コイ味のネギ
「いらっしゃいませー」
「ワカメうどん1つ」
「かしこまりました」
俺は山川裕太。うどん屋でバイトしている大学2年生。大学入学と共に始めたバイトだから、今は2年目だ。
今日は平日だから夜シフト。平日の夜は昼間に比べて客が少ない。だから楽で良い。
…普段なら。
「須田、ワカメ出しといて」
「はいっ」
俺はうどんを茹でながら、後輩の須田に指示を出す。
須田は冷蔵庫を開けて、ワカメのタッパーを出した。
そしてこっちに持ってこようとして、転けた。
ワカメのタッパーが宙を舞い、俺に当たって落ちた。落ちた衝撃で蓋が開いた。もちろんワカメはパァだ。
「須田ぁぁぁあああ!いつも足元には気を付けろって言ってるだろうが!」
「すみませんっ、すみませんっ!」
「もういい!お前はうどん見てろ!茹で上がったら湯切りして丼に入れとけ!」
そう、須田と一緒でなければ楽なのだ。
俺はイライラしながらワカメの予備を出し、急いで細かく切る。
須田が用意したうどんにかけ汁をかけると、ワカメとネギを入れて客席に運ぶ。
「ワカメうどん、お待たせしました」
「ありがとう」
須田は半年前に入ってきた大学1年生なのだが、びっくりするくらいドジなのだ。
一緒のシフトに入ると、1日で2回は何かやらかしてくれる。その度に尻拭いさせられて、俺は毎回イライライライラ。
今日は客の少ない夜シフトだから良いものの、これが休日とか平日の昼間とかの時間帯だと最悪だ。止めてくれ、いや辞めてくれと何度思ったことか。
今日の夜シフトは店長と俺と須田の3人で、客足の途切れたタイミングを見計らって賄いを食べる。賄いうどんは練習も兼ねて須田に作らせるのだが、それすらも時折失敗するので、ハラハライライラさせられる。
店長に先に食べてもらい、次は俺の番だ。
「山川先輩、何食べますか?」
「普通のうどんで。しょうが多めに入れてくれ」
店長から特に指示がない場合は、賄いは安いうどんにするのが暗黙のルールだ。
須田はうどんを茹で始めた。俺はうどんが出来上がるまで、その辺を片付けたり細々としたことをしながら待つ。
「先輩、うどんできました」
「ん、ありがと…ってしょうが入ってないじゃん」
「あっすみません!」
はぁ…賄いだから良かったものの、客に出すものだったらアウトだ。全くなんでこいつはこんなに使えないんだ?
俺はしょうがを自分で入れ、奥に引っ込んでうどんをすする。
現在夜の9時。営業は10時までなので、あと1時間、何も起こらなければ良いのだが。まぁこの時間帯になるとほぼ客も来ないし、大丈夫か。
俺が食べ終わると、交代で須田が賄いを食べる。俺は閉店に向けて客席を拭いたりしながら時間をつぶした。
10時になると、表の電気を消して、営業終了の札を出す。明日の朝の掃除のために椅子を机の上に上げて、調理場の掃除をする。その間に店長が売上の計算を済ませる。
20分後、全ての業務を終了すると、店の前で挨拶をして解散する。店長は車通勤だが、俺と須田は電車で来ているので、駅に向かって歩く。
「先輩、今日もすみませんでした…」
「お前さぁ、大学でもいつも転けてんの?」
「そ、そんなことないです。1週間に1回くらい…」
十分多いわ!
「先輩は優しいですよね」
「そうかぁ?」
俺はお前にいつもイライラして怒鳴ってばっかりだと思うが。
「だっていつもフォローしてくれますし」
「他のやつだってそれくらいするだろ?」
フォローしなきゃ仕事回んねぇし。
「いえ、結構放置されますよ。例えば器を割った時とか、先輩は片付け手伝ってくれますけど、手伝ってくれない人の方が多いです」
ふーん…。
俺ってばなんだかんだで世話焼きなのか?
「だから俺、先輩のこと好きです!」
ニカッと邪気のない笑顔で言われて、俺は「お、おぅ」と答える。
こういうとこだよ…こいつのこと、憎めないんだよなぁ。
駅に着くと、反対方向なので分かれる。向かいのホームから須田が手を振っている。恥ずかしいやつめ…俺は一瞬手を上げると、ホームの端に向かって歩いた。
翌日、大学で授業を受けるために教室に入り、教授を待っていると須田に声をかけられた。
「先輩もこの授業取ってたんですねっ!」
なんか後ろにブンブン振ってる尻尾が見える気がする。そんなに嬉しいか?
