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作者: 後藤章倫

 「何やってんの、お爺ちゃん!こんなにして」

一体此の女は何を言っておるのだ?と手元を見ると、醤油差しを手に持ち、大根の漬け物が二切れ乗った小皿に醤油を垂らしていた。醤油は小皿から溢れ始めていてテエブルに滴っていた。大根の漬け物は完全に醤油に浸かっている。

 本当だ、何やってんだ俺?というか此処は何処だ?そして此の女は誰だ?

「動かないで、今から拭くから、嗚呼もう」

何故に此の女は俺の事を、お爺ちゃんなんて呼ぶのだ?失礼な、俺はまだ二十七歳だぞ、では何で此処にこうして座って居るのだ?どうやら朝食の最中の様だが不思議で仕方ない。


 昨夜は自分のバンドのライブだった。客は十二、三人でライブハウスのフロアはスッカスカだった。しかし何か凄く集中してパフォーマンスする事が出来て良いライブだった。俺は、のめり込み、何かこう、クゥーって成って、イッて、そのままステージに仰向けに倒れた。ステージを照らすライトが眩しかったが、気持ち良かった。

 えっと、其れからどうした?何時もなら、ライブハウスの精算を済ませ、そのまま打ち上げに行ったであろうだが、全く何も覚えていない。気が付いたら醤油差しを、大根の漬け物が二切れ入った小皿に掲げ醤油を垂らして居た。

「はい、良いわよ、もうやっちゃ駄目よ、早くご飯食べて下さいよ」

自分の手が自分の手じゃない様に見えた。こんな手だったっけか?ちょっと立ってみると身体が凄く重い。どうなっているんだ?とりあえず鏡は何処だ?女に聞いてみよう。

「あのう、すみません洗面所は何処ですか?」

「嫌だ、お爺ちゃん、さっき手を洗いに行ったでしょ、そこを出て右の突き当たりよ」

そんな事言われても知らない事は知らない訳で、それより何より、またお爺ちゃん何て言いやがる。兎に角鏡だ。それにしても何だ此のパジャマは?誰かのを借りているのか?足が重いな等と思いながら洗面化粧台の前に立った。

 鏡の中には、お爺ちゃんが居た。

「へ?誰?はい?俺じゃないよね?」

 動いてみる。左手を上げると、お爺ちゃんも上げる。舌を出してみると、お爺ちゃんも出す。ウィンクをすると、お爺ちゃんもウィンク。

 最悪だと思った途端に足がもつれて洗面化粧台の前に倒れてしまった。


 眩しい。アレ何だっけ?そう、ステージで倒れて、それで、そうそう此の光はステージを照らすライトだな。

 ゆっくり目を開けると、数人の男女が口々に

「あっ、気が付いたみたい」

「良かったぁ」

「びっくりした」

等と言っている。そして、女が言った。

「大丈夫?お爺ちゃん」

はい?此処はステージじゃ無いのか?あっ洗面化粧台だ。という事は、ゲッ!俺何か知らんけど、お爺ちゃんに成っとる。どうしよ?このままでは駄目だ、落ち着け、考えよう。俺が爺さんに成っているという事は、爺さんが俺に成っているという事か?ならば俺を捜しに行けば良いじゃんすか、そうだ、そうしよう。


 時を前後して新宿のキャバクラで若いキャバ嬢がパニックに成っていた。

「リカちゃ~ん、今度さ、一緒にご飯どう?」

何を言っておるのだ此の男は、儂はリカなんて名前ではない。

「黙ってないでさぁ~、もう、オッパイ揉んじゃうぞぉ~」

酔っておるみたいだな此の阿呆は。ちょっと待て、視界に髪の毛が有る。儂は髪の毛なんかとっくに無くなっておるのにだ。そして、何だ?この服装は、これでは変態ではないか?

