13 ピアノの階段を上ってゆこう
自分たちのボスがやられてしまい、鳥たちは慌てふためきます。
『わあ! どうしよう! オオワシ様が倒されてしまった!』
『オレらだけじゃ戦えない!』
『逃げるぞ!!』
鳥たちは四方八方に逃げていってくれました。橙花ちゃんは小さく安堵のため息をつくと、木簡で作った梯子を降りていきます。
「よし、うまくいった! ありがとうみんな!」
劉生君たちに語りかけますが、
「フラミンゴ!!」「サンゴ! ……じゃなくて、サンバサンバ! らっせーら! らっせーら!」「焼き鳥、あげ鳥、蒸し鶏、ドドドン!」
劉生君をはじめみんなそれぞれ思い思いの音楽を奏でており、橙花ちゃんの声は届きません。
ただ一人、金髪の少女だけがニコニコと橙花ちゃんに微笑みかけます。
「……お疲れ様。……あんな強いオオワシを倒せるなんて、すごい」
「いやいや、そうでもないよ。意外と弱かったからね! さて、と」
橙花ちゃんは腕まくりをして、気絶したオオワシに近づきます。
「止めさしておかないとね」
そこらへんに落ちていたカスタネットを拾います。
「時よ、<スス」
「……待って」
投げようとする間際、女の子が制止しました。
「……とどめ、さすの?」
「うん。このまま生かしてもメリットはないからね」
冷酷な橙花ちゃんですが、女の子はふりふりと首を横に振ります。
「……やめてあげよ。……もう、襲ってこないよ」
「けど、」
「……」
「……」
女の子は無言の圧をかけてきます。これには橙花ちゃんもたじたじです。結局、橙花ちゃんは折れました。
「……分かったよ。今日は聖菜ちゃんのおかげでどうにかなったんだし、止めはささないでおくよ」
「……」
彼女は、きょとんとします。
「……せい、な……?」
「……え? ま、まさか、名前の記憶も奪われてしまったの……!?」
橙花ちゃんの悲痛な叫びに、楽器を打ち鳴らす劉生君たちの手がとまりました。みつる君は女の子と橙花ちゃんを交互に見ます。
「二人は知り合いなの?」
「……うん。子どもたちの喧嘩をいつも仲裁してくれた女の子だよ」
「それじゃあ、その子が……」
橙花ちゃんは頷きます。会えて嬉しいという気持ちと、名前まで忘れて悲しい気持ちが入り混じっています。
「……」
女の子、聖菜ちゃんはじっと橙花ちゃんを見つめます。彼女の視線に気づいた橙花ちゃんは顔をあげて、作り笑みをします。
「ごめんね。大丈夫。君は気にしなくていいよ」
「……」
ふるふると、聖菜ちゃんは首を横に振ると、橙花ちゃんの手を優しく包み込みます。
「……あなたのお名前、聴きたい」
「蒼井橙花だよ。蒼って呼んでほしいな」
「……蒼ちゃん。大丈夫だよ、蒼ちゃん」
小さな声ながらも、力強く答えます。
「……もう、忘れない。蒼ちゃんは、私の友達。……私の優しい友達だって」
「……聖菜ちゃん……」
橙花ちゃんは一瞬涙声になります。
「……やっぱり、ボクは君には敵わないよ」
そういう彼女の笑顔は、作り笑いなんかではない、心の底からの笑顔でした。心配そうに見守っていた劉生君たちも、ほっと安心します。
和やかな空気の中、遠慮がちにみつる君が声をかけます。
「えっと、……止めをささないなら、今のうちに階段を登った方がよくない?」
聖菜ちゃんもこくりと頷きます。
「……他の鳥、来る前に行った方がいい、と思う」
「そうだね」橙花ちゃんも同意します。「あのオオワシも、気絶しているだけだから、早めにいっておいた方がいいと思う」
劉生君たちはピアノの階段近くまで行きました。
「これが階段なんですか?」吉人君は天高くのぼるピアノの階段を眺めます。「徹底して楽器ですねえ。歩いたら音でるんでしょうか?」
感動というよりも、興味関心の方が強そうです。
一方のリンちゃんは、目をキラキラさせて階段を眺めています。そんなリンちゃんを見て、劉生君は満足そうに胸を張ります。
「リンちゃんリンちゃん! すごくきれいでしょ! 虹の階段だよ!」
「そうねえ。綺麗……。けど、どうしてリューリューが自信満々にしてるのよ」
「えへへ、リンちゃんなら気に入ってくれると思ってたもん。予想てきちゅー! だね!」
吉人君は茶々を入れます。
「さすが赤野君。道ノ崎さんのことをよく分かっていますね。ただの幼馴染以上に仲良しですねえ」
