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何事もなく時間は経過した。本当に何にもなかった。
練習は順調だが、相変わらず部長は現れない。葵は舞台が完成するまでは完全にノータッチを決め込んでいるのか、演劇部を覘きに来る事もなければ進展を暁に問う事もない。暁と梓の冷戦は未だ続いていて、梓は勿論だが暁も仲直りするとして、どう切り出せばいいかわからなくなっていた。
制服も夏物に変わる。と言っても半袖になってスカートが夏仕様の生地になっただけで見栄えとしてはほぼ冬服と同じだ。近くの中高一貫の私立高校は制服がお洒落な上に夏服と冬服だと大分様変わりする為皆そちらと比べて文句を言ったりもしたものだが、それも衣替えをしたほんの一瞬の事だ。皆それに慣れてしまえば他校との比較など口に出さなくなるのだ。
登校途中、暁は部員の一人と出会った。
「歌乃ちゃん、今もやってんの?凄いね!」
「おはようございます!」
肩より少し長い程度にのばした茶色の髪を一つに纏め、学校指定のジャージに身を包み汗だくになった少女は輝くような笑顔で暁の問いに挨拶で答えた。
山木歌乃は一年生の中でも頭一つ抜けた実力の山吹を除けば、最も上級生から評価されている部員だ。
入部当初は梓と同じ様で芝居の経験などほぼなかったらしいのだが、すぐに演劇の楽しさに目覚めたらしく部に必要な事全てを早く身に付けたいと体力作りに自主的に走り込みを始め、小道具は勿論大道具も慣れないなりに一生懸命作り、運ぶ。最近では発声練習の本などを読んでカラオケで練習しているらしい。先日の役を決める時のように熱意が高じて出すぎてしまう事もあるが、基本的には真面目で一生懸命な娘であるので、暁は好感を持っていた。歌乃を見ていたら、演劇の楽しさを見出したばかりの自分を思い出すのだ。
「今日舞台衣装合わせするみたいよ」
「本当ですか!?」
朝から疲れているだろうに暁の言葉で、歌乃の表情はぱっと明るくなった。ころころと変わる素直な態度も、歌乃の可愛い特徴の一つである。
「うれしそうだねー」
微笑ましく思っていると、嬉しさが溢れんばかりの顔でぐっと拳を握った。
「だって初めての大事な役ですもん!衣装も本格的な練習も楽しみすぎる~!!」
歌乃にあてがわれた役はお城のメイドその一といったところで、ストーリーの中では然程重要な役柄ではないのだが、演劇部に入部して未だ半年程度、受け取るもの全てを新鮮に吸収している歌乃にとっては、初めて名前のある役を貰った事が、もうテンションが上がりきって戻らない程嬉しいのだろう。
「歌乃ちゃんは頑張ってるからね。楽しみだよ」
「先輩程じゃないです!私先輩みたいになれるように頑張りますから見ててください」
こう真正面から好意と尊敬を向けられると照れてしまう。特に、歌乃のような嘘が吐けない子の言葉は本心だと分かるから余計にだ。
「そんなことないよ。私なんか全然大したことないって。ずっと演劇やっててものびないし、大人げないしねえ」
歌乃は知らなくても当然なのだが、暁は自嘲の言葉を漏らしてしまっていた。
ずっと暁と梓の冷戦は続いている。部活動に明確な被害をもたらす訳ではないけれど、皆の視線が何を物語っているかは同級生の言葉からも明らかだ。そして暁自身も意地になっているというよりも気まずいという気持ちが強い。
自虐的な言葉を突然吐き出した暁をどう思ったのか。
「先輩……」
「ごめん、ちょっと悩んでることがあってね。ごめんね」
「黒神先輩の所為ですか?」
「いや~何とも言えないよねえ。本当に気にしないで」
納得出来てはいないようだったが、歌乃もそれ以上は追及してこなかった。暁としては、自分を慕ってくれているこの真面目な後輩にも事情がなんとなく伝わっているのが心苦しい。
「今日も部活あるんだからあんまり無理しないようにね。じゃ、また部活の時にね」
話の切り上げ方が強引すぎるとは思ったが、歌乃も先輩のあからさまに逃げていくのを止める勇気はなかったようで、ぺっこり頭を下げると、また走り込みに戻って行った。入部当初に聞いた事があるが、彼女は毎日一時間近くかけて登校しているらしい。それなのに部活動の為に自主的に体力作りに走り込みをする姿に、暁は後輩ながら感嘆した。
きっと彼女ならいいものを作る為の一助となるだろう。
来年は自分も卒業する。生意気だが実力は確かな山吹と、努力とポジティブさで士気をあげてくれる歌乃がいてくれるのなら、演劇部はまだまだ安泰だと思えた。花色光の存在だけが演劇部の存在意義とすら他校からは思われていた時期もあるが、その光が卒業したとしても、発表会で我が演劇部の力は遺憾なく発揮されるだろう。
何度か台詞合わせや集まれる人間だけで練習などを行っていたので、皆大方の役作りは出来ていたように思う。素人とはいえ、殆どの部員は演劇部の規模の大きさや名の知れた部分に惹かれて入部してきている。熱量が高いのは歌乃だけではない。
そう、思っていた。
「自信がない?」
「ああ。ちょっと、きつく感じてるんだ」
その話を聞いたのは昼休み。相変わらず近くのクラスにいる友人に混ぜて貰い、昼食をとっていた時の事である。
同じクラスの友人は自分より梓をとったという訳ではないだろうが、梓と一緒にいる為に暁からは混ぜて欲しいと言い出し難かった。梓には極端に友達が少ないのを彼女らも知っている。自分達が拒否したら本格的に梓が孤立すると分かっているから放っておけないのだ。
そのような事情もあり、男女混合の演劇部グループに混ざってお昼ご飯を食べていたのだが、その中の一人、暁と同じく二年生の中では大抜擢ともいえる重要な役をあてがわれた少年が不安を口にしたのだ。




