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翌日。昨夜は結局佑果がへらへらしながら喋った所為で、母親にオーディションに落ちたことがばれた。
母は面と向かって暁に芸能界に夢を見るのを否定はしない。しかし、彼女も自分の娘がその器でない事は当然のように感じ取っているらしく「そろそろ諦めろ」をマイルドにした言い回しをもって暁に投げ付ける機会が増した。
「オーディションの為に使う交通費を、お洒落な服にまわしたら?」
大きなお世話だ、とは言い難い雰囲気を暁自身も感じていた。
家を出て、舗装された道路に一歩踏み出した瞬間声が勝手に沸いて出た。
「諦めた方が、いいのかな」
口からこぼれ出た言葉はあまりにも情けないものであった。
小学校に入学して初めての演劇会での事。ヒロインのお姫様を暁は上手に演じた。当時はただただ楽しかったという漠然とした感情しか残っていない。だけどそれで充分だった。母親含む劇を観に来た大人達も皆素敵だったと手放しに褒めてくれた。子供を喜ばせる為の方便かどうかなど関係ない。あの瞬間に暁は自分の将来が決まったと思ったのだ。
それでも。それでも暁がねだっても子供向けの演技養成所のようなものには親は入れてくれなかったし、小学校卒業前に泣きながら訴えても、関西に引っ越してくれなかったから歌劇団を目指す事もなかった。ただひたすら学校にある演劇部で頑張るだけだった。
高校を卒業したら、働きながらでも使ってくれる劇団を探そうか。アルバイトしながら夢を追うのも良いかもしれない……やっぱり、どうしたって、悲観的な未来に浸ろうとしても夢を追いたい気持ちは暁に諦める為の覚悟をさせてくれない。
学校へ向かうのも正直言うと気が重い。2日位寝込ませてくれと言いたいところだが、はっきり言わずともただのサボりだと暁もわかっていた。
よし、と気を取り直して暁は学校への道を歩き出す。一歩を意識して顔をあげて。
「あ」
そうやって、やっと気が付いた。少し前をとぼとぼ歩く猫背の背中。その背には地味な色合いだが高校生には不似合いなブランドロゴの入ったリュックを背負っている。暁の通う桜野高校の制服を着ているし、暁でもわかるような高価なブランドのリュックを普段使いにしているような高校生、暁には一人しか心当たりはなかった。
「おはよー!加百!」
駆け寄りながらその背に声をかける。ぴく、と濃紺のブレザーに包まれた肩が揺れて前髪に隠れて良くわからないが多分鋭いんじゃないかと思う真っ黒な瞳が暁を捉えた。多分。
「あー……尾根か……」
「持ってきてくれた?朝からぼんやりしてない?」
「朝だからぼんやりすんだ」
「ああ、そう」
「これで死んだりしてないんだから文句言うな」
「死ぬ話に何でも繋げないで」
歩調を合わせながら、お互いにとっては日常と化した言葉を交わす。この男の所為かお陰か不吉なものである筈の「死」という単語にもすっかり慣れた。それが果たして良い事なのかどうかは、甚だ疑問ではある。
横を歩きながら眠そうに小さな欠伸を漏らす男は、一見何処にでもいそうな至って普通の男子高校生だと思う。暁の頭が、彼の視線と同じ程なので身長も平均よりやや高い程度だろう。やや寝癖のついた黒髪も、顔立ちも、彼から目立つ要素を探す方が難しいと思う。
彼の奇妙さは、その外見とは比例していない。暁は余程眠たいのか、車道にはみ出そうになりながらよろけて歩く葵の腕を引っ張ってやりながら、親しく話す切っ掛けになった春先の出来事を思い出した。