
魔王トトリは問答無用で消えてしまいました。
「そ、そんな……! これ全部片付けるの!?」
今の劉生君は覚えていませんが、彼は昔から部屋の片付けは苦手なのです。片付けをしているうちに懐かしの『勇気ヒーロー ドラゴンファイブ』のグッツを見つけて、掃除そっちのけで眺めてしまいます。
ですので、いつもお母さんに手伝ってもらっています。それなのに、今回はなんと劉生君一人だけで、どうにかしないといけないのです。
「うう……」
しょんぼりする劉生君ですが、このまま何もしないわけにはいきません。仕方なく、劉生君は重い腰をあげました。
「えっと、まずは……。このベルトかな。なんだろう。お父さんのベルトかな? それにしては派手だけど……」
赤いごてごてしたベルトに触れます。すると、劉生君の頭に何かのイメージが浮かびました。
ジーパンに半袖の青年が、ベルトを手に当てて決め台詞を叫びます。真っ赤な光に包まれると、彼は赤いヒーロースーツを身にまとっていました。
彼は、かっこよくポーズをきめ、声を張り上げます。「私は勇気のヒーロー、ドラゴンレッド!! 悪を挫き、正義を貫く!」
「思い出した!」
劉生君は嬉しそうにはしゃぎます。
「『勇気ヒーロー ドラゴンファイブ』の変身ベルト! いやー、なんで忘れてたんだろ!」
ウキウキでベルトを引き出しにしまいました。もう忘れることはありません。
「さてと、次は……これ!」
劉生君が小さい頃に大切にしてたぬいぐるみ、お母さんに内緒でお父さんが買ってくれたトレーディングカード、スタンプラリーでゲットしたキーホルダーなどなど、次から次へと引き出しに入れます。
劉生君はだんだん楽しくなってきました。
「よーし、それじゃあ次はこれ!」
今度はチョークを手に取ると、思い出がよみがえってきました。
記憶の中で、劉生君は黒板の前に立っていました。黒板には「呪文をとなえる」と書いています。劉生君は緊張しながら「となえる」の横に漢字を書きました。
しかし、劉生君が漢字を書き終えると、先生は噴き出して笑います。間違えてしまったのです。
他の子もどっと大笑い。
記憶の中とはいえ、劉生君の顔が真っ赤にゆであがりました。
「うう、嫌なこと思い出しちゃったよ……」
さっきまでのワクワク感はどこへやら、劉生君は落ち込んでしまいました。がっくりと肩を下ろしてチョークを引き出しに入れようとすると、声が聞こえてきました。
「なあ、劉生」
「わあ!? なに? 誰?」
「お前の後ろだ」
振りかえると、劉生君は飛び上がりました。
「ぎゃあ! 化け物!」
劉生君よりもずっと巨大な影が、そこで立っていました。
そう、それはまさに影でした
頭の先から足先にいたるまで、血のように赤黒い色で覆われています。唯一、顔の部分に目のようなものが冷酷な光を帯びています。
やっぱり記憶がない劉生君は気づきませんでしたが、その影は、劉生君がミラクルランドに初めて来た時、エレベーターの鏡の向こうに見た影と同じものでした。
化け物は、どこからか声を出します。
「お前は、その記憶を捨てたい。そうだろう?」
「う、うん。そうだけど……」
「ならば、捨ててしまえばいい」
優しい声色で囁きます。
「嫌な記憶は捨ててしまえ。楽しい記憶にだけ浸っていればいい。そうすれば、お前は永遠に幸せでいられる。なあ、そうだろ?」
「う、うーん」
劉生君は悩んでしまいます。
劉生君は直感的に、こう理解していました。このチョークをそこの引き出しにしまわず、捨ててしまえば、みんなから笑われてしまった記憶を忘れることができる、と。
