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光は、柚葉は何と言った。この世界が何が何だか分からなくとも、この世界が今は現実だというのなら、この世界で上手く生きていく、このたった一瞬でもやり過ごす方法を考えなければいけなかった。梓を助ける為には、ここで自分がどうにかなってしまうのはお話にならないのだから。
「ソフィア!今人手が必要なんです!」
暁の賭けだった。
柚葉が自分が劇の登場人物ではなく、同じ学校の、部活の先輩である事を分かって貰う為に投げかけたのは、自分の口から出まかせに付き合ってくれるかどうかだ。
こちらも走り回っていた様子の長い髪の少女は暁の言葉に一瞬面食らったような顔をして見せた。
彼女の正体はどちらだ。
息を呑んだ。
少しの沈黙、口ごもった後少女は口を開く。
その躊躇いが、答えだった。
「リ……リリィ。何が、あったのかは知らないけど、リリィの仕事はお姫様の為じゃないの。お姫様のところに行こうよ」
言葉遣いの拙さに、違和感を覚えても仕方なさそうであったが女性は少女の言葉に納得したようだ。ソフィア、と呼んだ少女に向かって指示を出す。
「そうね、あなたの言う通りよソフィア。姫様は今ショックのあまりお心が不安定なの。あなた、この子が勝手な事をしないように連れて行って」
「はい!行こう、リリィ」
あかつきの隣に立ち、少女は暁の手を取って歩き出す。奉公は勿論来た道を元に戻るだけでそれは不本意極まりないが、冷静にならねばと暁は少女に従う。
ゆっくりと歩き出す二人を目にして満足したのか、淑女は通路の反対側に去って行く。ばたばた走る暁を咎めるだけあって、彼女の所作はどこがどうだとは言えないが、立派で上品なものと思った。
彼女は、この物語の人物なのだろうか。そうだとすれば彼女の人格や素性などは一体誰の手で作られたものだというのだろうか。
彼女が廊下を曲がってしまい、姿が見えなくなった瞬間ソフィアは真剣な顔を作ると、通路の二手に分かれた通路の片方を指差した。
「先輩、あっちの廊下から先に行くと偉い人の部屋とかじゃなくて、地味な階段があるんです。多分使用人とか使ってるのは基本あっちだと思うんで、こっちから外に出ましょう。なんであの人は使用人ぽいのにこっちにいたのかは分からないけど、今の内です」
「え、あ……やっぱり、ね」
「話したいのは、話したいのはすっごくあるんです、わかるんですけど急がなくちゃいけないんです!……先輩、探してるのは黒神先輩でしょ?」
やっぱりだ。
真剣な表情。こそこそ話をするにはボリュームの大きい声。この少女は使用人役の少女、暁の可愛がっている後輩の山木歌乃だ。
ここ迄劇の台本と役柄が一致していたら疑いようもない。自分達は間違いなく、葵の書いた物語の中にいて、与えられた役と同じ境遇を与えられているのだ。
先程の使用人と思しき男や女に見覚えなどはないが、そもそもげきには大臣のような台詞が必要な役は存在していたとしても、使用人長などの現実にあれば必要な役職でも物語に必要とされていないのであれば台本からは削ぎ落されている。葵が書いた段階ではそのようなキャラクターもいたような気がするが、劇にするにあたって排除されたのだろう。
暁は彼等に見覚えはない。これはどのような事なのだろうか。
今はそれどころではない。暁は思考を一旦終了させた。
「梓の事、歌乃ちゃんは知ってるの?そんな事を言うって事はやっぱり梓が危ない目に遇っているっていう事なの?」
「取り敢えずここ出ましょう。ここってゲームのダンジョンみたいでやたら広いけど道は覚えやすいんです。外に柏もいるから」
「柏くんもいるんだ」
考えてみれば当然だ。彼はこの物語の中で三番目に重要な役割を担っている。
「兎に角、付いて来てもらえますか」
「うん、勿論」
歌乃に付いて、暁も歩き出した。
歌乃のいう通り、この城はやたらと広く、その上廊下は一定の広さの儘ただ続いているだけだ。部屋らしきドアが幾つも並んでいるが、お城というものは実際にこんな無機質で冷たいだけのものだったろうかとも、思う。外国の豪華絢爛なお城は廊下も大きなシャンデリアや立派な額縁に入った絵が飾られていて、廊下そのものも煌びやかな装飾などがされていた。何より、廊下がひたすらずっと続く城は異様に感じた。大広間や憩いの場所などがあっても良さようなものなのに。
「ここ、なんなんだろう」
沈黙と不安に耐え切れずつい零してしまった言葉。
周囲には何にも見えないが、誰が聞いているかもわからない。下手な事を話すのは得策ではないと理解していても、心が耐え切れなかった。
この重苦しい城と、嫌な匂いに心がやられてしまいそうだった。
歌乃だって、何にも分からない筈だ。分かっていた筈なのに。
「わかんないです」
予測通り、歌乃の言葉は暁の不安を軽くしてくれるものではない。
「でも、柏が言ってました」
暁は顔を上げる。柏がなんだって。
暁の半歩程先を行く歌のが口にしたのは、不安を更に増幅させる推測であった。
「こんな事出来るのは、この話を書いた人だけじゃないのかって。だって、この世界全部あの人の考えたもので出来ているんですよ」