 と、その時、横の男に胸を人差し指でツンと突っつかれた。たまらず立ち上がると、思いのほか身体が軽かった。が、この状況が訳分からなかった。


 とりあえず此処を出よう。行方不明と思われると後々面倒だから、あの女に一応言ってから行こう。

爺さんの財布を持ち、仕方なくジャージを着込み、女に

「ちょっと出掛けてきます、夕方には戻ります」

と言ったものの、夕方に戻る気等更々無かった。

「大丈夫?お爺ちゃん、今日ちょっと様子がおかしいけど本当に大丈夫?」

と言う女を尻目に家を出た。

 此処は何処なんだ?電柱を見ると落合と書いてある。しめた、落合だ、新宿まで直ぐだ。住宅街をしばらく歩くと早稲田通りに出た。それにしても此の身体は疲れる。あとはバスで新宿へ。


 昨夜ライブをやった新宿のライブハウスへ行くと、入り口前の歩道の植え込みの処に俺が立っていた。こんなに早く見つける事が出来ラッキーと歩み寄って、話し掛けようとした。が、自分に話し掛けるという行為に何か変な感じがした。

 それでも、とりあえず声を掛けないと何も始まらないので

「おいっ」

と言って肩を軽く触った。

「キャッ」

思いもよらぬ反応に、こっちがビックリした。は?キャッって何だ?俺が、キャッって言ったし、仕草までが女性の様だった。

「あのさ、爺さんじゃないの?」

「何言ってんの、爺さんはアンタでしょ?わたしは、今は何かこんな感じだけど違うの」

 俺は考えを整理した。気が付いたら爺さんに成っていたから、爺さんが俺に成っているだろうと、俺を捜しに昨夜のライブハウスに来てみたら俺が居た。けど爺さんじゃなくて、えっと

「お前誰?」

「わたしは、今は、こんなだけどリカって言うの、二十一歳の女の子なんだから、今は、こんなだけど、じゃアンタ誰?」

「俺は今の君、そう君が俺、見た目は爺さんだけど中身は俺、つまり今の君」

互いに、訳が分からなく成った。

「だんだん昼だし、ちょっと飯でも食いながら話さないか?」

「それって、ナンパ?」

「阿呆か、自分をナンパしてどうする、世間の見た目は、爺さんと兄ちゃんだわい」


 という訳で、昼間から営業しているセンベロ店へ

「とりあえずカンパーイ!乾杯なんかやってる場合じゃないけどな」

そして自己紹介的に、俺はサトルという名前であるという事等、昨夜からの一連の流れをリカへ話した。リカは、昨夜キャバクラで働いていて、途中御手洗いに入り、身だしなみを整えていた。ドレッサーの照明が妙に眩しい感じがした。そこで少しウトウトしたみたいで気が付いたらライブハウスのステージ上だったという事だった。

 リカが俺に成っていて、俺が爺さんに成っているという事は、恐ろしい事に爺さんがリカに成っているという事に成るのか?

「嘘でしょ?」

リカが嘆いた。

 「ウィ~ちょっと飲み過ぎたなぁ」

外は、すっかり夕方に成っていた。

「そうよ、お店に行ってみようよ、もう営業してる時間だし」

でも、良く考えてみると俺は爺さん、リカは俺(兄ちゃん)だから、お店に行くという事は、只のキャバクラの客になるって事じゃないのか?とも思ったが、手掛かりは今のところ無いから、藁をも掴む思いでお店が有る歌舞伎町へ歩き始めた。

 しばらく歩くと爺さんの身体が悲鳴を上げだした。

「ちょっと待って、もうちょっとゆっくり歩こうよ、この身体滅茶苦茶キツいわ、ちょっと休もう、ほら、そこのベンチで」

「しょうがないわねぇ」

繁華街のベンチに二人座って居ると向こうから、お姉ちゃんがフラフラと虚ろな目で歩いてくる。

「あっ、わたしだ」

リカは、お姉ちゃんに駆け寄って行き

「ちょっとアンタ誰よ?」

外見は俺のリカが、お姉ちゃんに詰め寄る。お姉ちゃんは、ビックリして

「儂は……」

と言葉に詰まった時に、俺と目が合った。

「嗚呼、嗚呼、儂だ、儂がおる」

ようやく三人が揃った。午後七時を回っていた。

 そして、何故か警察官に囲まれていた。俺は三人の警官に

「大丈夫ですか?松山亀蔵さんですよね?」

と聞かれた。

「亀蔵は、儂だ」

と見た目は、リカの爺さんが言った。

「お姉さん、何言ってんの?ひょっとしてアンタ達二人でお爺さんを連れ回していた?」

俺は、あっと思った。そう言えば家を出る時、夕方には戻ると言って出て来た。扨は、爺さんの家族が捜索願とか出しやがったな。コレは面倒くさく成ってきたぞ、ようやく三人揃ったのに、うーん。