ちなみに俺はお前がいることは知っていたが、あえて声をかけていなかったんだぞ。
つか何気に隣に座るなよ。仲良しこよしじゃねーんだから。
授業中は須田も真面目に受けており、特に話しかけられることもなかった。
授業が終わると昼になった。俺は学食に行こうと席を立つ。
「先輩、昼は学食ですか?」
「そうだけど」
「ご一緒しても良いですか!?」
良いけどさぁ…いちいちそんなキラキラした目で見るなよ。ちょっと鬱陶しいぞ。
しかも須田は背が高くてガタイが良いので、威圧感があるし。以前に身長を聞いたのだが、182センチだと言っていた。俺は172センチなので、ちょうど10センチ違い。
俺達は連れ立って学食に行くと、それぞれ食券を購入してランチを受け取り、席に座る。
「山川先輩とこうやってサシで食べるのって初めてですね」
「あー、そうかもな」
うどん屋では交代で食べるしな。今まで大学で一緒になったこともなかったし。
俺は友達がいないわけではないが、基本1人で行動するのが好きなので、あまりつるむことがない。授業も昼飯も1人でいることが多かったのだが、この日を境に須田と行動を共にすることが増えた。といっても同じ授業で隣に座るとか、時間が合えば一緒に昼飯を食べるとか、その程度だが。
ちなみにバイトの方は相変わらずである。俺は1週間に3~4日シフトに入っているのだが、だいたい週に1回は須田と一緒になる。
客に提供する直前のうどんを落とすことこそなくなったが、細かいドジは相変わらずで、バイトではイライラさせられることが多い。
今日は久しぶりに夜シフトで一緒になった。店長と3人のシフトである。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「釜玉うどん、ネギ多めで」
「かしこまりましたー」
俺は注文を取ると、厨房に戻って「釜玉1、ネギ多め入りました」と伝えた。須田がうどんを茹で始める。
須田が湯切りしたうどんに卵黄を落とす。ネギをトングで取ろうとした時、何故か須田に止められた。
「あっ、ちょっと待ってください」
「何?」
「ネギ、この辺から取って下さい」
俺が訝しげにしていると、須田はネギのケースの隅っこを指差した。
「ここにハート型のネギがあるんです!!」
は?
ハート型?
目を凝らして良く見てみると、確かにハート型の刻みネギがあった。
つかこんなの良く見つけたな。暇なんか?働けよ。
「このハートのネギは取っておいて下さい~」
まぁ別に良いけどさ。
俺はハート型のネギを避けて、釜玉うどんにネギを山盛りにする。
客のところに出しに行って戻ってくると、店長からそろそろ交代で夕食にしようと言われた。
今日も賄い当番は須田である。
「店長、今日は何にしますか?」
「今日はカレーが余ってるから、全員カレーうどんな」
「分かりました」
須田が店長の分のカレーうどんを作る。
俺は客がまた1人入ってきたので、その対応をする。
俺が客の注文のうどんを用意していると、須田の「うわっ」という声が聞こえた。
なんだ?またやらかしたのか?
「カレー飛ばしちゃいました…」
見るとTシャツにカレーが点々と付いている。おいおい、気を付けろよ。
ったく、うちのうどん屋は黒Tシャツが制服だから良かったものの、白だったら恥ずかしくて客の前に出られないぞ?
俺は呆れながら、客にうどんを提供する。
店長が食べ終わると、次は俺の番だ。また須田に作ってもらう。
「今度は気を付けろよ」
「はいっ」
返事だけは良いんだからなぁ。
客の会計をしながら賄いが出来るのを待つ。
「ありがとうございました、またお越しくださいませ!」
客を見送ると、俺のカレーうどんが出来たらしい。
須田がうどんを手渡してくる。
ん?
カレーうどんなのに、中央にネギが1つ乗っている。どうやったらこんなミスするんだ?
「あの、これ、俺の気持ちです。なんちゃって~せっかく取っておいたので、使ってみました!」
ネギを良く見ると、さっきのハート型のネギだった。
須田を見ると、もう後ろを向いて作業をしていた。
しかし俺は見逃さなかった。須田の耳が真っ赤なのを。
俺は奥に引っ込むと、カレーうどんのネギを前に、どうしたもんか、と思った。
あいつ…可愛いことするじゃねぇか。
これって、恋の予感ってやつじゃないか?
俺はしばらくハート型のネギとにらめっこしていた。