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生きて出られない病院

作者: yorozuya

地方都市のある病院とそこで働くお医者さんや出入りの葬儀屋さん、ついでにそれをながめるこの世以外の人のほのぼの日常系怪談。

1、屋上の二人 月曜日

 「あ、今日はもう3台目」

フェンスから上半身を乗り出したアヤノの眼下では黒いワンボックスカーが春田病院旧館の裏口に横付けされている。ここ、新館の屋上からは渡り廊下でつながった旧館の裏口がよく見える。

 太陽が真上にくるまでにはまだ間があるのに、日差しは容赦なくふりそそぐ。吹き抜ける風は心地いいが、タバコの煙がこちらに流れてくるのはいただけない。煙の元凶はというと、コンクリートにベタ座りし、フェンスにもたれてライターをもてあそんでいる。

 ピンクのパジャマにスリッパのアヤノは二つくくりにした栗色の髪をいじりながら

「センパァイ、病院でタバコってどうなんですかあ?」

「うん。今どきはまずいよね。でもあたしには関係ないし」

と、グレーのガウン姿のミサキは、吐き出した煙の行方を目で追いながら返す。30代後半くらいか。ショートカットの髪は先が不揃いに伸びている。

「あんたも好きだねえ。っていうか、葬儀屋の車が珍しいの?何回見たって、死んだ人の送り出しなんて、同じでしょうに。」

「あ、ほらほら、今日は若先生が出て来てる」

アヤノは裏口からばらばらと出て来るスタッフを指差してはしゃぐ。

「あんた、あのずんぐりむっくりの坊ちゃんのファンだっけ?」

「かわいいじゃないですか。クマのぬいぐるみっぽくて」

「中坊が35歳のおっさん捕まえてぬいぐるみって、」

ミサキは鼻で笑う。

「あたし、高1ですう。」

アヤノは口を尖らせる。

裏口には若先生以下10名ほどのナースがずらりと並んでいる。

黒い車が音もなく滑り出すと同時に一列に並んだスタッフが深々と頭を下げる。

『お見送り』が終わるとアヤノはフェンスから向き直って

「センパイ、面白い話聞いたんですよ」

「ん?」

「夜中に305号室からナースコールがあるんだって。でも、305号室って意識がないような重症患者が入る部屋で、自分でナースコール押せないんだって。看護師さんが行ってみても、異常はないって。でも、木曜日の午前3時に必ずナースコールが」

「よくある病院の怪談系の話ね。じゃあ、もっと恐い話してあげましょうか。7年前に雷で、新館病棟が停電したの。それこそ、人工呼吸器からポンプから、パソコンから全部よ。その後、調べてみたら、あっちもこっちも電気系統にトラブルが見つかって。大規模に工事が入ってからは、鳴るはずのないナースコールが鳴るのは無くなったの」

「で?それのどこが恐いんですかあ?」

アヤノはピンと来ない様子だ。

「恐いでしょうや。雷落ちなかったら、ナースコールの混線だけじゃなくて、いろんなとこがショートしてたの気がつかなかったんだよ。一歩間違えば、火事になってたかもしれないじゃない。ここの病院は自力で動けない患者がほとんどなんだから、最悪、入院患者160人全員死亡とか」

「で、160人化けて出るんですか?」

「出ないよ。160人のお化けって、ホラー通り越してギャグだよ」

ミサキは自分で言って軽く受けている。あれでうまいこと言ったつもりなのかとアヤノは冷ややかな目をむける。

「じゃあ、4階で夜中に女のすすり泣く声が」

「ああ、それ、AV。」

「AV?」

「当直室のテレビで、エロDVD見るアホな医者がいて。名前は言わないわよ、本人の名誉のために。ようは音漏れがそういうふうに聞こえるの」

と、ばっさり切り捨てた。

「センパイは何でも知ってるんですね」

アヤノの声には棘が含まれ始める。

「あたしが何年ここに居座ってると思ってるのよ。この病院のことは大概知ってるわよ」

「じゃあ、これは?この病院って、『入ったら生きて出られない病院』って言われてるんだって」


2、屋上の二人 火曜日

 今日の空は低い雲に覆われていた。蒸し暑さが重苦しい。あいかわらずアヤノは屋上のフェンス越しに下を見ている。

「あ、出て来た。ヤッホー!クマ先生ー!」

と、精一杯乗り出して手を振る。一瞬、若先生こと春田ヒカルはわずかに振り向いた。丸々とした顔は目も鼻も全てのパーツが丸くて、まさにぬいぐるみ然とした造形だ。若先生が裏口から出て来たということは『お見送り』である。

