クモをつつくような話 2021 その2
この作品はノンフィクションであり、実在するクモの観察結果に基づいていますが、多数の見間違いや思い込みが含まれていると思われます。鵜呑みにしないでお楽しみください。
4月30日、午前11時。
昼間なのだが、スーパーの東側に新顔のオニグモが現れた。体長4ミリほどで肉団子らしいものをもぐもぐしている。休眠から覚めたばかりで、「働くのは夜の間だけ」などと言っていられないほど空腹なのかもしれない。
その他に近所のオニグモ2号ちゃんも昼間から円網で待機している。この子の場合は道路側にオニグモ1号ちゃんの円網があり、反対側には建物の壁があるという獲物がかかりにくそうな場所なので、仕方なく24時間営業をしているのかもしれない。50センチほど離れた1号ちゃんの円網には小さな羽虫が大量にかかっているから、どこに円網を張るかというのはオニグモにとっては大きな問題なのだろうな。できればこの子に獲物を与え続けて、空腹でなくなったらねぐらへ戻るようになるのかどうかを観察……したいところなのだが、フェンスがあって近寄れない。遠くから獲物を投げてもうまく円網に引っかからないのである。少々気の毒なのだが、どうしようもないなあ。
午後6時。
オニグモの4ミリちゃんは留守だった。住居へ戻ったんだろう。
ゴミグモの白子ちゃんと黒子ちゃんはおかしなことになっている。頭胸部がひどく大きくなって、頭胸部と腹部の比率が1対1.2~1.3くらいになってしまったのだ。あれほど膨らんでいた腹部腹面もぺたんこになっている。これでは若い女王様体型である。
『日本のクモ』やウィキペディアを開いてみても、ここまで頭胸部が大きなゴミグモは掲載されていない。とは言うものの、ジョロウグモも個体変異の幅が広いのだから、ゴミグモにも脱皮のタイミングで女王様体型になってしまう子がいてもおかしくはないのかもしれない。ああっと、2匹とも雄だったという可能性もあるな。オトナになる直前まで雌の振りをして堪え忍び、最後の脱皮で一気に体型を変えて「実は、僕は雄だったんです」とカミングアウトする、とか?〔雌の振りをする必要がどこにあるんだ!〕
ゴミグモの雄の体長は7ミリから8ミリだというからちょうどいい体長ではあるし、成体の出現期も4月から9月だそうだ。卵を造る能力ではなく、長距離を歩く能力が要求されるということなら、脚を長く強くする必要があり、それを支える頭胸部まで大きくなっても不思議はない。ゴミグモの雌はあまり引っ越しをしないようだから、雌の元へ旅立つようなら雄である可能性がより高くなると言えるだろう。できる限り観察を続けようと思う。しかし、もしもこの2匹が本当に雄であるのなら作者は見事にだまされていたということになるな。〔勝手に思い込んでいただけだろ〕
※後でサイクリング中に思いついたのだが、こういう成長のしかたは非常に合理的なのではあるまいか。ゴミグモの幼体の場合は雌も雄もしっかり食べて成長することが当面の目標になる。それなら同じ体型でいいわけだ。しかし、成体になった場合には、雌はより多くの卵を産むために食べ続ける必要があるのに対して、雄は精子を造るだけで済む。むしろ体重が増えると雌の所まで歩く能力が低下してしまうだろう。成体になった途端に雌体型と雄体型に分かれるのは要求される能力が変化するからなのだろうな。
5月1日、午前11時。
ヤマゴミグモ改めゴミグモの白子ちゃんと黒子ちゃん改め白夫くんと黒夫くんは相変わらず横糸を張っていない。そして左右の第一脚と第二脚をくっつけて、その間を開けている。通常ゴミグモはこの4本の脚をピッタリ揃えるか、暖かい時期には等間隔に隙間を空けている。この脚を2本ずつ揃えるという姿勢は雌を探すセンサーであろう触肢の邪魔をしないようにするためのものなのかもしれない。
この2匹はおそらく、このまま絶食を続けてベストな体重になってからお嫁さんを求めて旅に出るつもりでいるんじゃないかと思う。あるいはすでに準備は整っていて、後は成熟した雌のフェロモンをキャッチするだけ、とか?
近所のオニグモ2号ちゃんは住居へ戻ったらしい。休眠開けのオニグモは昼間から円網で待機して、十分な量の獲物を食べた後はまた夜行性に戻る、ということなのかもしれない。
ゴミグモ姉妹の妹ちゃんは円網からゴミを外してしまった。代わりに(なのかどうかはわからないが)楕円形の隠れ帯を付けている。実はこの行動を観察するのは2度目である。ゴミグモにしては珍しく、まめに掃除をするタイプのようだ。〔いやいや、ゴミグモがそれではダメだろ〕
この子も変わり者なんだろうかなあ。
※この隠れ帯はゴミの代わりで、ゴミグモにとって好ましくない獲物に対して「ここに障害物がありますよ。避けてくださいね」と呼びかけるためのものなんだろうと思う。
午後9時。
作者の部屋に体長20ミリ弱のガガンボが迷い込んできてくれたので、さっそく捕まえた。
このガガンボはゴミグモ姉妹には大きすぎるだろうから近所のオニグモ2号ちゃんに食べさせようと思ったのだが、2号ちゃんは円網ごと姿を消していた。おそらく、その場所では獲物が少ないということに気が付いて引っ越しを決意したんだろうと思う。スーパーの西側のオニグモたちもいないし、ゴミグモ姉妹のお隣ちゃんは枠糸しか残していない。
結局1匹だけ姿を見せていたオニグモのヒーちゃんにあげることにする。とは言っても、ヒーちゃんの円網も下半分がなくなっていたから引っ越しの準備をしているところだったようだが。それでも獲物がかかれば飛びついて捕帯を巻きつけるヒーちゃんであった。ところが、そこでホームポジションがないことに気が付いたらしい。昨シーズンの姉御はボロボロになった円網の残骸に第四脚2本を引っかけて、ぶら下がったまま獲物を食べたこともあったのだが、ヒーちゃんは枠糸を伝ってあっちこっちへ獲物を持ち歩いたあげく、ガードパイプをポールに固定する金具の隙間に収まって食べ始めたようだった。擬人化するならば「あらまあ。どうしましょ? えーと、えーと……ああ、ここがいいわ」というところだろう。つまり、引っ越しの準備中に獲物がかかるという異常事態に遭遇したヒーちゃんはその対策を自分で考え出した、というわけだ。ただし、これはあくまでも作者の見解である。クモの専門家の意見も聞いてみたいものだな。
しかし、ヒーちゃんはなぜ、姉御のようにぶら下がったまま食べなかったんだろう? しっかりした足場がないと安心できないのか? それとも姉御くらいまで大きくなると捕食されにくくなるから大胆な食べ方もできるようになるということなんだろうか? できるものならヒーちゃんが体長20ミリを超える大きさに成長してからもう一度追試をしてみたい。
そして、電柱を挟んでヒーちゃんの円網の反対側では、いつの間にか現れた新顔のオニグモが円網の横糸を張り始めていた。この子はヒーちゃんとほぼ同じお尻の大きさだが、頭胸部が1ミリほど大きいという体型である。この子がそこに居着くようなら「デンちゃん」と名付けることにしよう。
5月2日、午前11時。
オニグモのヒーちゃんの円網が元に戻っていた。多分、引っ越しするつもりで円網全体を回収しようとした所に獲物がかかってしまったので考え直したということなんだろうと思う。ヒーちゃんは割と観察しやすい場所にいるので、作者としてはそこに居着いてくれるとありがたい。
オニグモのデンちゃんは円網を回収していたが、糸が1本だけ残されていた。戻ってくる気があると判断していいんだろうかなあ。
※オニグモが円網を回収する時には糸を何本か残していくのが普通であるのらしい。数メートル先まで改めて糸を張るのは大変なのだろう。
ゴミグモ姉妹のお隣ちゃんは円網を残していってくれたので一安心である。
逆にスーパーの西側の12ミリちゃんたちは姿を消したままである。もしかして食い逃げされてしまったんだろうか? それとも撮影するために照明を当てたから、それが嫌だったんだろうかなあ。人間が闇を恐れるようにオニグモは強い光を嫌うという可能性も否定できないのだ。玄関先のズグロオニグモたちのように常夜灯があるという状態に慣れてくれると楽なのだが、周囲の明るさが変化する(いきなり明るくなる)ということがストレスになるのかもしれない。オニグモはジョロウグモとは別の意味で繊細なのだろう。ああっと、フラッシュがいけないという可能性もあるな。オニグモたちは撮影なんかせずに、必要最小限の明るさの下で観察だけをするべきなのかもしれない。
5月3日、午前10時。
ゴミグモの白夫くんが姿を消した。さようなら白夫くん。幸せになれよ。
午後1時。
ゴミグモ婦人の生け垣に今年もコシロカネグモが現れた。コシロカネグモは本来、水場の近くに円網を張るクモらしいのだが、この生け垣の前はもちろん道路である。なぜこの生け垣が好まれるのかわからない。やはり仲間がいた痕跡が残っているんだろうかなあ……。
5月4日、午前6時。
アパートの壁で何か黒っぽい物が動いていたので、またハエトリグモかなと思って近寄ってみるとワラジムシだった。捕まえて手のひらに載せても丸くならないので間違いないだろう。踏みつぶしたりすると後が厄介なので、窓から放り出させてもらうことにする。「森へお帰り」である。
午後1時。
うちのアシダカちゃんがまた現れた。姿が見えない間もどこかに潜り込んでいるのかもしれないが、作者には見えないような大きさの獲物がいるんだろうか?