「えへへ、そうかな?」
照れる劉生君ですが、リンちゃんはポソリと呟きます。
「でも、最近のリューリューはあたしに内緒ごとしてるけどね」
「え?」
劉生君はキョトンとします。
「そうなの? 僕、嘘ついてないよ。嘘つきは泥棒の始まりだもんね!」
「……嘘ってわけじゃないわよ。言ってないことがあるってこと。でしょ?」
「……え、えーっと、それは……」
思い当たる節があります。魔王から見せられる過去のミラクルランドのことも結局伝えられていませんし、エレベーターの鏡に映った怪しげな影のことだって、どういうわけか相談できていません。
口ごもる劉生君に、リンちゃんは片眉をあげます。
空気があきらかに悪化してしまい、吉人君は焦ってしまいます。それはそうでしょう。吉人君はいつものようにからかっただけで、一触即発の流れに持っていきたかったわけではなかったのです。
どうにかその場を収めようと、吉人君は必死に頭を回転させます。しかし、できることは非常に少なく、
「ま、まあまあ二人とも。ひとまず上の層に行きましょう。話はそれからでも……」
問題を先送りにすることしかできませんでした。
「……そうね」
リンちゃんはうなずいてくれますが、いつものあっけらかんとした明るさはありません。劉生君も劉生君で項垂れていますし、みつる君と橙花ちゃんは仲の良い二人の気まずい空気に戸惑っています。
ただ一人、咲音ちゃんだけが「上のフロアがどうなっているか楽しみですねえ」と空気の読めないことをいい、優しい聖菜ちゃんが答えてあげていました。
「……二層ファソは、オーケストラで使う楽器があるよ」
「へえ、そうなんですね!」
「……うん。二層の三羽烏がいる場所、知ってるから、……案内していい?」
「もちろん! いいですよね、蒼さん!」
橙花ちゃんは劉生君とリンちゃんを気にしながらも、笑顔で同意します。
「そうだね。ここにいても、いるのは乱暴な鳥の魔物だけだし、一緒に上に行った方がいいね」
「……ん」
劉生君たちは階段を上ります。鍵盤に足をのせるたびに、美しい音色が響きます。
その感動をリンちゃんと共有したい劉生君でしたが、そんなこと出来そうもありません。
劉生君は思い悩みます。
すべてリンちゃんに打ち明けるべきでしょうか。しかし、エレベーターの赤黒いかげについては、どうしてだか言いたい気分になれません。まるで別の誰かに口を封じられているかのように、話す気になれないのです。
それに、魔王と橙花ちゃんが仲良しにしている光景についても、言いたくはありません。こちらは劉生君本人の意思です。
あの恐ろしい魔王リオンも、橙花ちゃんに好意を抱き、彼女を信頼していました。橙花ちゃんもまんざらでもないように喜んでいました。
昔の魔王と橙花ちゃんは、まぎれもなく友達だったのでしょう。
けれど、今や橙花ちゃんと魔王は血で血を争う関係になってしまっています。
どうしてあんなに仲が悪くなってしまったのか。
……それを知るのが怖くて、劉生君は伝えることができないでいるのです。
それでも、だからといって言わないせいでリンちゃんに嫌われてしまうのも、つらいものがあります。
言ってしまおうか、どうしようか。
悶々と考え込み、決意がゆらゆらと揺れ動きながら、階段をのぼります。
ド、レ、三、ファ、ソ、ラ、シ。
劉生君たちは階段を登ります。
ド、レ、三、ファ、ソ、ラ、シ。
劉生君たちは階段をのぼります。
ド、レ、三、ファ、ソ。
「ねえ、リューリュー」
リンちゃんは、劉生君しか聞こえない、小さな声で囁きます。
「言いたくないなら、無理はしなくていいよ。でも、……出来れば教えてほしいの」
「……リンちゃん……」
……もう、隠し通さない方が、いいかもしれません。
「……リンちゃん、」
上のフロアに言ったら、すべてを打ち明けよう。
エレベーターの鏡のことも、魔王と橙花ちゃんのことも。
劉生君は、そう言おうとしました。
しかし、その前に。
ラ、シ、ド。
階段をのぼりきりました。
ちりん、と風鈴のような音がなると、一瞬、世界が白い光で満たされました。驚いて瞬きをすると、優しい色味の丸太と、美しい弦楽器の世界が広がっていました。
二層ファソ。オーケストラ楽器が並ぶ階層です。