「センパイ。見ました?今の。こっち見ましたよ。聞こえたのかな」

アヤノはまるで芸能人を見かけたようにはしゃいでいる。

「あんた、あのクマぐるみが気に入ってるの?」

ミサキはタバコをふかしながら言う。

「あそこまでおじさんがかわいいと笑えません?」

「まあ、子供の時からあれだけ顔が変らない人もめずらしいか。」

「センパイ知ってるんですか?」

「まあね。何にしても、あのクマはいずれここの院長になるよ。実質的にはもう院長だよ。今の院長は3月に脳梗塞で倒れてリハビリ中ってことになってるけど、本当の所は寝たきりで回復の見込みもないらしいし。」

「何でもよく知ってますね」

アヤノは少し面白くない。

「この病院の関係者ならみんな知ってるって」

「じゃあ、『生きて出られない病院』って話も?」

「あんたバカ?この病院は市内で最初にホスピス病棟作って有名なとこじゃないの。死にそうな人しか入院してこないんだから当たり前でしょ。」

「違いますよお。患者の話じゃありませんよお」

アヤノは得意満面の笑顔。

「患者じゃなくて、医者が」

「あ?」

「今年に入ってから、もう5人も亡くなってるって。」

ミサキは指を折って頭の中で数えながら

「先月の江藤先生で4人じゃなかったっけ?ひょっとしてそれ、院長先生もう死んだことになってるの?」

「やっぱり、これだけ続くってことは呪いですかあ?」

アヤノは目一杯期待をこめた声で言う、

「アホくさ。偶然が重なってるだけよ。」

「それだけですかあ?」

「あんた、どうしても呪いとか祟りとかにしたいわけ?」

「センパイくらい長く居るとそのくらいのことできるのかなあって」

「呪う理由がないわよ」

アヤノは興味を失ったようで再び下に目を向ける。

ちょうど、葬儀社の車にご遺体を乗せたストレッチャーを積み込むところだ。それを押しているのは黒のパンツスーツにアップヘアの小柄な女性。彼女の力ではストレッチャーの重量は扱いかねるのか、リアに押し込むのに苦労している。そこに白衣の長身の男が駆け寄って来て手を貸す。

「あれ、もう一人出て来た。あれも先生かな」

ミサキも下を覗き込んで、

「あんた会ったことなかったけ?バイトの平野先生よ。」

長めの茶髪に眼鏡。顔はマスクで隠れているが歳は30前後か。

「お医者さんのバイトってあるんですかあ?」

「あるある。大学病院の若い先生とか、はやらない開業医とか、主婦パートとか、いろんな人がいるけど、あれは純粋なフリーター。バンドやってる変わり種。前は夜の当直バイトだけだったけど、江藤先生が亡くなってから昼間もときどき来てるわよ」

「やば、ちょっとイケメンですよね。チャラそうだけど」

「あの人、若作りだけどクマの同期だよ。あんたにしたら、おじさんの部類でしょ」

「センパイは『あり』ですか?」

「『あり』って何よ?」

「だって、クマ先生の話するときと、声のトーンが違うもの」

「あんたの想像してるようなことじゃないわよ。ただ、昔から知ってるのよ。」

「やっぱり『あり』なんだ」

「小学校の低学年の子供と近所のおばちゃんよ。若先生もだけど、あの子も変らないわあ。成長しないっていうか」



3、カフェの二人 水曜日

 ここ、カフェあじさいは最近、『昭和レトロな古民家カフェ』としてテレビの情報番組で紹介されてから、連日超満員だ。大半が女性のグループ客だが、カウンター席に座っているのはポロシャツ姿の小柄で丸々とした若めのおじさん。隣には、恐竜のイラストのTシャツに茶髪、眼鏡の軽めのお兄ちゃん。アヤノは二人の後ろに浮遊しながらそれを眺めている。