できれば忘れてしまいたい、なかったことにしたいと考える劉生君にとって、化け物の誘いは甘美なものでした。
「さあ、捨ててしまえ」
化け物は重ねて言います。
「……そう、だね」
劉生君は頷くと、チョークを放り投げようと腕をあげました。そんな劉生君を見て、
化け物は、薄く笑みを浮かべました。
〇〇〇
丸太の上で橙花ちゃんと相対する魔神も、口元を緩めています。
「何がおかしい」
橙花ちゃんは睨みをきかせます。
「いや? 小さな子供は間抜けで楽だな、と思ってな」
「……劉生君に何かしたのか」
低く呻る橙花ちゃんの声色は、ひどく恐ろしいものでした。
それでも魔神は畏れることもありません。卑屈っぽく笑みを浮かべるのみです。劉生君には似合わない、歪んだ笑顔でした。
橙花ちゃんはひどく不愉快そうに吐き捨てます。
「魔神。さっさと劉生君から出ていけ。この子にお前はふさわしくない」
「ふさわしくない、ねえ」魔神は鼻で笑います。
「この体は俺の操り人形でしかない。人形がどんな造形だろうと俺には関係ない。だが、お前にとっては重要なようだな。……それなら、こうしよう」
魔神は橙花ちゃんに『ドラゴンソード』を振り下ろします。橙花ちゃんは後ろに避けますが、なおも追撃してきます。
「だったら……!」
魔神の足元を狙い、電気のボールを打ち込みます。
どうせ弾かれるでしょうが、これで逃げる間を作ることが出来ます。
そう思っての攻撃でしたが、魔神は予想外の動きをしてきました。なんと、電気のボールを避けず、剣で切ることもせず、突っ込んだのです。
「なっ!」
驚く橙花ちゃんの目の前で、魔神は頬からたれる血をぺろりと舐めます。
「ふふっ、赤野劉生は可愛そうだな。友達にこんな傷を負わされるなんてな。可愛そう過ぎて、もっと血を出してしまいたくなる」
魔神は傷口に爪を立てます。頬に赤黒い血が滴ります。
「貴様っ! その手を離せ!」
血相を変えて、橙花ちゃんが杖を振ります。
「おっとっと」
魔神はひょいと避けます。
「さてはて、どうしようか。お前が抵抗を止めて俺に殺されてくれるのなら、考えてやらんでもない」
「ふざけるなっ!」
角の光がこれまで以上に青く光ります。側にいるだけで刺すような威圧感が魔神を襲います。魔神は眉をひそめて橙花ちゃんの角を睨みつけます。
「……どうにもその光は不愉快だな。つぶしてやろう」
言うや否や、魔神の姿はふっと消えていました。
「なっ! どこに、」
「後ろだよ」
橙花ちゃんが振り返る前に、彼女の背中を斜めに切り付けました。
「っ! ……この!」
「次は、こうかな」
今度は前に回り込み、腹を蹴り飛ばします。
「があっ!」
「それで、こう!」
態勢を崩したところを狙い、かかと落としを食らわせます。
立て続けの攻撃に、橙花ちゃんは痛みで頭がくらくらして膝をついてしまいます。魔神は首を傾げて、じっと橙花ちゃんを見下ろします。
「……なんだ。こんなに弱いのか。こんな小娘相手にどいつもこいつも怯えてたのか。魔王ってのも随分情けないな」
剣の先を橙花ちゃんの首に当てます。
「これでお前はミラクルランドで死を迎えることになるわけだが、どうだ? どんな気持ちだ?」
「……ボクはどうなっても構わない。劉生君を解放しろ」
剣が少しだけ当たっているのでしょうか。たらりと血が流れます。一瞬体をこわばらせますが、それでも橙花ちゃんは劉生君を気遣います。
「……素晴らしい自己犠牲精神だな」
魔神は赤い目を細めます。笑ってみるようにも、怒っているようにも、……悲しんでいるようにも見えます。
「さようなら、蒼。永遠に」
そして彼は、
懐に手をいれました。