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そして、ついに金曜日。
「ああ、こんなはずでは…」
リュックサックを背負った英麻は街路樹のそばでがっくり肩を落としていた。服部みなみへの事情説明は、いまだできていない。
今、時刻は午後三時三十分過ぎ。タイムスリップの指定時刻は午後四時だった。英麻がいるのは北小山中学校の裏手に道路を挟んで流れる縁田川沿いの遊歩道、その中でも特に学校の西門がよく見える場所だ。みなみがいつもこの西門から下校すること、今日は部活動もスポーツ系の習い事も何もないことはカナと友利香による情報からすでにリサーチ済みだ。校内ではことごとく邪魔が入ったため、英麻とニコはみなみが学校の外に出る所をねらって待ち伏せることにしたのだった。隊員たちと落ち合い、タイムスリップを行うことになっている場所がこの遊歩道だったのは実に都合がよかった。うまくいけば、タイムスリップ前にみなみに事情を話せるはずだ。
「いいネ?あの門からみなみチャンが出てきたら超特急で近づいてつかまえるんダヨ。わかってるネ、英麻チャン!?」
ニコが甲高い声で肩の上から念押しした。英麻も頬をぺしぺしたたいて気合いを入れた。
「もちろんよっ。みなみにはテキパキッと事情を伝えて、すんなーりタイムスリップさせてみせるわ。私はみなみのタイムアテンダントの先輩なんですからね!第一、みなみへの事情説明がまだなんてこと、あのひねくれた口の悪いハザマに知られでもしたら」
「何やってるんだよ、おまえら」
げえっ。噂した途端に出てきたわ。
英麻が振り返った先には、タイムパトロール第八部隊のハザマが数歩離れて立っていた。ハザマの向こうに小さく青色のシリウス328の機体が見えた。シリウス328は遊歩道から細い道路を隔てた斜め向かい側、中学校と同じ並びの空き地に停めてあるらしい。
英麻とニコの前にいるのはハザマだけだった。先の二回の回収任務を共にしたサノの姿は見当たらない。
「あれ。あんた一人なの?」
「先輩は時空乱流発生の兆候がないか、この川沿いの少し先まで確認しにいってる所だ。ここに来る直前、本部からの時空予報で『わずかに時空乱流発生の恐れあり』との注意報が出たからな。あの厄介な風は時空だけじゃなく、過去の時代の中にまで吹きつけることがある。それより二人目のタイムアテンダントは?どこにいるんだよ?」
英麻はぐっと詰まった。だが、黙っているわけにもいかず、か細い声でわけを話した。
思った通り、ハザマは盛大にあきれ返った顔をした。
「ったく、何やってんだか。あれだけ日にちがあったってのにぐずぐずしやがって。これだからおまえみたいな奴は…」
文句を言いかけたハザマだったが、しゅんっとした様子でうつむく英麻を見て途中でやめた。顔はむすっとしたまま、ハザマはマルチウォッチ(スカイジュエルウォッチと同じく収納機能がある隊員専用の腕時計)から黄色い手帳を取り出した。
「その手帳って時の花びらの取り扱いマニュアル?この前、あんたに読まされた」
「それはこの時空警護手帳のあくまで一部分だ。これには人物調査ファイルとしての役割もある」
ハザマは手帳の文面をぼそぼそ読み上げた。
「―――服部みなみ。平成エリア、201X年在住の中学生で十四才。健康状態はきわめて良好、乗り物酔い、高所恐怖症の既往はなし。抜群に運動神経が良く、各種スポーツ競技に秀でる。大会での優勝実績が豊富なマウンテンバイクを始め、生活の大半を複数のスポーツトレーニングに日々、費やしている、か。確かに向こうが忙しすぎて話しかけられなかったってのは、まんざら嘘でもなさそうだな」
英麻も好奇心から一緒に手帳をのぞき込む。
見開きのページには服部みなみの顔写真や細かなプロフィールが表示されていた。それだけではない。ホログラムと呼ばれる立体映像となったみなみの直立姿勢が手帳の文面に小さく浮き上がっていた。手のひらサイズのみなみは、顔や体型はもちろん、制服代わりのジャージやいつも履いているスニーカーまで実物と寸分違わない。
「すごーい。これって全部、タイムパトロールが調べたの?」
「ああ。タイムアテンダントに選ばれた人間の基本データはある最低限、把握しとく必要があるし」
ハザマが無愛想に返答した。
「ねねっ、もしかして私のもあったりするの?」
「一応」
「わー、やっぱり。ねえ、私の分も見せてっ」
つい先ほどまでの落ち込みはどこへやら英麻はハザマの横からねだってみせた。
「やだね。今、そんなことやってる暇はない。そもそも間違いでタイムアテンダントに選ばれたようなおまえのデータなんか見たって、一文の得にもなりゃしないだろうが」
「何よ、それ!いいじゃないの、ちょっとくらい」
「やなこった!」
たちまち手帳の取り合いが起こった。
「二人とも何やってるんダヨウ!」
ニコが英麻とハザマの頭近くを行ったり来たりしながら喚いた。そうこうしているうちに、
「ええい、ちょこちょこうるさいんだよ。この歴史オンチがっ…あっ!?」
勢い余ったハザマの手で空高く放り投げられる黄色い手帳。それを何か黒いものが一瞬でかすめ取っていった。カラスである。
「げっ!?」
英麻、ニコ、ハザマはその場に固まる。カラスは手帳をくわえたまま、少し離れた街路樹の茂みにガサリと潜り込んでしまった。茂みの中の様子はわからない。慌てて英麻は木のそばまで走った。
「たいっへん…」
「みなみチャンが出てきたヨッ!」
ニコが叫んだ。
西門からあの黒い自転車を押して歩いてくるみなみの姿が見えた。英麻はますます慌てた。
「やばい、どうしよ。何でこうなるのよおっ」
「俺は警護手帳を取り返してくる!おまえは怪しまれないようにとっとと服部みなみを連れて来い!」
「う、うんっ」
ニコを肩に乗せ、英麻はバタバタみなみの元へ走りだした。しかし、それより早くどこから現れたのか一年生らしき女の子二人が英麻を抜き去った。各々、手の込んだラッピングのプレゼントを抱え、みなみがいる方に走り寄っていく。「みなみせんぱあーい」という甘く高い声が聞こえた。
「げっ。出た、みなみファン」