午前11時。
ゴミグモ姉妹の円網にはそれぞれ捕帯でぐるぐる巻きにされたハエの仲間らしい獲物が取り付けてあった。食べているわけではないからお弁当だろう。暖かくなったので獲物も多くなったということである。
5月5日、午前9時。
まだ午前中だというのに4匹のオニグモが円網で待機していた。これは気温が上がった分獲物を消化するのにかかる時間が短くなり、その結果、空腹になって残業しているんじゃないかと思う。暖かくなれば飛んでいる昆虫も多くなるのだろうし。
ゴミグモ姉妹のお隣ちゃんはぐるぐる巻きにした獲物1匹を円網に固定した後、ホームポジションに戻って別の獲物を食べ始めた。
オニグモのヒーちゃんの円網には獲物がかかっていなかったので、そこらにいたガガンボをくっつけてあげた。ヒーちゃんもホームポジションで食べる派だ。
問題はスーパーの西側にいた体長7ミリほどのオニグモで、この子もホームポジションで食べていたのだった。円網の端の方で食べていた子たちとは別の個体なのか、あるいは気温が上がったらホームポジションで食べるということなのかもしれない。
さらに10分後、オニグモのお隣ちゃんは獲物1匹を円網に残したまま姿を消していた。もう1匹は食べ終えたのか、住居まで持ち帰ったのかはわからない。大事なのは食べることであって、どこで食べるかはたいした問題ではないのだが、気になる。もしかして、ホームポジションで食べるというのは獲物を食べている時に別の獲物がかかった場合に、その獲物に逃げられる前にぐるぐる巻きにしてしまおうと考えているんだろうか? それなら気温が低くて消化するのにも時間がかかる時期には次の獲物に急いで駆け寄る必要もないわけだが……。
午前11時。
ヒーちゃんはまだ獲物を咥えている。食べ終わるまでは住居へ帰らないつもりなのかもしれない。夜行性のクモが昼頃まで円網にいるというのは、人間なら夜中過ぎまで仕事をしているようなものだろうに。これもクモは本能のみに支配されているわけではないということの証拠になるんじゃないだろうかなあ。
5月6日、午前11時。
ゴミグモ姉妹のお姉ちゃんが妹ちゃんより一回り大きくなっていた。お姉ちゃんらしく一歩先に成長していくつもりでいるようだ。〔姉妹だという証拠はないというのに!〕
午後4時。
日没までだいぶ時間があるというのに、オニグモのデンちゃんが円網で待機していた。空腹なので残業ということらしい。しばらく姿を見せなかったし、糸が1本しか残っていなかったので引っ越したのだろうと思っていたのだが、住居で腹ごなししていただけだったらしい。獲物をあげるとホームポジションで食べ始めた。
デンちゃんは以前書いたように女王様体型である。それに対して、電柱を挟んで隣のヒーちゃんはジョロウグモほど極端な差ではないものの平民体型寄りだ。作者はこの2匹の狩りのやり方や成長の早さに興味があるので、積極的に獲物をあげることにしようと思う。〔スケベ根性だな〕
好き者でなければクモの観察なんかやってられないのである。
5月7日、午前5時。
晴れた日よりは暗いせいか、オニグモのヒーちゃんが円網で待機していた。そこでワラジムシをあげると、ちゃんと捕帯でぐるぐる巻きにしてホームポジションに持ち帰り、そこで食べ始めた。ワラジムシに巻きつけられた捕帯が消化液で濡れていくから、外部消化ならワラジムシでも食べられるということなんだろう。丸くなってしまったダンゴムシだと捕帯から抜け落ちてしまいそうな気がするのだが、どうなんだろうかなあ。
ちなみにワラジムシもダンゴムシもヨーロッパ原産のワラジムシ目だそうだ。要するに丸くなれるかなれないかの違いでしかないということらしい。
ヒーちゃんの隣に円網を張っているデンちゃんは留守だったので、後で食べるようにと円網にアリをくっつけた……途端にデンちゃんが係留糸の上を駆け寄ってきた。ちょうど住居に帰ったばかりだったようだ。デンちゃんもアリをぐるぐる巻きにしたのだが、それを電柱に取り付けられている電源ボックスの蓋の裏に持ち帰ってしまった。すでに日の出の時間は過ぎているので、これ以上ホームポジションで残業する気はないらしい。獲物をどこで食べようがオニグモの勝手ではあるのだが、この時間に獲物がかかった場合にどこでそれを食べるかに違いが出たというのが面白い。夜になってからまた獲物をあげてみる必要があるな。どちらも夜はホームポジションで食べるということなら、どこで食べるかはクモ自身が判断しているということになるだろう。
ゴミグモの黒夫くんも姿を消した。立派なお婿さんになって欲しいものだ。
午後1時。
サイクリングの途中で黒いゴミグモを見つけた。体長は約7ミリで頭胸部が長い体型だし、円網を縦糸だけにしているから雄だろう。
この子の第一脚に指で触れると、指に乗って納得いくまでもしょもしょしてから円網に戻った。ガードが堅いことでは定評のあるゴミグモでも危険を感じさせないようにすれば乗ってもらえるのである。
林の脇の用水路にはお尻の下面に2本のメタリックグリーンの縦帯が入ったシロカネグモの仲間が何匹かいたのだが、その中の最大の個体は体長12ミリほどだった。これは成長の途中で越冬した個体だろう……と思ったら大間違い……かもしれない。ウィキペディアによると、チュウガタシロカネグモの小田原市の観察例では「雌成体が5月頃に出現するが以降は減少し、7月には見当たらなくなり、しかし9月上旬にはまた見られるようになる。このようなことから本種は年二化性と考えられる」のだそうだ。卵が孵化するのに約一ヶ月というから四ヶ月くらいで成体になってしまうということである。獲物さえ十分に多ければそういうことも可能なのかもしれないが、個人的にはナナホシテントウのように狙っている獲物が少ない時期は休眠しているという可能性が……いやいや、アブラムシだけしか食べないテントウムシと同じ考え方は通用しないかなあ。
ゴミグモ婦人の生け垣にはクサグモも何匹かいるのだが、トンネルから飛び出してきた子は早くも体長7ミリほどに育っていて、紡錘形になったお尻はマットな灰褐色になっていた。クサグモはお尻からオトナになっていくのらしい。
5月8日、午前6時。
オニグモのヒーちゃんが横糸を張っている最中だった……って、オニグモは夜行性ということになっているのに、どうしてこんな時間に張り替えるんだ? 飢えてるのか? まさか、24時間営業に移行した? 何だかわからないが、とりあえず4ミリほどのアリと5ミリほどのワラジムシをあげておく。円網で待機していてくれると獲物がもがいて外れる前にぐるぐる巻きにしてもらえるのでありがたい。
※午後1時に見た時もホームポジションで待機していたから、ヒーちゃんは本気で24時間営業に移行するつもりなのかもしれない。
ついでに電柱を挟んで隣のデンちゃんの円網にもアリを投げてあげた……途端にデンちゃんが駆け寄ってきた。どうやら電柱に取り付けられている電源ボックスの蓋の裏を住居にしているようだ。しかも、その近くに固定されている係留糸に脚先で触れていて獲物がかかった時には飛び出してくるのらしい。さらに、捕帯を巻きつけて牙を打ち込んだ後、しばらくしてから獲物を住居へ持ち帰るのだ。これは、昼間の方が獲物が多いが捕食者にも見つかりやすいという相反する問題に対するベストな解決策なのかもしれない。
それとまったく同じことを新顔の4ミリちゃんもやっている。4ミリちゃんの場合は屋根付き自転車置き場のポールの金具の隙間にいるのだが、係留糸に脚先を置いているのは同じだ。もちろん獲物がかかれば飛び出してくる。これでは住居と言うよりも、待機場所である。ホームポジションを円網の外に移したようなものだ。
なお、デンちゃんと4ミリちゃんはヒーちゃんよりも薄いグレーなので別の種なのかもしれない。候補としてはナカムラオニグモ、ヤマシロオニグモ、ヘリジロオニグモなどが挙げられると思うのだが、作者にはきちんと同定できるほどの知識はない。
ゴミグモ姉妹のお隣ちゃんは完全に夜行性らしくて、昼間に獲物を円網にくっつけても姿を見せない。これでは暴れる獲物や羽に鱗粉が付いているガなどだと逃げられてしまうのだよなあ。
5月9日、午前6時。
今日は体長6ミリほどのシロカネグモの仲間の幼体らしいクモに出会ったのだが、この子は円網を張らずにジョロウグモのバリアーのような糸でできた構造体の中にいた。これは居場所は欲しいが円網は張りたくない。かといってナカムラオニグモのように住居に潜り込む気にもなれない、ということなんじゃないかと思う。食欲がないのは間違いないんだろうが……脱皮の準備ということなんだろうかなあ。
ゴミグモ姉妹の妹ちゃんもおかしなことを始めていた。しばらくの間横糸を張り替えていなかった妹ちゃんは下半分が縦糸だけになっている円網に横糸を張り始めたのだが、これが、時計の針で5時の位置から出発して8時の位置でUターンして5時の位置まで戻るというのを2回繰り返した後、次は7時でターンして4時の位置でまたターンしたのだ。そこまでしか観察していないのだが、これは円網の下側の120度の範囲に横糸を張るつもりなんだろうか?