「ちょっと其処の交番で話を聞かせて貰えるかなぁ」

警官が言うと、見た目は俺のリカが、

「なんでこうなるのよぉ」

と泣き出しそうに成った。

「いや、俺は亀蔵さんじゃなくて」

と言ったものの、警官の目には亀蔵である。

 歌舞伎町の交番へ行くと、亀蔵の家族であるあの女が来ていた。そして、女は俺に

「もう、心配したんだから、今日はちょっと様子が変だったし、もう」

するとリカである筈の亀蔵が

「儂にも何が何だか分からんのだよ」

と言って周りを混乱させた。女は不思議そうに

「アナタは一体誰ですか?」

とリカの亀蔵に尋ねると

「やっぱり儂が分からんのか」

と落胆した様子で呟いた。しびれを切らして俺が女に

「あのですね、俺は亀蔵さんじゃ無いのですよ。えーと、その、見た目は、亀蔵さんですけどね、声とかも」

それを聞いて女は機転を利かせた。女は頭の切れる人だった。そして警官に、三人を引き取る旨を伝え、書類にサインし、感謝の言葉を述べて四人で交番を出た。

 なんとなく四人で歩き始めた。歩きながら女が

「ちょっと皆さんの話を聞かせて貰えないですか?どこか静かな所へ行きませんか?」

中身が入れ替わった三人が揃ったものの、このままでは、どうする事も出来ないので花園神社で話をする事にした。

 花園神社へ着き、花園神社の鳥居のたもとへ四人は腰をおろした。そして各々の事柄を話始めた。

 サトルはライブハウスでの事、リカはキャバクラでのトイレのドレッサーでの事、そして亀蔵といえば、寝ようと布団に入ったものの中々寝付けずに、布団に入ったままテレビを見ていた。部屋の灯りは消したままだった。テレビの明かりが妙に眩しくて、そう思っていて、次に気が付いたら、女装した状態でソファーに座り、横に訳の分からない酔っ払った男が居て、男にオッパイを突っつかれ、居たたまれなくなり、外へ飛び出し新宿を徘徊していたそうで

「えー!オッパイ触られたのぉ、うちは、そういうの禁止なんだから、もう」

見た目は俺のリカが、憤慨した。

 ここで共通点が見えてきた。三人共、眩しかったのだ。そして気付くと各々違う人物に成っており、不思議と新宿区内での出来事だった。

「ちょっと待っててください、私コンビニ行ってきますから」

女は小走りに暗闇に消えて行った。残された三人は、しばらく黙り込んだが、見た目リカの亀蔵が足を開いて座っている為に下着が丸見えに成っているのに、見た目サトルのリカが気付いて、足を開くなとしきりに言っていた。

 そして、女が懐中電灯を携えて帰って来た。

「良いですか?眩しさで此の様な状況に成ったのだから、また同じ様な状況を作り出せば、或いは元に戻れるかもしれません」

三人共、そう思った。女は続けて

「じゃ、軽く目を閉じてみて、どう?暗いでしょ」

夜の花園神社の鳥居のたもとである。其処で目を閉じたのだから真っ暗である。

 女は、懐中電灯のスイッチを入れ、その光を三人にあててみた。

「どう?」

眩しい、ちょっとクラクラする、何だか気が遠くなる様な…‥


 リカが、ゆっくり目を開けるとスカートが見えた。

「あっ、あっ、わたし、わたしよね?戻ってる!」

リカは、リカに戻った。俺は、ゆっくり目を開けたら、横に俺が居た。

「マジっすか?」

亀蔵も気が付いた。

「ん?ん?何で、其処に儂がおるのだ?」

結果、リカと亀蔵が入れ替わり、リカのみ元通りに成った。


 「今度お店に来てねぇ~」

リカは、嬉しそうに帰って行った。サトルは、亀蔵のままで帰る訳にもはいかず、事情を知っている女が居るという事もあり、仕方無くまた亀蔵の家へ戻る事に成った。

 今夜一晩寝て、明日起きれば或いは、元に戻っているのかもしれないと少しの期待を持って、今夜は亀蔵と同じ部屋で寝る事と成った。二人共疲れていたので布団に入ると直ぐに熟睡した。