「ひーたん、悪かったね。無理言って急なシフト入ってもらっちゃって」

クマ先生の目の前にあるのはこの店名物のチーズインパンケーキとロイヤルミルクティー。

平野はアイスコーヒーにこれでもかとミルクを注ぎ込む。グラスがあふれそうになって慌てて手を止め、

「江藤先生も急だったからしょうがないよ。」

「ありがとう。大学の他に紹介業者とかにも頼んで後任は探してるんだけど、まだ応募がなくてね」

「あせってもしょうがないよ。ハルちゃん」

「こないだ、市の医師会に行ったときに言われたんだ。『先生の病院は入ると生きて出られないみたいですね』って」

平野はすすり込んだコーヒーを思わず吹き出した。笑うのとむせるので声が出るまでにしばらくかかる。

「いくら何でも言っていい事と悪いことがあるよね。ちょっと、ひーたん、笑い過ぎ」

平野は苦しい息を付きながら親指を立てて

「いい、それ。『春田病院は市内で最初に緩和ケア病棟を作った先進的な病院だ』って前から言ってたじゃん。『生きて出られない病院』って、いいキャッチコピーだよ」

「違うの。患者じゃなくて医者」

「あ?」

「つまり、だから、求人しても医者が集まらないって。まあ、半年で常勤医の半分が死んだらそう言われるよね」

「医療従事者がそんな非科学的な。ジョークだよ、ジョーク。マジんなんなって」

「それでね、ひーたん。頼みがあるんだけど」

「来月のシフト?いいよ。なるべく協力するよ」

クマ先生はいきなりカウンターにひれ伏し

「ひーたん、一生のお願い!就職して。バイトじゃなくて、常勤で。」

「待って。おかしい、今の流れで就職してっておかしい。常勤が半減したとこに入職したらブラック確定じゃん。」

平野は身を引いて立ち上がりかける。

「待遇や条件は考慮させてもらうから」

「無理無理無理。」

「やっぱり、ひーたんも就職したら死ぬとか思ってるんでしょ」

と、実にかわいく拗ねて見せる。

「ないない。思ってない。おれは好きでフリーターしてるだけだから」

「まだ、あのバンドでメジャーデビューめざしてるの?」

「バンドの話は関係ないでしょ」

クマ先生は平野の両肩に手を置いて媚びるように上目遣いに見上げる。

「ひーたん。同期のよしみで助けてよ。ほかに頼めそうなところは全部あたったんだ。」

「長い付き合いなんだから。ハルちゃんが、その顔で大抵のことはごり押ししてきたの知ってるし」

口では断りながら、平野のほうが押されぎみだ。

「友達だから言うよ。バンドもいいけど、その歳までデビューできないのに見込みあるの?そろそろちゃんとお医者さんしようよ。就職してバンドは趣味でやればいいじゃないか。」

「いやいやいや、それはそれ、これはこれ。」

「今週週3で入ってるじゃない。もう1日増やして4にしたら常勤扱いでいいから」

「就職は絶対やだ」

「なんで」

「おれは、遊んで暮らしたいんだよ!」

友人の懇願を振り切るように平野は勢いよく立ち上がる。

「だから就職して、もっとかせいで遊んだらいいじゃないか」

と、クマ先生がにじりよる。

「違うんだよ。ハルちゃんみたいに、お酒とかゴルフとか競馬とか、お金使って豪遊したいとかじゃないの。おれの遊んで暮らすは、ぶらぶらしてたいってことなの。とにかく、おれは一生就職はしない!就職するくらいなら死ぬから」

「なんだよ、それ」

と、クマ先生は肩を落とす。

「泣きそうな顔してもだめ。その手にも乗らない。おれのライフスタイルは譲れない。でも、人手が充足するまでは週3でも4でも入ってあげるから。ね?」

平野はクマの顔を覗き込む。

「何で?」

クマ先生は低い声で言う。

「へ?」

ふいをつかれて平野は間の抜けた声を出す。

「ひーたん、何で急に週4でもOKになったの?前はバイトは2回までって言ってたじゃない。困ってるの?借金でもあるの?話してくれれば力になれることがあるかもしれないから」

クマがたたみかける。

「金の話じゃないから」

平野は明かに狼狽して視線を逸らす。

「お金じゃない?じゃあ、ほかに働く気になった理由あるの? まさか、女?」

「・・・」

「ちょっとオ、セクハラとかしてないよね?ナースに辞められると困るんだから」

クマ先生は目を吊り上げる。

「ナースじゃないから」

「じゃあ、事務?薬剤師?」

「大丈夫。職員じゃないよ。」

「誰?」

「黒の似合う女」






4、マンションの二人 木曜日

「あんた、また、おばさんともめたの?」

コンビニ店員のチカは深夜に自分のワンルームマンションに転がり込んできたいとこに缶チューハイを差し出した。マイコは黙って缶チューハイを開けると勢いよく喉に流し込む。