オニグモたちはというと、まず体長4ミリほどの新顔の子が体長で3倍近い大きさのハエを食べていた。この獲物がかかった状況は不明なのだが、オニグモでも大きな獲物に対応できる場合があるのは確かなようだ。それでも捕帯の量を見る限りはバッタのような脚力のある獲物を狩るのは難しいだろうと思う。
昨日獲物をあげた4ミリちゃんは住居から半身を出して食事中だった。円網はなしで、住居から係留糸が1本張ってあるだけだから食欲はないんだろう。
ヒーちゃんはホームポジションで食事中だった。もしかするとこの子は24時間営業を始めたのかもしれない。だとしたら、オニグモとしては珍しい生き急ぐタイプと言えるだろう。とりあえずそこらにいた昆虫をあげておく。
デンちゃんは住居から脚1本だけを出していた。この子にはちょっと意地悪をしてダンゴムシをあげる。住居から駆け出してきたデンちゃんは丸くなったダンゴムシに捕帯を巻きつけた後、白い毛糸玉のようになったダンゴムシをいつもより余計に回しながら触肢で触っているようだった。これは牙を打ち込むべき場所を探っていたということなのではないかと思う。ただ、獲物の弱点を捕帯越しに触れただけで感知できるのかという点に疑問は残る。
やがてデンちゃんはダンゴムシを円網に固定したまま住居に帰ってしまった。持ち帰らなかったということは、オニグモの牙ではダンゴムシの背甲を貫けなかったということなんだろうか? 機会があったら他のオニグモでも追試をしてみたいものだ。
午後6時。
日没前に雨は上がった。
オニグモのヒーちゃんは円網で待機していない。24時間営業ではなく、昼行性に移行するつもりのようだ。それとも、ただ単に雨宿りから復帰するのに手間取っているだけなのか?
5月10日、午前11時。
予想通りシロカネグモの仲間の幼体が脱皮していた。脱皮の前には円網を張らないクモもいる、くらいのことは言えそうだ。ただし、脱皮したばかりらしいジョロウグモの幼体が円網からぶら下がっているのを見たこともあるから、すべてのクモがそうするということではないと思う。脱皮中に円網にかかった獲物を外骨格が硬化してから食べるということもできるはずだ。要は安全第一と考えるか、食べることを優先するか、なのだろう。
オニグモ4匹は全員円網を張っていなかった。ヒーちゃんは例によって多角形の集合体、4ミリちゃんは枠糸を1本、デンちゃんは住居の近くにぐるぐる巻きにした獲物をぶら下げている。何もないのはゴミグモ姉妹のお隣ちゃんだけである。昨日は食べさせすぎを承知の上で大量の獲物をあげたから、今日は全員腹ごなしをするんだろう。
ゴミグモ姉妹の妹ちゃんは横糸の間隔が広い円網にしていた。しかもその横糸が汚れている。やる気が感じられない。この子は、雄ならばギリギリ成体だと言える体長なのだが、体型は雌のそれなのだよなあ。体調が悪くて食欲がないだけなんだろうか?
午後11時。
4匹のオニグモたちで円網を張っていたのはデンちゃんだけだった。獲物をあげてみると、ぐるぐる巻きにしたそれをホームポジションで食べ始める。というわけで、この子は比較的安全な夜の間はホームポジションで、昼間は住居で獲物を食べるのらしい。知性がなければこういう器用なやり方はできないだろう、と作者は思うのだが、どうなんだろうかなあ。
シロカネグモの仲間の幼体(「シロちゃん」と呼ぼう)はほとんど水平の円網を張っていた。明日あたりを予想していたのだが、気温が上がると外骨格の硬化も速くなるのかもしれない。空腹であることが予想される子には獲物をあげたくなるのだが、水平円網で、しかも同じくらいの体長のゴミグモなどよりも横糸の間隔が広いと、アリが突き抜けてしまうのだった。しょうがない。この子は見守るだけにしよう。
5月11日、午前11時。
シロちゃんに体長4ミリほどの少し弱らせたアリをあげることに成功した。水平円網のすぐ上から円網に触れないように気を付けながら獲物をそっと置くようにすれば突き抜けないのだ。ただ、その先にも問題はあって、シロちゃんは獲物に駆け寄って来たものの、ブラックホールのイラストのような円網のへこみの前で立ち止まると、ホームポジションに戻ってしまったのだった。それでもこのあたりまでは予想の範囲内である。なにしろヒトに例えれば、自分と同じくらいの体格だが、どんな武器を持っているかわからない相手というところなのだ。「危険だ」と判断するのも当たり前だろう。
とは言っても、さすがに脱皮直後では食欲の方を優先せざるを得ないらしい。しばらく見ていると、シロちゃんはもう一度ほとんど動かないアリに慎重に近寄って捕帯を巻きつけ始めた。捕帯の量はオニグモレベル。ということは、シロカネグモもオニグモと同じように主に翅を使って移動する昆虫を狙っているのだろう。水場近くに張った水平円網の下面で待機するということとアリなどでは円網を突き抜けてしまいやすいことまで考えに入れれば、下方からゆっくり飛んでくる体重の軽い獲物を狙っているのではないかと思う。具体的にはカ、ガガンボ、カゲロウといったところだろう。アリやバッタのような強い脚で暴れる獲物は想定外のはずだ。おそらく活きのいいアリなら円網から外れるまで手を出さなかったんじゃないかと思う。
その後、シロちゃんはその場で獲物に口を付けた。これは予想通りだ。実はシロちゃんの円網のホームポジション(正式には「こしき」と言うらしい)にはシロちゃんが通り抜けられるくらいの穴が開けられているのである(「無こしき網」と言うらしい)。ホームポジションに穴が開いているのなら獲物がかかった場所で食べるのが合理的なわけだ。
さて、ナガコガネグモやジョロウグモの円網のホームポジションには穴がない。それに対してシロカネグモが属するアシナガグモの仲間は中央に穴が開いている水平円網を張る種が多いらしい。この穴はいったい何のためにあるのだろうか? ここからは例によってただの思いつきなのだが、この穴はクモが円網の反対側に出るためのものなのではないかと作者は思う。ナガコガネグモの垂直円網ではこしきの部分が塞がっているので円網の反対側に出る必要がある場合にはこしきの外側で縦糸をかき分けて通り抜けるようだ(円網越しに捕帯を巻きつけ、強引に引き抜いてしまうということもよく行われる)。しかし、アシナガグモなどは水平円網の下側で待機しているので、上面に獲物がかかると、糸をかき分けるのと同時に重力に逆らって円網の上に出る必要がある。これだと1歩か2歩出遅れることになるのだろう。そこであらかじめ円網に穴を開けておいて、糸をかき分ける手間をなくしたのだろうと思う。ちなみにシロちゃんは今、円網からぶら下がった体勢で獲物を食べている。
オニグモのヒーちゃんは円網にいなかった。その円網にアリを投げると、ヒーちゃんが電柱の方から駆け寄って来た。コンクリートの電柱には金具がいくつか取り付けられているので、その隙間で待機していたんだろう。デンちゃんと同じやり方である。ただ、獲物はホームポジションで食べるという点がデンちゃんとは違っている。
午後5時。
しばらくの間姿を消していた近所のオニグモ2号ちゃんが帰ってきた。直径15センチほどの円網の中心部で糸の塊のようなものを抱えて居るようだ。しかし、そのお尻が細い! 頭胸部の半分くらいしかない。これは、産卵したんだろうか? 10ミリ弱の体長ですでにオトナだったということなんだろうか? そこで『日本のクモ』を開いてみると、キザハシオニグモ、ナカムラオニグモ、イエオニグモの雌成体の体長が7ミリから12ミリの範囲らしい。これらのクモはオニグモの若い個体と見間違えても不思議はない。それくらい似ているのだ。手の届く場所ではないのでお祝いをあげるわけにも行かないのだが、とりあえずおめでとうと言っておこう。
ゴミグモ姉妹のお姉ちゃんは珍しくいらついた様子でつま弾き行動を繰り返していた。獲物らしい物は見当たらないのでさらに観察を続けると、円網の近くに体長2ミリほどのクモが宙に浮いている……ように見える。おそらくバルーニングしてきた幼体の糸が円網にひっかかっているのだろう。ゴミグモは風に飛ばされてきた子グモの糸が円網にひっかかっても身構えるくらい敏感なのである。
シロちゃんはぐるぐる巻きにした獲物を円網に置いたままホームポジションに戻っていた。一度に食べ切れる大きさではないので食休みというところだろう。
5月12日、午前5時。
このところ暖かい朝が続いていたのだが、今朝の冷え込みはきつかった。そのせいか、ゴミグモ姉妹のお姉ちゃんも横糸を張るのを途中でやめていた。あえてその出来損ないの円網に体長5ミリほどのワラジムシをくっつけてあげると、お姉ちゃんはつま弾き行動をしながら近寄って来たのだが、捕帯を巻きつけようとしない。第一脚と第二脚を使って何回かチョンチョンしたお姉ちゃんはワラジムシの下に回り込むと、プロレスのスープレックスのように背中越しに放り投げたのだった。どうやらまったく抵抗しないワラジムシをただのゴミだと認識してしまったようだ。ということは、巨大なゴミグモに襲われるというパニック映画を作る時には「私はゴミ、私はゴミ……」とひたすらゴミの振りをし続けることで難を逃れるという演出ができるわけだ。〔ハリウッドにゴミグモはいないぞ〕
5月13日、午前11時。
