鈴蘭にて、君を待つ
お久しぶり過ぎるほどにお久しぶりです。
はじめましての方は、はじめまして。
リハビリがてらの短編です。珈琲でも飲みながらゆるりと読んでいただければ幸いです。
いつもの窓際の席で、いつもと同じ珈琲を飲んでいる。
いつもと変わらない人混みに、いつもとは違う男の子が周囲をおろおろと見回している。
見たところ、まだ十歳にも満たないような男の子だ。
迷子だろうか? 私はいつもと違う窓の中の彼が気になった。
「マスター。ごめんなさい、少し席を外してもいいですか?」
私は親げにマスターに声をかける。
「おや、構わないですよ。どうかしましたか?」
「いえ、窓の外に迷子になっているような子供を見つけたので、声をかけようかと思いまして」
私がそう言うとマスターは少し驚いた表情になりつつ送り出してくれた。
喫茶店を出て、先程男の子を見かけた辺りに向かうと彼は変わらずにその場所でべそをかいていて。
十中八九迷子で間違いないだろう。私はできるだけ優しい声で彼に話しかける。
「こんにちは。君、さっきからここに居るけれど、どうしたの? 迷子?」
私が声をかけると彼は涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげて、うんうんと何度もうなずいた。
このままここで待っていたほうが良いのかとも思ったけれど、寒風の中で彼を待たせるのも可愛そうだと喫茶店に連れ帰ることにした。
「おかえりなさい。やはり迷子でしたか?」
私達が店内に入るとマスターがすぐに声をかけてくれる。
「はい、そのようです。そのままの場所で待っていたほうが良いとも思ったんですが、この寒さですから」
「そうですね、今日は特に冷えますから。迎えが来るまではここに居ると良いでしょう。君、名前は?」
マスターがしゃがんで彼の目線に合わせながらそう聞くと、小さな声で「みたけかずま」と答えた。
「そうか、かずまくんか。いい名前だ。店の前に迷子を保護している張り紙をしておこう。そうすれば君の保護者の人も見つけやすいだろうからね。ときにかずまくん、ココアは好きかい?」
すると、かずまくんは先程私が声をかけた時とは正反対の笑顔でうんうんと首が千切れるんじゃないかと心配になるほどに頷いている。私たちはなんだかその姿が暖かくて思わず頬が緩んでしまう。
マスターが張り紙を貼り終えて戻ってくる頃には、少年はココアの温かさですっかり元気になっていた。
あれはなに、これはなに、とマスターにあれこれ質問する姿を見ていると、年相応の元気さが見えて、声をかけて良かった。
そう考えながら少年のことを眺めていると、唐突に少年が私のところに来て。
「おねえさんの髪の毛真っ白! 雪みたいで綺麗だねー」
なんて照れながら言うものだから。ついからかってしまう。
「おや。少年は私のことが好きなのかな? ふふ、ありがとう」
すると少年は少しだけもじもじとしてから意を決したように息を吸うと。
「うん! 僕おねえさんが好き!」
からかったつもりが思わぬ返しかたをされて、私は数瞬ぽかんとして。
「……ふっ、ふふ。くふふっ。そっかそっか。少年は私に惚れちゃったかぁ」
思わず笑ってしまった。少年は精一杯好意を伝えたのにそれを笑われたのが癪だったのか、むすっとしてしまう。
「なんで笑うの?」
「いやいや、なんでもないんだ。私が悪かったよ、ごめんね? でも、その素直さはとても良いことだよ。特に女性に対して素直に綺麗だ、好きだと言えるのは良いことなんだ。その素直さが大人になった時に残っていれば君はとてもいい男になれるよ」
私はそんなことをいって彼の好意への返事を煙に巻きながら頭をわしわしと撫でてやる。それだけで、頬をふにゃりと崩す少年を見ていると、心の奥から暖かくなった。
そんなやり取りをしたあと、喫茶店においてある絵本を読み聞かせたり一緒に歌を歌ったりしているうちに、彼の母親が張り紙を見かけて迎えに来た。
「すみません! 表の張り紙を見てきたのですが……」
「お母さん!」
母親が言い終わる前に少年は母親の元へと駆けていく。
母親は少年のことをしっかり抱きしめて、何度も私達に礼を言って、ココアの代金をマスターが辞退してもしっかり支払って帰っていった。
店を出る間際に少年が振り返り私に「また会える?」なんて聞くものだから、私は「君が本当に誰かを探している時だけ、このお店でまた会えるかもね」と返して、手を振り別れた。
「くふふ、可愛らしい子でしたね。マスターは焼きもちを妬いてしまったかも知れませんが」
「はは。御冗談でしょう。子供に妬いてしまうと思われる程私は魅力がありませんか?」
「おや? あの子は将来とても良い男になると思いますよ? マスターもうかうかしていると負けてしまうかも」
「なる程、確かに僕がこの店に初めて来て貴女と出会った時もまだ若かったですからね。貴女が気に入ったと言うならいい男になるやも知れませんね?」
「ふふふっ。そういうことにしておいてあげますね? いつか少年がまたこの『鈴蘭』に来た時は負けないように頑張って下さいね?」
「ではその時までは、僕が貴女を独占できると言うわけですね。しかし、もしもその時が来たとしても、彼は貴女のことを受け入れられるでしょうか? この店のことも……」
「これは私の勘ですけど、あの少年は大丈夫だと思いますよ。『次』のマスター候補ですね」
私がそう言うとマスターは少し渋い顔をした。
「僕たち人間の生きる時間は貴女に比べてあまりに短いですからね。ですが、私はマスターですから。ユキさんが人でなくても、共に時間を過ごしたいと思いますよ」
「嬉しいことを言ってくれますね。流石私を独占したいと言うだけのことはあります。くふふ」
「茶化さないで下さい……」
ここで限界を迎えて私もマスターも笑ってしまって、いつもの時間が戻ってくる。そうして、いつもとは違う一日が終わり。
いくつものいつもと同じ日々を過ごしマスターが急逝してしまった後になって、少年が大人になり私の元を訪れるのはまた別のお話。