「あたしの仕事に文句があるなら、自分で就活してみればいいのよ!」

「懲りないわよね。あんたもおばさんも。大学出てから丸2年同じネタでもめてるの」

「正社員じゃなきゃ絶対ダメって言ったのはママなのよ。死ぬ思いでやっとつかんだ正社員なのに、就職したらしたでやれ、帰りが遅いの、ボーナスが少ないのって」

マイコがまくしたてる。小柄で色白、丸顔で、驚くほどの美人ではないにしろ、黙っていればかわいい方だ。

「まあ、おばさんのころは就職氷河期とかなかったしね。いわゆるジェネレーションギャップでしょ」

スウェットのチカはテレビの前にあぐらをかくとチューハイに口をつける。チカはほんとうは酒は強くも好きでもない。冷蔵庫になにがしかのアルコール飲料がストックされているのはこうしたいとこの襲来に備えてのものだ。

「今日も帰ったら、勝手に家に入ったって金切り声あげられて。」

「何?入っちゃいけないの?」

「仕事から帰ったらママがあたしの頭から塩をかけるのよ。それしないうちは玄関に入っちゃいけないって。あたしは『けがれて』るんだって。」

「古風ね。おばさんも」

「職業的差別よ!葬儀屋に対する差別!自分だってそのうち、うちのお客になるのに」

「まあ、そりゃそうだわ」

チカはおばといとこのバトルを想像して笑いを押し殺す。マイコは手首にはめていたクリーム色のシュシュでストレートのロングヘアをまとめた。これは本格的に飲むつもりか。チカはどうやって明日の仕事に響かない程度に切り上げるか頭を悩ませ始める。

「あたしだって、好きで今の仕事してるわけじゃないのに」

「じゃあ、うちの店で働く?今募集してるよ」

「やだ。コンビニは学生のときバイトしたもん。」

えり好みが激しいのは似た者母娘なんじゃないかとチカは内心思っている。

「許せないのはさ、もっと家にお金入れろって。給料の額はママに教えてあるのに、4年制大学出てそんなに給料安いはずがない、あたしがうそついてるんじゃないかって。」

「あんた、親に自分の給料教えてあるの?」

チカはあきれて言った。親離れしないにもほどがある。

「その上、今日は、早く婚活しろって。やっと就活終わったと思ったら、婚活って何よ。あたしまだ24よ。テレビで何か見たらしくて、早く子供産まないと年金がなくなるって」

それはたぶん3つくらいの話がまざってるなとチカは推測する。おばもだが、このいとこの話も階段を2段くらいとばしているかもしれない。マイコは早くも2本目のチューハイを開ける。ピッチが速い。冷蔵庫が空になるのは時間の問題か。つまみに出した冷凍のから揚げもすでになくなっている。この150㎝あるかなしかの小さい体のどこに入るんだか。

「で、あんたは結局、どうしたいの?」

そう聞きたかったが、チカはその言葉を飲み込んだ。今まで何十回と繰り返してきた問で、答えはいつも同じだったから。結局、現状を変えるつもりなどないのだ。気に入らないことがあっても、自力で問題を解決するという発想はたぶん皆無なのだろう。ひょっとしたら、問題だとすら思っていないのかもしれない。

それでも言わずにいられない。

「で、あんたは結局、どうしたいの?」

「結婚、したいかなあ」

初めて出た単語にチカは面食らった。

「え?本気で婚活するの?」

「そうじゃないけど・・・」

「彼氏できたんだ」

「まだ、そこまでは・・・」

と、きまり悪そうにいいよどむ。こうかわいらしいところを見せられると、とことん聞かずにいられない。

「そこまでって、どこまでよ?」

「今度、お食事でもって」

デートのお誘い1回で結婚ってちょっと気が早くないか?それとも、前からの知り合いか?

「どんな人?写真あるんでしょ。見せてよ。ちょっとお」

チカは無理やりマイコからスマホを取り上げ、写真を探す。マイコは観念して一枚の画像を出した。隠し撮りらしく斜めになっている。建物の中。ややごちゃごちゃと機械が置かれた薄暗い廊下に5、6人の女性が写っている。みな同じ薄いブルーのナース服を着ている。その手前に真ん丸な顔が半分だけ写りこんでいる。