シロちゃんの隣に新たなシロカネグモの仲間(体長3ミリほど)が現れた。このように狭い範囲に同種のクモの幼体が複数現れる現象はオニグモ、ジョロウグモ、ゴミグモなどでも見られる。これはバルーニングで旅立つ時には一つの卵囊から生まれた子グモたち全員が一塊になって同じ風に乗り、その風がいくつかに枝分かれしていって、最後の一枝に一緒に乗っていた子たちなのではないかと思う。体格に差があるのはどれだけの獲物を食べられたかの違いだろう。体長が5ミリを超えるようなら獲物をあげようかと思う。
午後9時。
作者の部屋にまたクモが現れた。今回は体長1ミリほどの子がロードバイクのサドルの上をウロウロしていたのだ。さすがにこれは潰してしまいそうなのでビニール袋に載せてベランダから放り出した。「森へお帰り」である。
5月14日、午前1時。
雨はやんでいる。
オニグモのヒーちゃんの円網の横糸は時計の針で11時から2時までの範囲しか残っていない。ホームポジションから真下に向かって伸びる縦糸が1本残っているので、辛うじて扇形を保っているという状態である。隣のデンちゃんの水滴がびっしり付いた円網も上半分しか残っていないし、ゴミグモ姉妹に至っては縦糸だけになっている。昨夜は雨風がかなり強かったのかもしれない。
ガードパイプの上にいる体長20ミリほどのガを見つけたので、いつの間にか体長が10ミリほどになっていたオニグモのヒーちゃんにあげることにした。しかし、円網が傷んでいるので大型の獲物が暴れると外れてしまいそうである。そこでヒーちゃんが電柱の金具の陰から駆け寄って獲物をホールドするまでガの翅をつかんだままにしておく。〔危険です。よい子は真似しないでね〕
ヒーちゃんは体長で2倍に達する獲物に対しても臆することなく翅を抱え込んだ。こうなるとガは羽ばたくこともできなくなってしまう。動かせるのはお尻の先だけなのである。ヒーちゃんはその体勢で牙を打ち込んだようだった(暗くてよく見えないのだ)。
やがてヒーちゃんはおとなしくなった獲物を捕帯でぐるぐる巻きにし始めた。しばらくすると、翅ごと捕帯をきつく巻きつけられたガは太短い棒状にされてしまうのだった。その手慣れた様子からは、ガこそがオニグモが狙っている獲物なのだろうという感じがする。円網を張る高さが1メートルから2メートルの範囲なのもガが飛ぶ高さに合わせてあるのだろう。また、ナガコガネグモに比べて捕帯が薄いのもバッタのように強い脚で暴れることができない獲物ならそれで十分だということなのかもしれない。
ただ、ホームポジションの下には縦糸1本しかないので、どこに獲物を固定すればいいのか悩んでいる様子ではあった。
午前10時。
オニグモのヒーちゃんは電柱の金具の陰で獲物を食べていた。なるほど、「円網がないのなら住居で食べればいいじゃない」というわけだ。そこならばより安全だろうし。クモはいつものやり方ができない状況でも柔軟な対応ができるのである。
少し大きくなったような気もする4ミリちゃんには体長5ミリほどのアリを2匹あげた。4ミリちゃんは一匹目をぐるぐる巻きにした後に円網にかかった二匹目を無視していたが、しばらくしてから捕帯を巻きつけ始めた。これは多くの獲物を食べることよりも手元の獲物を確実に食べることを優先しようということなのだろうが、それでは、もっと大きくなったら2匹とも仕留めてから食べるようになるのだろうか? できれば成長段階に合わせて追試を繰り返して、第二の獲物への対応についてのデータを集めたいところだな。
ゴミグモ姉妹は2匹とも横糸を張っていなかった。お姉ちゃんの方は腹ごなしかもしれないが、問題は妹ちゃんである。いくらなんでも絶食期間が長すぎる。ヤマゴミグモの雌だと思っていたらゴミグモの雄だったという例もあるから、この子も妹ちゃんではなく、妹夫くんだったのかもしれない。〔ひどいネーミングだな〕
もとい、「弟くん」と呼ぼう。ただ、この子の体長はゴミグモの雄成体だとしても下限ギリギリだ。これはもしかしたら、雌がすぐ近くにいるので長距離を歩く必要はないから、これ以上成長する必要もないという判断なのかもしれない。〔そこまでの判断ができるのか、ゴミグモに?〕
お姉ちゃんが今シーズン中にオトナになるという保証もないだろうけどなあ……。
午後6時。
体長7ミリほどの甲虫を拾ってしまったので、円網で待機していたデンちゃんにあげた。すると、体長15ミリほどに成長していたデンちゃんは獲物をいつもより余計に回しながら捕帯を巻きつけた後、甲虫の腹部腹面に牙を打ち込んだのだった。甲虫の腹部背面は強靱な鞘翅で覆われているので、腹面側を狙ったのだろう。もちろんただの偶然という可能性もあるのだが、ぐるぐる巻きにした獲物を回転させながら触肢で探っている様子を見ると獲物の弱点を探っているとしか思えないのだ。昨シーズンから生きているのなら甲虫を狩った経験から学習していても不思議はないだろうし。
ヒーちゃんが食べていたガはペラペラの食べかすになっていた。とんでもない消化能力だ。
5月15日、午前5時。
オニグモたちの中で円網を張っていたのはデンちゃんだけだったので、「大きい獲物と小さい獲物」実験を行った。結果は「大きな獲物を先にホームポジションに持ち帰って食べる」だった。機会があったらジョロウグモでも追試してみたいものだな。
ヒーちゃんはホームポジションで食べていたガの食べかすを放り投げた。体長で自分の2倍の獲物(ヒトだとブタ1頭くらいか)を18時間くらいで完食してしまったわけである。
5月16日、午前11時。
シロちゃんにアリをあげようとして、ついうっかり手に持ったままのアリでその円網に触れてしまった。するとシロちゃんは枠糸を伝って灌木の枝まで逃げてしまった。オニグモのヒーちゃんとは大違いである。繊細な子だが、それだけに育て甲斐があるとは言えるかもしれない。なお、シロちゃんの近くにいた体長3ミリほどのシロカネグモの仲間は姿が見えなくなっていた。
オニグモの4ミリちゃんは体長が6ミリほどに成長していた(今後は「6ミリちゃん」と呼ぼう)。この子は今、鉄骨の隙間を出て鉄骨が直角に曲げられた部分にいる。つまり、全身丸見えである。おそらくは隙間にお尻が入らなくなってしまったのだろう。6ミリちゃんは枠糸すら張っていなかったので、引っ越しを考えているのかもしれない。そのままそこに居続けるのか、それとも新天地を目指すのかに注目したい。
オニグモのヒーちゃんは今日も腹ごなし。デンちゃんの円網は体長1ミリクラスの羽虫だらけである。
ゴミグモ姉妹はお姉ちゃんまで絶食を始めてしまったようだ。もしかするとこの2匹も雄だったのかもしれない。ある程度成長してからでないと雌か雄かわからないというのは厄介な話である。
午後6時。
ゴミグモ姉妹のお姉ちゃんのゴミの中に脱皮殻のようなものがあるのに気が付いた。この体長で脱皮に備えての絶食をしたのなら雌である可能性が高いと言えるだろう。油断は禁物だが。
そしてゴミグモ姉妹の近くにお姉ちゃんよりも大きな体長12ミリほどのゴミグモが現れた。どこからやって来たのかわからないが、この大きさなら間違いなく雌である。薄い褐色で第一脚と第二脚の肘(?)の部分が黒くなっているので「エルちゃん」と呼ぶことにしよう。もちろんエルボーの「エル」である。挨拶代わりに12ミリほどのアリをあげると果敢に飛びついてぐるぐる巻きにしてくれた。
午後8時。
ノートパソコンの下に体長4ミリほどのハエトリグモのミイラが転がっていた。この間は文庫本の山の陰でダンゴムシのミイラを3体見つけたし、どうもこの部屋には換気口以外にもダンゴムシが入り込めるくらいの隙間があるらしい。
5月17日、午前5時。
オニグモのヒーちゃんに大きなワラジムシと小さなワラジムシをあげてみた。結果は予想通り、大きなワラジムシから食べる、だった。やはりオニグモは大きな獲物が好きなようだ。
そのワラジムシだが、同じワラジムシ目のダンゴムシよりも足が速い。考えてみれば当たり前なのだが、ダンゴムシのように隙のない防御態勢を取ることができないのなら逃げ足を速くするしかないわけである。ダンゴムシが敵弾をはね返しながら前進していく戦車だとしたら、ワラジムシは走り回って狙いを外すジープだろう。触ってみるとダンゴムシよりも背中の外骨格が柔らかそうなのも体を軽くするためなのかもしれない。
ゴミグモ姉妹の妹ちゃんはいまだに絶食を続けているが、お姉ちゃんは横糸を4本だけ張っていた。絶食していたのは脱皮のためだと考えていいようだ。お姉ちゃんの体長は8ミリほどだからこれ以上大きくなるようならほぼ確実に雌である。
午前11時。
正体不明のお団子ちゃんは留守だったが、しばらく前に1個まで減っていたダンゴムシの死骸が2個に増えていた。主に、あるいは専門にダンゴムシを狩るクモなんじゃないかと思うのだが、断言はしかねる。だいたいダンゴムシに丸くなられたら牙を打ち込むのも難しいだろうに。とはいえ、それを逆に考えればライバルが少ないということでもあるから、狩る方法さえ開発できれば食べ放題になる。そういうニッチに進出したクモがいてもおかしくはないだろう。
5月18日、午前5時。
オニグモのヒーちゃんは円網を張っていたのだが、獲物がかかっても寄ってこない。よく見ると、電柱の金具の陰で円網にお尻を向けているのだった。食欲がないのなら円網そのものを張らなきゃいいじゃないかあ!