 朝か?明るいな、朝日が眩しい、ん?眩しい?と少し考えサトルは、慌てて飛び起きた。すると隣の布団で亀蔵が寝ていた。

「という事は、よし、戻った」

しばらくすると亀蔵も目を覚ました。亀蔵は、起きるなり何やらブツブツと言っていたが、寝ぼけて居るのだろうと思った。

 台所へ行くと、女が朝食の支度をしていた。

「おはようございます、あのぉ、戻りました」

「へっ?おはようございます、まぁ、良かった、ああ良かった、お爺ちゃんも起きました?」

「はい、何かブツブツ言っていましたが」

「あら、またかしら?」

「じゃ、お世話になりました。帰ります、ありがとうございました」

「もう直ぐ、朝食の用意が出来るから食べていってください、これも何かの縁でしょうし」

という訳で朝食を頂く事になり食卓についた。

食卓には、女の夫らしき人物と、その兄弟だろうか男女一人づつと亀蔵と自分を入れて六名がいた。

 普段は一人暮らしの為に、この様に大人数での食事は少し照れくさかったが、懐かしさと嬉しさも同時に有った。女が夫に

「お爺ちゃんね、またブツブツ言ってたみたいよ」

「あ~また始まったかぁ、なんでたまにこう成るんだろうな、良い時は普通なのに、呆けの始まりかなぁ」

どういう事だ?亀蔵さんは、ちょっとボケているのかな?そういえば、俺がお爺ちゃんだった時、醤油を思いっきり皿に垂らしてたもんなぁと思っていると、亀蔵が立ち上がり冷蔵庫からマヨネーズを取り出し、キャップを開け、味噌汁の中にメリメリメリと絞り始めた。

「うわっ、お爺ちゃん駄目、駄目、何やってんの?もう、こんなにしてぇ」

マヨネーズが味噌汁の碗の中に盛り盛りに成り、味噌汁がテエブルにこぼれた。

 嗚呼、あの時の醤油みたいだと思った。しばらくすると亀蔵は、我に返った様に

「あれ?儂?」

等と言って不思議がっていた。


 飯を食い終えたので、家の人達に別れを告げ、自分のアパートへ帰った。部屋へ入り、とりあえずビイルを飲んだ。まだ午前九時過ぎだった。

 壁のポスターへ目をやると、ジャニスが熱唱している。隣ではヘンドリクスが白のストラトを燃やしていて、そのまた隣ではカートが怒りの表情で此方を睨んで居た。

「皆、二十七歳で死んでしまったな」

と呟き、自分も二十七歳だなと思ったが

「俺は、まだ何にもやってないし、人生はこれからだぜベイベー」

と、酔っ払ってきた。そしてそのうち、コトンと寝てしまった。


 どの位寝ていたのだろうか?もう日は暮れていて午後八時になろうとしていた。部屋は真っ暗だった。とりあえずテレビをリモコンで点けるとニュースをやっていた。行方不明者の捜索を行っているという事だった。天候も悪く、本日の捜索は、打ち切りになる様相だ。三月も下旬だというのに季節はずれの雪が降ったみたいで、その山は白く成っていた。

 行方不明者の名前がテレビに映り、顔写真も出た。なんと、あの松山亀蔵だった。

「何やってんだよ?爺さん」

不意に口から言葉が出た。暗い部屋の中でテレビが矢鱈と眩しかった。部屋の灯りを点けようとした矢先にクラっときた。


 気が付くと山道を歩いていた。寒い、寒すぎる。もしかしてと思ったが、その通りだった。ジャージ姿で、つっかけを履き、山道をさまよっていた。

 また亀蔵と入れ替わっている。最悪だ、兎に角寒いし、此処は何処だ?辺りを見渡すと、微かに湯気がみえた。ひょっとして温泉施設か何か有るのかと、其方へ向かって歩いたがその様な施設は無く、しかし、暖かそうな露天風呂があった。願ったり叶ったりであって、直ぐに服を脱ぎ捨て浸かった。

「くぅ~気持ち良いぃぃ~嗚呼ぁぁぁ~いい湯だ」


 松山亀蔵の遺体が見つかったのは、亀蔵が入山してから三日後の午前十時前だった。前日までの悪天候が嘘の様に晴れ上がった四月一日、奇しくもエイプリールフールだった。

 亀蔵は用水路の中に裸で座り絶命していた。ただその表情は、微笑んでいて、とても満足げだった。サトルは、二十七年の生涯を終えた。


 亀蔵は、若い身体になりサトルのアパートで希望に燃えていたが、都々逸と河内音頭、カッポレにしか興味を示さなかった為にバンドをクビに成った。


          終

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