「え?この人?」

「違う。こっち」

マイコが指さしたのはナースたちの奥。小さく映った茶髪の眼鏡男。

「もしかして、お医者さん?」

「うん。毎日病院に『お迎え』に行ってたかいがあった」

「やったじゃん。うまくいったら玉の輿じゃない」

マイコは小さくブイサインをして見せた。

「でも、ちょっと、チャラそうね。これはライバル多いかもよ」

「問題はそこなのよね。」

マイコは缶の底に残った液体を飲み干した。





5、屋上の二人 金曜日

「で?あんたはあのクマぐるみのあとをつけてカフェまで入ったわけね」

ミサキはたばこをふかしながら言う。

「怖いもの見ちゃいましたよ。人は見かけによらないっていうか、ん?見かけなのかな?クマ先生の正体が垣間見えたっていうか。泣いたり笑ったり詰め寄ったりとにかくすごかったですよ。ひーたん先生たじたじでしたもん」

アヤノはカフェあじさいでのやりとりを身振り手振りを交えて話す。

「これで分かったでしょ。あのおっさんはかわいいなんてもんじゃないのよ。坊ちゃん育ちってのはね、小さいときから他人を動かすことに慣れてるから、自然とそういう手練手管が身についてるのよ。癒しとかなごみとか暖かさとかやさしさとかファンタジー全開の外見であざとさをくるんだキャラなのよ。でも、それで折れない『ひーたん』もさすがのくずっぷりだわ。」

ミサキの口元が笑っていた。

「で、ひーたん先生、ランチデートですって。西口のイタリアンで。今日はセンパイも行きませんか?」

「悪趣味ねえ。他人のデート覗くなんて」

「えー。行きましょうよ。あの地味な葬儀屋の女の私服見てみたいじゃないですかあ」

「地味なって、あれは葬儀社の制服でしょう。あたしは遠慮しとく。あんたもマナーとしてホテルまでは憑いてっちゃだめよ」

「やだあ!そこまで考えてませんでしたよお!」



6、マンションの二人 土曜日

「で、どうだったのよ。お医者の彼とは」

今日はマイコは発泡酒とスモークチーズ持参でチカのマンションにやって来た。

昼から家飲みというのにはちょっと抵抗があったが、チカの初デートには興味深々である。

「うーん、ちょっとね」

「やっぱり、軽い?」

「逆。いまいちダサいっていうか、ぴんと来ないっていうか」

マイコは考え考えしゃべる。

「遊び慣れてない感じ?」

「なーんかね、白衣のときはカッコよかったのよ。で、期待しすぎちゃったかもって。お店もあんまり高いとこじゃなかったし、会話も弾まなかったし。で、ランチの後、いきなり、カラオケ行こうって言うの。まあ、いいけど。そしたら、5時間よ。5時間。引くわあ」