なお、円網の汚れ具合から推測するとヒーちゃんが円網を張り替えたのは昨日の夜のようだ。ということは、夜行性に戻ったのかもしれない。「お腹すいてないから残業はなし」ということらしい。体長5ミリ以下だとほぼ夜行性のようだから、ある程度成長して捕食されにくくなったら早くオトナになることを優先するようになる、ということなんだろう。なお、作者は空腹でなければ働かないと言うのは生物として正しいことだと思う。そういう意味では、やる気もないのに働き続けなくてはならない人間というのは……。
ゴミグモ姉妹のお姉ちゃんは横糸を12本にしていた。順調に回復しているというところか。問題は弟くんで、ゴミに脱皮殻が付いている。これでまた横糸を張るようならただ単に脱皮に備えての絶食だった、つまり、やっぱり妹ちゃんだったということになるかもしれない。小柄だから食べた物を消化するのにも時間がかかるんだろうかなあ。
その近くにいるエルちゃんも横糸を張るのを途中でやめていた。半袖だと少し肌寒いと感じるくらいの気温だからクモたちもあまり動きたくないのかもしれない。
近所のオニグモ1号ちゃんと2号ちゃんが居た場所には体長7ミリほどのアシナガグモがいた。改めてよく見ると、その円網の糸がナガコガネグモやジョロウグモと比べて細いような気がする。シロカネグモもアシナガグモ科なのでシロちゃんの所まで見に行ってみると、やっぱり細いようだ。アシナガグモ科は本来水辺のクモであるということと水平円網を張るということから推測すると、下方から重力に逆らってゆっくり上昇してくる体重の軽い獲物を狙っているのだろうと思う。獲物の持つ運動エネルギーが小さいのなら細い糸でも十分なのだろう。アシナガグモ科のクモは成長が早いらしいのだが、その要因の一つには糸の細さによる省エネ効果もあるのかもしれない。
午前11時。
シロちゃんが何か食べていた。それもホームポジションに開けられた穴の縁で、だ。これは……飢えている時は食べることを優先する。それに対して、そこまで空腹でない時にはホームポジションに持ち帰って食べる、ということなんだろうかなあ。オニグモのヒーちゃんやデンちゃんも昼間は住居に獲物を持ち帰って食べることが多いから、クモの場合は基本的なやり方はあるものの、状況に応じてそれをアレンジするということなのかもしれない。クモは本能のプログラム通りにしか動けない生きた機械だとは言えないんじゃないかと思う。
5月19日、午前6時。
近所のオニグモ2匹がいた場所に水滴がびっしり付いた円網が張られていた。横糸の間隔が広いからオニグモのものだろう。1号ちゃんのか、2号ちゃんのかはわからないし、どちらにせよ長い間留守にしていたわけだが、脱皮するための絶食だったのかもしれない。あるいは、引っ越してみたものの獲物が少なかったので帰ってきたか、だな。
なお、そこにいたアシナガグモは追い出されたらしくて、30センチほど離れた場所に円網を移していた。同じくらいの体長なら体重は数倍になるはずだからしかたないだろう。
シロちゃんは円網の足場糸を張っているところだった。その円網の縦糸はオニグモなどより多い。だいたい2倍くらいの本数が張られているようだ。糸が細いので構造強度を稼ぐためなのか、水平円網には垂直円網とは別の要因があるのかまではわからない。ああ、この子の個性という可能性もあるな。そして張り替え中の円網の外側にはU字形になった古い円網が残されていた。古い円網が濡れているのを嫌ったのか、あるいは枠糸まで替えてしまいたいと考えたのかもしれない。これも観察例を増やす必要があるだろう。
ところで、去年ナガコガネグモのおかみさんが産んだ卵囊からは子グモが出てきた様子がない。新15ミリちゃんが残した卵囊も蓋が開いた様子がないから、結局交接できずに無精卵を産んだということなのかもしれない。ジョロウグモの姐さんは最後まで産卵せずに力尽きていったのだが、ナガコガネグモとジョロウグモではこういうところでも違いが出るんだろうか?
※宮下直編『クモの生物学』(2000年発行)によると、ナガコガネグモの子グモは卵囊に穴を開けてそこから出てくるのらしい。考えてみれば、体長2ミリ以下の子グモに蓋を持ち上げろというのも無理な話だったのだな。
5月20日、午前1時。
目が覚めてしまったので散歩に出ると、ゴミグモ姉妹の隣で体長15ミリほどのオニグモが横糸を張っているところだった。電柱の脇にデンちゃんの姿は見えないから脱皮するついでに引っ越したのかもしれない。ただ、その場合にはヒーちゃんより一回り大きくなってしまったのはどういうわけなのかが問題になる。作者はガを1匹ほぼ完食したヒーちゃんの方が先に大きくなるだろうと予想していたのだが……。作者の見ていないところで十分な量の獲物を食べていたということなんだろうかなあ。外骨格であるクモは脊椎動物のように連続的に成長せずに、脱皮する度に階段状に大きくなっていくはずだから、ヒーちゃんもいずれはデンちゃんに追いつくのかもしれない。
スーパーの近くで体長5ミリほどの全身黒くてお尻が丸いクモを見つけた。どうもヒメグモの仲間のようだ。最近有名になったセアカゴケグモもヒメグモ科だから注意が必要である。そこで念のためにウィキペディアの「クロゴケグモ」のページを開いてみると、「クロゴケグモは、普通は様々な昆虫を捕食するが、時にはワラジムシ類、ヤスデ、ムカデ、他のクモを餌にすることもある」という記述があった。さらに「獲物が網に引っ掛かると、クロゴケグモは素早く巣内の隠れ家から出てきて、獲物を自身の出す糸でしっかりとくるんでしまう。身動きが取れなくなったところで咬み付き、獲物に毒を注入する」「クモはそこで捕らえたエサをを退避場所に運び上げてから食うのである」とも書かれていた。推測でしかないが、ゴケグモの仲間はナガコガネグモのような強力な捕帯を使えないので、主に牙の毒によって獲物を仕留めるというジョロウグモ型の狩りをするんじゃないかと思う。ロープで動きを封じる代わりにナイフで仕留めるというようなものだな。
最近有名になったセアカゴケグモも含めてゴケグモ属の毒は神経毒で、しかも分布域が世界的に広がっているらしい。その結果、咬まれる人間が多くなってしまうようだ(「ゴケグモ刺咬症」という病名まである)。日本でも特定外来生物に指定されたようだが、これは最初に住みつくのが港などの人が多い場所であるために被害が目立つということなのだろう。クモを見つけたからといって不用意にツンツンするのは危険なのである。〔お前が言うか!〕
しかし、クモに代わって言わせてもらえば、彼らの牙や毒は本来獲物を狩るためのものなのだから、それを身を守るために使うというのはよほど追い詰められた状況なのだろうと思う。その正当防衛に対して「危険な生物だ」と騒いで虐殺するのが人間なのだ。世界のどこかには「じゃまな奴らは皆殺しにしていいぞ」とおっしゃった凶悪な神様もいる、というか、そういう神様を作ってしまった民族もいるらしいのだが、作者は日本人だし、仏教が好きなので、ただ殺すために殺すという無益な殺生はやめるべきだと思う。クモが手を出してもいない人間を攻撃するということはおそらくないのだから。
午前11時。
ゴミグモ姉妹の妹ちゃんが円網の残骸の中心から枠糸の辺りまで移動していた。そしてその枠糸はお姉ちゃんの円網の枠糸に繋がっているのである。お姉ちゃんの円網に獲物がかかった時にはつま弾き行動までしている。これはどうやら雄に間違いないようだ。「ぼくはお姉ちゃんと結婚するんだ」という強い意志が感じられる。〔この2匹が姉弟であるという証拠は何もない!〕
ただし、ゴミグモの雌成体の体長は12~15ミリということなので、10ミリほどのお姉ちゃんはあと1回くらいは脱皮することになると思うのだが、オトナになっていなくても雌だと認識できているんだろうかなあ。
5月21日、午前11時。
ゴミグモ姉妹のお姉ちゃんは縦糸を張っているところだったが、雨が降り出したせいか中止してホームポジションに戻ってしまった。そして弟くんの姿が見えない。交接できたんだろうか?
