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この場所は加百葵が書いた演劇部の舞台の脚本の元となる『可愛そうなお姫様の話』の小説に描かれた物語その儘の世界である。全く知らない人間、役割を持つ人間もいるようだが暁のような脚本に登場する人間は、演劇の役割その儘の登場人物として存在している。姫君の従者役である暁はその儘リリィという従者の少女役としてこの場所に存在させられているようだ。
幾らそれなりに結果を出している演劇部とはいえ、高校生の部活動では到底用意出来ないであろうリアルな世界だと思う。駆けずり回って、どんな風にどこをどう走りまわったかよくわかってはいないが、今自分達のいる城は間違いなく高校の校舎より大きいと思う。無性に冷たく感じる空気は今の春先の季節とは全く違う。
誰が自分達をこの世界に連れてきたのだと言えば、ファンタジックな事など有り得ないという常識的な思考回路を省いて考えるなら、この世界の話を作り出した葵に何か原因があると結論付けられると。確かにそのとおりだ。
「加百が……」
「まあ、今そんなの言ってもどうしようもないとは思うんですけど。兎に角急ぎましょう」
「う、うん、そうだよね」
本当に現状の原因が葵にあるのだとしたら、葵自身はこの世界にいるのだろうか。葵が書いた小説にそっくりな世界だとしても『可愛そうなお姫様の話』の劇に葵は出演していない。当然ではあるが、葵は演劇部に所属していないのだから。
もしも葵がいないのだとしたら、このおかしな夢のような世界から出て行くにはどうしたら良いのだろうか。葵がこの世界を作り出したとはいえども、彼がいなければどうやって元の世界に戻れるのか想像もつかない。
葵は今、何をしているのだろうか。暁達のこの状況を彼は知っているのだろうか。
履き慣れない固すぎる靴や、重たいスカートで必死に駆けずり回っていると学校の体育より遙かに疲れるのが早い。息切れしながら走っているのに、すぐ近くを走っている歌乃は暁の主観ではあるが全く疲れているようには見えない。やはり毎日遠くから登校しているのにグラウンドの走り込みしているだけの事はある。
「う、歌乃ちゃん、まだ、なの……?」
「この城出たら、何か隠れ家みたいなのあるんです」
歌乃には全く声が掠れたり、途切れた様子がない。胸中で驚愕したが他に何か言う余裕もないので、彼女の言葉通り大人しく歌乃の後を追った。
窓のない廊下が延々と続く城の中では何処にいるのか、方向感覚も殆どなくマラソンとは違いどれだけ走っているのかも分からず気が遠くなってきたところで、歌乃が勢い良くぐるんと走っていた急カーブをかけたかのように反転すると、壁にしか見えない場所を勢い良く突進した。
「こっちです!」
歌乃が何もない箇所に分かりにくいが取っ手があったようだ。壁に見せかけた扉が開いた。
「ついて来てください!」
そう言うと、歌乃は壁に擬態させた小さな扉をくぐり抜けると続いて外に出た暁を確認し、扉を閉めると再び踵を返して走り始めた。
まだあるのか、と足の動きが鈍くなり始めているのを感じながら彼女の後を追った。
外は随分と緑が多い。杉の木か、それとも良く似た別の木か。大木が生い茂り、ちょっとした森のように見える。
「使用人専用の出口はまた違うところからなんですけど、柏は何でか知ってたんですよね」
「何で柏くんが知ってんの!」
「わかんないです。役の都合上とか言ってました」
歌乃の言葉でぴんと来るものがあった。物語のクライマックスにて暁が演じる侍女が山吹扮する騎士に手助けするのに隠し通路を使用するシーンがある。出番が殆どないメイド役の歌乃が覚えていないのは当然だろう。
城の外壁に沿ってぐるりとまわって城の正面へと辿り着く。
アニメか洋画に出てくるようなファンタジックな茶色い街並みが、城の前にある大きな広場の向こう側に広がっている。茶色いと思ったのは木材で作られた屋根の数々で、日本の一般的な街並みには存在しない光景である。建物の中だけならまだしも、外に出ても見た事もない世界が広がっているのならば本格的に夢か異次元世界に存在しているとしか考えられないだろう。絶句する暁の腕を歌乃は全く気にした様子なく引っ張った。
歌乃は広場の方向ではなく、城の敷地内にある建物の方を指差した。
「あそこ、柏が隠れてます」
「あそこ?」
平屋の木造建築が続いている。見た感じだと雇った使用人の宿舎か何かだろう。
周囲には重そうな鎧を身に着けた男達がたむろしている。彼等は城お抱えの騎士や兵士なのだろうが、柚葉はもっと軽そうな恰好をしていたような気もする。彼の衣装は暁や歌乃と同じく舞台の衣装がベースだからかもしれない。舞台衣装はモデルにした時代背景も参考にするものの、基本的に見た目が重視される。
そうなると、やはりこの世界は葵の脳内から生まれたイメージそれに基づいて演劇部が容易した物語を元に出来たのだろうか。暁のツインテールの侍女だって、騎士や姫の存在がありふれた身分であった時代に存在してはいない。
「なんか人が沢山いるみたいだけど、どうしよう」
「なんか、大丈夫って言ってましたけど」
城の陰に潜む女使用人二人組は大層怪しかろうが致し方ない。二人は息を潜めて時を待った。