チカはにやにやしながら

「まさか、ラブソングなんか聞かされたり?」

「っていうか、やたら歌わせたがる。」

「ちょっと、変なの?」

チカは眉をよせる。

「普通じゃないわ。で、トイレ行くふりして逃げてきちゃった」

「それ、大丈夫なの?これからも仕事でその病院行くんでしょ?」

「うん。でもいいわ。なんか、バイトだって言ってたし」

「バイト?お医者さんのバイトってあるの?」

「フリーターなんだって。で、生活費以上の仕事はしない主義なんだって」

「やだ。じゃあ、それ貧乏ってこと?」

「そうみたい。なんか、冷めちゃったっていうか、本気で婚活しようかなあ。今度はもっといいのつかまえよう」




7、カフェの二人 日曜日

 休日のカフェあじさいはいつにも増して混雑していた。

「ひーたんも来ればよかったのに。」

クマ先生は汗と泥まみれのTシャツに作業ズボン、首にタオルといういで立ちである。

「やだよ。朝早くからボランティア活動だなんて」

「いい運動になるよ。倒壊の危険のある空き家をね、みんなで解体するんだ。こう、壁がガバーッと崩れたりすると気分爽快だよ」

「ハルちゃん、ちょっと、病んでるんじゃないの?」

平野はアイスコーヒーをストローでかき回しながら言う。

「とんでもない。元気元気。来月はごみ屋敷清掃のイベントにも誘われてるし、市の商工会の人も参加してるし、お近づきになるいい機会だよ」

「それ、イベントでやるものなの?ハルちゃんが気に入ってるならいいけど」

「ひーたんは、あれ、葬儀屋さんとはどうなったの?やっぱさあ、家庭を持つことを考えたら、安定した仕事って大事だと思うんだ」

「残念でした。おれに身を固めさせてついでに就職もさせようと思ったんだろうけど」

「え?だめだったの?」

クマ先生は丸い目をさらに丸くする。

「うーん。黒は似合ったんだけどなあ。」

平野の頬杖をついて考えこむ。

「だけど?」

「花柄のワンピースとかで来られたら、あ、これ違うって感じで」

「かわいくなかったの?」

「かわいいよ。ただ、かわいさは求めてなかったんだよなあ。いや、衣装のことはいいとして。問題はカラオケ」

「うん」

「壊滅的に下手なんだよ」

平野は思い出しながらもどかしさに茶髪の頭をかき回す。

「じゃあ何?歌が下手で別れちゃったの?」

「声質は良かったんだよ。ちょっとハスキーで。女性ボーカル、いいと思ったんだけどなあ。」

「え?ちょっと待って。最初からバンドに入れるつもりだったの?」

「そうだよ」

平野は当然のように言う。

「ひーたんのバンドってさ、女の子がやるようなんだっけ?」

「いるよ。ヘビメタやる女子のバンド。と、いうわけで、誰かいないかなあ、音楽活動に興味のあるナース」

「やめて!うちの大事な職員をへんなことに誘わないで。君のまねしてパートでしか働かないとか言い出したら、病院存亡の危機になる」

「冗談だよ。笑ってよ」

「笑えないよ。本気っぽいもの」

平野はコーヒーを一口すすって

「ハルちゃん、『生きて出られない病院』の謎解き、教えてあげようか」

「何、それ?」

「医者の高齢化。」

「?」

「1月に亡くなった相川先生は交通事故だったけど、あれは事故じゃなくて、運転中にくも膜下出血おこして、意識がなくなってぶつかったんだったよね。いくつだった?」

「76歳」

「2月の岩井先生は4年くらい前から肺がんで何回も再発だ転移だってがんばってたよね。81歳」

「ゴールデンウイークに内山先生が旅行先で転落死したのは」

「あれもふらついたところがたまたま崖の上だったからでしょ。84歳にもなって山登りなんて元気すぎだって」

「先月の江藤先生は」

「心筋梗塞。70過ぎて当直までしちゃ働きすぎってもんでしょ。つまり、『生きて出られない病院』は、死ぬまで働き続けられる病院ってこと。ものは言いよう。売りになるかもよ。案外、高齢者に求人出してみるのも悪くないんじゃないの。」

残ったコーヒーを飲み干して平野は席を立つ。後ろでに軽く手を振って出て行った。ドアのベルが乾いた音を立てた。

「あいつ、一度も自分で払ったことないなあ」

クマ先生は小さくつぶやいた。



8、屋上の二人 月曜日

「センパイって、これからどうするんですかあ?」

アヤノは二つくくりの髪を結びなおしながら聞いた。

「ここって、もうすぐ建て替えで移転するんですよね。センパイって、ずーっとここにいるんですかあ?」

ミサキは相変わらずたばこをふかしながら

「まあ、25年もここに地縛してるからねえ。今さら他に行く気にもならないわ。次に何が建つかわかんないけど、まだ当分はここから同じ町を眺めて暮らすわ。それよりあんたどうすんのよ」

「えー?どうって何ですかあ?」

「あんたの本体は305号室でまだ植物状態でしょ。いいかげんなとこで戻らないと、今は生霊だけど、本体が死んじゃったらほんとの幽霊になっちゃうよ」

「うーん。それもちょっと迷ってるんですよねえ。なんか、今さら、戻っても何があるわけじゃないっていうか、人生に軽く絶望してるっていうか。でも、最近、あのクマ先生やひーたん先生みたいな変な人と絡んでみるのも悪くないかもって。」

アヤノはフェンスのほうに目をやる。夏空の下、旧館のむこうには新しく建った市役所が見える。さらに遠くには駅前再開発でシートに覆われた工事中の高層ビル。アヤノの記憶にある風景とはだいぶ変わってしまっている。

「じゃあ、戻るの」

「でも、戻ったら、センパイと会えなくなりますよね」

「あたしにおべっかつかっても何も出ないわよ。そうと決まればとっとと戻りなさい。その代わり、当分リハビリは覚悟しなさいよ」

「センパイ、あたしが死ぬまで待っててくれます?」

「馬鹿言ってんじゃないわよ。あと何十年地縛させとく気よ。ほら、さっさと行きなさい。クマぐるみが回診に来る時間よ」

アヤノは泣きそうな笑い顔をうかべて扉の向こうに消えて行った。ミサキは快晴の空に吸い込まれていくたばこの煙を眺めていた。


                            完


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