体長10ミリほどのガが雨で動けなくなっている様子だったので、コシロカネグモのシロちゃんにあげてみると、シロちゃんは円網の外側まで逃げてしまった。これは予想通りである。おそらく、コシロカネグモにとってはここまで大きな獲物が、しかも上からやって来るのは想定外なのだろう。
下に落ちてしまったガは拾ってゴミグモのエルちゃんにあげることにする。体長12ミリほどのエルちゃんはちゃんと飛びついて捕帯を巻きつけた。このあたりはいかにもコガネグモ科らしい積極性である。
スーパーの外壁の根元にはヒメグモの仲間のものらしい不規則網があったので体長5ミリほどのアリを落としてみると、黒いクモが飛び出してきてアリに襲いかかって牙を打ち込んだらしかった。獲物がおとなしくなると、この子は獲物をそこに置いたまま不規則網の奥の住居に戻っていった。一休みしてから食べるんだろう。
その近くにもワラジムシの死骸が転がっている不規則網があったから、このスーパーの周辺には同種のクモが複数住みついていると考えて間違いないだろう。
※この「牙」は正式には「鋏角」と言うらしい。これは同じ鋏角亜門・クモ型綱に属するサソリでは口元の小さな鋏になっている。なお、よく目立つサソリの大きな鋏はクモの触肢にあたるのだそうだ。
5月22日、午前5時。
シロカネグモのシロちゃんは縦糸を張っているところだった。
ゴミグモ姉妹の弟くんは5メートルほど離れた所にいるエルちゃんの円網の枠糸に乗っていた。お姉ちゃんから乗り換えたらしい。おそらくエルちゃんの方が先にオトナになるだろうから、それは正しい判断である。しかし、これはお姉ちゃんに対する裏切りだ。ヒマラヤの8167メートル峰ではないか!〔それはダウラギリ!〕
※乱暴な推論だが、エルちゃんは意識して弟くんの近くに引っ越して来た可能性もあると思う。羽を持つ昆虫の場合は雄が雌の所に飛んでくるのが一般的らしいが、クモには羽がない。確実に交接するためには雌の方から雄のいる所に引っ越して来るというのも有効だろう。ゴミグモの場合は雌の方が大きいので脚もより長い可能性もあるだろうし。
その近くにはオニグモのものらしいきれいな円網が張ってあったので、後で食べるようにとアリを投げてあげた……途端に、ガードパイプの隙間から体長15ミリほどのオニグモが飛び出して係留糸の上を駆け寄ってきた。こんな行動をするということは、この子はお隣ちゃんだろう。だいぶ大きくなっているし、この時間でも狩りをするということは脱皮したばかりで食欲旺盛なのだろうと思う。デンちゃんが引っ越したのだろうと思っていたのだが、ハズレだったわけだ。デンちゃんも配電ボックスの蓋の裏で脱皮しているということもあり得るだろう。
お隣ちゃんは作者が順に投げたワラジムシ2匹と追加のアリまで捕帯でひとまとめにしてから口を付けていた。これはジョロウグモでも見られるやり方だから小さな獲物が複数かかった場合の一般的な食べ方なのかもしれない。できれば体長20ミリを超えるようなガを食べさせてみたいところだな。
そのガードパイプの上には体長5ミリほどで、お尻が菱形になっている脚の長いクモもいた。アシナガグモの仲間かと思ったのだが、この子はヒメグモ科、ヒシガタグモ属のムラクモヒシガタグモらしい。『日本のクモ』によると「都市の庭園、公園、雑木林の周辺、林道などの樹木や草の枝葉間、根本付近、石垣、岩場、崖地などにX字状網を張り、歩いてくるアリや小昆虫を捕らえる」と書かれているからあまり珍しいクモでもないのだろう。もちろん、ただのヒシガタグモというのもいて、こちらはもっと横幅のある菱形らしい。
ヒメグモ科のクモは小型のものが多いので目立たないのだが、他のクモの円網に寄生したり、少数の糸の上で待ち伏せしたり、子育てしたりと面白い習性を持った子が多いようだ。いやいや、むしろ小さいからこそいろいろなニッチに入り込めるということなのかもしれない。
午前11時。
エルちゃんとお姉ちゃんが香箱座りをやめて足場糸を張り始めたので確認できたのだが、エルちゃんの体長は12ミリほど、お姉ちゃんはそれより少し小さいくらいだった。2匹ともゴミグモの雌としてはギリギリでオトナと言える大きさである。もしかしたら、お姉ちゃんが横糸の本数を減らしていたのは一種の婚活だったのかもしれない。で、弟くんはお姉ちゃんと交接を済ませたので、改めてエルちゃんのところに婿入りした、とか? そうだとしたら、りっぱな博愛主義者だということになるだろう(悪く言えば見境のない女好きだが)。ミニマムサイズの雄のくせになかなかやるものである。男は大きければいいというものではないのだな。〔節足動物と脊椎動物を同列に論じるんじゃない!〕
そして、弟くんをヒトのサイズに換算すると、雌のフェロモンをたよりにジャングルの中を何キロも歩き通したということになるだろう。しかも何日も前から絶食したままで、だ。この辺りに変温動物の底力を感じる作者である。
5月23日、午前11時。
体長6ミリほどまで成長したコシロカネグモのシロちゃんが1ミリくらいの獲物を咥えていた。面白いのはその先で、シロちゃんは円網を離れて、しおり糸でぶら下がったままブランコのようにホームポジションに戻ったのだった。垂直円網を張るクモにとってのしおり糸は緊急避難する時の命綱でしかないのだが、水平円網の下面でならこういう省エネワープも可能なのだな。そして、これできちんとホームポジションに戻るためには、その時の自分の位置とホームポジションとの位置関係を把握していなければならないはずだと思うんだが、どうなんだろう? 単なる偶然だとは思えないが……遊びか? いやいや、獲物を咥えた状態で遊ぶというのも考えにくい。円網という2次元の世界で生きているクモならば、その範囲内で自分の位置を把握する能力を持っていてもおかしくはないかもしれない。機会があったらまた観察したいものだが、1ミリの獲物など捕まえるのも円網にくっつけるのも無理だなあ。
5月24日、午前11時。
困ったことにゴミグモ姉弟のすぐ近くのツバキの木にチャドクガの幼虫の群れが現れた。気を付けないといかんな。
ゴミグモの弟くんはお姉ちゃんの円網に戻っていた。エルちゃんとの交接は済んだので戻ってきたということだろう。「やっぱりお姉ちゃんがいい」というわけだ。女好き、もとい、博愛主義のシスコンである。
※後にサイクリング中に見かけたゴミグモのカップルは大柄な雄とどう見てもまだ幼体の雌の組み合わせだった。光源氏のようなロリコンもいるらしい。
オニグモのヒーちゃんはいつもの金具の陰にいなかった。このタイミングだと脱皮の準備だろうと思う。作者に覗かれるのが嫌で引っ越した、とは思いたくない。
買い物の途中で飛んできた体長12ミリほどのカメムシの仲間を捕まえてしまったのでコシロカネグモのシロちゃんの円網に置いてみたのだが、寄ってこない。狩るのには大きすぎるということのようだ。
スーパーの西側ではお団子ちゃんが今までよりも低い位置に不規則網を張っていた(同じ個体だとは限らないが)。今回は卵囊もないのでよく見えたのだが、この子のお尻は黒地に境界のボケたグレーの迷彩模様で先端の下部が少し尖っていた。お尻に赤い部分はないのでセアカゴケグモではないとして、ヒメグモ科カガリグモ属のゴマダラヒメグモかシロホシヒメグモ、あるいはヒメグモ属のオオヒメグモかもしれない。そこでさらにウィキペディアを開いてみると、ビンゴ! お尻が尖っているのがよくわかるオオヒメグモの画像が掲載されていた。「卵囊も網につるす」とか、獲物についても「日本ではゲジ、ハサミムシ、アリ、ツマグロヨコバイ、ワラジムシ等が挙がっている」という記述もあるからオオヒメグモに間違いないだろう。ただ、こういう獲物は主に地上を歩いているような気がする。それならもっと低い位置にいた方がいいと思うのだが、ダンゴムシは壁を登ってくることもあるのかもしれない。なお、この壁の根元部分にはダンゴムシが3匹歩いていた。獲物は豊富らしい。
※オオヒメグモは日本では北海道から九州、南西諸島まで、世界的には熱帯地方を中心に世界中に分布しているのだそうだ。また、本来は南アメリカ原産らしいのだが、亜熱帯、温帯と生息域を広げていく段階で札幌の屋外の最低気温にも耐えられるような低温耐性を獲得したようだという話もある。
5月26日、午前11時。
ゴミグモの弟くんがまたエルちゃんの円網に移動していた。どうやらエルちゃんとお姉ちゃんの所有権を主張しているつもりらしい。ただの欲張りな女好きだったわけだ。
オニグモのお隣ちゃんの円網の枠糸には体長5ミリほどのオニグモがいた。体長とお隣ちゃんのねぐらの反対側という位置から見て雄なんじゃないかと思う。
コシロカネグモのシロちゃんには体長10ミリほどのガガンボをあげた。シロちゃんはためらう様子もなく飛びついてきたから、おそらく円網の振動で獲物の大きさ(重さ?)を判断しているんだろう。
午後5時。
オニグモのお隣ちゃんの円網にいる雄が円網にかかっていた獲物を食べていた。24時間営業のクモだと追い払われたりするのだが、オニグモは基本的に夜行性なので「雌のいぬ間の食事」ということもできる、と思ったら大間違い……かもしれない。オニグモの雌の体長は20ミリから30ミリに達する。雄は小さくてもいいとはいっても大きさに違いがありすぎではないかと思って『日本のクモ』を開いてみると、雄の体長は「15~20ミリ」と書かれていた。じゃあこの子は何者なんだ? 体型はオニグモそのものなのだが……引っ越しの途中で迷い込んでしまった幼体なのか? まあ、雄でなければお隣ちゃんに追い出されるはずだからそれでわかるだろう。
※この子は翌日の午前7時に見た時にはいなくなっていた。『ヘンゼルとグレーテル』のようなことをしてしまうクモもいるのかもしれない。
午後9時。
思いがけずに体長20ミリほどのゴキブリの子虫(まだ羽がない)を捕まえてしまった。さて困った。このサイズの獲物を狩ることができるのはオニグモくらいだろうが、お隣ちゃんは食事中、ヒーちゃんは円網の足場糸を張っている最中なのである。しょうがないのでスーパーの駐車場を一周すると、西側の植え込みで体長12ミリほどのオニグモを見つけた。この子の汚れている円網に静かに指を置いてみると、ちゃんともしょもしょしてくれたのだが、さすがにこの大きさのオニグモだとちょっと怖い。
半袖だと少々寒いのでヒーちゃんが横糸を5本くらい張ったところでゴキブリをあげてしまう。ちゃんと獲物をぐるぐる巻きにしたヒーちゃんだったが、未完成のホームポジションでは食べにくそうだった。悪いことをしてしまった。
5月26日、午前11時。
ゴミグモのエルちゃんが何かを食べていたので覗いてみると、獲物は体長15ミリほどの黒くて細長い甲虫だった。こいつは背中側の鞘翅も腹側もやたら硬いのでクモには食べられないだろうと思っていたのだが、エルちゃんはこの甲虫の腹部の後端に口を付けているようだった。そこにはもちろん生殖器や肛門がある。なるほど、そこだけは硬くするわけにはいかないわけだ。人間の考えることなどクモには遠く及ばないのである。
午後11時。
ゴミグモのお姉ちゃんの円網は汚れている。
エルちゃんは枠糸とゴミを固定するのに必要な最小限の縦糸しか張っていない。もしかして、この状態から円網を張っていくんだろうか? 作者は縦糸は残しておいて横糸だけを張り替えるのだろうと思っていたのだが、これも単なる思い込みだったのかもしれない。
珍しくオニグモのヒーちゃん、デンちゃん、お隣ちゃんが円網で待機していた。お隣ちゃんは円網を張り替えていなかったのでスルーするーとして、横糸の間隔が狭めの円網を張っていたヒーちゃんとデンちゃんは食欲があるのだろう。そこでヒーちゃんにはそこらで捕まえた体長10ミリほどのガをあげる。後で確認するとヒーちゃんは獲物を肉団子にして食べていた。
さて、お尻の大きさでヒーちゃんに負けているデンちゃんには運良く拾った体長20ミリ、翅を広げると約100ミリになるというかなり大型のガをあげることにする。ただ、この大きさのガに羽ばたかれると鱗粉の効果で円網から外れてしまう可能性が高いので、体長15ミリほどのデンちゃんがガにつかみかかるまでガの翅を指でつかんだままにしておく。〔危険です。よい子は真似しないでね〕
デンちゃんもヒーちゃんと同じようにガの翅ごと抱え込もうとしたようだが、片方の翅にしか爪がかからない。よく見えなかったのだが、もしかするとここで牙を打ち込んでいたのかもしれない。鱗粉をまき散らしながらもしだいに動きが鈍くなっていくガに捕帯を巻きつけ始めたデンちゃんは、ガの頭部から背中側を歩いて腹部の先端へ、そこから腹側に回り込んでまた頭部に戻るというルートでさらに捕帯を巻いていく。それから翅を押さえながら横回りに捕帯をまきつけて最終的にはガを棒状にしてしまった。この時点でもガは脚を動かしているので、その辺りにも捕帯を巻きつけて「これで十分ね」と判断したらしいデンちゃんはホームポジションに戻って右の第四脚から順に爪のお手入れを始めるのだった。
この時点でぐるぐる巻きにされたガはホームポジションの斜め下辺りにぶら下がった状態になっている。この大きさではホームポジションまで持ち帰るのは無理なのではないかと思っていたのだが、デンちゃんは右の第四脚をしおり糸に引っかけて、ぶら下がった状態でガに取り付いたのだった。このガは胴に生えている毛が長めなのでどこから食べればいいのかの判断に時間がかかったようだったが、しばらくしてちゃんと食べ始めた様子なのでそこで観察を中止して帰宅することにした。なにしろ、もう日付が変わるという時間になっているのである。
今回の観察でオニグモが主に狙っているのはガである可能性がより高くなったと言えると思う。これだけの大物(横幅なら10倍だ)がかかった場合、ジョロウグモやコシロカネグモなら逃げることしかできないだろう。
※後に体長12ミリほどのゴミグモに翅の横幅が50ミリ近いガをあげてみたのだが、デンちゃんと同じように翅を脚で抱え込んで牙を打ち込んでいたようだった。翅の大きなガに対しては同じような仕留め方になるのが面白い。
5月27日、午前5時。
ゴミグモのお姉ちゃんとエルちゃんはきれいな円網を張っていた。ただ、弟くんの姿が見えない。交接は終えたので他の雌の所へ旅立ったということなんだろうかなあ。
オニグモのお隣ちゃんも円網を張り替えていたので獲物を投げてあげると、ガードパイプの端から駆け出してきた。
デンちゃんはガをホームポジションの左上あたりまで引っ張り上げていた。電柱の配電ボックスから前半身を乗り出していたから、住居まで運ぼうとしている内に明るくなってしまったのでデポせざるを得なくなったというところか。
午前10時。
デンちゃんはガを配電ボックスのすぐ近くまで引っ張り上げていた。変温動物でも力仕事をすると体温が上がるはずだ。その時は休憩して体温を下げてからまた持ち上げるということを繰り返したのだろう。
オオヒメグモのお団子ちゃんにはワラジムシをあげてみた。お団子ちゃんはワラジムシの腹面に牙を打ち込んだように見えたのだが、そこは同じワラジムシ科のダンゴムシにとっても弱点であるはずだ(だから球形の防御姿勢を取る)。オオヒメグモはワラジムシ科の弱点を知っていて、意識的に腹面を狙うという可能性があるかもしれない。
※後で地上近くに不規則網を張っている別のヒメグモ科のクモにダンゴムシをあげてみたところ、何回か飛びかかったものの結局は逃げられてしまっていた。不意を突いて確実に弱点を攻撃できないと仕留めることができないのかもしれない。
5月28日、午前11時。
久しぶりにガガンボを捕まえた。これはもちろんコシロカネグモのシロちゃん用にする。シロちゃんは躊躇せずに飛びついて来たのだが、なぜシロちゃんは円網にかかったのがガガンボ(一般的には細い体型でゆっくり飛ぶ昆虫)だとわかったんだろう? 最も高い可能性は円網を伝わってくる羽の振動を感知しているということだろうが……次のガガンボは羽を切り落としてからあげてみようかな。襲いかかるまでの時間が長くなるようなら振動だろう。
体長10ミリほどのハナアブらしい昆虫も拾ってしまったので夜が来るまで確保しておく。こちらはオニグモのヒーちゃん用だが、もう飛べないまでも羽ばたく力は残っているようなので円網から外れる前に仕留めてもらう必要があるのだ。
配電ボックスの蓋からはデンちゃんの脚の先が見えているのだが、ガが見当たらない。そこで円網の下を探してみると、スカスカになったガの残骸が捨ててあった。もう完食してしまったらしい。
ツバキの葉の上には体長5ミリほどのハエトリグモの仲間もいたので、枯れたイネ科植物の葉を目の前に差し出してみた。この子は10センチ以上の距離で枯れ葉の方に体ごと向き直ったものの、さすがに大きすぎるのか飛びついてこない。そこで「ほれほれ」と葉の先を近づけていくと、ちゃんと抱え込んだのだが、わずかな時間触肢でもしょもしょしただけで「これは食べられない」とばかりに放り出した。判断が早いこと。
午後3時。
ゴミグモの光源氏くんがいた場所でアリを追いかけているハエトリグモを見つけた。しかし、いつまでも追いつけないんだ、これが。ほとんどのクモがそうであるようにハエトリグモも基本的には待ち伏せ型のハンターなのだろう。それでもクモの仲間としては追いかける能力が高い、とは言えるんだろうが。
なお、光源氏ポイントにはゴミグモが4匹とアシナガグモとナガコガネグモの幼体が1匹ずつ、さらに数メートル離れた場所にもゴミグモが2匹いる。人気スポットらしい。
5月29日、午前5時。
オニグモのヒーちゃんはお隣ちゃんと同じようにガードパイプの中にいた。ただ、お隣ちゃんがパイプの端から脚を出しているのに対して、ヒーちゃんはお尻を見せているという点が違っている。これをただの偶然で片付けていいものなんだろうか? この場合、一番面白い可能性はオニグモは近くにいる他のオニグモと会話する能力を持っているというものだな。「このパイプの中は安全で快適よ」「ほんとに? それじゃあたしも引っ越ししようかしら」とか? まあ、同じ円網に乗っているのならともかく、数メートル離れた場所にいるクモ同士が会話できるとも思えないのだが。
5月30日、午前6時。
ゴミグモのお姉ちゃんは円網をゴミごと切り落として、ゴミなしの円網を張っていた。これは弟くんもしていた行動だが、どういう意味があるのかわからない。同じゴミグモのエルちゃんが円網に付けているゴミはすでに10センチを超える長さになっているのに。お姉ちゃんの円網にはシロカネイソウロウグモがいたことがあるから寄生しているやつを円網ごと切り捨てたのかもしれない。ジョロウグモの腰曲がりちゃんも雄が現れた直後に円網を切り落としていたことだし。
その近くにいるオニグモのお隣ちゃんは直径約60センチの円網を張っていた。ヒーちゃんとデンちゃんは50センチくらいだ。それでいて円網を張るのは午後10時頃だから営業時間(?)は8時間以下である。やる気があるのかないのかわからない。昼間の内に円網にかかった獲物は夜になってから食べればいいという考え方なんだろうか?
オニグモのヒーちゃんはガードパイプの端から脚を1本だけ出していたので、円網にくっつけたワラジムシをツンツンして大物がかかったように見せかけると顔を出して、少しためらいがちに獲物に寄ってきた。
ヒーちゃんの体長はまだ15ミリほどだが、お尻は12ミリを超える幅になろうとしている。20ミリ幅になったら今年の「姉御」にしてもいいかもしれない。もっとも、デンちゃんもお隣ちゃんも同じくらいの体長になってはいる。
6月1日、午前6時。
オニグモのヒーちゃんがガードパイプの端から脚の先を出していたのでツツジの葉を食べていたイモムシを円網にくっつけてみた。しかし、飛び出してきたヒーちゃんは獲物を転がすようにして捕帯を少し巻きつけてから、盛んに触肢でもしょもしょした後、円網の糸を切ってイモムシを落としたのだった。これは去年のジョロウグモの姐さんと同じ行動である。オニグモやジョロウグモにとってイモムシは獲物ではないということなのかもしれない。おそらく捕帯を巻きつけた状態でも硬い外骨格を持っていないということがわかるのだろう。ということは、作者がクモに咬まれたことがないのもゴミ認定されていただけということなのかもしれない。安心したような、ちょっと悲しいような……。
獲物だと認識されるためには硬い外骨格が必要なのかもしれない、というわけで、オニグモのお隣ちゃんには体長8ミリほどのダンゴムシをあげてみた。ガードパイプから飛び出してきたお隣ちゃんが捕帯を巻きつけ始めるとダンゴムシはすぐに丸くなったのだが、お隣ちゃんはかまわずに捕帯を巻き続け、その間に何回か牙を打ち込んだようだった。さらに捕帯を巻きつけたお隣ちゃんは、お尻から引き出した細い糸に右の第四脚を添えてダンゴムシをぶら下げると、ガードパイプの中へ帰って行った。さすがに明るい時間帯にホームポジションで食べる気にはなれないらしい。
しばらく姿を見せなかったオニグモの6ミリちゃんは4メートルほど離れた場所に引っ越したらしい。この子はオニグモにしては白っぽいのでナカムラオニグモかヤマシロオニグモなのかもしれない。どちらもオニグモよりは小型のクモだ。で、ちょうどいいので、この子にも8ミリほどのダンゴムシをあげてみた。すると6ミリちゃんは捕帯を巻きつけながら牙を何回か打ち込んで、それからホームポジションに持ち帰ったのだった。ここまで成長したオニグモの牙ならダンゴムシの背甲を貫けるということなんだろうかなあ。
またまたオニグモの話になるのだが、4月1日にバッタの死骸をあげた12ミリちゃんがいた場所の近くに体長2ミリから3ミリの子グモが9匹いた。幅10メートルに9匹だからけっこう高密度である。で、またいい加減な思いつきを言ってしまうのだが、この子たちは12ミリちゃんの子どもたちなのではあるまいか? 12ミリちゃんが産んだ卵が孵化して、卵囊を出た子グモたちがバルーニングしようとしたちょうどその時に風が止んでしまったとかで旅立ちに失敗してしまったということもあり得るだろう。しかし、その場合は12ミリちゃんの体長が問題になる。新海栄一著『日本のクモ』にはオニグモの雌成体の体長は「20~30ミリ」と書かれているのである。12ミリから脱皮して20ミリになることはないとは言えないだろうが、オニグモの雌の最終目的は大きくなることではなく、より多くの卵を産むことであるはずだ。脱皮してお尻が大きくなったのならば、そのお尻に詰め込めるだけの卵を造るべきだろう。より多くの卵を造るためにはさらに獲物を食べる必要があるはずだ。まだ春だったんだし、あせって産卵してしまうというのは生物としてやってはいけないことにような気がする。
作者はこの矛盾を解決するヒントは環境にあると思う。この駐車場の植え込みは幅がせいぜい2メートルしかない。実に貧弱な生態系なのである。当然獲物も少ないだろうし、成長も遅くなるだろう。ここからは例によって思いつきだが、オニグモはこういう劣悪な環境の場所に居着いてしまった場合のための奥の手を持っているのではないかと思う。成長が遅くなるようなら十分な大きさに成長することを諦めて、小柄なまま卵を産める体になってしまうのだ。孵化後にバルーニングで風に乗った子どもたちがそこよりも獲物の多い場所にたどり着けるかどうかはギャンブルになるが、獲物の少ない場所に固執するよりは少しでも個体数を増やした方がいいという考え方なのではあるまいか? まあ、これはバッタの死骸一つですら無駄だったとは思いたくない年寄りの屁理屈でしかないのだがね。
※ナガコガネグモの新15ミリちゃんも成体とは言えないような体格で産卵していたらしい。
今日はオオヒメグモの狩りも見せてもらった。この子も第四脚を自転車のペダルを回すように動かすし、獲物も丸くまとめられていくから糸を巻きつけているはずなのだが、それがほとんど見えない。この子の捕帯もジョロウグモのそれのようにごく薄いようだ。ではなぜ、ジョロウグモのようにいきなり牙を打ち込んで仕留めるという狩りをしないのかというと、オオヒメグモは自分よりも大きな獲物も積極的に狩るからだろう。大型の獲物は糸で動きを封じておかないと毒が回るまでに不規則網から落下してしまいかねない。それを防ぐために捕帯が必要なんだろうと思う。
※池田博明氏が翻訳した『クモの餌 ウォルフガング・ネントウィッヒ』には「ヒメグモ類は粘着性のある糸の塊を犠牲者に投げつける攻撃行動を行う」という記述がある。米飯やパンじゃあるまいし、逃げようとしたり、時には反撃することもある食べ物は「獲物」と呼称するべきではないかと個人的には思う。まあ、そこは妥協してもいいのだが、「粘着性のある糸の塊を投げつける」のはヒメグモ科に含まれるオナガグモやヤリグモに特有の捕食行動だ。オオヒメグモは円網を張るクモと同じように「獲物に糸を巻きつける」し、糸を巻きつけられた獲物の見た目はジョロウグモが仕留めた獲物によく似ている。
というわけで、オオヒメグモは「ヒメグモ類」には含まれないのかもしれない。獲物に巻きつけられた糸に触れてみる必要があるかなあ。
最近何かと話題になるセアカゴケグモもヒメグモ科なのだが、セアカゴケグモが強い神経毒を持っているのは捕帯を使わずに大きな獲物を仕留めるためだろう。そういう大事な毒を人間なんかに使ってしまうというのは相当に追い詰められた状況なのだろうと思う。まあ、相手が正当防衛をする権利を認めないのが人間というものだから、人間に出会ってしまうような場所にいる方が悪いということではある。ああっと、人間ははるかに優れた文明を持つ地球外知性体に対しても相手の正当防衛を認めないんだろうか? こういうテーマのSFがあってもいいかもしれないな。
午後3時。
光源氏ポイントで体長12ミリほどのゴミグモを見つけたので、体長15ミリほどの細身のガをあげてみた。この子もコガネグモ科らしく獲物に飛びついて、その大きな翅を脚で抱え込むようにして動きを封じたまま牙を打ち込み、抵抗が弱くなってから捕帯を巻きつけたのだった。このガの翅を脚で抱え込むというやり方はオニグモやゴミグモの本能にプログラムされているのかもしれない……と思ったら大間違いだった。
いったん帰宅した後、調子に乗ってゴミグモのエルちゃんにもガをあげてみたのだが、エルちゃんは駆け寄って牙を打ち込んだものの、翅を抱え込むことに失敗したのである。暴れるガを円網に置いたままホームポジションに戻ってしまったエルちゃんは、やがてガがおとなしくなると捕帯も巻きつけずに口を付けるのだった。つまり、ガの翅を抱え込んで動きを封じるというテクニックは経験によって身につけたスキルである可能性が出てきてしまったわけだ。もちろんエルちゃんがたまたまドジっ子だっただけなのかもしれないのだが、こういうデータを得てしまった以上は観察例を増やして仮説の有効性を高めていくしかないのである。やれやれ、ガを捕まえるのですら大変だというのに……。〔捕虫網を使えばいいだろ〕
ロードバイクは速く走るようにできているので余計な荷物は持ちたくないのである。今日のガもウインドブレーカーではたき落としておいて、飛び立たれる前に捕まえたものなのだ。
クモをつつくような話2021 その3に続く